高齢の猫や怪我、病気のある猫など、譲渡につながりにくい猫たちをあえて引き取り、看取りまでお世話をしているNPO法人「ねこひげハウス」が今週のチャリティー先!
「子猫から成猫、病気や老衰で寝たきりになっても、看取りの瞬間も、さらには遺体になって遺骨になっても、その子はその子だということを、これまでに出会った猫たちから教えてもらいました。どんな状態でも、それぞれが愛すべきその子の一部であり、軌跡だと教えてもらったんです。彼らが教えてくれたことで、私は猫たちをサポートしたい」。
そう話すのは、2011年に団体を立ち上げた代表の石川砂美子(いしかわ・さみこ)さん(50)。
活動について、お話をお伺いしました。
お話をお伺いした石川さん
NPO法人ねこひげハウス
猫の保護を目的として2011年に活動を開始したNPO法人。
高齢や病気などの理由で里親が見つかりにくい猫を積極的に保護し、安心して暮らせるよう、里親探しから日々の看病、看取りまで行っています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/10/13
ねこひげハウスのシェルターの様子。「床をピカピカに磨いてお掃除が終了したら、みんなのお待ちかね、ごはんタイム!みんなの視線のその先は…美味しいごはんを準備中!大集合の面々です」
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
石川:
病気や怪我のある猫、高齢の猫を主に受け入れている保護施設です。
なので、私たちのところには子猫はほとんどいません。現在、130頭の猫がいます。
高齢の猫や傷病猫は、保護の現場でも、どうしても団体さんが手を出しにくい現状があります。というのも、若くて元気な猫ちゃんであれば比較的里親さんにつながりやすいですが、年老いていたり、病気や怪我でハンデがあったりお世話が必要な猫は、どうしても引き取り手が見つかりにくいのです。
施設のお掃除の様子。「130頭の猫たちが暮らす場所を、今日もきれいに。毎日のお掃除は、猫たちが安心して、快適かつ衛生的に暮らせる環境づくりのために欠かせない、大切な活動です。猫たちが心地よく過ごせるよう、スタッフみんなで力を合わせています」
石川:
一度保護をしたら、当然ですが責任を持って飼育をしなければなりません。
本当はもっとたくさんの子を救いたいけれど、施設のキャパシティや人員、資金的な面で難しく、保護を絞らなければいけないという課題があり、さらに具合の悪い猫たちを迎えるとなると、医療費もかかってくるし、引き取り手がいないとなると、看取りまでのお世話が前提となり、団体としてなかなか回っていかないという課題があります。
それでも、限られた資金やスペース、人手の中で、なんとか受け入れておられる団体さんもあります。でも、数を抱えるとなるとやはり難しいです。
ヨーヨーくん(22歳)とあやねちゃん(14歳)。「ヨーヨーくんは飼い主さんが死去、7頭の飼育崩壊から20歳で保護しました。疾患がたくさんあり、一時は危ない時もありました。高血圧の影響で目が見えなくなりましたが、2025年8月1日、無事に22歳を迎えることができました。ヨーヨーくん、あやねちゃん、どちらも目が見えません。心臓病や腎臓病を抱えていますが、サポートを続けながら施設で穏やかな余生を提供しています」
──ねこひげハウスさんは、そんな譲渡が決まりにくい猫ちゃんたちを受け入れているとのことですが、そうすると状況はかなり厳しいのではないですか。
石川:
団体としては、なかなか苦しい状況が続いています。
なんとか頑張って運営していますが、どう継続していくかというところでは、課題がたくさんあります。
活動に共感いただいた方たちからのご寄付や支援物資で支えてもらっており、時にはクラウドファンディングも実施したりしながら、なんとか、できる限りのことを精一杯やっている状況です。
