
入浴や運動、発熱などによる体温変化、しましま模様、バーコードといった規則的な模様、点滅する光や木漏れ日などを目にすることでもてんかん発作が起こる「ドラベ症候群」。
一度発作が起きると5〜6時間発作がおさまらない、あるいは3分~5分くらいの発作を何度も繰り返す「けいれん重積」という症状があり、日常生活にはさまざまな困難があります。
今年、31歳になった「キヨくん」こと林聖憲(はやし・きよのり)さんは、3歳でドラベ症候群と診断されました。さまざまなものに反応しててんかん発作を繰り返すキヨくん。
「発作を恐れてどこにも連れていけず、刺激を避けて一日中カーテンを閉め切った部屋に二人でいると、涙が止まらなかった」と振り返るのは、母の林優子(はやし・ゆうこ)さん(66)。
4歳でキヨくんが脳症になって生死を彷徨った時、「好きなことをさせてあげたい」と外に出ていくことを決意した林さん。「成人になる頃には歩けなくなる」と言われていた中で、学校のマラソン大会で1位をとって嬉しそうなキヨくんを見て、「マラソンを通じて、障がいのある人の挑戦を応援したい」とNPO法人「ぽっかぽかランナーズ」を立ち上げます。
そしてキヨくんは2022年、足漕ぎ車椅子でホノルルマラソンに初参加し、42.195キロを8時間39分かけて完走しました。
その後、嚥下機能が落ちたことで誤嚥性肺炎を繰り返し、命のリスクと引き換えに、声を失ったキヨくん。しかし林さんはこう言います。
「声は失ったけれど、笑顔は失っていない。足漕ぎ車椅子を漕いでいると笑顔だから、以前のようにたくさん漕がせてやりたい。そしてまた、ホノルルマラソンに挑戦したい」。
活動について、お話を聞きました。

兵庫・宝塚のご自宅にお伺いしてお話を伺いました。写真はインタビュー中の一コマ。写真左から二人めが林さん、写真右、手前に写っているのがキヨくん
NPO法人ぽっかぽかランナーズ
あらゆる障がい者ランナーをサポートするために、伴走ランナーをマッチングしてマラソン大会の参加をサポートしています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/11/17

ぽっかぽかランナーズの練習会の様子。「コーチの指導で全体練習をしているところ。さらに速く、さらに長い距離を走るための練習法を学んでいます」
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
林:
障がい者ランナーに伴走ランナーをマッチングし、マラソン大会の参加をサポートしている団体です。現在は32名の障がい者ランナー、37名の伴走ランナーが登録してくださっていて、月に数回、練習会を開催しています。
──2022年のコラボから3年になりますが、キヨくんの調子はいかがですか。
林:
2021年から2024年までに計5回、誤嚥性肺炎になりました。
ドラべ症候群は「退行はしない」と言われていますが、キヨを見ていても、同じドラベ症候群のお友達を見ていても、それまで出ていた言葉が出なくなったり、顔の表情が減ったり、退行はあるように感じています。

取材中、お茶目な表情を見せるキヨくん。愛犬・クレアと一緒に
林:
年齢を重ねるにつれて体のさまざまな機能が落ちており、そのひとつに、特に気にかけてこなかったのですが、「嚥下(飲み込む)機能」がありました。
キヨはよくむせていたのですが、大ごとではないと気軽に捉えていました。しかし今思うと、それが前兆だったのだと思います。4回目の誤嚥性肺炎の時に専門医に診てもうと、「ここを触るとオエッと反応するところをいくらつついても無反応なので、今の状態がこれ以上続くと、命を失うリスクが高い」と言われました。
2024年11月、ドラベ症候群を理由に3つの病院に断られたのですが、やっと手術していただける病院を見つけ、喉に穴を開けて、食道と気管を分離する声門閉鎖手術を受けました。その時に、ずっと口で食べることにこだわってきましたが、胃ろうの手術も受けました。
──そうだったんですね。

