CHARITY FOR

「友だちと一緒に、大人になろう」。希少難病「ローハッド症候群」を知ってください〜ROHHAD症候群家族会(一般社団法人ローハッドJAPAN)

「ローハッド(ROHHAD)症候群」を知っていますか。
主症状であるRO(Rapid onset Obesity、急性発症肥満)、H(Hypoventilation、低換気/呼吸異常)、H(Hypothalamic、視床下部)、AD(Autonomic Dysfunction、自律神経機能不全)の頭文字をとって名付けられた、日本国内では2007年に初めて医学論文に詳細が報告されたという、非常に新しく、また診断されているのは現在日本で30人ほど、世界中でも200人ほどという非常に稀な難病です。

急な肥満、斜視、発汗異常や多尿症、胃腸障害などさまざまな症状が見られるものの、医療現場においても疾患が十分に認知されておらず、診断がつかずに悩んでいる当事者と家族は少なくないと言います。

「診断がつかず、症状の原因がわからない状態で、自分のことを責めてしまったり、孤独を感じながら過ごしている方々がいます。
当事者の家族会として、まだわからないことが多いこの病気のいろんな情報を共有しながら、『孤立せずに一緒に大人になる』ことを目指して活動しています」

そう話すのは、ROHHAD症候群家族会(一般社団法人ローハッドJAPAN)の日浦佳奈(ひうら・かな)さん(35)、渡辺未来(わたなべ・みく)さん(36)。
ローハッド症候群の子を育てる母として、お話を聞きました。

今週のチャリティー

ROHHAD症候群家族会(一般社団法人ローハッドJAPAN)

希少難病であるROHHAD症候群と向き合い、日々闘っている子どもたちとその家族を支援するために2019年に活動を開始。患者とその家族のQOL(生活の質)向上を目指しながら、医療関係者への啓発、治療法確立のために活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2026/01/12

医療関係者にもまだまだ知られていない
「ローハッド症候群」啓発のために活動

日浦さんと息子の奏輔さん。「奏輔は鉄道が大好きです。旅行先では必ず鉄道に関するところも楽しみます。電車や車での移動中、長く歩いて休憩が必要な時など、合間を見て呼吸器をつけています。呼吸器をつけていても、たくさんおでかけしています」

──最初に、活動について教えてください。

日浦:
ローハッド症候群というまだ新しい希少難病を、まずは医師をはじめとする医療関係者の方に知っていただきたいという思いから、学会などでの啓発を中心に活動しています。

元々、2014年にローハッド症候群の診断を受けた子どもの母親である橋本代表が、2019年に任意団体を立ち上げて活動を開始しました。情報が不足している中で患者家族が繋がりQOLの向上を目指して7年間の活動を続けてきました。

さらに、医療者に広く認知してもらうことで早期診断や予防治療につなげ、治療法の確立と指定難病に認定されることを目指して、2025年に「一般社団法人ローハッドJAPAN」として新たなスタートを切りました。

──どのような病気なのですか。

日浦:
ローハッド症候群と診断されているのは世界に200名、日本にもたった30名ほどで、医療職の方にもまだまだ知られていません。現在のところ、国の「指定難病」や「小児慢性特定疾病」にもなっていません。

具体的な症状としては、急な肥満や呼吸器障害、便秘や斜視などがあります。
今のところはっきりした診断基準はなく、呼吸器の症状が非常によく似た疾患として低換気(体に必要な換気の不足により体内の二酸化炭素が増え、酸素が不足する状態)の「先天性中枢性低換気症候群(CCHS)」という遺伝子疾患があります。
CCHSかを調べる遺伝子検査をして陰性が確認された場合に、さまざまな症状を総合的に判断して診断されることが多いようです。

見た目でわかりやすい点としては太っていること、怒りやすかったりイライラしやすいこと、見た目ではわかりにくい点として、ホルモンなど内分泌系でさまざまな症状があります。

ローハッド症候群を知ってほしいと、家族会としてさまざまな学会に参加している。「日本小児科学学会、日本小児内分泌学会、日本小児看護学会、日本小児保健協会学会、日本小児呼吸器学会など、疾患に関連する学会に参加し、家族会展示を行っています。立ち寄ってくださる方にリーフレットや子どもたちの具体的な症状を記した冊子を配り、ROHHADという病気を知ってください、まだ小児慢性特定疾病にも指定されていない希少疾患です、と伝えています。家族会のメンバーや研究している医師、支援してくれている方などに会える貴重な機会です」

肺炎が、ローハッド症候群と診断されるきっかけに

家族会の子どもたち。「ぽっちゃりしている子が多いです。体が大きいわりに背は低い子もいます。斜視の中でも、外斜視と言って片方の目が外側を向いている子が多いのも特徴の一つです」

──日浦さんは、お子さんがローハッド症候群と診断されたそうですね。

日浦:
はい。9歳になる息子の奏輔(そうすけ)は、7歳の時にローハッド症候群と診断されました。診断のきっかけは、体の中の酸素濃度が低下して緊急搬送されたことでした。

