人の23対ある染色体のうち、18番目が一つ多いことで発症する「18トリソミー」。さまざまな先天性の疾患を併発することが多く、お腹の中で亡くなる命や、生まれた後も1年を経たずして亡くなる命もあるといいます。
「18トリソミーのこと、短命といわれても、こんなにがんばっている子どもたちがいることや、家族にとってかけがえのない存在であることを知ってほしい」。
18トリソミーの子を持つ家族が集まり、18トリソミーの子どもの写真展を全国各地で開催している「Team18」。今年も、各地で写真展が開催されます。
18トリソミーのこと、写真展への思い…、ご家族にお話を聞きました。
2024年10月、東京慈恵会医科大学医学部看護学科文化祭(ファブール祭)の中で開催した写真展。「学生も含め、たくさんの方に足を運んでいただきました」
Team(チーム)18
18トリソミーのお子さん(天使ちゃん含む)がいる家族によって構成される任意団体。
18トリソミーの子どもたち写真展を中心に活動を続けています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/07/21
最初に、Team18代表の岸本太一(きしもと・たいち)さん(40)にお話を聞きました。
岸本さんと心咲さん。「2025年3月に自宅近くの公園で撮った写真です。2人でよく散歩に行くのですが、この日は桜がとてもきれいに咲いていました」
──今年も各地で写真展が開催されるそうですね。
岸本:
年6回ほど写真展を開催し、これまでに開催した都道府県は38を超えました。全国制覇まであと少しです。
ありがたいことに、これまでの写真展に足を運んでくださった方が、「自分の地域でもやりたい」と手を挙げてくださり、新しい地域での開催が増えてきました。また最近の傾向として、医療系大学の学園祭や病院に呼んでいただいての開催も多くなっています。
各会場の展示のレイアウトなどは主催される各地域の方にお任せしていて、「その地域の家族が中心となって写真展を作る」のがTeam18の良いところです。
会場によっては、ご家族の普段のケアの様子をアルバムにして来場者が見られるようにしたり、手作りのグッズを展示したり、絵本の読み聞かせなどのイベントをあわせて開催したり…、さまざまな取り組みをしてくださっています。
2024年10月に開催された秋田写真展にて。「参加されたご家族による手作りの展示物やグッズ(写真は胃ろう用のガーゼ)が置かれていて、とても温かい雰囲気です」
──写真展の写真は、毎年異なるものが展示されるのですか。
岸本:
写真やメッセージは毎年、新たに募集しています。
Team18では、送っていただいた写真とメッセージをパネルにして展示する準備をしますが、どのような思いを伝えたいか、知ってほしいかというのはそれぞれの家族によるものです。パネルの数だけ、家族の思いが詰まっている写真展だと思っていただければ分かりやすいかなと思います。
中には、赤ちゃんがお腹の中にいる時のエコー写真を出してくださる方もおられます。そういう写真を見て、僕自身、改めて気づくんですよね。「命は、家族は、この時点ですでに始まっているんだな」って。
「写真展では各地の18っこたちと会うことができるのですが、13歳になった心咲は、その中でも結構なお姉さんになりました。『おぉ…心咲って大きいんだな』って感じます」
岸本:
お腹の中で亡くなってしまう命もあるし、生まれてすぐにお別れしなければならない命もあります。長く一緒にいられたから幸せ、短かったから不幸など、命の長さだけでその子や家族の時間を表現するべきではありません。
我が子への愛情や想い、感謝など、家族の思いが詰まった写真とメッセージを見る度に「もっともっと事実を伝えていかなければならない」と感じます。
写真展では、200〜250家族のパネルが並びます。さまざまな家族のかたちを見られるのは、とても意義のあることだと思います。ぜひ、お近くの開催があれば、足を運んでもらえたら嬉しいです。
──長女の心咲(みさき)ちゃんは、13歳になられたそうですね。
岸本:
毎日、スクールバスに乗って通学し、充実した学校生活を送っています。
学校生活が充実している分、帰宅した時には疲れて寝ていることもあります…が、帰宅後はヘルパーさんや訪問看護師さんなど、家族以外の人たちと過ごす時間も多くなっています。さまざまな役割の方々が心咲や私たち家族を支えてくださっているおかげで、家族が毎日健やかに過ごすことができます。このような日々に心から感謝しています。
