CHARITY FOR

「END ALS!!!!!」。ALSと診断されて15年、ヒロさんの思い〜一般社団法人END ALS

6月21日は「世界ALSデー」。
原因不明、治療法未確立の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を知っていますか。

発症すると体を動かす運動ニューロン(神経系)が変性して徐々に壊れ、意識や五感はしっかりありながら、身体のあらゆる箇所の筋肉が萎縮し、身体の自由が奪われ、歩くことも、食べることも、話すことも、最後には自力での呼吸さえも困難になる病気です。

外資系広告会社「マッキャンエリクソン」のプランニングディレクターとして活躍していた「ヒロ」こと藤田正裕(ふじた・まさひろ)さん(45)がALSと診断されて、今年で15年。
当事者として、一貫して「END ALS(ALSの撲滅)」を訴え、活動をしてきました。

「END ALS」というヒロさんの思いは、今も変わっていません。

今回はヒロさんと、ヒロさんの6つ年上のお兄さんの正敦(まさのぶ)さん(51)、甥の健太郎(けんたろう)さん(16)にお話を聞きました。

ヒロさん。今回のコラボデザインTシャツを早速身につけてくださいました!

今週のチャリティー

一般社団法人END ALS

日本だけでなく世界中にALSの認知・関心を高めるとともに、厚生労働省や医療研究機関などに対し、迅速な治療法の確立と、ALS患者が可能な限り普通の生活、あるいは生活の向上ができるように働きかけることを目的に2012年9月に設立されました。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/06/16

「ALSの僕が特別ではなくて、
皆さんにも起こることかもしれない」

2024年12月、約10年ぶりに母校のアメリカンスクール イン ジャパンを訪問。「現在、お子さんが同校に通う同窓生と嬉しい再会がありました。学校のバザーで見つけた懐かしいサッカーのユニフォームをプレゼントしてくれました」

──ヒロさんの近況を教えてください。

ヒロさん:
体調の変化もなく過ごしています。
家族や友人と過ごす機会が増えて来て嬉しいです。

──この一年の出来事で、思い出や印象に残っている出来事があれば教えてください。

ヒロさん:
いろんな友人が会いに来てくれたこと。

ヒロさんの元を訪れたご友人たちと

──今いちばんほしいものは何ですか。また、それはなぜですか。

ヒロさん:
ALSの治療薬。日々の苦痛や不安から解放されたい。

──今、いちばんメッセージを伝えたい人は誰ですか。どのようなメッセージでしょうか。

ヒロさん:
治療薬の研究やコミュニケーション機器の開発がもっと進んで、1日でも早く僕にも届いて欲しい!

そして、家族、友人、応援してくれている人達に感謝しています。
いつもありがとう!

アメリカンスクールの図書室に、著書『99%ありがとう ALSにも奪えないもの』を寄贈。隣はヒロさんのお母さま

──ヒロさんから読者の皆さまへ、今回のコラボにあたりメッセージがありましたらお願いします。

ヒロさん:
ALSの僕が特別ではなくて、皆さんにも起こるかもしれないことです。

今回のコラボで何か感じてくれたら、小さなことから何か1つ行動してみてください。
これからも応援よろしくお願いします。

2024年11月、ヒロさんの45歳の誕生日を、チームEND ALSの皆さんとお祝い

たった一度だけ、お兄さんの前で泣き崩れたヒロさん。
ALSと告げられた時のこと

ここからは、ヒロさんの6つ年上のお兄さんの藤田正敦(ふじた・まさのぶ)さん(51)、正敦さんの息子で、ヒロさんの甥の藤田健太郎(ふじた・けんたろう)さん(16)にお話をお伺いしました。

写真左から、健太郎さん、正敦さん、ヒロさん。「先月くらいに、3人で取った写真です。健太郎が珍しく高校野球の練習がない日に、一緒にヒロのところへ行けました」

──ヒロさんがALSと診断されてからの15年を振り返り、ご家族としてどのようなことを感じられますか。

正敦さん:
ヒロがALSと診断されたのは、息子が生まれてすぐのことでした。
健太郎が生まれてすぐ、2010年1月に住んでいたアメリカから日本に帰国し、健太郎が1歳の時に、10月にヒロがALSと診断されたという感じです。