声門閉鎖術によって開いた喉。「声を失ったことは大きいですが、命に代えられない選択でした。誤嚥性肺炎にはならないのですが、吸引が出来ていないと肺炎になるので、吸引器が手放せず、お出かけの荷物がまた増えてしまいました。また、それまで知的障がいで受けていた福祉サービスが受けられなくなりました。今は週に4日、看護師さんがおられるデイサービスに行けるようになりましたが、ショートステイは、なかなか厳しいです」
林:
入院中は首も座っておらず、ずっと寝たきりの状態で、体重も一時は35キロまで落ちました。
退院してもうすぐ1年になりますが、少しずつ体力も戻り、お昼はリハビリを兼ねて、きざみ食を口から食べています。一人前をぺろりと完食するので、つい食べさせすぎしまい、お腹のお肉が胃ろう孔を邪魔するようになってしまいました(笑)。
──3年の間にいろんな変化があったんですね。
林:
声門閉鎖術で声を失ってから気づいたことですが、キヨが声を出すことができた時は、「ううぅぅ」という声で発作に気づくことができました。でも今、その声が出ないので、特に寝ている間は、ますます目が離せなくなりました。
──てんかん発作は、今はどのぐらいの頻度で起きているのですか。
林:
子どもの時は週に何度も起きていましたが、今は3ヶ月に1度ほど(睡眠時)にまで減りました。

最近のキヨくんの食事。「嚥下のリハビリを兼ねてペースト食から始めましたが、今は刻みになり普通のランチくらいの量のご飯が食べられるようになりました。声門閉鎖手術を受けたことで誤嚥の心配はないので、調理ばさみでの刻みの大きさになったら、外食も楽しみたいと思っています」

術後、体調も回復し、足漕ぎ車椅子に乗って散歩するキヨくん。「40分間のリハビリで、東に向かってどこまで行けるか挑戦。ついに3キロ達成!写真は八幡神社の前で、理学療法士の方と。私は吸引器を持って併走します」
林:
声門閉鎖と胃ろうの手術を受けて退院後、首をずっと振る、目をくしゃっとする、舌を鳴らす、膝と膝とを擦り合わせるといったチックの症状が強く出るようになりました。
ずっと寝たきりで体が動かず、それまでは出せていた声が出せなくなったことが、本人にとって非常にストレスだったのだと思います。
舌鳴らしについては、やりすぎて唇が硬くなったり腫れたりしたので、歯科医さんに相談してマウスピースを作ってもらい、ずいぶんよくなりました。膝については、皮膚が擦り切れるまで擦り合わせるので、サポーターをつけて対策しています。今は、サポーターが擦れるシャカシャカという音を、本人も楽しんでいるようです。

「気管の保湿と菌から守るために、喉に『人工鼻』を付けています。この日はちょうどハロウィーンだったので、目玉にしてみました。目ん玉のところはフィルターになっています。キヨが自分で人工鼻を取ってしまうので、カラー(むち打ち症の方が首を固定するための装具)も付けています。発作による転倒は今はないのですが、不安定は歩行なので転倒した時に頭を守るためのヘッドギアも被っています」
林:
リハビリを経て少しずつ体が動くようになってからは、踵を床にダンダンとぶつけるようになりました。そこにもサポーターを当てて対策、イタチごっこのようにその都度、看護師さんと相談しながら対策を考えて、キヨは身につけるものがどんどん増えています(笑)。
少しずつ状況が落ち着き、最近は以前のように足漕ぎ車椅子に乗れるようになりました。足漕ぎ車椅子で体を動かすと、やはりストレスがずいぶん発散されるようで、生活の中でも笑顔をたくさん見せてくれるようになりました。
──少しずつ元気になられてよかったですね。ぽっかぽかランナーズの練習会も再開されたのですか。
林:
入院中は私もキヨに付きっきりでしたし、退院後も慣れない医療的ケア(痰の吸引や注入)でいっぱいいっぱいでしたので、メンバーが練習会を継続してくださっていました。