その日は熱があり、「風邪をひいたかな」という状態で、本人も眠気が強いようでした。
私は看護師をしているのですが、息子の顔があまりに白いので、気になって血中の酸素を測定したんです。

すると正常であれば90台後半、肺に疾患がある人でも90前半〜80台後半はあるはずの血中酸素飽和度が、50数%しかありませんでした。あまりに低いので「測定ミスかな」と思ったぐらいです。このぐらいの数値になると、意識障害が起きたり呼吸困難が起きたりしてもおかしくありません。

医療機器を装着して病院で過ごす奏輔さん。「Vivo45という人工呼吸器を使用しています。低換気により『CO2ナルコーシス(血液中の二酸化炭素が蓄積して脳機能が低下し、意識障害が起こること)』を起こしやすく、体調不良時などは特に気をつけなければなりません。二酸化炭素を測定する機械は市販されておらず、かつとても高価です。入院中は皮膚を通して測定できる機械があり、家族会ではよく『家でも二酸化炭素が測定できたらいいのに』と話しています」

日浦:
しかし息子の場合は、ただ「眠い」と。おそらく、以前から体の酸素は徐々に減っており、体がそれに順応していったために、これだけ低い値でも意識があったんだと思います。

奏輔はこの時マイコプラズマ肺炎に感染していたのですが、それによってローハッド症候群の主症状のひとつである呼吸器の異常が一気に顕在化したのではないかと思います。

肺炎が治った後も、ずっと体内の酸素が低い状態が続き、いろいろと検査をしたのですがその原因がわからず、呼吸器をつけて退院することになりました。小児呼吸器専門の先生がいる別の病院に移ったところ、先生がローハッド症候群をご存知で、そこで診断につながったという流れです。

診断されてから、その症状を調べてみると、それまで悩んだり疑問に感じたりしていたいろいろなことが、実はローハッド症候群の症状だったことがわかりました。

──たとえばどんなことですか。

日浦:
ひとつは、急激な体重の増加です。
奏輔は妊娠・出産も特に大きなトラブルもなく、すくすくと成長していましたが、3歳の検診の際に「身長はあまり伸びていないのに、体重がすごく増えている」と指摘を受けました。

特に食生活も変わっていないのに、半年間で4キロほど、一気に体重が増えたんです。
まだ子どもだし、これから身長も伸びていくだろうからという思いもありつつ、外食が多いわけでもないし、献立にも気をつかっているし、何よりそんなに食べていないのに、なぜ太るんだろうとずっとモヤモヤしていました。

ローハッド症候群の子どもたちは、他の子と同じ量を食べていても体重が増えてしまうという特徴があります。
この“太りやすさ”は、生活習慣ではなく病気の症状によるものでした。

──そうだったんですね。

「奏輔は食べることが大好きですが、人よりたくさん食べていたわけではないです。特別な日は特別だけど、それ以外はできるだけ低カロリーのものを意識していました。しかし周囲からは理解されず、太っている奏輔を見て『そうは言っても食べさせているんでしょ』と心無い言葉を受けたこともあります。身長が伸びないのに体重ばかり増えていくので、親である自分を責めることもありました」

日浦:
低身長については、私も身長が低いので「遺伝性のものかな」とあまり気にしていませんでしたが、5歳の時に成長ホルモン分泌不全性低身長症という診断がつき、治療を開始していました。

また6歳の時には、眼科検診で左目の斜視を指摘されました。これもローハッドの特徴的な症状です。便秘もそうです。あまり出ないし、お腹がいつも張っていました。ローハッド症候群と診断がついてから、「あれも、これも病気の症状だったんだ」と思いました。

生まれて間もない頃の奏輔さん。「妊娠中は特にトラブルはなく、産休に入るまでしっかり働けました。初産ですが3~4時間ほどの安産で、出生体重(3165g)・身長(48.4cm)も平均でした。3歳頃までは小柄で痩せていました。あまり泣かず、よく笑い、とてもかわいい息子です。
私は看護師として小児疾患や障害についてのさまざまな知識がある分、子どもを持つことに対しては、常に脳裏のどこかに不安がありました。世の中には多様な疾患や障害を抱えて生きている子どもたちがいることを知っているからこそ『健康で、いわゆる“普通”に成長してくれることが一番だ』と願い、自分の子に何かがあるのではないかと心配していました。それでも問題なく成長を重ね、小学生にあがる頃には『もう大きな心配はなさそうだ』と漠然と感じるようになっていました。その矢先の発症だったため『今になって…』という思いが、強く残りました」