心咲ちゃんの13歳の誕生日。「最近は妹たちがケーキ作りや料理を作ってくれたりして、家族みんなで心咲の誕生日をお祝いします」
岸本:
心咲は来年、中学3年生になります。学校や家族以外の人たちとの時間を少しずつ増やして、またその時間を一層大事にできる機会を作ってあげたいなって考えています。
学校を卒業する日もまだまだ先のように思えますが、地域や社会とのつながりを作る準備は、早いに越したことはないかなって。心咲のおかげで、心咲だけじゃなく家族みんなが、新しい出会いや時間を作ることができているように思います。
「2024年10月に開催された秋田写真展には、心咲と二人で1泊2日で行ってきました。今回もたくさんの方に支えていただき、観光も楽しむことができ、経験値が上がりました」
次に、新潟写真展の代表を務める斎藤友美(さいとう・ともみ)さん(48)にお話を聞きました。斎藤さんの次女の「しーちゃん」こと雫華(しずく)ちゃん(4)は、生まれる直前に障害がわかりました。
斎藤家の皆さんの家族写真。「しーちゃんが生後8ヶ月の時に、自宅にカメラマンさんに来ていただいて撮影した家族写真です。しーちゃんが体調を崩しやすく、他の子どもたちの予定もなかなか合わずで何度も延期になりましたが、なんとかこの日を迎えることができ、満足そうな皆の笑顔があふれる日になりました」
斎藤:
帝王切開を4日後に控えた最後の検診で、しーちゃんに異常があることがわかりました。
普段は30分で終わる検診が、夜になってもまだ終わらない。そして「ダンディーウォーカー症候群」だと告げられました。44歳で高齢出産だったので、頭の隅には「絶対に安全ではないかもしれない」というのはありましたが、突然の告知に涙が止まりませんでした。
入院する朝、パパがホットケーキを作ってくれて「どんな病気でも、俺らの子だろ。大切に育てるだけだし、かわいいことに変わりはないだろ」って言ってくれて、泣きながらホットケーキを食べて家を出ました。
父と母の付き添いで病院まで向かう道中、車内は静まり返っていました。本当なら、数日後に生まれる孫の誕生に、ウキウキだったのに…。
出産後、NICUにいるしーちゃんとの初対面は数十分。いろんな装置をつけていて驚きましたが、「すぐに外れるだろう」と思っていました。しかし翌日、医師に呼ばれて「心臓に穴が開いている」と告げられました。
「私は、とんでもないことをしーちゃんにしてしまった」と思いました。他人の前であんなに大声で泣いたのは初めてです。
生まれて間もないしーちゃんとの対面。「18トリソミー、心室中隔欠損、心房中隔欠損、動脈管開存、右水腎症、ダンディーウォーカー症候群…。たくさんの管がつながっていて、触っても良いのか、抱っこしても良いのか、今鳴っているアラーム音は一体なぜ鳴っているのか、今の自分たちにできることはあるのか…、さまざまな思いが頭をよぎりました。おむつ替えひとつをとっても、急変させたりしないかと緊張しながらの面会でした」
──そうだったんですね。
斎藤:
私が先に退院したのですが、家に帰ると、空っぽのベビーベッドが用意してありました。パパは、きっとここにしーちゃんを寝かすのを楽しみにベッドを組み立ててくれたんだろうな。でも、一緒に帰ってこられなかった。しーちゃんに対しても、家族に対しても「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいで、とにかく自分を責め続け、生きてきた中で一番泣きました。
しーちゃんの状態は悪く、コロナ禍でしたがパパと二人で呼ばれて病院に向かい、そこで初めて「18トリソミー」と告げられました。
「今、この話の最中に亡くなるかもしれませんし、明日か明後日か、1ヵ月後かもしれません。退院もいつになるかわかりません」「1歳になれる確率は、10%です」と…。
私たち夫婦はすごくポジティブで、困難なことがあるたびに「おっしゃ!いっちょがんばるか!」って、どんなことも一緒に、笑顔で乗り越えてきました。しかし18トリソミーが薬や手術では治すことのできない病気だと知り、初めて、乗り越えられない壁にぶつかりました。
1日、たった45分しか面会できないしーちゃん。親なのに何もできず、無力でつらかったです。
