3月21日「世界ダウン症の日」が近づいてきました!
この日に向けて、今年も各地で、ダウン症に関するさまざまなイベントが開催されます。
日本ダウン症協会さんとのコラボは、なんと今年で10回め!
毎年「ひとつだけ3つあるシリーズ」を多くの方が楽しみにしてくださり、とても嬉しいです。
今回のコラボデザインは、みんな大好き、「スウィーツ」がモチーフです!
2025年2月15日、京都で開催された「世界ダウン症の日2025キックオフイベントin京都」にて。司会のフリーアナウンサー笠井信輔さん、フジテレビアナウンサー上中勇樹さん、“ダウン症のイケメン”タレントあべけん太さん、ダウン症のあるアマチュア落語家村上有⾹さん。コラボTを着てくださっています!
今年の「世界ダウン症の日」の標語である”Improve our support systems(サポートシステムの改善)”にちなみ、いつも気にかけてサポートしてくれる大切な家族や仲間への「ありがとう」の気持ちを込めて、あるいは、いつもがんばっている自分へとっておきのご褒美としての、23のかわいいスウィーツを描きました。
そして、今回インタビューをさせていただいたのは、2014年の啓発ポスターに掲載され、11年の時を経て、2025年のポスターに再び登場された、神奈川在住の勝俣圭一郎さんとそのご家族、大阪在住の南明子さんとそのご家族です。
「たくさんの人のサポートを受けながら、充実した日々を過ごしている」。
二家族の素敵なインタビュー、ぜひご覧ください!
「ここにいるよ」。2025年の啓発ポスター。お話を聞かせていただいた勝俣さんは下段右から3人め、南さんは右から2人め
公益財団法人日本ダウン症協会(JDS)
1995年に発足した、ダウン症のある人たちとその家族、支援者で作る会員組織。
ダウン症の啓発や情報提供を行い、ダウン症のある人たちとその家族のより良い暮らしを目指して活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2025/02/24
お話を聞いたのは、神奈川県在住の勝俣圭一郎(かつまた・けいいちろう)さん(17)と、母の美佐枝(みさえ)さん。
普段、車椅子で生活している圭一郎さんは、昨年の2月に側弯症の手術を受けました。
圭一郎さんと美佐枝さん。2025年2月、静岡・御殿場市にある「時之栖(ときのすみか)」にて、馬を観に行った時の一枚
美佐枝さん:
ダウン症の子は頸椎が不安定なので半年ごとに整形外科を受診していましたが、12歳の時、頸椎とは別に側弯が進行していることがわかりました。
とにかく圭一郎は合併症が多い。お腹の中にいたときに見つかった十二指腸閉鎖は、「生まれてすぐに手術が必要だから」と、こども医療センターにて生後1日目に手術。出産後わかった先天性食道閉鎖は生後3ヶ月で手術。
生まれた翌日に、十二指腸閉鎖の手術を受けた圭一郎さん。写真は、その手術後の一枚
美佐枝さん:
それ以外にも2度の噴門形成、内斜視、折れ耳と何度も大きな手術を重ねてきましたが、今回の側湾症は更に大規模な手術だったので親としてずいぶん心配しましたが、たくましく苦難を乗り越えた圭一郎の強さと頑張りに感動しています。
いつか歩けるようになると言われながらも、いまだ車椅子での生活ですが、それでも着実に成長しているので、手引きの歩行はできますし、車椅子を自走することもできます。
──普段は、どんなことをして過ごしておられるのですか。
美佐枝さん:
ぬいぐるみや人形が好きです。音楽も好きで、一人で踊ったりしています。
音楽に合わせてぬいぐるみを踊らせたりして、人形浄瑠璃文楽のぬいぐるみバージョンがあったら、いいところまで行くんじゃないかしらと思うぐらいです(笑)。
セサミストリートの「エルモ」が大好きな圭一郎さん。「入院中も、エルモと一緒。どこに行くにも、エルモは一緒です」
美佐枝さん:
特別支援学校へはスクールバスで通っています。今高等部の2年生で、来年の3月には卒業なので、将来を見据えて、校外実習へ行ったりしています。
特別支援学校で工作をしたり花を育てたり、本人が楽しそうに過ごしている姿を見ると、支えてくださる方たちがたくさんいて、自分の居場所があるのは幸せなことだなと思います。
時代の流れとともに理解が進んでいると感じますが、小さい頃は預けられる保育園や診てもらえる病院が近くになくて苦労しました。
「障害のある子は入れません」と言われることもありましたし、圭一郎は生まれた時から合併症が多いので、「大きな病院へ行ってください」と言われることもありました。
日常の一コマ。「写真左は、お外できつねのお面に色塗りをしているところ。写真右は、黒い紐を見つけてヒゲに見立てているところです」
──圭一郎さんが生まれて間もない頃は、大変なこともあられたんですね。
美佐枝さん:
私と夫は圭一郎のダウン症を受け入れてましたが、世間の目というのは気になったし、不安にもなりました。でも本当に少しずつ時代が変わって、いろんなところで相談ができるようになりました。
圭一郎は車椅子で、食事はミキサー食かきざみ食、水分などは胃ろうからの注入です。
ダウン症のある子を持つ親の会に参加したこともありましたが、「同じダウン症でも、合併症の多さでこんなに違うんだ」と疎外感を感じたこともありました。
「小学校の夏休み、教室の床いっぱいに敷きつめられた画用紙に、思いっきり色塗りをした圭一郎と担任の先生です。手足が汚れることもお構いなし。大胆な筆づかいでクラスのみんなと大作を完成させました」
──そうだったんですね。それはどんなふうに克服されたのですか。
美佐枝さん:
夫とはよく話し合っていました。
この子が3歳ぐらいまでは、「家族だけで支えあわなきゃいけないのかな」という孤独感が強かったですが、障害児として見られることをこの子自身も望んでいないだろうし、特に3歳ぐらいまでは、同じようにかわいい小さな子どもなので、できるだけ普通の子どもとして育てたいと思っていました。
「いつも明るく、朗らかな圭一郎。大好きなぬいぐるみたちをそばに置き、茶目っ気たっぷりのポーズで、両親を和ませてくれます。写真は4歳の頃、座った状態で片足が上げられるようになったのが嬉しくて、『はいポーズ』と声をかけられるたびに、得意気な顔で片足を上げてくれました」
社協主催のクリスマス会にて。「ボランティアさんがゲームを考えてくれたり、カレーライスを作ってくれたり、楽しい会にして下さいました」
──圭一郎さんにダウン症があることは、どのタイミングでわかったのですか。
美佐枝さん:
お腹の中にいる時に先天性の障害がわかっていたし、また首のむくみもあり、調べてみるとどうやらダウン症の可能性が高いと。
前もって知っていた方が心の準備ができると思って、妊娠8ヶ月で羊水過多になった際に、羊水検査(出生前に、胎児の染色体の異常や疾患を調べる検査)をしてもらおうと思いましたが、出産まであまり時間がなかったし、今から調べても結果は先になりますと言われて、検査をせずに出産を迎えました。
生後2ヶ月の頃。「入院中、首がすわり始めた頃の写真です」
美佐枝さん:圭一郎が生まれた時は、変な話、「夫によく似たかわいい顔の赤ちゃんだから、この子はきっとダウン症じゃない」と思いました。
先生に尋ねると、「僕たち専門家から見るとダウン症の特徴があるけど、軽い方かもしれませんね」と言ってくれました。今から考えると、私たちにずいぶん気を遣ってくださったんだなと思います。
ダウン症かどうかわかるまでに2週間ぐらいかかり、その間、毎日NICUに面会に行きましたが、とてもかわいくて、「障がいがあってもなくても、どちらでもいい」と思いました。
「圭一郎が7歳の秋の写真です。10月のディズニーランドデビューのために、母が作ったロンパースタイプのミッキー衣装です。ディズニーランドでは、ミッキーが圭一郎をみつけ、『ボクと同じだね!』と指を差して喜んでくれたのが、親子共々とても嬉しい思い出です」