一方で、レスキューは突然入ってきます。全てを保護するというのは残念ながらどうしても難しく、まずは命をつなぐために、他団体さんとも協力しながら、緊急性の高い子を優先的に引き取っています。
乳飲み子から成猫まで、15頭の猫たちが暮らしていた多頭飼育崩壊の現場から保護したトラちゃん(推定8歳/左写真中央、右写真の右端)。「高齢の飼い主さんが病気になったことをきっかけに状況が明るみに出て、レスキューに入った現場です。未去勢・未避妊だったため室内で繁殖していました。トラちゃんは8年前、道路で怪我をして倒れていたところを飼い主さんに保護されたそうです。治療を受けることがなかったため、左前脚は固まって曲がったまま。右眼は飛び出した状態で、そのまま失われてしまったようです。さらに保護後の検査で下顎も骨折しており、骨が剥がれて割れたままの状態になっていることが分かりました。おそらく車に轢かれたのではないかと思われます。それでも飼い主さんに保護され、驚くほどの生命力で生き抜いてきた子です。同じ現場から保護された心(こころ)くんとはとても仲良くしていましたが、心くんは保護した時点ですでに腎臓に癌があり、先日急変して旅立ちました。今はお部屋の仲間たちと寄り添いながら過ごしています」
──「緊急性が高い」とは、具体的にはどのようなケースですか。
石川:
外で暮らす地域猫が怪我をした、病気になった、道で倒れていたというケースは、やはり命に関わる一刻を争う事態なので、早急に対応しています。
あとは、高齢の方がペットを遺して亡くなったり、施設や病院に入ったりするケースです。
代わりにお世話をしてくださるご親族がいれば良いですが、独居で猫だけが取り残されたり、強制退去で猫が行き場をなくしてしまうことがあります。
こういうケースはたいてい急で、相談があった時点で、周りの方が誰も動物を助けられない状況であることが多く、いのちをつなげるためにサポートが必要です。
マナちゃん(1歳半)。「高齢の飼い主さんが孤独死されたことで、2024年末にレスキューしました。発見までに時間がかかったため、空腹をしのごうと布や紐を食べてしまい、お腹が大きく腫れていました。腸閉塞寸前の状態で手術を受けましたが、今は元気いっぱいに過ごしています」
2022年7月、車に轢かれて骨盤骨折、脱臼、骨盤内損傷の瀕死の状態でねこひげハウスに運ばれてきたサビ猫のリコちゃん(推定6歳)。「もともとは地域猫だったリコちゃん。オシッコやウンチをする、歩く、ご飯を食べるといった普通のことが普通にできるようにしてあげたいという思いで、懸命にお世話をしました。大きな手術を乗り越え、他の猫たちと同じお部屋で過ごせるまでに回復したリコちゃんはミラクルガール。ガリガリだったボディも今ではぽっちゃりわがままボディで、天真爛漫、大きな爪とぎを破壊するほどの元気娘になりました」
石川:
高齢や傷病猫を主に受け入れている他に、ねこひげハウスにはもう一つ特徴があります。
それは、電話番号をオープンにして、一般の方からのご相談を受け付けていることです。1日に2、3件は電話問い合わせがあり、メール相談も合わせると、年間で千件以上対応しています。
──なぜ、電話相談を受けておられるのですか。
石川:
一般の方からのご相談を受け付けたいというのは、活動を始めた当初から決めていたことです。
ねこの保護活動を長くやってきたので、猫を捕まえる方法やお世話の方法、医療的なケアや隔離などさまざまなケースにおいて、一般の方たちより経験と知識があります。
でも、初めての場合、猫を助けたい気持ちがあっても、どうすれば良いかわかりません。私もそうでした。
19歳で保護をしたちゃとらん。「強い目力がとても印象的で、生きようとする気持ちが強く伝わってきました。重度の糖尿病を患い、余命1ヶ月と宣告されましたが、当時の私はインスリン治療に自信がなく悩みました。それでも「余生を少しでも穏やかに、のびやかに過ごさせてあげたい」という思いから治療を始めました。保護から7ヶ月後、20歳を迎えてちゃとらんは眠るように天国へと旅立ちました。その間、スタッフにたくさん可愛がられ、甘え、好物のご飯を食べ、窓辺で日向ぼっこを楽しみながら、猫生を取り戻したかのように穏やかな日々を過ごすことができました」