今回の写真展に選んだ一枚。「体調も良く、穏やかに休日の1日を楽しんだ後、お兄ちゃんと二人でリビングでゴロゴロしながら会話していたところをパチリ!」
──今の齋藤さんはものすごく明るいですが、前向きになるきっかけがあられたのですか。
斎藤:
はい。私たち夫婦の同級生である友人が言ってくれた言葉です。
18トリソミーのことを伝えると「選ばれた母と娘だから、大丈夫」って言ってくれたんです。その瞬間、目の前がぱぁっと明るくなりました。「そうか!私たち、選ばれたのか!」って。
パパにも話すと、「こんなに面白い家族はないし、しーちゃんが楽しそうだって俺らを選んだんだよ!退院して、一緒におうちに帰ろう!」って。そこから、すごく前向きになりました。
しーちゃんが家に帰ってきた時、1日を長く過ごすリビングは広く、明るくしたいねと家具を減らしたり改造したり、病室のしーちゃんの身の回りを観察して、家でも同じようなものを揃えたり。夫婦の会話は、日に日に明るくなっていきました。
しーちゃんが1日を長く過ごすリビングは、天井の窓から明るい日光が差し込む。「点滴スタンドを使って注入をしていましたが、部屋が狭く家族も多いのでスタンドにつまずくことがあり、天井に医療用の点滴レールを取り付けてぶらさげてスッキリさせました」
1日2回の吸入と毎日の歯磨き。「歯磨きは、うがいのいらない歯磨きジェルを使って、歯ブラシと口腔スポンジで磨いています」
斎藤:
退院してから今日まで、いろんなことがありました。
しーちゃんが家に帰ってきた最初の数ヶ月は「看護師でもない自分がしーちゃんの面倒を見て、ミスしたらどうしよう」って、毎日が緊張の連続で必死でした。ほかのきょうだいたちのごはんやお弁当作り、行事などもある中で、訪問看護や保育士の方たちにいつも助けていただいて、本当に感謝しています。
しーちゃんには周期性の嘔吐症があり、月に1〜2回、1週間ほど吐き続ける症状が生後10ヶ月の時から続いています。いろいろ疑って検査もしましたが、はっきりした原因がわかりません。何らかの脳の誤作動ではないかという話もあります。
毎月しんどいはずなのに、しーちゃんは嘔吐の時に泣いたことがありません。
泣く元気もないのかもしれないけれど、「また嘔吐症が始まっちゃったね」という時に、しーちゃんが乗り切ろうとがんばってくれるから、私も諦めないでいられます。
しーちゃんの4歳のお誕生日のお祝い。「毎年、誕生日のタイミングで入院していたり嘔吐症になったりしていたので、誕生日当日に記念撮影とお祝いができて嬉しい日になりました」
斎藤:
18トリソミーと告げられた日、医師から「1歳になれる確率は10%」と告げられ、同じ情報をネットでも何度も見かけて、しーちゃんが1歳になるまでは「もうすぐお別れが近づいているのではないか」と不安で涙する日も少なくありませんでした。
でもいつからか、「どれだけ生きたという記録じゃない」と思うようになりました。1日1日を大切に、それが1年でも10年でも、一緒にいる時間を丁寧に、楽しく過ごせることが大事だと思っています。
しーちゃんが、他でもないうちを選んでくれたことに、心から感謝しています。
しーちゃん、私を選んでくれて、支えてくれて、信じてくれてありがとう。
──写真展開催への思いを聞かせてください。
斎藤:
昨年、2024年の写真展会場で私を見かけたという方から、ダイレクトメッセージをいただきました。
「18トリソミーの我が子が今、入院しています。面会前に写真展に足を運び、あなたたちをお見かけしました。18トリソミーの子を産んで、私はもう一生笑わないんだろうなと思っていたけれど、楽しそうなご家族の姿を見て、いつか私もそうなりたいと思いました。いつか、輪に入りたいです」って。
私もしーちゃんが生まれたばかりの時は泣いて泣いて、でも友人の一言で、希望を持たせてもらいました。この写真展が、少しでもそんなふうになれたら、すごく嬉しいです。
しーちゃんの笑顔。「なかなか外出ができない中で、体調の絶好調の日に日向ぼっこができました」
東京写真展の代表を務める釜我亜由美(かまが・あゆみ)さん(41)。息子の「はるくん」こと悠誠(はるま)くんは、妊娠20週の検診で18トリソミーが疑われ、その後の確定検査で確定。生後5ヶ月半で、お空へと旅立ちました。
釜我さんとはるくん。「七夕の願いが『パパママと ひこうきでせかいいしゅう』だったはるくんとは、今も一緒にお出かけしています」
釜我:
18トリソミーの子は、手指の曲がり方に特徴があります。