この15年は、なかなか一言では表せません。
体調の異変を感じていたヒロが大学病院で検査を受けた時、なぜか何かあった時の連絡先が僕だったので、ヒロより先に、医師から彼がALSであると告げられました。

初めて聞く名前の病気で、「何のことだろう」と思いましたが、「治療法がない」ということもその時に聞きました。風邪を引いていたのかな、ちょうど僕も体調があまりよくないタイミングだったのもあって、整理するのに時間がかかりました。

2010年、正敦さん家族がアメリカから帰国した時の一枚。「親父が健太郎を抱きしめている写真です。健太郎が小さすぎて見えません。ヒロはその頃から体の調子が悪く、診断前で親父に寄りかかっています」

──ショックではありませんでしたか。

正敦さん:
当然、最初はショックも怒りも感じたし、どう対処していけばいいのかというのはありました。「なんとかなるんじゃないか、治療薬ができるんじゃないか」と思いましたが、調べれば調べるほど、ALSが難しい病気であることがわかってきました。

でも黙っていてもしょうがないから、ちゃんと伝えないといけないと思い、まずは父親、それから母親に伝え、僕がALSと聞いてから1週間後に、ヒロに伝えました。伝えたというよりは、医師の先生の話を一緒に聞いたという感じです。

──ALSと告げられた時、ヒロさんはどんな様子だったのでしょうか。

正敦さん:
思った通りの反応だったというか…、「嘘でしょ」というのと「これ、治らないの?」と聞いていました。取り乱している感じではなく、冷静ではありました。

その後、ヒロの中でも気持ちの変化はたくさんあったと思うし、一人で泣いている時もあったと思います。だけど、僕の前で泣いたのはたった一度だけでした。

──それはいつだったのですか。

正敦さん:
先生からALSと告げられた時、1時間ほど説明を聞いた後に、「一旦、気持ちの整理をしよう」とヒロを外に誘いました。そして1時間半か2時間ぐらいだったかな、一緒にお茶をしたんです。ついでに近くの神社にお参りをした時に、ヒロが泣き崩れました。

「お参りしても、何もなんねぇな」って感覚があったのかもしれません。

「ALSを弱める薬なんていらない。
ALSを撲滅したい」

「この写真は、ヒロがALSだと僕は知っていて、ヒロは知らない時のものです。病院を抜け出して丸の内に連れて行き、食事をしました」

──ヒロさんがこれから、体の自由が奪われていくと告げられる場に、兄として同席することはつらくなかったですか。

正敦さん:
僕から説明するよりは、先生からきちんと話してもらった方が良いと思いました。
ALSであってもヒロはまだ生きているわけで、「ヒロがどうしたいか」を、ちゃんと聞けるようにしたかった。少し時間が経ってから、検査も全て終えて一度退院することになった時、親とヒロを迎えに行き、家族で食事して家に帰りました。

「今ある状態を受け止めて、今からどうするか」というのを、少しずつ家族で話し合い、それに向かって動きました。これは彼がEND ALSを立ち上げ、活動するきっかけにもつながっているのかなと思います。

──そうだったんですね。

「ヒロは友達と一緒にいるのが好きだと思うので、普通に一緒に飲んで、食事をするのがしたいことだと思います。ハワイが大好きで、観光客が来ないビーチによく行っていたと言っていました。きっとそこに行きたいのだと思います」

正敦さん:
ALSは初めて知る病気でしたので、家族としても何か良くする手立てがないか、海外も含め、あらゆる治験を探しました。しかしどの治験も、「発症して半年以内」などの制限があり、かつALSを治すものではなく、進行を遅くするというものばかりでした。
セカンドオピニオンも聞いて回りましたし、少しでも希望があれば話を聞きに行きもしましたが、希望を抱いては落ち込むことを繰り返していた時期もありました。