人工呼吸器、食事、服薬…、
日々の生活には、さまざまな制限も

学校の教室にて。「呼吸器が必要となり、学校がすぐに専用のコンセントを設置してくれました。席は固定になりますが、呼吸器をつけてみんなと一緒に勉強しています」

──普段の生活について教えてください。

日浦:
普段は他の子と変わらず普通学級に通い、勉強もしています。太りやすいので食事管理は続けており、今は適正な体重を保っています。

呼吸に関しては、就寝中、人工呼吸器をつけていないとほぼ呼吸が止まってしまうので、寝る時は必須です。日中もできる限り、つけていた方が良いと言われているので、学校や友達のところに行く時も、人工呼吸器を持っていきます。

人工呼吸器は外部バッテリー込みで3キロほどあり、今は学校の行きと帰り、私が持ち運びを手伝っていますが、いずれは自分で持ち運ばなければありません。
あとは、内分泌的な症状がいくつかあるので服薬もしています。

人工呼吸器の入った手製のリュックを背負う奏輔さん。「専用かばんはショルダーバッグになっていて、子どもには肩への負担が大きく、運ぶことが難しいです。また専用かばんでは、かばんに入れたまま呼吸器を使用するということはできません。運びながら換気もできるかばんが必要だったので、犬猫用のリュック型のキャリーバッグを購入し、少し手を加えて代用しています。呼吸器がすぐに装着できて、最低限の荷物を入れることもできるので、おでかけの時に使用しています」

──運動などはしても良いのですか。

日浦:
主治医の先生から「20分以上の運動はNG」と言われています。体育の授業には参加できますが、長く運動しすぎないようにして、合間に人工呼吸器をつけるようにしています。

太りやすいので、楽しみを奪うようでとても心苦しいですが、おやつや学校の給食もコントロールが必要です。
今は私がいろいろと管理していますが、息子が成長した時に、たとえば友達と遊びに行くのに呼吸器を持っていく煩わしさに耐えられるか、食べものを自分でコントロールできるのかといった不安もあります。

奏輔さんのお弁当。「糖質を取りすぎないように気をつけています。朝と昼はお米は130gで、給食でも測ってもらってます。夜はお米やイモ類は出さないので、丼ものや麺類、カレーなどは作りません。手間はかかりますが、野菜を多くして、お腹いっぱい食べられるように工夫しています。長期休暇の学童でお弁当が必要な時も、毎日ヘルシーなメニューにしています」

日浦:
でも、本人の人生なので、ちゃんと自分の体のことを理解した上で自立できるように、一つひとつ、病気のことに関しても包み隠さず本人が納得できるよう説明するようにしています。

他の人と違うので、どうしても周りの目が気になってしまう時があります。
でも、それを意識したら、どんどん外に出られなくなってしまいます。「奏輔にとっては、これが普通なんだよ」ということ、人と違うことに対して、恥ずかしさやためらいを持たずに生きていってほしいと思っています。

「自律神経障害のひとつに、痛覚異常があります。家族会でも『痛いはずなのに泣かなかった』という話をよく聞きます。写真は4歳の頃、シーソーに顔をぶつけて鼻血を出したにも関わらず、泣かなった奏輔です。鉄棒に頭を強打したり、物を落として爪が剥がれたりした時も泣きません。本人は『痛いのは痛いよ。でも泣くのは我慢した』と言います。もちろん、寂しいときや悲しい時は涙を流します」

「友だちと一緒に大人になろう」

「人工呼吸器を外して、友だちと外を駆け回ることもできます。たくさんの友だちが、“病気で呼吸器や薬が必要”と理解してくれて、診断前と変わらず仲良くしてくれています」

日浦:
家族会として「友だちと一緒に大人になろう」というメッセージを発信しています。この言葉は、奏輔とのやりとりの中から出てきたものです。

診断されて半年ほど経った頃、奏輔に「僕は呼吸器をつけているからさ、他の子より早く死ぬの?」と聞かれたことがありました。「本人にそんなふうに思わせていたんだ」と思いながら、簡単に「治るよ」とも言えないし、「お薬を飲んで、呼吸器をちゃんとつけていたら、皆と一緒に大人になれるよ」と伝えました。

病気による制限は、この先も出てくると思います。
だけど「病気だからできないこと」を見るのではなく、「これはできないけど、これはできる」とか「ここまではできる」というように、負い目を感じず、皆と同じ空間で、成長していってくれたら嬉しいなと思っています。

2025年夏、大阪関西万博へ。「入念に計画を練って、たくさんのパビリオンに行きました。並んでいる時間も長かったですが、呼吸器をつけて休憩する時間に充てました。重い呼吸器をずっと背負っているのは大変ですが、大屋根リング越しの花火も見ることができて大満足の一日でした」

──奏輔さんは、どんな存在ですか。

日浦:
「僕は呼吸器をつけなくちゃいけない」というのを理解してくれていて、遠足の時に「じゃあ、僕が持つね」と背負って行ってくれたり、お薬も毎回、私が言わなくてもちゃんと飲んでいて頼もしいです。私が疲れていたり悲しんでいたりすると慰めてくれて、そんな優しさにも日々、救われています。