エコー検査でその特徴が見られ、大学病院に転院して詳しく調べることになりました。羊水検査で18トリソミーが確定し、体も小さく体力もしっかりあるわけではないので、少し早めに産んであげた方が良いということで、出産予定日より早めの計画出産予定でしたが、さらにその1ヶ月前に破水し、2021年4月の頭に緊急で出産することになりました。
1年未満で亡くなってしまう可能性も高く、18トリソミーがわかった時点で産まない選択をする人も少なくないようです。はるくんも、指のかたちが怪しく「おそらく18トリソミーではないか」と疑われた時に、「今ならまだ産まない選択もあります」というお話がありました。
──それでも、産む選択をされたのですか。
釜我:
まだ18トリソミーと確定したわけではなかったので「普通に生まれてきてくれるかもしれない」とも思いましたし、仮に18トリソミーだったとしても自分からお腹の命をなくす選択肢はないと思いました。全く悩まなかったわけではないですが、病院から「今すぐ決断を」と言われると「何か違うんじゃないか、そういうものではないのではないか」と思ったんです。
18トリソミーのことを詳しく知りたいと思ったのですが、ちょうどコロナ禍で、18トリソミーのお子さんを育てるご家族と直接会うことは難しく、インターネットでいろいろな情報を調べました。実はこの時、JAMMINさんとteam18のコラボの記事を見て「18トリソミーで生まれてきても、家族と一緒に楽しく外で過ごせる子もいるんだな」って元気をもらったんです。
──そうだったんですね!
釜我:
生まれる前にお腹の中で亡くなることもあるので、出産までは不安もありました。
自宅で使える心音計をお腹に当て、はるくんの心臓の音を聞いては「今日も生きてる。がんばって、元気に会おうね」って声をかけました。生まれてきてくれるまでは、願うような気持ちでした。
生まれて間もない頃のはるくん。「好奇心旺盛なはるくんは、生まれた瞬間から新たに見る世界をつぶらな瞳できょろきょろ観察していました」
釜我:
18トリソミーは、さまざまな疾患を併発します。はるくんは食道と腸がつながっておらず、生まれてすぐ手術をしました。心臓にも小さな穴があることがわかり、もう少し体が大きくなったら手術をすることになっていましたが、その前に亡くなりました。
生まれてからはずっとNICUに入院していました。出産後の1週間は私も入院していたので会いたい時に会えましたが、退院後は週に2〜3回、2時間だけがはるくんと過ごせる時間でした。
しかし、会えるのは両親のどちらか一人だけ。私と夫とで交代で面会に行きました。2021年8月に緊急事態宣言が出た際は、丸々1ヶ月ほど全く会えなくなりました。
入院した病院の皆さんには本当によくしていただきました。生まれて1ヶ月記念等の節目には病室を飾って両親で会える時間を作っていただいたり、緊急事態宣言で会えない時は、ボイスレコーダーに録音した私たちの声をはるくんに聞かせてくだっさったり、病室からはるくんとオンラインでつないでくださったり。
家族の時間を大事に考えてくださって、本当はもっと会いたかったですが、会えないなりに充実した時間を過ごさせてもらいました。
はるくんが生まれて1ヶ月のお祝い。「1ヶ月記念では、いつもと違う空気に朝からそわそわしていた主役のはるくん。ママとパパに会った途端に寝てしまいました」
釜我:
はるくんは3回危篤になり、その時だけ両親揃って会うことができました。状況は微妙ですが、親子三人が揃って一緒にいられたことはとても嬉しかったです。
はるくんはすごく面白くて、「しばらく会えなくなりそうだ」っていうタイミングに、両親で会えるチャンスをくれるんです。「今日が山場です」と言われながら、最初の2回は奇跡の復活を遂げ、3回めの危篤で亡くなりました。
──はるくんとの思い出を教えてください。
釜我:
いろいろとチューブ等がつながっているので抱っこもなかなかできなかったのですが、特別な日には抱っこさせてもらいました。
抱っこをさせてもらった時には、はるくんが「なんか、いつもと違うな」みたいな感じでこっちを見るんです。意志があるんだなと思いました。その時の写真を見ると、こちらを睨んでいるのかと思うくらいじっと見つめられています(笑)。