足こぎ車いすのメンバーの練習の様子。「これから競争です。ヨーイ、ドン!」
林:
声門閉鎖術を受けたことにより、キヨにとって吸引は命に関わってくるので、練習会中にも専門職、もしくは家族で痰の吸引ができる人が付き添う体制を整える必要があって、体調面以外でも、練習会にすぐに参加できない事情がありました。
練習会に参加できたのは、本当につい先日です。1年2ヶ月ぶりだったのですが、皆さんから「きよくん、おかえり!」「ひさしぶりやね」って声をかけてもらって、ものすごく嬉しそうでした。足漕ぎ車椅子で、思ったより距離を漕ぐこともできて、ここからまた、ホノルルマラソンに挑戦できたらいいなあと思っています。

先日、1年2ヶ月ぶりにぽっかぽかランナーズの練習会に参加したキヨくん。「「メンバーから『おかえり!』と声をかけてもらい、嬉しそうでした。写真は、伴走体験に来られた方に足こぎ車いすでの伴走をしてもらっているところです。『速いね!』と言われ、ドヤ顔になりました」

2歳半の頃のキヨくん。「ケトン食(糖質を控え、代わりに脂肪を増やす食事)を始めて薬を減らしてもらい、退院に向け、試験的に外出した日の一枚です。初めての乗り物にご機嫌でした。それまでは服用している薬が多くて落ち着きがなく、いつも手を振りほどかれていましたが、この日はキヨと主人と私、3人が並んで手をつないで歩けた記念の日になりました」
──体調も気持ちの面も、前向きになってきてよかったですね!
林:
声門閉鎖術を受けてから、毎日、数時間おきに痰を吸引されるわけで、キヨにとってこれは大きなストレスだろうと思うし、よう耐えてるなと思います。
痰の吸引の生活になってから一度、キヨがボロボロと泣いた時がありました。
時々、痛いとかつらいとかで静かに泣いていることはあるんですが、この時ばかりは「もう耐えられへん。もう嫌やねん!」という感じでボロボロと、声は出ないですが、大泣きしたんです。
…もし声が出せるんやったら、「もう嫌や。もう死にたい」って言いたかったんちゃうかなって思います。

「言語聴覚士の方が嚥下訓練をしてくださっているところ。この日のメニューは、おでんとおかゆです。食べものを噛んで飲み込める大きさになると、舌がそれを喉の奥へ送るのですが、キヨは噛まないので極刻み、とろみのついたおつゆでコーティングして前歯の奥へ入れてやります。舌の動きが鈍いので、ほっぺたや顎の下をマッサージして舌の動きを誘っています」
──そうだったんですね…。
林:
キヨが自分の意思でというのかな、自分の気持ちで泣いたのは、この時が2度目です。
1度目は、キヨが中学1年生の時。愛犬の「天ちゃん」が亡くなった時でした。いつも朝、自分を迎えてくれる天ちゃんがいない。キヨは毎日、泣きながら天ちゃんを探していました。
当時、言葉を話せないキヨとカードコミュニケーションがとれたらと思って、いろんなカードを用意していたんですね。それは全くできるようにならなかったんだけど、この時だけは、天ちゃんのカードを、泣きながら私に持ってきたんです。
その後、何年かして「クレア」を迎えた時、クレアは天ちゃんによく似ているんですが、キヨはクレアと初対面の時から「ずっとおらんかったけど、どこに行ってたんや」くらいの感じで距離感近く接していました(笑)。

相棒だった天ちゃんと、4歳頃のキヨくん。「散歩の時に天ちゃんのリードを持ちたくて仕方のなかったキヨは、ついにリードを持てるようになりました。天ちゃんとの散歩でしっかり歩けるようになりましたし、天ちゃんとボール遊びで、ボールが投げられるようにもなりました」

