
地域で暮らす「すべてのこどもたち」にとって「よりよい社会」を作りたい。
大人が一方的に作るのではなく、こどもたちと一緒に作りたい。
そんな思いで、京都の山科区と伏見区醍醐地域で地域に根ざして活動を続けてきたNPO法人「山科醍醐こどものひろば」が今週のチャリティー先。山科醍醐こどものひろばは今年、前身団体設立から45年、NPO法人になって25年の「ダブル周年イヤー」を迎えました。
「時代は流れ、こどもたちを取り巻く環境も大きく変わりましたが、『こどもが真ん中』というキーワードは変わりません。大人だけが考え、大人だけの都合でものごとを進めてしまうというのは、支援の現場では実はよく見られる光景です。しかし、そもそもの支援の真ん中にいるこどもたちが何を必要としているのか、そのために一緒にできることは何なのかということを、常に意識しています」
そう話すのは、代表の品田真孝(しなだ・まさゆき)さん(38)。
活動について、お話を伺いました!

歴代の理事長の皆さん。右から朱まり子さん、幸重忠孝さん、村井琢哉さん、品田さん
NPO法人山科醍醐こどものひろば
地域に住むすべてのこどもたちが心豊かに育つことを目指し、地域の社会や文化環境がよりよくなることを大きな目的に活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/12/08

コロナ禍でなかなか対面で合うことができなかった2023年に、会員と関係者向けに開催した「こどもフェスタ」の一幕
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
品田:
地域で暮らすすべてのこどもたちが心豊かに育つことを目指し、より良い社会・文化環境をこどもたちと一緒に作ってくことを目的にして活動を続けている団体です。
前身団体は、1980年に発足した「山科醍醐親と子の劇場」で、1999年に「山科醍醐こどものひろば」を設立し、2000年にNPO法人格を取得し「特定非営利活動法人山科醍醐こどものひろば」として活動をスタートしました。今年は「山科醍醐親との子劇場」創立から45年、「NPO法人山科醍醐こどものひろば」創立からは25年、ダブル周年イヤーなんです。

1999年12月12日、「山科醍醐親と子の劇場」から「山科醍醐こどものひろば」となった時の設立総会にて。当時から現在まで関わっている会員さんも
──そうなんですね!おめでとうございます。
活動内容を教えてください。
品田:
親と子の劇場時代より、生の舞台を見る、キャンプするといった、こどもたちの文化体験活動を中心に、こども支援・子育て支援、特に、貧困家庭への支援は長く続けてきました。
野外体験活動の「わんぱくクラブ」、0~3歳ぐらいまでの親と子のための居場所「げんきスポット0-3」、貧困やひとり親、虐待などでさまざまな困難を抱えているこどもたちを支援する「楽習サポートのびのび」などを運営しながら、地域で「子育て」ではなく「子育ち」の環境を作っていくための啓発活動も行っています。

地域主催の飲食イベントにて、遊びコーナーを出店。「山科地域のいろんなもの・ことを題材に、子どもたちの絵と言葉を使ってその良さを表現した『山科かるた』や、缶積み、授乳コーナーも設けて、誰でも参加しやすいように工夫しました」
──なぜ、2000年にNPO法人格をとって再スタートを切られたのですか。
品田:
親と子の劇場は会員向けの組織で、活動に関わる人が限られていました。活動を地域に広げ、地域の誰もが参加できるような場を作っていこうということで、NPO団体として新たなスタートを切ったのです。
こどもたちが「あれをやりたい」「こうしたい」と自分の意見を言うことができて、かつそれを一緒にできる組織であり、団体でありたいというのが、私たちのベースにある思いです。

「わんぱくクラブ」の活動中、こどもと一緒にお昼寝。「こどもも大人も、ありのままでいられる活動を大切にしています」

寄付された食材、また購入した食材を、ひとり親家庭や活動参加者に配布している
品田:
関わるご家庭に対して、その都度必要な支援を行ってきましたが、特にコロナ以降、それまでなんとか踏ん張っていたようなグレーゾーンに近いご家族が、コロナの影響で職を失ったり、物価高騰で食材が買えず、こどもの食べるものがないといったご相談が、より顕著に出てくるようになりました。
以前から緩やかに食材支援をしていましたが、コロナ禍では食材支援の問い合わせが増え、ピーク時は、1年間で7,000食を支援しました。
──そうなんですね。
文化体験活動についてはいかがですか。
品田:
文化体験活動は、山科醍醐こどものひろばの原点です。しかしコロナ前後から、徐々に活動は縮小傾向にありました。「担い手不足」という運営側の問題もありますが、何よりもコロナ禍になり、人が集まるとかどこかに出かけるといった活動が、一気に無くなってしまったのです。
──確かに。