亡くなる前、母乳を飲むのは難しかったけれど、綿棒で口につけてあげる機会がありました。ママがやるとニコッとして、パパがやると渋い顔をして泣いていました(笑)。ママが大好きだったんだなと思います(笑)。好きな看護師さんが来ると嬉しそうにするなど、しっかり主張がある子でした。
──かわいいですね。
釜我:
病院の皆さんが、はるくんに会えない私たちのために、はるくんの動画を撮って様子を教えてくださっていたんですが、それは残念ながらいただくことができなかったんです。
おじいちゃんおばあちゃん、他の家族や親戚にも動いているはるくんを見せてあげたかったです。目をキョロキョロさせたり、足をポンポンキックしたり、面白くて、かわいらしい動きを本当にたくさんしていました。
「『え、もう歯があるの?ぼくも見たい!』。はるくんは大きな目で、いろいろなことを語っていました」
はるくんの写真集を作った釜我さん。「コロナ禍で両親以外ははるくんに会うことができなかったので、はるくんの成長を手に取るように感じられる、144ページの写真集『奇跡の軌跡』を作りました」
釜我:
はるくんが亡くなった日は、夫と一緒に呼び出されてお昼からずっとNICUのベッド横で付き添っていました。
夜12時を過ぎた頃に、「大丈夫そうだから、ちょっと寝ようか」と、席を立とうとした時に急変し、私たちが見守る中で亡くなりました。もし少しでもずれていたら、息を引き取る際に立ち会えなかったと思うので、不思議な体験でした。
そして、いつも見てくれていた担当の先生や看護師さんはいないタイミングだったんです。もしかしたらはるくんとして、担当の皆さんがいる時は別れがつらいとか、かっこいい姿しか見せたくないとか、思うことがあったのかなと思いました。
──亡くなった時は、すごくつらかったのではないですか。
釜我:
最期を見守ることができて、抱っこできた時間もあったので、つらく悲しく泣いてはいましたが、冷静に受け入れてもいました。生まれる前から「先は長くないかもしれない」という覚悟があったからかもしれません。
はるくんが亡くなって4年になります。
はるくんと過ごした5ヶ月半は、いつもの日常とは違いましたが、彼の存在や行動から笑顔をたくさんもらっていたので、本当に良い時間だったと振り返って思います。はるくんが生まれてきてくれて、本当によかったです。
今回の写真展に選んだ一枚。「写真展参加4年目。何か言いたげなはるくんです。ぜひ会いにきてください!」
釜我:
病院の看護師さんたちとは今でもつながっていて、看護師を目指す学生さんたちにはるくんを題材とした講義をしてくださったり、写真展開催のお声がけをいただいたりしています。
写真展に勤務前後に足を運んでくださる皆さんには、はるくんをかわいがってくださっていたことを本当に感謝しています。
亡くなった後、はるくんはどんどん外に出ていて、私よりはるくんの方がずっと有名人です(笑)。医療や看護のより良い未来に少しでも役立てるのなら、はるくんが生まれてきた意味が、きっとそこにあるんだなと思っています。
──写真展開催への思いを聞かせてください。
釜我:
私自身、悩んでいる時に写真展での皆さんの写真を見て、「こんなにかわいい子たちがたくさんいるんだ」とすごく勇気づけられました。そんな写真展にできたらと思っています。
5ヶ月半の間、はるくんは病院にしかいなかったけど、今、はるくんは写真で全国を旅しているんですよね。家にはるくんのかわいい写真を飾っていて、毎朝「おはよう」と声をかけるのですが、はるくんは今日も全国ツアーに行っていて、家を空けているという感覚というか。
ありがたいことにこうやってはるくんのお話をさせていただく機会もあって、姿は見えないけれど、常に一緒にいるように感じています。
──今、はるくんにどんなメッセージを送られますか。
釜我:
「がんばって生まれてきてくれて、面白いことをたくさんしてくれてありがとう」と伝えたいです。出会うことができて、意思がしっかりあって、ママのこともわかってくれて、人間の強さを知ることができてよかったです。
「チーム悠誠!生まれてきてくれてありがとう!」
今年、初めて長崎・壱岐島で開催される写真展。代表の長村佐知子(おさむら・さちこ)さん(48)の三女の「マリィちゃん」こと磨梨生(まりい)ちゃん(4)は、妊娠の初期段階で18トリソミーを指摘されました。
地域の人たちの理解や協力を少しずつ得ながら、日々を過ごしているといいます。
長村家の皆さんの家族写真。「マリィちゃんがお家に帰ってきて、初めて撮った家族写真です」