2023年に初参加したホノルルマラソンにて。「ゴールまであとわずか。キヨはハンドル操作ができないので、二人の伴走ランナーの方に交代でお願いしました。私は給水やエイド担当で併走しました」
──この1、2年は入退院で大変だったとのことですが、2023年に参加されたホノルルマラソンはいかがでしたか。
林:
42.195キロを8時間39分で完走しました。
ぽっかぽかランナーズとしてもう一人、一緒に走った中学生は11時間22分20秒で完走しました。
──すごいですね!!
林:
挑戦して本当によかったです。とにかく応援がすごかった。皆さんが応援してくださって。
大会側が用意しているエイドは、時間的にも遅くて食べ尽くされているんだけど、沿道の方たちが差し入れをしてくださったり、シャワーをかけてくださったり、折り返し地点では他のランナーさんが、すれ違うたびに「すごいね!」って声をかけてくれたりして。

ホノルルマラソンの会場にて。「ぽっかぽかランナーズからは、フルマラソンにキヨと中学生の女の子、10キロに成人の女性が挑戦しました」
林:
キヨは、応援があるたびに期待に応えようとスピードアップするんです(笑)。
ホノルルマラソンに限らずですが、他の人への応援でも「応援は全部、自分のもの」と思って反応しています(笑)。
──ホノルルマラソンで、林さんがいちばん印象に残っていることを教えてください。
林:
ゴールした後、もう走らなくていいのに、キヨが満面の笑顔で足漕ぎ車椅子を漕ぎ続けていました。「やったよ!ゴールしたよ!」という感じで。…その姿を見た時、心から「行ってよかった」と思いました。
ホノルルマラソンから帰ってきた後、お話ししたようにいろんなことがあったわけですが、もう一度、キヨとホノルルマラソンを目指したいんです。先になると私がぼちぼち、年齢的についていけなくなるので…、来年あたり、また挑戦したいと思っています。

ホノルルマラソンでゴールした直後のキヨくん。「ゴール後は興奮気味で、もう漕がなくてもいいのに、漕ぎまくっていました。キヨの足こぎ車いすはクラッチフリーというオプション付きなので、その場漕ぎが出来るんです。退院後、座れるようになってからは、テレビを見ながら自主練していました」
──その前向きな目標は、どんな思いからくるのでしょうか。
林:
目標がなかったら、「もういいか」ってめげてしまうんです。
病気や障害があると、「目標を持つ」ということがなかなか難しいです。「障害があるから」「病気だから」って、やる前から諦めてしまうことがたくさんあります。だから、私たちは次から次へと目標を持てるマラソンに巡り会えて本当に良かったし、他の人たちにも、挑戦する楽しさを感じてもらえたら嬉しいなって思っています。
「もうダメなんちゃうか」って思うことが何度もありましたが、「もう一回ホノルルに連れていってやりたい」という目標をまた持てたことが嬉しいし、目標があることで、キヨも「リハビリをがんばろう」っていう気持ちになってくれてるんちゃうかなと思います。
実は前回のホノルルマラソン完走後、8時間39分というタイムを次は越えよう、次は8時間を切ろうって目標を立てて、それに向けて練習しながら、ホノルルマラソンにもエントリーしていたんです。
しかし入院ですべてなくなり、気持ち的にも萎えました。
だけど今、こうやってまた少しずつ元気になってくれているキヨを見ながら、難しいかもしれないけど、タイムはかかってもいいから、また完走できたらいいなと思っています。

再び、ホノルルマラソンの舞台へ。新たな挑戦の一歩を歩み始めたキヨくんと林さん。「退院後、2度目の練習会での一枚です。私と主人とで交代で伴走しましたが、親はヘトヘト。キヨは『あー、楽しかった。まだまだ僕は走れるけど』という感じでした(笑)」