「わんぱくクラブ」での一枚。「年少から小学3年生までの参加者が、スタッフと一緒に調理や火おこしをしているところです」
品田:
それまで一緒に場を運営してきた学生ボランティアさんたちとのつながりも、コロナ禍で一気になくなりました。
今、また少しずつ活動を再開したいと思ってはいるのですが、やはりそれまでは、活動を継続してきた中でのつながりで成り立っていたような部分も大きくて、「もう一度、一から始めよう」とは言っても、どうしてもできることが限られてしまうのが現状です。
以前のような活発な文化体験活動につなげていくために、小規模でも文化体験活動の機会を作り続けていこうと、団体として取り組んでいるところです。

サマーキャンプでの一コマ。こどもたちと一緒に川で涼むスタッフ。「こどもも大人も、一緒に楽しむことができる時間がありました」

親と子の劇場時代の一枚。「おおきなかぶ」を演じているところ。衣装や小道具ももちろん手作り
品田:
体験活動は、目に見えて何かわかりやすい成果や効果があるわけではなく、緊急事態下にあっては、支援としては後回しになってしまいます。だけど、コロナが明けてすぐの時だったでしょうか、町たんけんのイベントを企画したら、参加したこどもたちが、ただ近所の公園で遊んでいるだけなんだけど、本当にすごく嬉しそうで。
「集まって一緒にはしゃいでいるのが、楽しくて嬉しくてしょうがない」っていうようなこどもたちの姿を見て、さまざまな制限の中、こどもたちもずっとストレスを抱えていたんだろうなということが、すごく伝わってきました。
──そうだったんですね。

体験活動中の一枚。山科川沿いをウォークラリー中、動物の絵のある石(十二支)を見つけて大盛り上がり
品田:
体験活動は、どちらかというとこども支援の対象からは切られがち・縮小されがちな傾向があります。
しんどい家庭への支援はもちろん大切です。だけど同じくらい、さまざまな体験はこどもたちにとって大切で、そこが重要視されずに無くなったり縮小されていくことには、少し危機感を覚えています。
山科醍醐こどものひろばとして、「文化体験」が事業の一つの柱である以上、地域のこどもと家族が「ここに住んでよかった」と思える地域を、こどもと作っていきたい。
絶やすのではなく、なんとか作り出していくのが自分たちの役割だと思っています。
極端な話をすれば、文化体験がなくても、生きていくことはできるかもしれません。食や学習支援のように「こうしたらこうなります」とわかりやすく伝えることは難しいですが、こどもたちにとって「この体験があってよかった」ということが、成長の過程で、あるいは大人になってから、どこかであると思っています。
体験活動は、こどもたち一人ひとりの「選択肢の幅」を広げることにもつながると思っています。
──確かに。

川遊びの前に、遊びながらの準備体操。「活動のいろいろなところに遊びを!」
品田:
体験活動でこどもたちが見せてくれる姿は、何よりも楽しそうです。スタッフも保護者さんも「よかった」と思えるような姿がそこにはあって、こどもたちにとってより良い地域社会を広げるためにも、必要なものだと思っています。
規模は縮小しながらも開催している体験活動に参加してくださるのは、その必要性を感じて、常にアンテナ高く情報収集をしておられる家庭や、体験活動の参加費を払うのが苦ではない家庭に限られます。
そうでない家庭には、そもそも情報が届かないし、届いたとしても、お金がかかるとなると、参加を躊躇する家庭も少なくありません。
でも、山科醍醐こどものひろばは、地域の「すべてのこどもたち」にとって、「よりよい社会」を作ることがミッションです。どんな子も等しく、楽しく参加してほしい。限られた家庭・お子さんにしか活動が届けられないような状況は、今後解消していきたいと思っています。

山科にある本願寺山科別院(西御坊)にある大きな銀杏の木の下で。「子どもの『やりたい』『してみたい』を確認しながら、活動づくりをしています」

2025年4月に開催されたこどもフェスタでの一枚。「輪投げを楽しんでいる姉弟。無料なので何度でもチャレンジ」
品田:
「地域のすべてのこどもたちが楽しめる場」という私たちの思いを、昨年の冬とこの春に開催した「こどもフェスタ」でかなえました。コロナ禍を除いて毎年開催してきたこどもフェスタですが、以前は無料と有料、二つのブースがあったんです。
特別手の込んだブースがたくさんあるわけではないんですが、材料がかからないような、たとえば、もぐらたたきや宝さがしは無料ですが、工作で何かを作ったり、賞品がもらえるようなブースについては、材料や景品代がかかるため、有料にせざるを得なかったんです。