長村:
人口2万3千人の壱岐島には、大きな病院は一つしかありません。妊娠初期に首の浮腫が見つかり、すぐに福岡の大きな病院を紹介され、そこでいろいろと調べると、「生まれても、生きられるかどうかわからない」という状況であることがわかりました。
周囲の勧めで出生前診断を受けて18トリソミーであることがわかり、すごくショックを受けましたが、旦那とは「どんなことがあっても、この子を産もう」と話しました。夫婦の意思を伝え、処置ができる病院を紹介してもらい、出産しました。
生まれて1週間後に「心臓が危ない」ということで、手術するかどうか、究極の決断を迫られました。手術自体が難しく「もしかしたら、ダメかもしれない」と、島からおじいちゃんおばあちゃん、上の子たちを呼び寄せ、マリィちゃんに会いにきてもらいました。
生まれて1週間後に危篤状態になったマリィちゃん。家族が病院に呼ばれた時に撮った一枚。「お姉ちゃんたちは、この時初めてマリィちゃんと会いました。『かわいい』と言って、交代で抱っこしました」
長村:
しかしその翌日か翌々日、奇跡なのですが医師の先生から「心臓の血管が新しくできています」と言われて。この新しい血管のおかげで、すぐに手術をせずに危機を乗り越えました。
──すごいですね。
長村:
その後もいろんなことがありましたが、マリィちゃんはもうすぐ4歳を迎えます。
生後9ヶ月の時には壱岐島に帰ってきました。離島で「船で帰るのはリスクがある」ということで、その病院では初となるヘリコプターでの転院をしていただきました。
その後、島の病院に入退院を繰り返し、「島を出て、大きな病院にかかった方がよいのかもしれない」と迷うこともあったのですが、担当の先生がとても協力的で「できるかぎり島で治療するから」と言ってくださって、本当に何度も助けていただきました。感謝してもしきれません。
実は私は、この島の病院で看護師として働いています。人手が十分ではなく、大変さや忙しさは理解しているつもりですが、医療的ケアが必要な子どものケアやレスパイトに関する理解や実践を、少しずつ広めていけたらと思っています。
うちの子も含め、壱岐島にいる医療的ケアが必要なお子さんは数名ほどで、そもそもの数が少なく、情報も資源も限られています。
マリィちゃんを島に連れて帰ってくる際、家族としては「マリィちゃんの治療を諦めたくない、地元での暮らしも諦めたくない」という思いがありましたが、病院からは心無い言葉を言われることもあり、何度も悔しい思いをしました。
「週末は、三姉妹で川の字で寝ています」
長村:
一度やってみてダメだったならまだわかるんですが、ハナからできないとかやらないと言われると、つらかったですね。でも病院や行政、地域の方たちとも一から話し合い、一緒に作っていくようなかたちで、少しずつですが前に進めているのかなと思います。
今回、私が島で写真展を開催したいと思った理由のひとつでもあるのですが、社会の流れとしては医療的ケア児に対する理解が進んできていますが、島にいるとなかなか、情報が入ってきません。写真展を開催することで、こういう子どもたちがいること、一緒に生きる家族がいることを、島の人たちにも知ってほしいと思っています。
──そうだったんですね。
長村:
この3月から、仕事復帰しました。マリィちゃんを預ける先がないので、夫婦交代で面倒を見ながら働くしかありません。これから上の子たちにもお金がかかってくるので、経済的な不安もあります。また、高齢になる主人の両親と同居しており、将来的にダブル介護になる可能性もあります。
以前、主人が仕事中に大怪我をして1ヶ月入院したのですが、その間、私一人で子ども3人を見ていたら、倒れてしまい運ばれたことがありました。もし、こういう時にレスパイトのサービスがあったら…と思います。
限りある資源の中でも、少しずつできることが増えていったらいいなと思います。
週1回の訪問入浴の様子。「お姉ちゃんたちが、マリィちゃんを交代で洗ってくれます」
長村:
マリィちゃんがこの島に帰ってきた意味は、きっとそういうことなのかなと思っています。
将来、この島に生まれてくる子どもたちやそのご家族のこと、あるいはこれまで、障害のある子が生まれ、苦渋の判断で島を去る選択をされるご家族もきっとおられたと思うと、ちょっとでも、私たちができることがあるんじゃないかと思っています。