「ホノルルマラソン完走後、ぽっかぽっかランナーズから一緒に参加したななみちゃんのゴールを待っている間も、ご機嫌に足こぎ車いすを漕いでいました。母は横で倒れ込んでいましたけど…」
──子どもの頃は、さまざまなことに反応しててんかん発作が起きるドラベ症候群のキヨくんと、家の中に引きこもる生活だったと以前のインタビューで話してくださいました。その時からすると、想像できない現在ですね。
林:
ドラベ症候群は、体温の変化や、しましま模様や水玉模様といった規則的なパターン、木漏れ日などを見たりすることでも発作が起こり、一度発作が起こると何度も繰り返したり、なかなか止まらないことが特徴です。キヨが幼い頃は、発作を恐れて1日のほとんどを薄暗い家の中で過ごしました。
あの時は私自身、ごはんも喉を通らず、うつ状態でした。
「こんなんじゃあかん」と思えたきっかけを最初に作ってくれたのは、SME(乳児重症ミオクロニーてんかん、ドラべ症候群の最初の名称)の親の会でした。「息子と同じ病気の人が他にもおったんや」と入会して、年に4回送られてくる会報誌の手記を読んで、発作がある中でも楽しく生きるご家族の話に勇気をもらい、立ち直るきっかけをもらいました。

「長男の七五三にて。写真屋さんに記念写真を撮りに行き、キヨはフラッシュの光で発作を起こしました。楽しいばずの日が、重苦しい日になってしまいました」
林:
4歳で発作からてんかん性脳症になって生死を彷徨った時、「このまま死んだら、何も知らんままや。いろんなことを経験させてあげたい」と思い、外に出る踏ん切りがつきました。「何かあっても、その時はしょうがないやんか」って。
お医者さんから病名を告げられた時、同時に「4歳まで生きるのは難しい」とも言われていました。そして脳症になって、まさにこの時、「キヨは乗り越えてくれてるんやろうか」と思いましたが、乗り越えての今があります。今回の入院でもいろんなことがありましたが、その都度キヨは乗り越えてくれました。
「これが最期かもしれない」って思う場面が何度もあるけど、また何かあっても、きっとキヨは乗り越えるやろうなって、今、なんとなくそう思える自分がいます。

「ホノルルマラソンで受付のボランティアをして、現地の日本人の方たちの打ち上げに参加させていただきました。その時に知り合ったプロの方に撮っていただいた、キヨとの写真です」
──声門閉鎖術でキヨくんは声を失いました。つらくなかったですか。
林:
「声を失っても、笑顔は失わへんやろうな」って思いました。実際、今も笑ってくれてるしね。足漕ぎ車椅子を漕いだら笑ってくれるから、また前のように、たくさん漕がせてやりたいって思っています。
「成人になる頃には歩けなくなり、車椅子生活になる」と言われていましたが、特別支援学校のマラソン大会で1位をとって誇らしげなキヨの姿を見て、「走れるうちにできるだけたくさん思い出を作ってあげたい」と「ぽっかぽかランナーズ」を立ち上げました。
その後、自分の足だけで走り続けることが難しくなってからは足漕ぎ車椅子で、いろんなところで走ってきました。いろんなところで漕いでいるから、人にもたくさん出会います。「あそこでも漕いどったね」「最近見かけへんかったけど、元気そうやね」って、地域の方たちに声をかけていただけるのも良いことだなと思っています。

マラソンを通じて、年齢・障がい・文化などの違いに関わりなく、誰もが支え合いながら主体的に参加できる社会への促進を図ることを目的にぽっかぽかランナーズが主催している「ぽっかぽか共生マラソン大会」。写真は、昨年開催された第6回大会の一枚。今年は11月23日(日)宝塚市立中央公民館で開催される