一見すると、大きな病気を抱えているようには見えないかもしれません。しかし海外の症例では、ローハッドは突然死が多いことが知られています。
昨年11月、奏輔はインフルエンザをきっかけに痙攣を起こし、心臓マッサージで一命をとりとめました。

それでも私は、この子を「こんなふうに産んでしまってごめんね」と思ったことはありません。奏輔は生きるために、私たちを選んで生まれてきてくれた──そう確信しています。
「あの場にお母さんがいたから助かった」「日浦さんだったから救えたんだよ」と、たくさんの人が声をかけてくれました。その言葉に支えられながら、私自身も、この子の母親が私でよかったのだと、胸を張って言えるようになりました。

突然命が失われる可能性と常に隣り合わせの病気だからこそ、1日1日を大切にしたい。
奏輔の「これをやってみたい」を流さず、今この時間を一緒に生きて、笑顔を重ねていきたいと思っています。

「じぃじに買ってもらったランドセルを背負って、桜を見に行きました。とても嬉しそうで、楽しそうな奏輔。大好きがあふれる、最高の笑顔です」

急な肥満、便秘…。
成長の過程で感じていた、さまざまな違和感

渡辺さんと瑚々ちゃん。退院後、自宅にて。「何気なく一緒に撮ろうとシャッターを切ったら、きちんとカメラ目線をしてくれていることに気づき、愛おしさが込み上げました。同じ空間で、同じものを見て過ごしている。『一緒にいるんだな』と実感させてくれる一枚です」

──ここからは渡辺さんにお話をお伺いします。
渡辺さんは、娘さんがローハッド症候群と診断されたそうですね。

渡辺:
はい。この4月に小学校1年生になる娘の瑚々(ここ)が、3歳の時にローハッド症候群と診断されました。家族会のメンバーの中では珍しく、寝たきりの生活をしています。

──発症までの経緯を教えてください。

渡辺:
妊娠・出産は問題なく、2歳ぐらいまではごく普通に成長しました。ただ、成長の過程でいくつかの違和感はあって、瑚々の場合は、1歳までにひどい便秘と、目の外斜視が出てきました。

生まれて間もない頃の瑚々ちゃん。「妊娠・出産ともに大きなトラブルはなく、つわりもなく、穏やかな時間を過ごさせてくれました。予定帝王切開で元気な産声をあげて生まれてきたココ。赤ちゃんの頃から自我がはっきりしていて、激しいけれど面白い子だなと思っていました。自分にそっくりで、『とにかくそのままのあなたのまま、楽しく人生を歩んでほしい』と願っていました」

渡辺:
便秘は、ひどい時は1週間ほど続き、小児科にもかかりましたが「様子を見ましょう」ということで、綿棒浣腸をしたり薬を飲んだりして対応していました。
斜視についても眼科で検査をしてもらったのですが、特に異常はなく、こちらも「定期検診で様子を見ましょう」ということでした。

そのような感じでどちらも経過観察だったのですが、1歳を過ぎた頃から急激に太り始めました。それまでは痩せ型だったのですが、急に体重が2キロも3キロも増え始め、2歳の頃には身長80cmなのに、服のサイズは130や140になっていました。

太り始めの頃は「やっとむちむちしてきてくれた」と楽観的に捉えていたのですが、どんどん体が大きくなり「何かおかしいのではないか」と疑問を感じるようになっていました。

最も太っていた頃の瑚々ちゃん。「動物が大好きなココのために、家族で牧場へ遊びに行った時の一枚です。暑い日だったけれど、うさぎやポニーに大喜びでした」

渡辺:
保育園にお迎えに行くと、体が大きくてとても目立ちます。
体が動かしづらそうだし、お友達と遊具で遊ぶ時に仲間に入れてもらえなかったりして、まだ2歳、本人はあまり気にしている様子はありませんでしたが、親として内心「痩せさせないといけない」と思っていました。

当時はローハッド症候群なんて知らないわけで、「そんなに食べていないのに、なぜ?」と思いながら小児科や保育園の先生にも相談しましたが、納得できる答えは見つからず、モヤモヤしながら過ごしていました。

──食べているものは変わらないのに、どんどん太っていったのですか。

渡辺:
はい。当時、偏食の瑚々が食べていたのは、納豆ごはん、ひじきの煮物、トマト、ラーメンでした。太るのはラーメンのせいだと思いたかったのですが、とはいえ週に何度も食べるようなものではありません。

お菓子を控える、野菜スープを食べる…いろんなアドバイスを実践しましたが、そもそも食べていないのにどんどん太っていくんです。不思議で仕方ありませんでした。

瑚々ちゃんの2〜5歳の体重・身長の推移。「発症時と考えられる時期から更に体重が一気に増え、身長は伸びない状態が続きました。現在、体重は標準に落ち着いています」

寝ている状態で意識を失い、
緊急搬送された瑚々ちゃん

──診断のきっかけを教えてください。

渡辺:
2歳10ヶ月の時、肺炎になったのが最初のきっかけです。
ある夜、39度の熱が出ました。ただ、熱がある以外は本人もいたって普通で、食欲もあるし、その日は解熱剤を飲ませて寝かせました。翌朝、まだ少し熱っぽかったので保育園は休みましたが、日中には36度台まで下がりました。