美佐枝さん:
それでも心のどこかで「ダウン症ではない」と信じていたので、遺伝科の先生から「ダウン症です」と告げられた時はショックでしたが、生まれてすぐに手術をしなければならないと告げられた時の方が、「圭一郎がかわいそうだ」と、もっとショックでした。
生まれて1年間、神奈川県立こども医療センターに入院したのですが、病院の先生や看護師さん、いつも付き添いを支えてくださったファミリーハウスの方たちにも本当に助けていただき、よくしていただきました。
また、入院中にダウン症以外の障害のあるいろんなお子さんやご家族と出会い、障害を越えていろんな話ができたことも、とても大きなことでした。
「生まれる前に障害がわかって大きな病院で出産し、母子離れ離れにならずに手術ができたことはすごくありがたいことなんだ」と、周りの手厚いサポートの中、私の気持ちも少しずつ前に向いていきました。
「生まれてから1歳まで入院していた時、病院の看護師さんたちが、チューブ固定のテープに絵を描いてくれたり、応援の飾りを作ってくれました。たくさんの人にサポートしてもらいました」
2024年2月、側弯の手術を無事終えた、16歳の圭一郎さん。「1ヶ月間の入院、よく頑張りました」
美佐枝さん:
圭一郎が小さい時は、「大人になったら受け入れてもらえるんだろうか」という不安もありましたが、今、圭一郎がいない人生は考えられません。
家族として一緒に何かを経験したり、笑い合ったりすることは、障がいの有無に関わらず皆、同じなのではないかなと思うんです。
傷つくこともありましたが、社会も変わってきて、我が子への愛情もどんどん深くなって、この子を産んでよかった、妊娠を断念しなくてよかったと心から思います。
「最近のお伴は犬のぬいぐるみ。音楽に合わせて踊らせたりキスしたり、とってもかわいがっています。この日はビーズでネックレスを作ってあげました」
──来年3月には学校を卒業されるとのことですが、圭一郎さんの今後の暮らしで、気にかけておられることはありますか。
美佐枝さん:
本人の生活をこれから、どう守っていくかという点を気にかけています。
高齢になっていく私たちが、どこまで面倒を見られるのかなという不安もありながら、これまでいろんな方に助けていただいたように、これからもどんどん助けてもらうことが多いと思うし、圭一郎はとても素直で、人と上手にやっていく方法を知っているので、その点は心配していません。
私はまだまだ素直になれないことがあるので、圭一郎の素直さを見習って、これからやっていきたいと思っています。
圭一郎は本当にやさしくてえらい人で、検査や手術で痛い思いをした時も、いつも健気に「大丈夫」とアピールしてくれます。本人がとても前向きで、それを言葉はなくても表現してくれます。とてもありがたいなと思っています。
コストコでお買い物。「コストコでは車椅子用のカートが用意されているので、圭一郎と一緒にお買い物ができます」
続いてお話をお伺いしたのは、大阪に住む南明子(みなみ・めいこ)さん(19)、父の安晃(やすあき)さん、母の真希子(まきこ)さん。
明子さんが今、夢中になっているのが「ダンス」。将来の夢は、プロのブレイクダンサーになることだそうです。
南さんご家族。「2023年5月、毎日放送のちゃやまちプラザでのイベント『まぜこぜ大阪』に、ダンスチーム〈Chews flavors!〉と〈SO-MA NUMBER〉の両方で参加した際、イベント参加していた『のんびり写真館』さんに撮っていただいたサイコーの家族写真です」
明子さん:
音楽に合わせて踊るのが好きです。
得意技は、トップロックとフリーズ、フットワークです。
真希子さん:
〈Chews flavors!〉と〈SO-MA NUMBER〉という二つのダンスチームに入れてもらって、いろんなイベントに出させていただいています。
──引っ張りだこなんですね!
