かつて、田んぼをはじめとする日本各地の水辺の環境に、豊かに生息していたトンボ。語源は「田んぼ」だとも言われています。しかし、この40年ほどで、その状況は大きく変わりました。
「トンボをはじめとして、全ての生きものは作用し合って生きている。ひとつ環境が変わるだけで、生態系のバランスは大きく崩れ、ドミノ倒しでどんどん生きものが消えていきます」。
そう話すのは、高知県四万十市で活動する公益社団法人「トンボと自然を考える会」主宰(役職は常務理事)の杉村光俊(すぎむら・みつとし)さん(69)。
トンボが大好きで、子どもの頃からずっとトンボを追いかけてきた杉村さんは、自然環境が変わり、さまざまなトンボが次第に姿を消していく様子を、ずっと間近で見てきました。
「過疎化による放置林や放棄田の増加、過剰使用される農薬等による水質汚染、温暖化の進行による気候変動などによって、かつて当たり前にいたトンボたちが姿を消していきました。生物多様性は、私たち人類にとっても存続の基盤。トンボがいることに安心を感じられる人を増やしたい」。そう話す杉村さん。
活動について、お話をお伺いしました。
お話をお伺いした杉村さん。トンボ王国内の河川改修作業中の一枚。(写真提供:せいぶ印刷工房)
公益社団法人トンボと自然を考える会
すべての生きものや植物は精密機器のようにつながっており、豊かな自然や生態系は、我々人間にとっても大切なものであることを、トンボを通じて知ってほしいと活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/12/02
トンボ王国にて、林縁でハネを休めるマルタンヤンマのオス。日本一美しいヤンマとされる
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
杉村:
トンボがいることに安心を感じる人を増やしたいという思いで活動しています。
高知県四万十市具同の池田谷という地域で、土地の一角を買い取り、または借用してトンボを中心とした自然保護区(正式名称・四万十市トンボ自然公園:通称・トンボ王国)をつくっています。
50ヘクタールほどある里山のうち、約5ヘクタールを保護区として整備、管理しています。
トンボは水辺環境に生息する昆虫ですが、季節ごとの水の量や日照時間など基本的条件を踏まえ、適度な人手を加えてトンボが棲み易い環境を維持しています。年によって出現するトンボの種類は若干異なってきますが、これまでにエリア内で確認できている81種類のうち、2005年からはずっと年間60種以上を継続中です。ちなみに今年は63種の活動が確認されています。
トンボ王国のトンボたち。(写真左上)成虫で越冬するホソミイトトンボ越冬型オスが、小形のクモを捕食しているところ。(写真右上)羽化中のタベサナエ(オス)。シオヤトンボと並び、トンボ王国では春、最も早く羽化が始まる。(写真左下)林縁の水路で産卵するオニヤンマのメス。日本最大のトンボ。(写真右下)木陰の多い水辺の一角を占有飛翔して、メスの訪れを待つキトンボのオス
杉村:
トンボを中心としつつ、トンボ自然公園には700種類以上の植物が生育、野鳥類や昆虫の蝶類は共に約60数種の生息を確認しているなど、四季折々のさまざまな動植物が観察できます。
活動を始めた1985年にこの地域で生息が確認されていたトンボの種類は60種だったので、単純に種類だけを見ると、ここでの記録種数は増えました。しかし周辺では時が経つに連れ、谷間の田んぼが減り、水は農薬で汚染され、トンボは次第に姿を見せなくなりました。積極的な手入れでトンボが住みやすい水辺環境、生物多様性の維持を心がけているトンボ自然公園では、50年ほど前には四万十川流域で普通に存在していた生態系が守られているのです。
トンボ王国のさまざまな生きものたち。(上段左から)◉カワセミ…水辺を中心に、活動する姿が通年見られる。◉アカネズミ…「四万十川学遊館あきついお」内のミニ・ビオトープに住み着いている。◉ニホンアカガエル…湿地保護区に多産。高知県の希少野生動植物指定種。◉ミナミメダカの群れ…トンボ王国の随所で見られる、全国的絶滅危惧種。(下段左から)◉テナガエビ…高知県では減少を理由に9月~翌年3月まで採取禁止。トンボ王国には多産。◉コガタノゲンゴロウ…全国的稀種となっているが、トンボ王国では普通種。◉ミカドアゲハ…オガタマで育つ南方系のチョウ。写真はシャリンバイで吸蜜しているところ。◉ホシホウジャク…ツリフネソウの良き花粉運搬者。その飛び方からハチドリと勘違いされることも
──トンボは水辺の生きものなんですね。
杉村:
はい。しかしただ水辺といっても、たとえば川の上流や下流、河川や池沼、また生育する植物の種類によっても水温や水質などが変わってきます。そうするとそれぞれの場所で生息するトンボの種類も異なってくるし、それぞれの環境で多くの生物がお互いに作用しながら、バランスをとって生きています。
タベサナエのメスを捕食するセグロセキレイ。食物連鎖は普通種も希少種も無関係
杉村:
大きいトンボや成熟したトンボは、地面や水面より少し高い、やや乾燥した場所で活動しますが、小さいトンボや羽化間もないトンボは乾燥に弱く、水際の水草が密集しているところをシェルターにして暮らしています。
両者に基本的な棲み分けは認められますが、どうしても共有する空間があって、そうすると小さいトンボは、大形や中形のトンボに食べられるんですね。そうやって、自然のバランスが成り立っているんです。