当時はコロナ真っ只中。小児科の受診には少し抵抗がありました。熱も下がり、本人も元気そうなので、その日は二人で近くのスーパーに買い物に行ったり、お昼ご飯を一緒に食べたりして過ごしました。

「恥ずかしがりやで内弁慶。1歳半頃からおしゃべりが達者で、おませな一面もありました。面白いことが大好きで、ふざけて周囲を笑わせ、家の中はいつもココの笑い声で賑やかでした。感情表現が豊かで大変な時もありましたが、動物やお世話が大好きな、心優しい子でした。お人形ごっこやおままごとをよくして遊んでいました」

渡辺:
ただ…、この時も実は違和感があって、ふとした時に本人の唇の色が気になったんです。「唇って、こんなに紫だったっけ?」と。でも次に見た時は赤色に戻っていたりして、気のせいかなと思いながら過ごしました。

帰宅後、いつもはお昼寝もしないぐらい元気いっぱいなのですが、「ちょっと疲れちゃった」と言って寝てしまいました。夜に起きてきた時は唇の色も戻っていて、安心していつも通りの夜を過ごしていました。

夜の10時ぐらいだったでしょうか。熱があることに気づき、測ってみると40度を超えていました。熱のせいなのか笑ったり激しく動いたりと興奮状態が続き、なかなか寝つけません。とりあえず解熱剤を飲ませ「明日、小児科へ行こう」と思いました。

翌朝、いつも起きる朝の7時を過ぎてもまだ寝ていたので、気になって様子を見ると、寝た時から全く寝相が変わっていないことに気づきました。声をかけても反応はなく、体動かしてみるとゴム人形のようでした。全く意識がない状態だったのです。
慌てて救急車を呼び、待っている間、じぃじ(渡辺さんの父)が蘇生処置をしてくれました。
後で聞いたのですが、この時、喉から気管まで痰があふれ、気管が塞がってしまっていたそうです。ローハッド症候群特有の呼吸器の弱さと肺炎が重なり、瑚々は寝た状態で意識を失っていたのです。

肺炎で入院した際の一枚。「初めての入院。勝手が分からず、ココにどこまで触れていいのかも分からない状況でした。ココは入院当初、せん妄(身体に負担がかかった時に表れる意識の混乱)が出るほど不安が強くありました。個室を取り、おもちゃを持ち込むことで、少しずつ落ち着きを取り戻していきました。先のことへの不安はありましたが、目の前の日々に追われていました」

一度退院するものの再度入院、
気管切開を受けることに

「許可を得て病室におもちゃを持ち込み、入院中も毎日、思う存分遊んでいました。人形やぬいぐるみのお世話をしたり、病棟内を散歩したり、シールやブロックで過ごすのが日常になっていました。もともと外遊びがあまり好きではなかったことが、この入院生活では良かったと思いました。周りに医療機器がない頃は『なぜ入院しているの?』と聞かれるほど元気でした」

渡辺:
意識の回復とともに、肺炎も2、3日で治ったのですが、先生から「小児でここまで肺炎が重篤になるケースは滅多にない。原因が見つかるまで退院が難しい」と言われました。
体のあちこちを調べても特に異常は見つからず、「症状から見て、CCHSだと思います」と告げられました。

CCHSかを調べるための遺伝子検査を受け、結果を待っている間、病状が進行してしまうのですが…。

病院搬送が6月の半ばで、7月末が瑚々の誕生日だったので、この時に一度、酸素濃縮器を借りて退院しました。「酸素濃縮器は寝ている時だけ使えばいいよ」と言われていたんですが、帰宅してから、心配で酸素を測ってみると、80%もありません。

一時退院で3歳の誕生日を祝った時の一枚。「家に帰ると、いつも通り猫をかわいがり、じいじ、ばあばと一緒に誕生日プレゼントを選びに出かけました。食事もケーキも、お腹がいっぱいになるまで大喜びで食べ、本人は変わらず元気に過ごしていました。私は酸素が気になって落ち着きませんでしたが、本人にとっては、楽しいひとときだったと思います。少しでも家に帰って来られて、本当に良かったと思います」

渡辺:
正常な人の場合は90以上、CCHSだとしても90前半が望ましいと言われていた値ですが、実は入院中から、少しずつ日中の酸素の値が下がっていると感じていました。家で過ごしつつ、測るたびに酸素は80%もない状態で、二日後には65%まで落ちていました。

退院から二日後の夜に再び入院するのですが、実はこの日、日中に一度、病院に行っているんです。でも本人は元気そうで、「きっと計測器の不具合だと思う」ということで、二人で家に帰りました。