真希子さん:
素晴らしい先生方に出会えたおかげで、刺激的で素敵なダンスチームにも出会えました。自分にはできない挑戦をどんどんやってくれる仲間です。
ダンスを披露する明子さん。「2024年10月、神戸市のメリケンパークで開催されたダンスイベントでの一枚です。このシーンは、20秒近く脚をきれいに伸ばしたまま、皆、ピタッと止まります。日々のすき間時間に筋トレをするようになり、脚がきれいに伸びるようになってきました。明子も母もフリーズが大好きです」
ダンスチームの仲間たちとのオフショット。「2024年11月、大阪府の国際障害者交流センター『ビッグ・アイ』で毎年開催される『芸術・文化コンテスト2024』にチャレンジ。その後のごほうび・打ち上げでの1枚。中央のキャップを被っている男性が〈Chews flavors!〉を生み、育ててくれているSHUNJI先生です。SHUNJI先生の周りには、いつも子どもと親たちの笑顔があります」
真希子さん:
ダウン症だからとかじゃなくて、自分自身が19歳だった頃よりも充実した日々を過ごしてくれている感じが、とても嬉しいです。
こうやってダンスを楽しみ、毎日元気に過ごせているのは、子どもの頃からランニングを細く長く続けてきたおかげかなと思っています。
明子は極低出生体重児で生まれ、さまざまな病気を持っていたので、「健康第一!」という思いがずっとありました。体を動かすことがいつも生活の中にあるように、小さい頃から一緒に走り、3キロや5キロのマラソン大会にも楽しく参加してきました。
走る時はいつも、私がリードして一緒に走っていたのですが、先日参加した大会では、母から離れて最後まで走りました。体力や精神力など、初めて娘に「追い越された」というのをずっしり感じて、子離れできていない母として、嬉しさと同時に、寂しさも感じました。娘の成長を実感する体験ができたことは、すごく嬉しかったです。
2024年11月、和歌山ジャズマラソンに参加した時の一枚。「3回目の参加でした。明子は5kmを走りました。最初は地元開催のファミリーマラソンから始まり、今では参加するマラソン大会が増えてきました。やはり毎回、最初は緊張しますが、どの大会も温かくて『また来るゾ!』と思えます」
──明子さんは、今年二十歳になられるんですね。
明子さん:
明子は、12月に二十歳になります。
──お父さまお母さまとして、20年を振り返っていかがですか。
また、これから楽しみにしておられることはありますか。
安晃さん:
ここまで育ってくれて嬉しいし、よかったなと思います。
二十歳になったら、一緒にお酒を飲みたいですね。居酒屋に行く予定です。
──確かに!明子さんは何か飲みたいお酒はありますか?