そういったこともあって、ヒロがこの活動を始めるにあたり「どんな名前をつけようか」と話した時に、「ALSを弱める薬なんかいらない。ALSを止める薬、ALSがなくなる薬を出してほしい。ALSを撲滅したい」ということで「END ALS」という名前にしたのです。

「この写真は成田空港。ヒロが最後の旅行に出かけた時の一枚です。診断後に『ハワイに最後行きたい』と言っており、家族で成田まで送りました。空港のファストフード店で『ポテトは鼻に入れるものだ』と健太郎に教えていました」

「家族としてヒロの選択を尊重し、応援したい」

若い頃の正敦さんとヒロさん。「まだお互い若かったです」

──ヒロさんのエピソードを教えてください。

正敦さん:
僕とヒロは、6つ歳が離れています。小さい頃は、虫を見て「きゃーっ」と言っちゃうような、何事もこわがっているタイプの子でした(笑)。どちらかというといじめられっ子のタイプで、同じ学校に通っていたんですが「助けてよ」って言われたこともありました。

そんなヒロが、中学生ぐらいからかな、「友達がすべて」という感じの生活になりました。
僕からすると「なんでそんなに永遠と友達とつるんでるんだろう」って思うぐらい(笑)、いつも友達と集まっている感じで、彼は常に家にいないか、常に誰かと電話していました(笑)。

社会人になってヒロと話す機会が増えた時に、子どもの時よりだいぶ強くなっているなと感じましたし、ALSになってから、その向き合い方を見ていても、ヒロは強いなという印象を持つようになりました。

「この病気になったから、影響を与えられることがある」と言っていたのが印象的で、小さい時のヒロだったら想像できない発言でした。

──健太郎さんはいかがですか。

健太郎さん:
僕の記憶がある範囲では、ヒロはいつもベッドで寝ているという印象ですが、ヒロの体がまだ動いた時に、近所の公園で遊んでもらったことをうっすら覚えています。
回転する遊具を押してもらったのが思い出です。

正敦さん:
ヒロは気管切開(※)を受けるまで、一人暮らしをしていました。
気管切開を受けたのが、健太郎が3歳か4歳の時でした。気管切開後は声が出ないので、口パクで会話していました。ヒロの声は、健太郎は覚えていないかな。

(※)…ALSが進行すると自力での呼吸が困難になるため、気管切開をして人工呼吸器を装着して生きるか、そのまま死ぬかの選択を迫られる。日本ではALS患者の7割以上が、呼吸器装着という選択肢を選ばないという。

2-3歳の頃の健太郎さんとヒロさん

──気管切開はALSにおいては一つの大きな決断だと思うのですが、ご家族として、その辺りはどのように受け止められましたか。

正敦さん:
家族の皆で話し合い、「ヒロの人生については、ヒロがやりたいようにやろう」と決めていました。気管切開に関しても、ヒロの選択を尊重し、応援したいと思っていました。

ただ、ヒロが気管切開を受ける前に言っていたのは、「気管切開をしたら、自分で命を止められない。つらくなったらどうしよう。いつまで(生きる)というのを、自分で決められるようにしたい。そのような制度がないのはおかしい」と。

──今、ヒロさんに対してどんな思いを抱いておられますか。

正敦さん:
僕とはあらゆる面で正反対な弟ですが、やっぱり兄弟で、つながっているところが強いです。ヒロは嫌なことは全部、僕にやらせるんです(笑)。

頼ってもらっているし、僕なりに、あいつのことをよくわかっているつもりです。

正敦さん家族の愛犬・しーちゃんと。「元々犬は飼いたかったようなので、うちで飼っているしーちゃんを連れて行くと反応が良いです。ヒロの手からお菓子を食べさせたりしています」

正敦さん:
病気との向き合い方について、対立することもありました。
だけどヒロの人生で、ヒロが付き合っていく病気だから、ヒロがやりたいなら、ヒロのやりたい通りにやるのが良いと思っています。家族の言うことは聞かないっていう感じですね(笑)。