練習会にて、新たに導入される歩行器を試す車椅子ユーザーのランナーさん。「車いすユーザーの方ですが、歩けました!少しずつ距離を延ばすことで、体幹もしっかりしてくると思います」
林:
足漕ぎ車椅子は、人に押してもらうのと違って、自分の力で前に進める楽しさがあるし、漕いだら漕いだだけ、ちょっとずつ筋肉もついて走れる距離が伸びるので、本人も周りの人も、目に見えて成長を感じることができます。
状況が落ち着いてきたので、また足漕ぎ車椅子の体験会を再開できたらいいなと思っています。
最近、ぽっかぽかランナーズとして新たに歩行器を導入しました。
たとえばキヨの場合、膝の曲がりが進行していて、歩行はかなり不安定ですが、本人が自分で、少しの間でも立っていたり歩いたりできたら、周りの介護がすごく楽になるんです。

取材中、足漕ぎ車いすと歩行器を試乗させていただきました。足漕ぎ車椅子は、まさに椅子に座ったまま自転車のペダルを漕いで前に進んでいる感覚!結構スピードも出るので風が心地よく、『自力で前に進んでいる』という自信も得られると思いました。歩行器は写真の通りかなり大きなもので、使用する人の体型や症状に合わせて細かい調整ができるのが特徴。「立って歩く楽しさ」が感じられると思いました!
林:
練習会では歩行訓練もしていますが、伴走者が二人がかりで支える必要があり、かつ、かなり腰にもきます。支えられる側も、両脇を支えられて歩いてもそんなに楽しくはなさそうで、どうしたものかと思っていました。
それでいろいろと調べていたら、幅や高さ、奥行きなど細かく調整ができる歩行器を見つけて、「これだったら皆が使えていいな」と思い、ご寄付や助成金を活用して導入に至りました。
体型や症状に合わせて調整し、一度乗ってしまえば、自分で歩いて前に進む感覚も得られるし、足漕ぎ車椅子で座って漕いでいる時とはまた違う視点の高さも体験できます。
何よりも、「立つ」という目標も持てることがすごく良いと思っています。

2025年11月、練習会に参加した皆さんと記念撮影!宝塚総合福祉センターにて
──次なる「目標」につながる良さがあるんですね!
林:
「障害があるからできない」「病気だからできない」などと言われることがありますが、できるかできないかを、本人や親御さんが抱え込んだり、一人で悩んだりする必要はありません。それぞれに個性もあるし、体調や気分の波もある。だから面白いんです。
一緒に「今日はこれが良さそうだね」っていうやり方を探していけたらいいなと思っていますので、「参加してみたい」っていう方はぜひ、練習会でお待ちしています!
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
林:
ぽっかぽっかランナーズで毎月開催している練習会は、雨天でも開催できるように、会場としてホールを借りて行っています。
晴れている日は準備体操をしてから河川敷に移動し、コーチの指導を受けながら走りますし、雨の日はホール内で、シャトルランやボッチャ、卓球バレー、ゴーゴービンゴ、モルックなどをしています。
チャリティーは、練習会の会場の使用料やボランティアさんの交通費など、会の運営費用として活用させていただければと思っています。ぜひ応援していただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!

インタビュー後、林さんとキヨくんを囲んで記念撮影!取材中、何度も立って歩く姿を見せてくれたキヨくん。ありがとうございました!
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
ホノルルマラソンに挑戦し、42.195キロを完走されたのが本当にすごい!
いつ何時、発作が起こるかわからないドラべ症候群と共に生きる大変さは、想像を絶するものがあると思います。
今回の手術もそうですが、医療的ケアを必要としながらマラソンを続けることにも、さまざまな障壁がない訳はないと思うんです。しかしどんな時も笑顔で、とにかく明るく前を向いて、課題を一つずつ解決しながら挑戦を続けられる林さんとキヨくんの姿に、たくさんの勇気をもらいます。

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「外に出よう!」。
マラソンにまつわるさまざまなアイテムや、外に出ることで出会えるさまざまなものを描いたデザインです。
外に出ることで広がる世界と、そこで生まれる豊かなつながりを表現すると同時に、人生をマラソンにたとえ、前に一歩を踏み出すことで広がる世界を表現しました。
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