「こどもフェスタのもぐらたたきも、もちろん人力。ボランティアさんが箱に横になりながら入ってもぐらを出し入れして30秒間ひたすら叩いてもらい、お互いに汗だくに」
品田:
しかし、内部のスタッフから「どんな子も遊べるように、完全無料にしようや」という意見が出ました。
「ほんまはあれがやりたかったけど、お金がないからできへんかった」「親に、『あれはお金がかかるからあかん』って言われた」「お金を持ってる友達はやってたけど、自分はできへんかった」という思いを、こどもたちに残したくないと。
──確かに…。楽しい場所で、寂しかったりひもじい思いを経験することになりますね。
品田:
「自分たちが頑張ることで、こどもたちがもっともっと楽しく遊べるんやったら、そうしよう」というマインドは、山科醍醐こどものひろばに関わっている皆の中に、もともとあると思います。

「宝さがしでは、新聞プールに隠されたあひるちゃんを制限時間内に何個見つけられるかを競いました。ルールや遊び方も『どうやったらより楽しめるのか』を考えながら作っているので、毎年ルールが違ったりします」
品田:
スタッフの声をきっかけに、「どんなこどもたちも遊べる完全無料のフェスタにしよう」と皆が少しずつ動き、必要な経費は、こどもたちではなく、スポンサーというかたちで地元の企業さんに応援いただいたり、ご寄付で賄うようなかたちで、コロナが明けてすぐは内々での開催でしたが、昨年12月とこの4月には、「誰でも参加できる、完全無料のお祭り」として開放したんです。
──良いですね!
品田:
模擬店の飲食だけは有料でしたが、ハヤシライスと炭酸モモゼリーがそれぞれ100円で、できる限りこどもの手が届く値段に設定しました。
また開催場所である京都市山科青少年活動センターさんにも協力をお願いし、10代のこどもたちがチラシの整理や館内の清掃といった事務作業や地域活動をお手伝いした際、対価としてもらえる地域通貨「べる」を、ここでも使えるようにしていただきました。

4月のこどもフェスタで販売されたハヤシライスと炭酸モモゼリー。「前回がカレーだったので、4月はハヤシライスに。炭酸モモゼリーも試作を重ねて完成しました。食材の寄付をいただき、それぞれ100円で提供できるようにしました」
──家庭や親御さんのことを気にせず、自分で稼いで、食べたいものが食べられたら嬉しいですね。
品田:
午前中に来てくれた子が、全部無料と知って「友達呼んで、また来るわ」って、昼からは友達と一緒にまた来てくれたりして、嬉しかったですね。
家庭的な事情で、「お金がかかるのは、私は遊べへんのや」「友達はやってるのに、自分はできへんねんな」とかいうのは、こどもたちの中で、しんどい思いの一つになってしまうことがあると思っています。
どんな子も同じように、やりたいことができて、思い切り遊べたこと。
「自分は参加できへん場所なんや」なんて思わなくてもいい、ウェルカムな場所を作れたことはすごく良かったと思いますし、やっぱりそんな場が、こどものひろばらしさなんやと改めて感じました。
こどもフェスタが終わってから、関わってくれたいろんな人が「こどものひろばらしいイベントやったね」って言っていて、やっぱりそうなんやなと感じました。

こどもフェスタでの一枚。「昔は参加者だったこどもが、今ではスタッフに(写真左)。当時のスライドを懐かしみながら、彼のお母さん(写真右)と一緒に見ていました」

「こどもフェスタでは、スタッフの方の一人が山科在住の『ことえほん』さんにご協力をいただき、遊びコーナーの一つを担当してもらいました」
──「山科醍醐こどものひろばらしさ」とは、どんなことですか。
品田:
「こどもと一緒に作っていく」「こどもと一緒に育っていく」というのが、いつも活動の中心にあること、でしょうか。
スタッフやボランティアのみんなといろんな企画を話し合う時に、「これをこどもにさせよう」という発言が出ることがあるんですが、「(こどもに)する・させる」という意識では、こどもとの関係性がうまくつくれないし、「一緒に作る」という空間は生まれてきません。