今となっては、ヒロも45歳の良い大人なので、僕がどうのこうのというよりも、ヒロなりに、人生を全うしていると思っています。今、かなしみとか怒りとか、そういう感情よりもむしろ、「ヒロも自分のやりたいように生きている」という目で見ています。

ヘルパーさんが日々の生活を支えてくださっていますが、81歳になる母親とヒロとの二人暮らしは、兄としても心配だし、常に気にかけています。でも、体の中はまだ元気そうだから、ヒロが今後の人生をどう過ごしたいのかっていうところを、これからも尊重していきたいと思っています。

健太郎さんの習字、「生きる力」

──健太郎さんはどのような思いを抱いておられますか。

健太郎さん:
ヒロは強くて、尊敬できる人です。15年間ALSと闘い続けていること、さらにEND ALSを作っていろんな活動をしていて、その意志がすごいと思います。

5、6歳の時に、路上に寝転んでALSを疑似体験するイベント「GORON for ALS」に参加しました。道の真ん中に寝転がり、1分間体を動かさないようにするんですが、すごく大変だった。ALSがすごく大変な病気だと認識しました。

正敦さん:
健太郎が小学生の時、習字の授業で「○○の力」というのを書くことになり、「○○」のところは何でも良かったのですが、健太郎は「生きる力」と書きました。
「生きる」という言葉をチョイスしたのには、きっと何か、ヒロの姿勢から伝わっているものがあったんだろうと思います。
今、健太郎の野球のグローブにも「生きる力」って刺繍してるんだよね。

健太郎さん:
うん。「生きる力」という言葉は今、僕の座右の名になっています。

健太郎さんのファーストミット内の刺繍。「高校球児はグローブに刺繍を入れることができ、目標や座右の銘を入れる子が多いです。健太郎は『生きる力』と入れています」

「ヒロと一緒に、飲みに行きたい」

2016年、日本で最も権威のある広告賞ACC CM フェスティバルでグランプリ、総務大臣賞を受賞。「これは、マッキャンさんとヒロの仲間が取った賞です。それを僕が届けに行っただけですが、ヒロの頑張りと皆さまへの感謝の気持ちを早く発信してもらいたくて、写真を撮ってFacebookに載せました。ヒロは何年も、本当によく頑張っています」

──今日までを振り返って、印象に残っているヒロさんとの出来事を教えてください。

正敦さん:
『99%ありがとう ALSにも奪えないもの』(藤田正裕著/ポプラ社/2013年)の中で写真を掲載しているのですが、ヒロより先にALSだと告げられ、でもヒロにはまだ告知していないタイミングで、ヒロを病室から連れ出したことがありました。

丸の内近辺の銀杏並木を、まだ幼い健太郎と手をつないで歩くヒロの姿を見ながら、「ヒロにとって、これが病気のことを何も知らないでいられる最後のタイミングだろうな」と思ったことを覚えています。

その時の写真を見ると、ヒロよりも僕の方が暗い顔をしてるんですよね。たった数時間だけど…、ALSのことを知らず、未来を心配せずに過ごせた最後の瞬間として、特に印象に残っている出来事です。

──ヒロさんに伝えたいことを教えてください。

正敦さん:
ALSが進行し、彼自身がメッセージ発信しづらくなっているところもありますが、彼の考えもいろいろ変わっていると思うから、今ヒロが何を考えているか、じっくり聞けたらいいなと伝えたいです。彼も当然、伝えたいことがあると思います。

健太郎さん:
僕はまだ小さかったので、ヒロとしっかり話をしたことがありません。ALSを治して、ヒロがこれまで、どういう経験をしてきたかを聞いてみたいです。

身体の動かないヒロさんをデッサンのモデルに、残酷なALSを知らしめるプロジェクト「STILL LIFE」で、参加者の方が描いた一枚。「ヒロの心境をよく表していると思います」