石川:
ご相談をくださる方たちは、「何かしてあげたい」という気持ちで、藁をも掴む思いで問い合わせてくださっています。不適切飼育があった場合、その通報先を教えるだけでも、行政指導が入り進展があるかもしれません。
相談をくださった方は、方法や段取りを知ると、行動してくださいます。それだけで守られる命があります。
──確かに。
石川:
私たちのような保護団体やボランティアの活動だけでは、できることがどうしても限られているし、救える命も限られています。だからこそ、そうではない方たちも巻き込んで、一人ひとりが正しい知識と方法を知ることで、一つでも多くの命が救えるし、次にまた困っている猫を見つけた時、今度は一人で対応できるようになります。
ちゃとらんくんの保護現場の様子。「ちゃとらんくん(写真右)と他の猫たちは、窓も塞がれ外も見えない小さな小屋の中で、子猫の頃からずっと19年間を閉じ込められて生きていました。発見されたときには、全身が毛玉に覆われ、痩せ細ってガリガリの状態でした」
ねこひげハウスの日常。「ねこマンションは、ねこひげハウスの大人気スポット!いつも猫たちが集い満室です。みんなが思い思いに過ごしています」
──ねこひげハウスさんで130頭の猫たちのお世話をしながら、代表の方が突然亡くなられた別団体の猫たちのお世話もされているそうですね。
石川:
私たちは埼玉県八潮市で活動しているのですが、車で30分ほど走った草加市で同じように猫の保護活動をしておられた「Hope to LifeチームZERO」という団体があります。
代表の峰さんとは活動を通じて知り合い、猫のレスキューに協力し合うだけでなく、代表同士、日頃の悩みや愚痴を言える気の合う仲間でした。5、6年のお付き合いだったでしょうか。
その峰さんが2024年10月16日、交通事故に遭い、2日後の18日に亡くなってしまったんです。状況的に、いつものように地域猫にご飯をあげた後、そのお皿を回収して自転車でご自宅に戻る際に交通事故に遭われたのではないかと察します。峰さんに非はなく、青信号を渡っていた際に、事故に遭われたとのことでした。
──そうだったんですね…。
シゲヨシくん(15歳)。「高齢の飼い主さんが病に倒れたため、保護されました。過去の怪我で左後ろ脚と尻尾を失いましたが、人懐っこくとても可愛い子です。ただ、身体にハンデがあるため里親さんが見つからず、現在も施設で暮らしています」
石川:
ちょうど前日も、峰さんと保護予定の猫のことでやりとりをしていました。
交通事故当日、私はそのことで彼女の方からの連絡を待っていたのですが、いつまで経っても連絡がなく、私の方から何度電話をかけてもつながらない。
「どうしたのかな、忙しいのかな」と思いながら、夜8時半ごろだったでしょうか、もう一度電話をすると、やっとつながりました。すると電話口は峰さんではなく、病院関係者で、「峰さんが交通事故に遭い、危篤です」と。「親族をご存じないですか、なんとかつないでいただけないですか」と言われました。
峰さんはご親族様とはお仕事の都合で別居しておられたので、長いお付き合いがあったものの、ご親族の方とは一切面識がありませんでした。電話を切ってから、とにかくすぐに峰さんの家まで車を走らせて、ご近所の方たちにご主人の連絡先を尋ね回りましたがわからず…、最終的には警察に入っていただき、夜の11時半ごろ、やっとご主人と話をすることができました。
──そうだったんですね。
石川:
峰さんが突然いなくなり、誰もいない自宅シェルターに残された64頭の猫とうさぎさん1羽。ご主人からご自宅の鍵を預かり、そこから毎日、欠かさずお世話に訪れました。
峰さんがチームZEROとしてお世話していた猫たち。「峰さんが急に帰らなくなったのを察し、緊張していました」
石川:
ただでさえ、ねこひげハウスの猫たちのお世話だけでもてんてこまいなのに、突然もう一つの団体を管理するなんて、頭で考えると到底無理です。でも、最初から思ったんです。「峰さんに、頼まれちゃったな」と。
前日も峰さんと電話で話し、当日、交通事故の第一報を聞いたのも私でした。峰さんが何よりも大切にしておられた猫たち…、猫たちや活動のことを、「お願いね」って私に託して逝かれたんだと。
でも峰さんのところにいる猫たちのライフラインを確保しなければなりません。考える暇も、悩む暇もありませんでした。ご近所の方や知り合いの団体やボランティアさんにも協力してもらいながら、毎日、峰さんの自宅に通いました。
──活動の最中の交通事故だったんですね…。
峰さんご本人もまさか、亡くなるなんて思いもよらなかったのではないでしょうか。
石川:
とてもお元気な方でしたし、無念だろうなと思います。
実はまだ、亡くなったことが信じられません。今でもふと、すぐ近くに彼女がいて、電話がかかってくるような気がしています。
彼女の死と直面すると、私が精神的に持たないし、そうなると、彼女が遺した大切な猫たちを救ってあげられなくなってしまう。だから今は、あまり考えないようにしています。
今はまだ、死を信じられないままでいい。だからお世話ができているのかもしれません。いつかきっと…、受け入れられる時に、受け入れられる日が来るのかもしれません。
生前、峰さんがひときわ大切にしていたちゃいろちゃん(8歳)。「重度の喘息があり、いち早くねこひげハウスに移動してお世話を続けています。急変して入院をしたりと命が危ない時が何度もありましたが、奇跡の回復をしてくれました。峰さんが天国から守ってくれているのだと思います」
──峰さんのところの猫たちは現在、どうしているのですか。
石川:
「チームZEROみなしご支援プロジェクト」という団体を動物愛護団体のみなとねこさんと一緒に立ち上げクラウドファンディングを実施し、フードや猫砂、ペットシーツなど猫たちのお世話にかかる費用や医療費を多くの方たちにご援助いただきました。峰さんのご自宅は、2025年末で出る計画になっています。それまでに、ここにいる子たちが安心して過ごせるお家につなぐことが私たちの使命です。
すでに新しい里親さんのもとで暮らしている子もいますし、保護猫カフェさんに協力していただき、そちらに移動した子たちもいます。疾患が重い子は、ねこひげハウスが受け入れました。
現在、残っているのは20頭ほど。少しずつ里親につないでいますが、やはり高齢や病気の猫が残っていて、12月末までに全ての子を里親さんにつなぐのは難しいかもしれません。
ねこひげハウスとしてもかなり厳しい状況ですが、最終的にどこも行き場がない場合はうちで引き取る覚悟をしつつも、なんとか安心できる家庭を見つけられるよう、動いているところです。
みにほちゃん(15歳)。「峰さんのチームZEROから里親譲渡の猫さんです。かなり重い鼻腔狭窄がありケアサポートが必要なシニアの子の里親になっていただきました。幸せに過ごしています」
石川さんとネズくん。「ネズくんは保護当時、まだ1歳にも満たない幼い顔をしており、とても甘えん坊で抱っこが大好きでした。けれど、わずか1歳半という若さで、あっという間に私の手のひらからこぼれ落ちるように天国へ旅立ちました」
──石川さんの猫への思いが伝わってきますが、これまでのご活動で、特に印象に残っている猫を教えてください。
石川:
本当にたくさんいますが…、団体を立ち上げて間もない頃に出会った猫白血病の「ネズくん」は忘れられない一頭です。
ネズくんは、レスキューが入った45頭の多頭飼育崩壊のゴミ屋敷で、猫白血病・猫エイズがわかったためにねこひげハウスにやってきた数頭のうちの一頭でした。言葉にすると難しいのですが、ネズくんとはお互いに考えていることがわかるというか、すごく波長が合ったんです。
猫白血病は発症するまではすごく元気なのですが、発症すると数ヶ月で死んでしまいます。ネズくんも短期間であっという間に亡くなってしまい、波長が合った分、ものすごくつらくて、立ち直るのが大変でした。…今思い出しても涙が出ます。