「どんな活動でも、参加するだけで終わるのではなく、片付けまで一緒にするのがこどものひろば」
品田:
大人だけが考えて、大人だけの都合でものごとを進めてしまうというのは、こども支援の現場では実はよく見られる光景です。
だけどそもそも、その企画だったり支援の真ん中にいるのはこどもたちであって、そのこどもたちがやりたいことは何やろう?必要としていることは何やろう?そのために一緒にできることは何やろう?ということを、常に意識することが大切だと思っていますし、そのような体制づくりや意識づけを、ことあるごとに共有するようにしています。
──そうなんですね。

ボランティアとして山科醍醐こどものひろばに参加していた若い頃の品田さん。「なんとなくで始めたボランティア活動でしたが、年代もさまざまな仲間たちと作る空間、時間が自分にとっても心地よく、全力でこどもと一緒に楽しんでいました」
品田:
1980年の山科醍醐親と子の劇場、1999年の山科醍醐こどものひろばの設立から、時代は流れ、こどもたちを取り巻く環境も大きく変わりましたが、「こどもが真ん中」というキーワードは、45年、また25年前から何一つ変わりません。
しんどさを抱えた家庭への支援の活動も、文化体験活動もしていますが、どんな活動も、どんな時も、常に「こどもが真ん中」で、関わるこどもたちが自分の意見を言えたり、自分発信で動くことができるような団体であり続けたいと思っています。

2013年に開催されたこどもフェスタの集合写真。「地元の商店街と協力し、こどもフェスタの日には、商店街を歩行者天国にしてこどもが1日遊べる空間を作っていました。ボランティアも100名以上いました」
──45×25周年を迎えられた今、そしてこれからの展望について教えてください。
品田:
親と子の劇場時代から、年齢に関係なく、大人もこどもも対等に意見が言えて、一緒に考えたり行動したりというのが当たり前にあった団体です。
しかし近年、世代交代が進む中で、少しずつその辺りが弱くなっていると感じるところもあります。
ダブル周年を迎えたわけなので、「山科醍醐こどものひろばって、どんな場所だろう」というのを、これまで関わってくださった皆さんと考えながら、次の5年10年、「こういう場所になってほしい」ということにつなげられたらと思っています。
たとえばそれが私であれば、「こどもの文化体験活動を増やしていきたい」ですが、「地域とのつながりを強化したい」とか「こどもの会議が増えたらいいな」とか、きっとそれぞれに抱いている思いは違っていると思っていて、でもそれが、山科醍醐こどものひろばの良さなんです。

「地元の中学校の図書館で、地域の方と一緒に学習支援も行っています。いつまでもおせっかいができる地域でありたいと思っています」
品田:
それぞれが好きに思い描く「山科醍醐こどものひろば」、またこの場所への思いを、大人もこどもも、一ちょっとずつかたちにできたら嬉しいですね。
皆が別々のことを考えているようで、実はおんなじ方向を見ている。山科醍醐こどものひろばらしい、とても素敵なことだと思っています。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
品田:
チャリティーは、こどもの体験活動や、貧困対策事業などの活動の充実のために活用させていただく予定です。45×25周年を迎えた山科醍醐こどものひろばの活動を、チャリティーグッズでぜひ応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!

「こどもフェスタ2025」にて、当日の運営スタッフの皆さんの集合写真。「こどもから大人まで、いつでもさまざまな世代が参加してくれる山科醍醐こどものひろばでありたいと思います」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
小さい時、いろんな遊びや体験の中で、けがをしたり怒られたりしながらも、今になって思えば、社会に出る上ですごく大切なさまざまなことを学びました。何にも縛られない自由な遊びの中に、いろんな「学びの種」がぎっしり詰まっていて、それを地域の大人たちが見守ってくれている安心感も、こどもながら、きっとどこかで感じていたように思います。
今、そんな安心感を感じながら、無我夢中になって遊びに没頭できる環境が減りつつあることを感じながら、山科醍醐こどものひろばさんのような、地域とこどもがつながる活動とそのスピリットを、次世代へとつないでいく必要性を感じます。
45×25周年おめでとうございます!こどもも、かつてこどもだった大人たちも、一緒に笑顔になれる地域代表として、これからのますますのご活躍をお祈りしています!

【2025/12/8-14の1週間限定販売】
大人からこどもまで、地域のいろーんな人が集まる楽しいお祭り「こどもフェスタ」をイメージして制作したデザインです。
それぞれが心地よく、思い切り楽しめる空間を、抜け感のあるポップなタッチで表現しています。
小さく「45×25周年」お祝いデザインも入っていますよ!
“Welcome to our neighborhood(僕らの近所へようこそ)”というメッセージには、互いの存在を受け入れ、支えたり支えられたりしながら、笑顔で過ごす温かい地域への思いを込めました。