一昨年には、島で家族会を立ち上げました。ボランティアさんも含め、40名ほどの方が参加してくださっています。都市のような医療や福祉サービスはないですが、皆が知り合いで、何かあった時には手を差し伸べ合えるのは、島の良いところかもしれません。
島で家族会を立ち上げた長村さん。「先日開催した講演会の様子です。家族会の方たちと一緒に準備しました」
今回の写真展に選んだ一枚。「唯一、マリィちゃんの笑っているお顔が撮れました」
長村:
看護師として専門知識がある分、マリィちゃんの状態の良し悪しがわかるのは良いことである一方、先のことを考えてしまうこともあります。
本音を言えば、どうにかして、ずっとマリィちゃんと一緒にいられないかと思う。でも、いつどうなるかわからないということ、ずっと一緒にいられるわけではないかもしれないというのは、常に頭の隅に置いておかないといけない。それがすごくつらいです。
でもだからこそ、1日1日を大事にしたいと思います。
──マリィちゃんは、どんな存在ですか。
長村:
かけがえのない存在です。
私たち夫婦からすると、マリィちゃんは上の二人と何も変わらない、特別だけど同じ子どもです。マリィちゃんがいて皆がいるというか、我が家の中心がマリィちゃんです。マリィちゃんが生まれてきてくれて、家族の絆は本当に強くなりました。
マリィちゃんを産んだことを、私は一切後悔していません。本当は、健常に産んであげたらよかったのかもしれないけど…、私としては得られるものが倍以上に大きくて、今の、ありのままのマリィちゃんが大好きです。
──初となる壱岐での写真展開催には、どのような思いがありますか。
長村:
私自身、福岡で開催されていた写真展に初めて足を運んだ際、本当に感動しました。
後から聞いた話なのですが、福岡の会場に来られた方で、「壱岐島に18トリソミーの子をヘリコプターで搬送した」とおっしゃるパイロットの方がおられたそうです。それはまぎれもなく、私とマリィちゃんを乗せたヘリコプターです。
「大事に運ばせてもらいました」とおっしゃったそうなのですが、というのは、なんとその方のお子さんも18トリソミーで亡くなられていたとのことでした。
…人伝いに聞いた話で、直接お礼をお伝えできていないのですが、愛を込めて島に送り届けてくださったこと、本当に感謝しています。ぜひ、壱岐の写真展にも足を運んでくださったら嬉しいです。
「マリィちゃん3歳、次女の7歳を祝って、七五三に記念に撮影した一枚です」
今回、4名のご家族にお話を聞かせていただきました。
皆さんとても温かく、時に涙ぐみながら、時に笑顔で、我が子へのあふれんばかりの思いを語ってくださる姿が、本当に印象的でした。
今回で3度目となるTeam18さんとのコラボ。
アイテム購入ごとの700円(キッズTと雑貨は100円も選べます!)のチャリティーは、写真展の18トリソミーの子どもたちの写真を、写真集として一冊の本にするための資金として活用されます。ぜひ、応援お願いします!
【今後開催される写真展】
・8/16(土)-17(日)
壱岐写真展@壱岐の島ホール(⻑崎県壱岐市)
・9/6(土)-7(日)
山形写真展@山形駅直結「霞城セントラル」1階(山形県山形市)
・9/20(土)-23(火祝)
新潟写真展@新潟ふるさと村「ファイブワン いいね!新潟館」(新潟県新潟市)
・10月25日(土)
東京写真展@東京慈恵会医科大学看護学科 文化祭(ファブール祭)(東京都調布市)
・11/2(日)
埼玉写真展@日本薬科大学 学園祭(埼玉県北足立郡伊奈町)
・11/17(日)
石川写真展@石川県産業展示館(石川県金沢市 ※一部の写真のみ展示)
・12/13(土)-14(日)
兵庫写真展@尼崎看護専門学校 文化祭(兵庫県尼崎市)
・2026/3/1(日)-22(日)
岡山写真展@岡山県岡山市および瀬戸内市内
【2025/7/21-27の1週間限定販売】
18っ子の特徴のひとつ、重なった指の手を真ん中に、「生まれてきてくれてありがとう!」という感謝と、共に過ごす豊かな時間を表現したデザインです。
お花やハート、お星さま。描かれたモチーフは全部で18個。18っ子の手の隣の手が「3つ」のお花を持つことで、18トリソミーを表現しています。
“Thank you for being awesome(すばらしい存在でいてくれてありがとう!)”というメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!