──もし明日、ヒロさんのALSが治ったら、一緒に何をしたいですか。

正敦さん:
ヒロと一緒に飲みに行きたいですね。
ヒロはALSになる前、お酒をわんさか飲んでいましたが(笑)、僕は社会人になっても飲まなかったので、二人で飲みに行く機会というのはほとんどありませんでした。

僕が40歳くらいからお酒を飲むようになってから、当時まだ会話ができたヒロに、「酒を飲むようになったんだよ」って伝えたら、「今かよ!もっと前だったら、一緒に飲みに行けたのに」って言われたことがありました(笑)。あと、ヒロが好きだったハワイにも、連れて行ってあげたいです。

健太郎さん:
いろんな話をすると思うけど、まずはヒロの好きなことを聞いて、お互いが楽しめることを一緒にやりたいなって思います。

ヒロさんが目標に掲げていた広告業界のメジャーな賞の受賞を「STILL LIFE」プロジェクトで達成した際に、マッキャンのチームの皆さんと記念撮影(2017年末)

──読者の皆さんへ、メッセージをお願いします。

正敦さん:
まずはEND ALSに関わっている皆さま、ご友人や関係者の皆さまに、家族としてお礼を申し上げたいです。END ALSを通じて、ヒロのやりたいようにやっています。ヒロの考えも尊重し、END ALSは会社の仲間とお友達とのものであり、ヒロと外とをつなぐポータルでもあります。

JAMMINさんとのコラボにももちろん感謝していますし、何よりも15年間、支えてくださったマッキャンエリクソンの皆さん、本当にありがとうございます。

ALSは進行性の難病で、治療法が見つかっていないことから、暗くとらえられがちな部分があると思います。ただ、その中でもヒロは15年を生きてきたし、全部がつらいことばかりだったわけではありません。

ヒロが一人暮らしの時に奮発して買った、値段も座面も高いソファ(笑)を、彼がベッドで寝たきりになるから使えなくなるというので、今は僕たち家族が使わせてもらっているし、一緒に映画を鑑賞したり、楽しい出来事も、楽しい思い出もあります。

ただ、もしヒロがこの場にいて、彼が言いたいことがあるとしたら「END ALS!!!!!」の一言に尽きると思います。本当に、エクスクラメーションマーク(!)を、5個も6個もつけてね。自分が経験したつらさを他の人に経験してほしくない、ALSを一日も早くなくしてくれというのは、彼が何よりも伝えたいことだと思います。

健太郎さん:
ALSに限らず、不治の病が治るようにと願っています。

2025年2月、「Still Life展2025」を開催。オンライン中継でヒロさんの部屋と会場をつないだ

今年も「世界ALSデー」にあわせ、治療法確立のための研究資金を集めます!

武蔵野大学大学院のターミナルケア特論で、学生の皆さんとのセッション。「毎年のように開催いただいており、コロナ前は対面で、以降はオンラインで実施しています。ヒロがリードしてきたEND ALSの活動の紹介、そして事前に受け付けたさまざまな質問への答えを準備してお答えしています」

6月21日の「世界ALSデー」に向けて、今年もJAMMMIN×END ALSコラボアイテムを販売します!

6月16日から22日までの1週間、JAMMINのホームページからコラボデザインイテムをご購入いただくと、1アイテム購入につき700円がチャリティーされ、ALSの治療に関する研究を支援するための資金として活用されます。

今回も「目」のデザインにこだわってくださったヒロさん。
コラボデザインアイテムで、ぜひ応援お願いします!

・END ALS ホームページはこちらから
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【2025/6/16~22の1週間限定販売】
体の自由が奪われていくALS患者にとって、コミュニケーションの上で重要となる「目」。
その目が、ALSがこの世から無くなる日を見つめる様子を描き、ALS撲滅への強い意志を表現しました。

放射状に描いた光は、END ALSの活動が希望となり、ALSのない未来を照らす様子を表現しました。
チャリティーアイテム一覧はこちら!

JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!

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(広告宣伝費として支援し、予算に達し次第終了となります。)