でも看取りを通して、ネズくんからいろんなことを教えてもらいました。今でもつらい時、ネズくんを思い出します。
ネズくんを保護した崩壊現場。「たくさんの猫たちがお腹を空かせ、家の中と外にあふれていました」
──どんなことを教えてもらったのですか、
石川:
看取りは非常につらく悲しい経験でしたが、そこから精神的なバランスの保ち方や立ち直り方を学び、その経験があったからこそ今、この活動をしながら自分を保てている部分があるのかなと思っています。
ネズくんの看取りを通して感じたのは、子猫から成猫、病気になったり年老いたりしても、看取りの瞬間も、さらには遺体になって遺骨になっても、どんな状態でも、その子はその子だということ。それぞれ愛すべきその子の一部であり、軌跡だと教えてもらったんです。
そのような看取りを重ねていくうちに、年をとること、病気や寝たきりになること、亡くなる瞬間…、愛しているからこそ、そのすべてから目を背けず、受け止めてあげたいと思えるようになりました。
2018年5月、四つ脚をふらつかせながら外をさまよっていたところを緊急保護した子猫のオレオくん。「原因が分からず何軒も動物病院を訪ねた末、大学病院で神経や筋肉の進行性の難病であることが分かりました。最初は這って歩けていたものの、次第に歩けなくなり、手足も動かせず、排泄も自力ではできなくなり、食事も自分でとることができなくなっていきました。片時も目を離せず、毎日一緒に寝起きをして過ごしました。難病の辛さや悔しさは大きなものでしたが、オレオくんは介護の経験を私に遺してくれました。最期は呼吸も十分にできなくなり、酸素吸入を続けながら、わずか2歳で天国へと旅立ちました」
石川:
そう思えるようになってから、病気が重くても、看取りが近いとわかっていても、もちろんつらいのはつらいですが、恐怖心は無くなり、せめて最期は、笑顔で「ありがとう。立派だったよ」って見送ってあげられるように、できることを何でもしてあげたいと思えるようになりました。
猫の気持ちを考えても、飼い主や私たちが「ごめんね」と泣いたり悲しんでいる姿ではなく、「また会おうね」と笑顔の方が、きっと嬉しいのではないかと思うんです。
メルちゃん(推定16歳)。「元飼い猫と思われますが、棄てられたのか、目が見えないまま彷徨っているところを保護しました。重度の角膜炎や関節炎、内臓疾患も抱えており、里親さんが見つからないため、施設で看病を続けています」
石川:
ここ数年、毎年15〜20頭ほど看取りがあります。悲しいという気持ちはずっとあります。
でも、ネズくんたちが命をかけて私に教えてくれたことだから、きっと私が専門的にできることなんだろうなとも思っていて、だから、ねこひげハウスでは看取りを覚悟した上で、少しでもそういう子たちの最後の力になり、サポートできればと思って活動しているところもあります。
まだまだ上手にはできないのですが…、私が彼らにしてあげられることかなと思っています。
銀次郎くん(7歳)。「2024年2月、車に轢かれ受傷し倒れていたところ猫を愛する高齢の女性が助けてくれました。口腔内の裂傷、そして背骨の骨折により脊髄神経が大きく傷つけられてしまい大手術をしました。緊急手術により命は助かりましたが、下半身麻痺となり、自力で歩くことや排泄することができなくなりました。毎日の排泄ケアが必要ですが、リハビリの成果で前脚に力をつけ、自分で移動できるまで回復しました。大きな体ですが、お部屋の他の猫たちとも仲良く穏やかに過ごしています」
「お掃除後の癒しの時間です。ひとたび床に腰を下ろせば、猫たちが我先にとお膝をめがけてやってきます」
──そもそも、活動を始められたきっかけは何だったのですか。
石川:
活動を始める前は、普通に猫を飼っている猫好きな人でした。
2011年に自宅で250頭以上もの猫を飼うアニマルホーダー(劣悪多頭飼育者)と出会い、不衛生な環境で暮らす猫たちをなんとか助けたい一心で、その方のところに通うようになったのがそもそものきっかけです。