明子さん:
うーん、明子はビールかな。大人っぽいお酒が飲みたいです。
2019年5月、兵庫県三木市の三木ホースランドパークでホーストレッキングをした時の1枚。「旅行やお出かけは動物のいる場所が多く、ホースランドパークはお気に入りの場所です。動物が好きで動物にも好かれる明子は、乗馬中に、馬とのおしゃべりも弾みます」
真希子さん:
生まれた時は、今の状況を想像できませんでした。
大変な時もあったけれど、今、本人が成長して、"描いていた未来"以上の充実した毎日を過ごしてくれているのが、嬉しいです。
明子が小さい頃は、たくさんの人に囲まれてかわいがってもらい、いつも助けてもらえるようになればいいなと漠然と思っていました。だけど今、それを本人が望んでいるかと問われたら、それはわかりません。
そういう状況になると本人も嬉しそうな様子の時もありますが、それがいつも一番に望んでいることかというと、それは違ったのかもしれない。親として、我が子に勝手な理想を持っていたけれど、それはちょっと違ったのかもしれないなと、最近やっと思えるようになりました。
2024年4月、大阪の「南港サンセットホール」で開催されたダンスイベントに〈SO-MA NUMBER〉で参加した時の一枚。「とても雰囲気の良い綺麗な会場で、会場の皆さんとも気持ちが一つになれたような体験ができました」
真希子さん:
「障がいがあるからかわいがってもらえるように」「障がいがあるから何でも手伝ってもらえるように」と思うのは私のエゴで、当の本人は「まずは何でも自分でしてみたい」という思いが強い人です。
現在通っている自立訓練事業所「ぽぽろスクエア」さんは、「プロのブレイクダンサーになりたい」という、本人の夢と現実の自分をつなげるいろいろな過程を大切にしてくださるところで、少しずつ、自分の想いを言ってくれるようになってきています。
子ども時代は、親としていろいろと先に進めがちだったけれど、本人が自分の意思で決定できる力を作るお手伝いをしながら、その決定になるべく口出しせず、本人の望む生活に協力できたらいいなと思っています。
2025年2月、明子さんが通う自立訓練事業所「ぽぽろスクエア」1年生の授業風景。「『今回の記事に写真を載せたい』とスタッフさんに相談をしたら、みんなで撮影に協力してくれることに。『クラスゼミ』という授業中で、生徒みんなでいろいろなことを話し合い、自分たちでまとめていきます。スタッフさんは見守るのみ。撮影は、みんなちょっと固くなっているけれど…、いつもは活気にあふれたクラスです。手前のグレーの服が明子です」
真希子さん:
明子は自閉スペクトラム症があり、コミュニケーションや思考に偏りがあります。
時間の経過や人の気持ちなど、目に見えないものの理解が難しく、学校に通っていた頃は、人間関係のトラブルが何度かありました。
たとえば、明子が一緒に遊びたいと思えば、明子にとって相手の気持ちというのは存在していないので、思った反応がないと理解できず、怒りを爆発させ、その感情を相手にぶつけていました。「ぶつけて完了」なのでトラブルになるのです。
吹き出しなどを使って「相手にも気持ちがあるよ」ということを、本人がわかりやすいように見える化して、徐々にトラブルも減ってきました。
今は、自分が何かしたいとなった時に、そこに対して今何ができるのか、それをするためにどうしたらいいのか、これが足りないなとか、周りの人はどうしているのかなとか、そういったことが少しずつ考えられるようになっていて、頼もしく感じています。
2023年5月、ダンスで参加したイベント「まぜこぜ大阪」にて。「〈Chews flavors!〉と〈SO-MA NUMBER〉のメンバー全員集合で撮影。明子(写真前から2列目、右から2番目)は、みんなからたくさんの刺激をもらっています」
2005年12月、病院のNICUにて、生後7日目の明子さんを抱く真希子さん。「母もまだ同じ病院に入院中。明子は酸素を鼻から送る機械をつけてはいますが、なんとか自分で頑張って呼吸をしてくれていました。NICUに入院していた3ヵ月間は、いろいろ考える時間になりました。この時に『無事に退院ができたら、私がこの子の健康と笑顔を守っていこう』と心に決めました」
──明子さんが生まれた時のことを教えてください。
真希子さん:
予定より2ヶ月早く、緊急帝王切開で生まれました。1,052グラムでした。
生後3日目に「染色体異常の疑いがある。検査しましょう」と言われました。検査の必要性について、「これだけ一つひとつの症状に対処しているのに状態は悪くなっている。うまく歯車が噛み合わない。こういう時、僕たち医者は染色体異常を疑います」という説明でした。私はこの説明がストンと胸に落ち、動揺もしましたが、納得して検査に進みました。
検査結果を告げられた頃には、母性が芽生えていました。
とにかく本人がしんどそうで、「ダウン症はわかったので、治るものは全て治してあげてください」と先生にお願いしました。すやすやと眠らせてあげたかったんです。
──そうだったんですね。安晃さんはいかがですか。
安晃さん:
ダウン症と聞いた時、すぐに受容できたかというと、正直そうではなかった気がします。奥さんがすぐに受容して前を向いていたので、それで僕もちょっとずつ受け入れていけた感じです。
でもその後、目とか耳とか心臓とか頸椎とか次から次へと病名がついて、その度に頭に石が落ちたようにガーンとなって、またそれを受け止めてという繰り返しでした。
真希子さん:
生まれてからの入院3ヶ月の間、夫は仕事で帰宅が遅かったのですが、毎日、病院まで会いに来てくれました。
2007年12月、明子さんの2歳の誕生日に、安晃さんと。「祖父母たちも集まって、2歳のお誕生日をお祝いをしてもらっていた時に撮った一枚です。生まれてすぐの頃は体重が1キロしかなかったし、からだは低緊張でグラグラだし、『立てるようになる?歩くことはできるのか?』、父親として、どうなるんだろうという不安な気持ちが大きかったです。でも、スピードはゆっくりながらも確実に成長し、一緒に遊べるようになって、この頃にはマイナスな気持ちはなくなっていて、明子と遊ぶのが超楽しかったですね」
──どんな気持ちで会いに来られていたんでしょうか。
安晃さん:
うーん。どうだったのかな。
会いに行っても管だらけだし、動かないし、だけど会いにいかないといけないって思っていたんですかね。責任感もあったし、子どもの障がいのことや現実の状況を受容するために会いにいっていたのかもしれません。
少しずつ症状がよくなって触れ合えるようになると、かわいいなと思うことが増えました。
体が小さくて、頭なんて手のひらにすっぽり収まりました。NICUでの沐浴ではサラダボールくらいの容器に体がすっぽり入っていました。本当に小さかったです。
2013年2月、7歳の頃の明子さん。自宅での一枚。安晃さんが作ったウクレレを「チター(ギター)」と言いながら、ノリノリで歌って弾いて躍る明子さん。「幼い頃からおもちゃや道具を上手に使って遊び、ユニークな発想をもっている子でした。当時の好きなものは、恐竜・動物・オバケ・鬼・妖怪・モンスター・働く車・ウルトラマンなど」
2025年2月、19歳の明子さん。「毎日1時間30分をかけて、電車と徒歩で自立訓練事業所へ通っています。白杖・補聴器・スマホ・防犯ブザーと、フル装備です。進路の選択肢が増えるようにと、高校の3年間、視覚支援学校の先生に月に2回の歩行訓練をしていただき、一人で安全に移動することを身につけました。3年間の歩行訓練が完了した時は、すごく自信もついた顔つきになっていました」
──今回の世界ダウン症の日の標語にちなみ、「サポート」について、お二人が思われることを聞かせてください。
安晃さん:
いつも明子が踊るダンス会場に行くとね、すごいんです。
明子のダンスチームの仲間は皆が、なにかしらの障がいをもってるんですけど、自然とお互いに助け合ったりしてるんですよ。ダンスバトルでは健常の子と同じ土俵で戦ったり、バトルが終わるとお互いにリスペクトをするんです。障がいの有無というのが、全然関係ない空間なんです。
大きいことをいうと、世界中がそんなふうになったら良いと思う。障がい者という言葉を使う必要のない世界が来たらいいなと思います。
真希子さん:
この子が生まれて3日目に「染色体異常の疑いがある」と言われた時に、「異常」という言葉がすごく耳に残りました。でも同時に、その「異常」が、私たち家族にとっては「普通」になっていくんだろうなという確信もありました。
その感覚が、世界中にあればと思います。知れば、それが当たり前になるし、普通になるんです。