私はすごく心配性なので、家に買ってあった他のいくつかの計測器でも測ってみました。どれも同じように数値がすごく低く、本人の顔も白くて「やっぱりおかしい」と思い、夜にもう一度、病院へ行きました。
たまたま主治医の先生が当直で、「一応、入院しましょう」ということになりました。

この時はまだ、その入院が1年以上続くことになるとは、思いもよらないのですが…。

「パルスオキシメーター(写真左)は、指に挟んで体内の酸素飽和度を測る機械。黄色のものは子ども用で、ほかは大人用ですが、すべてメーカーが異なります。指のサイズや挟みやすさに合わせ、複数を用意して使い分けていました」

渡辺:
翌日、瑚々は体内の酸素不足と二酸化炭素が溜まったことで意識を失いました。
この時、医師から「積極的な呼吸管理が必要です」と言われました。つまり、気管切開をした方が良いということです。それを聞いた時は本当にショックでした。

気管切開のことは、しばらく自分の両親にも言えずにいました。
だけど目の前の瑚々はどんどん体調が悪化していくし、夜間だけでなく日中も、酸素とマスク型人工呼吸器が手放せなくなっていました。「バイパップ」というマスク型の人工呼吸器は、3歳の瑚々にとっては違和感のあるもので、夜中に自分で呼吸器を外してしまったりして、この後も2度、意識障害を起こしています。

気管切開手術を受ける前、バイパップを装着する瑚々ちゃん。「バイパップは何度も試し、機器の種類を変えながら本人も頑張っていました。夜間は徐々に装着できるようになりましたが、バイパップをつけているため寝返りが打てず、うつぶせ寝を好んでいたココには窮屈だったかもしれません。毎晩、ココが寝た後に装着する必要があり、その時間はいつも緊張していた私。それでも、朝まできちんと装着したまま眠り、起きてからも静かに遊んでいる日もあり、ココの順応の早さに助けられました。日中は酸素が必要でしたが食事はよく食べ、元気に過ごしていました」

渡辺:
今のままではよくない、何よりも「瑚々を楽にしてあげたい」という思いで、2週間ほど悩んだ挙句、気管切開を決意しました。
この時はまだ、おしゃべりしたり、食べたり飲んだり、体を動かしたりというのは、普通にできていました。体はしんどかったはずですが、持ち前の元気さでカバーしていたのかなと思います。

──母として、ものすごくつらかったのではないですか。

渡辺:
緊急搬送から2ヶ月足らずで状況がそれまでと全く変わってしまい…、先も見えず、今起こっていることが夢なのか現実なのか、「夢なら早く覚めてほしい」とずっと思っていました。

ずっと入院に付き添っていたので、慢性的な寝不足で体調も悪く、物事をはっきり考えられませんでした。だけどその方が、深く考えることがなくて良かったのかもしれません。ただ「瑚々が苦しくないように」という思いだけは、ずっとブレずに持っていました。
気管切開も「瑚々が楽になれる」と、前向きに捉えるようにしていました。

猫の「きーすけ」のお世話をする瑚々ちゃん。「ココは『きき』と呼んでいました。写真は、ききのおやつをお皿に出してくれているところです。ココがいつもおやつをくれると思っているのか、ききはココのいる場所へすぐに駆け寄っていました。眠っているききにはタオルをかけたり、おもちゃのごはんを並べたり。ココが優しく接するので、ききも逃げずにお世話遊びに付き合ってくれていました」

集中治療室から一般病棟に移ったその日の夜、
アナフィラキシーショックを発症

病院の廊下を、ぬいぐるみたちと一緒にお散歩するココちゃん。「とにかく『お母さん』という存在に憧れていて、ぬいぐるみたちを我が子のようにお世話していました。『みんなー!おさんぽだよー!』と声をかけ、服を着替えさせて、おんぶしたりベビーカーに乗せたり。自分はバッグを持って、きっとお買い物のイメージです。同じ病棟に入院していた赤ちゃんのママにも憧れて、赤ちゃんを抱っこする真似をすることもよくありました」

──呼吸に問題があったものの、この時、瑚々ちゃんはまだお話ししたり動いたりということは普通にできていたそうですね。寝たきりなったのはなぜですか。

渡辺:
気管切開手術後、集中治療室で少しずつ麻酔を減らしながら、通常の生活に向けて準備していく予定でした。面会に行っても鎮静剤で眠っていることがほとんどでしたが、呼吸は安定していて「気管切開を受けてよかった」と思いました。

呼吸器につながっているので声を発することは難しかったですが、本人の意識も戻り、この時はまだ、意思疎通もできていました。

2週間後、一般病棟に移ることが決まりました。しかしこの日、瑚々は朝から全身びしょ濡れになるほど汗をかいて落ち着きがありませんでした。
一般病棟に移ったものの、大量の汗だけでなく下痢の症状と、熱も39度まで上がりました。「鎮静剤の離脱症状かもしれない」とのことで、鎮静剤と解熱剤が投与されましたが症状が落ち着くことはなく、起きている子どもで、正常なら100ぐらいの心拍数が、180ほどにまで上がっていました。