とにかく猫への執着が強く、助け出すことができません。信頼を得るために団体を立ち上げ、毎日のようにその方のところに通いました。
最初の1頭を引き出すまでに、4年の歳月を要しました。
──なかなか、どれだけ猫が好きでも、忍耐強くそこまで行動できないと思います。
何が石川さんを駆り立てたのですか。
石川:
このまま行動を起こさずにいたら、多分一生後悔するだろうと思ったからです。きっと死に際、この猫たちの顔が思い浮かぶだろうと思いました。
当時は保護活動のこともボランティアのことも何も知りませんでしたが、もやもや悩んでいるぐらいなら、とりあえず行動しようと思ったのです。
(左写真)みんなで仲良く、おやつの時間。「順番こでちゅーるを楽しむ姿に、思わずほっこり。ちいさな命に、ちいさなしあわせを。保護猫たちのやさしい時間が、ずっと続きますように」。(右写真)遊んでほしくて、お掃除中のスタッフさんの背中に乗って邪魔をする猫
──今のご活動のモチベーションを教えてください。
石川:
保護頭数は多いものの、小さな規模で活動している団体です。
でも、地道な活動の中で少しずつ共感や賛同してくださる方が増え、メッセージやご支援をいただきます。
私たちは現場で直接保護猫たちと関わっていますが、後方支援してくださる皆さんと一緒に救っている命だと思っていて、それがすごく原動力だし、「皆さんとがんばろう」という心の支えにもなっています。
救いたい猫たちはたくさんいて、そのジレンマもありますが、猫たちが最後の時を迎えるまで、少しでも穏やかに、自由に過ごしてほしいと思っていて、そんなホームづくりを、これからもしていけたらと思っています。
月2回開催している保護猫譲渡会。「多くの保護猫たちが新しい家族と出会える機会を創出しています。会場ではねこひげハウスのオリジナルグッズやチャリティー販売をし、シェルターの運営に活かしています」
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
石川:
チャリティーは、ねこひげハウスの猫たちのごはん代や医療費として活用させていただく予定です。
お伝えした通り、病気や怪我、高齢の猫たちの医療的なケアのために毎月の医療費がかなりかかります。毎月、飼育費と医療費を合わせて平均して73万円ほどかかっており、今回のチャリティーはその一部として、猫たちのために使わせていただければと思っています。ぜひ応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
ボランティアの皆さんと。「モデルの桜井MIUさんもボランティアスタッフとして参加してくれています」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
100頭以上の保護猫を抱えながら、別団体として活動しておられた峰さんのところの猫たちのためにも奔走されている石川さん。ちょうど峰さんの命日を迎えるタイミングで今回のコラボをしていただいたこと、何か不思議なご縁と、峰さんからのメッセージのようなものを感じました。
どんな子にも、安心できる穏やかな場所と最期があってほしい。猫たちの純粋な感情や暮らし、その愛らしさが、やさしく守られる社会であってほしいと心から願います。
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キャットタワーで思い思いに過ごす猫たちの姿を描きました。
それぞれが安心し、思い思いに穏やかに過ごすことができる、ねこひげハウスさんの温かな様子をイメージして描いています。
“Sleep, eat, play. We are happy(寝て、食べて、遊んで、おれたちハッピー)”。どんな猫にもそう感じられる環境があるように、という思いを込めたメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!