2011年1月、5歳の頃の明子さん。「兵庫県立こども病院で、5歳のお誕生日の日に、環軸椎不安定症の固定術を受けました。術後は大変な装具を着け、首を完全固定した状態で3ヵ月の入院生活を送りました。この手術が必要だと言われた時は、首の大切な所を手術することや術後の生活を考えては毎日涙があふれていましたが、ある時、急に『今から元気になれるんだ!』と気持ちが切り替わり、前向きになることができました。入院中の明子はとても頑張ってくれて、笑顔で過ごせた3か月間でした。写真は『今からごはんだー』のガッツポーズです」
安晃さん:
出生前検査が比較的手軽で安全なものになりましたが、検査の結果で染色体異常の疑いがあると、表現が難しいですが、残念な選択をしてしまう割合が多いと聞きます。
染色体異常のことや公的サポートの制度的なことなど、知らないことが多いと不安な気持ちが大きくなるのは仕方がないと思います。
僕らが楽しく、いや楽しくなくても、ふつうに幸せに生活していますよ。ということを知ってもらうことで、決断を変える人もいてるんじゃないかと考えたりもします。
2024年12月、東京にて。「今回の啓発ポスターの撮影のために東京を訪れた際の一枚です。撮影終了後は、東京観光で東京タワーへ。夜の東京タワーは、とても幻想的で感動しました。写真は、明子が『明子が自撮りで撮りたい』と撮ってくれたものです。明子自身が、この記事に載せてもらいたいと思って選んだ写真です」
安晃さん:
大変なこともあるけれど、成長の喜びを一緒に感じられることは、どんな家族でもきっと同じ。
「幸せですよ。楽しいですよ!」って言いたいですね。
──明子さんはいかがですか。お父さんやお母さんに、伝えいたいことはありますか。
明子さん:
明子は、家族がいて本当に幸せで、楽しい空間です。
お父さんとお母さんと、一緒においしいものを食べるのが幸せかな。
皆さまへのインタビューはオンラインでしたが、「世界ダウン症の日2025キックオフイベントin京都」ではJAMMINもブース出展させていただき、明子さん、安晃さん、真希子さんにお会いすることができました!明子さんが手にしてくださっているのは、今回のワンポイントデザイン(明子さんの推しのカラーで塗ってくださっています)。こちらもとってもかわいいです!ぜひチェックしてくださいね!
「世界ダウン症の日2025キックオフイベントin京都」での一コマ。11年前の「ここにいるよ」のポスターと、今回のポスターを見比べ
ダウン症のある人が、周囲の人たちの理解やサポートを得ながら、幸せで豊かな生活を送れるように。日本ダウン症協会では毎年、啓発ポスターを制作し、希望の方には無料で配布しています。
・世界ダウン症の日2025啓発ポスター 特設ページ
・世界ダウン症の日2025啓発ポスター メイキング動画
今回のチャリティーアイテムをご購入いただくごとに700円(キッズアイテムと雑貨は100円も選べます)が日本ダウン症協会さんへとチャリティーされ、啓発ポスターの制作費(メイキング動画含む)、ポスターを希望された方への配送料として、また2025年11月15日、16日に開催される第5回日本ダウン症会議の開催費用として活用されます。
お互いをサポートしながら、楽しく明るい社会を築いていきましょう。
3月21日の「世界ダウン症の日」に向けて、ぜひ、チャリティーアイテムで一緒に盛り上げていきましょう!
「皆さーん、今年も全国各地で盛り上げていきましょう!よろしくお願いします!」
【2025/2/24~3/2の1週間限定販売】
世界ダウン症の日2025テーマは「Improve our support systems」。
このテーマに込められた想いをもとに、「サポートしてくれる家族や仲間、一緒にいる仲間と、笑顔いっぱいの毎日を!」そんな気持ちを表現しました。
モチーフは、みんなが大好きな「スイーツ」。自分や大切な人と過ごす「ほっこり笑顔の時間」をお届けしたい。そんな想いが詰まっています。
21番目の「3つ」は、ショートケーキとケーキ箱。
おいしいものを仲間と一緒に楽しむ幸せ、自分の「好き」を大切に、好きな場所で好きな人と過ごす喜び。そんなあたたかい気持ちを、ギュッと詰め込んでいます。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!