ただ、この時もまだ目や首で合図したり、瑚々と意思疎通はできていたんです。

気管切開手術後の一枚。「気管切開後の鎮静を徐々に解除し、PICUから一般病棟へ移った日、症状が急変する前に撮った写真です。呼吸は安定し、落ち着いた状態でした。酸素飽和度や二酸化炭素の蓄積も大きく改善していました」

渡辺:
夜中1時ごろ、心拍数が200を超え、鎮静剤を再投与することになりました。
2時頃、やっと症状が落ち着き始め、その日はとにかく朝からずっとバタバタしていたので、「やっと少し横になれるかな」と、私は隣でうとうとしていました。

しばらくして、看護師さんがものすごい剣幕で病室に飛び込んできました。「心拍数がものすごく下がっている」と。緊急コールが鳴り、先生や仮眠していた看護師さんも一斉に飛んできて、慌ただしく救命処置が始まりました。何が起きたのか全くわからず、私はただ、そこに突っ立っているしかありませんでした。

早朝5時頃、先生から「何かしらのショック状態にあるから、少し沈静をかけて休ませます。顔だけ見てあげて、一度帰宅してください」と言われました。
集中治療室に戻った瑚々は目を開けていて、手を握ると、彼女も握り返してくれました。

…これが、瑚々の意識がしっかりとある状態での、最後の意思疎通でした。

入院前の瑚々ちゃん。「内弁慶だけど、面白いことが大好きだったココ。左の写真は、パジャマの上を履いて笑わせてくれた時の一枚です。右の写真は、いろんなものを身につけて遊んでいるところです(笑)」

渡辺:
数日後、先生から「解熱剤によるアナフィラキシーショック」と告げられました。体がショック状態を起こしたことにより、計測できないほどにまで血圧が下がり、血液や酸素が脳にいかない状態がしばらく続いたようです。

脳の「基底核」という、体を動かしたり、意識や反応を調整する大切な部分が大きなダメージを受けていることがわかり、「もしかしたら、もう目を覚ますことはないのかもしれない」と思いました。

2週間ほどして、瑚々は全く予想しなかったかたちで小児病棟に戻りました。
元々おしゃべりが大好きで、うるさいほどしゃべっていた瑚々は、言葉を発することも、体を動かすこともできなくなっていました。体がつながれた機械音だけが病室に響き、「静かだな」と思いました。…この時は本当につらかったです。

それまでとのギャップが激しすぎて、つらすぎて心を病んでしまい、「もう会いたくない、顔を見たくない」と思ったこともありました。病院の方々や家族にも支えてもらいながら、だけどお互い、少しずついろんなことに慣れていって、笑顔も見せてくれるようになりました。

「アナフィラキシーショックによる急変からおよそ2か月後、話しかけたり身体に触れるだけで、こんなにも笑顔を見せてくれるようになりました。この笑顔に、何度も心を救われました」

渡辺:
この2月で、瑚々が家に帰ってきて丸2年になります。
今も、本人が何か、言葉や体を使って表現することはできません。だけど聴覚や視覚、触覚などは異常なく、こちらの思いを受け取ることはできますし、犬を見るとニコニコしたり、お腹をくすぐるとキャッキャと笑ってくれたり、あとは人見知りもします(笑)。

笑う以外の表情も豊かで、呼吸器のアラームを鳴らしたり、体を硬くしてみたり、嫌なことはしっかり意思表示します。本人なりにしっかり、外とつながってくれていると感じますし、奇跡的な回復を遂げてくれたと思っています。

「家に戻り、大好きなききと寄り添って眠る日常。ききは自然にココを受け入れ、ココもお構いなしに眠っています。お互いに心で会話をしながら、あの頃のように過ごしているのかなと思います」

「一人の人として、一つでもたくさんの経験を」

「訪問型の児童発達支援での一コマ。先生に支えられてお座りをし、手触り絵本に触れているココです。不思議そうに、何だろう?と考えているような表情は、赤ちゃんの頃から変わらない、真剣に物事に向き合う時の顔。愛おしくて仕方がない一枚です」

──瑚々ちゃんはどんな存在ですか。

渡辺:
病気も障害も、不運ではありました。だけど、これほどの逆境を乗り越えて生きてくれている瑚々を心から尊敬するし、「なんて強い子を産んだんだろう」と思うようになりました。

私が瑚々の立場だったら、きっと乗り越えられなかったと思う。
「本当に私が産んだ子なのかな。私の子で良いのかな」って思うぐらい、瑚々のことを心から尊敬しています。これからも二人で、周りの人にも助けてもらいながら、一緒に病気と障害を乗り越えていきたいと思っています。

とにかくかわいくてかわいくて、1日に何度「かわいい」と言っているかわかりません(笑)。目の前に瑚々がいるのに、昨日撮った瑚々の写真を見て「世界一かわいい医療的ケア児じゃないかな?」などと言っているので、親にも呆れられています(笑)。

「退院後、おめかしをして出かけたときの一枚です。それまでご機嫌だったのに、カメラを向けると一転、この表情に。小さい頃からずっと写真が苦手で、恥ずかしさから『ママ、やめてよ。しゃしんいやだ!』と言ってこっちを見ている、あの時のあの顔のままでした。幼い頃にも同じ構図の写真があって、思わず笑ってしまいました。『ココは変わらずにココのままなんだ』と改めて感じました」

渡辺:
今日までを振り返ると、ローハッドに支配されていた期間があるし、早く亡くなるのかな、これからどうなるんだろうって、不安や恐怖がどうしても拭えない時代がありました。

だけど今思っているのは、一人の人として、瑚々になるべく一つでもたくさんのことを経験してもらいたいということです。ローハッドだから気をつけることはあるけれど、いろいろ工夫しながら、どんなことができるかなという前向きなところに意識を置いて過ごしています。

瑚々には常々、「ママはあなたについていくのみだから」と声をかけています。「全ては瑚々が決めることだから、あなたが生きている限り、ママはついていくよ」って。

言葉はありませんが、日々一緒に生活していると、「これはやりたくないのかな」「これはやれってことかな」って、不思議なんですが、すべて瑚々が、自らの意思で動かしていると感じるんです。

予期せぬことが起きて、急に風向きや、生活の雰囲気がガラッと変わったりするんです。親とも「瑚々が決めたんだね」っていつも話しています。そのような瞬間に立ち会うたび、ひとつの物語を見せてもらっているような気持ちになります。これからもきっと、最善の道を、瑚々が決めていってくれるだろうと思っています。

「家で隣にいると、よく顔を見てくれます。とても愛おしいです」

──家族会にはどんな思いがありますか。

渡辺:
瑚々がローハッドかもしれないと言われた時、調べて出てきたのが患者家族会のサイトでした。当時、他は海外のサイトばかりで、何を調べてもよくわからないし、絶望的な情報ばかりでした。

しかし家族会代表の橋本さんの息子さんがラグビーをやっている写真を見て、「大丈夫かもしれない」って希望を持てたんです。

同じように一人の母として、我が子の病気に向き合えない時期、悲しみに暮れいる時期があって、絶望と孤独を抱えながらも家族会を立ち上げてくださったからこそ、私はそれが希望につながりました。だから何か恩返しがしたいと思い、家族会に加わりました。
こうやって発信をすることで、それが瑚々の生きる証、生きた証になるし、あの頃の私のように絶望の淵にいるママの、少しでも力になれたらと思っています。

「ローハッド症候群の周知のために継続している学会出展。写真は、ココと参加した時の一枚です。家族会を支えてくださっている先生方と。暑さの厳しい夏の日、長距離の移動にもかかわらず、最後までよく頑張ってくれました」

ローハッド症候群啓発を応援できるチャリティーキャンペーン

ROHHAD家族会を立ち上げた代表・橋本恩さんの息子の光優さんはもうすぐ15歳。「11年前にローハッド症候群と診断された当時、医師からは日本で2人目と言われ、国内に情報はほとんどなく、海外の患者家族とつながることから始めました。その中でも特に、スポーツを頑張っている子どもたちの姿から希望をもらいました。国内のどこかにいるであろうローハッド患者家族とつながり、光優が少しでも希望の光になればと願って、息子のこの写真を、旧ホームページのトップ画に選びました」

日浦さん、渡辺さんのお二人に、ローハッド症候群のこと、お子さんのことを聞かせていただきました。まだまだわからないことが多く、病気との向き合い方、日々のケアもさまざまな試行錯誤をされている中で、お子さんとの時間を大切に、前向きに病気と向き合っておられる姿がとても印象的でした。

アイテム購入ごとの700円(キッズTと雑貨は100円も選べます!)のチャリティーは、この病気の啓発活動のために活用されます。ぜひ、応援いただけたら嬉しいです!

・ROHHAD症候群家族会(ローハッドJAPAN)ホームページはこちらから

家族会のオンライン打ち合わせにて。「家族会では月1度、zoomで集まっています。お互いの近況を報告したり、親身になってくださっている大学の先生方に相談したり、時には、ローハッド症候群に関する自己抗体の研究を行っている広島市立北部医療センター安佐市民病院小児科・広島大学大学院医系科学研究科の宇都宮医師から研究についての話を聞いたりしています。疾患を理解し、共感してくれる人がいるということが、皆の心の拠り所になっています」

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【2026/1/12-18の1週間限定販売】
満天の星空を眺める3人の動物を描きました。
一緒に流れ星を眺める姿を描き、共に過ごす一瞬一瞬の大切さと、「友達と一緒に大人になろう」というローハッド症候群家族会のメッセージを表現しています。

“Treasure every moment(今、この瞬間を大切に)”というメッセージを添えました。

チャリティーアイテム一覧はこちら!

JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!

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(広告宣伝費として支援し、予算に達し次第終了となります。)