──そうなんですね。
カルガモ親子。初夏に見られる、ほのぼのとした一コマ
杉村:
ここにはコンスタントに60種類ぐらいのトンボがいるとお伝えしましたが、それはつまりそれだけの種類の水辺環境があるということを意味します。生物の多様性とバランスが、それだけ守られているということです。
トンボ自然公園では、5ヘクタールの敷地の中にさまざまな環境を作り、常に観察しながら適宜、整備と保全を行っています。
実は以前、自然環境が悪化している場所からトンボを連れてくる移植実験もやっていました。
でも正直言うとね、我々人間が努力して居着いてくれるトンボだったら、放っておいても居着くんです。逆にここに来ないトンボを、人間がどれだけ努力していつかせようと思っても、居着くことはありません。
トンボ王国の風景いろいろ。(写真左上)トンボ王国の代表的環境。栽培されているスイレンは主に白、ピンク、黄色の三色。最盛期には毎朝数百輪の花も楽しめる。(写真右上)ハナショウブ池。来訪者には一番人気のゾーン。大小10個のトンボ誘致池の周囲に約40品種約300株数千本を栽培している。(写真左下)保護区を二分するように流れる池田川。セスジイトトンボやキイロサナエなど流水性トンボの重要な生息環境。(写真右下)湿地保護区。スイレン池の奥にある、元の棚田の畔を活かした浅い流水環境。ネアカヨシヤンマやヒメアカネなどが多産
スイレンの花びらでハネを休めるコフキヒメイトトンボのオス。湿度が高い早朝などに見られる行動
杉村:
僕は高知で生まれて、いろんなトンボを追いかけて育ちましたが、たとえばイトトンボ(科)ひとつとっても、昔はこの辺の水辺にはどこでも5種類以上はいたんです。でも、いなくなりました。トンボ自然公園には今でも10種類のイトトンボが見られますが、そのような場所は、残念ながら四国中のどこにもありません。
「モートンイトトンボ」なんて、四国内ではもうここか、徳島のとある地域の2箇所でしか見られません。
標高が高い場所にも海の近くにも、川にも田んぼにも、昔はどこにでも住んでいた「オオイトトンボ」も、今、高知県で確実に見られるのはここだけです。
オオイトトンボ連結産卵(メスは青色型)
──なぜ、そんなに減ってしまったのですか。
杉村:
大きく3つの原因があると思っています。過疎化・農薬の過剰使用・温暖化です。
──どういうことでしょうか。
杉村:
平地がもともと少ない高知では、食料調達のために、昔から山の上の方まで田んぼが作られて、どこまで行っても人が暮らす集落がありました。しかし人々の生活様式が変化し、山奥は不便だということでたくさんの人が山を降りました。
(写真左)かつてカトリヤンマが多産していた棚田。日照確保のため周囲の草木は適宜刈り上げられており、用排水路を兼ねる隣接の渓流にはミヤマカワトンボやヒメサナエなどが多産していた。(写真右)放棄後2年目の棚田。雑草に覆われ、トンボ類を始めとする水生動物は姿を消した。3年目には木本類も進入し、現在は完全に周囲の山林と一体化している
杉村:
田んぼは、人が耕して水を引いてくることで初めて成り立ちます。しかし過疎が進み、それまであった田んぼは野放しになりました。
田んぼでコメを育てていた時は、稲の日照確保のために人が育ち過ぎた木を伐り、日光が当たることで田んぼや用水路の中でも、様々な植物による光合成が進んでいろんな生態系が育まれましたが、木を切る人がいなくなり、山は荒れ、伸び放題の草木が美田を飲み込んでいきました。
オオイトトンボの連結潜水産卵。オオイトトンボ、産卵されているサイコクヒメコウホネ、近くを泳ぐミナミメダカ、全て高知県版もしくは全国版でレッドリスト種となっている
杉村:
一方で、今でもぼちぼち田んぼや畑をやっているところもありますが、高齢の方がほとんどで、高齢者は体力がなく、除草や殺虫のために農薬を使ってしまう。それが田んぼのみならず周囲の河川に流れ込み、それまであった生態系が破壊され、いろんな弊害が生まれています。
さらに、温暖化の影響も深刻です。雨の降り方が変わって、降る時はすごく降るけど、降らない時は全然降らないようになりました。するとどうなるか。水田や周辺の河川などに蓄積された農薬は雨が降らない間にぎゅっと濃縮され、多くの生物の致死量を超えてしまいます。
ひとつ環境が変わって、ひとつ植物や生きものがいなくなるだけで、生態系のバランスは大きく崩れ、ドミノ倒しでどんどん生きものが消えていきます。
──そうなんですね…。
杉村:
温暖化ということでいえばもう一つ、温暖化によって、トンボの分布も変わってきています。
熱帯・亜熱帯域に生息する「ベニトンボ」は、もともと日本にはいなかったトンボで、「温暖化の申し子」と呼ばれています。
ベニトンボ。受光量を軽減する逆立ちポーズで水辺でメスの訪れを待つオス。いかにも熱帯的な体色をしている
杉村:
1981年に石垣島で見つかり、1991年には屋久島、1999年には鹿児島本土、2000年には宮崎と年を追って北上が進んでいます。高知には2001年に入ってきました。2008年には四国・中国、九州のほぼ全域、2010年に入ると本州でも観察されるようになりました。
2024年には横浜でも見つかっているんです。北上が止まりません。
──温暖化の影響が、トンボの分布も変えているんですね。
杉村:
過疎化・農薬の使用・温暖化のうち、温暖化はいかんともし難いですが、限られた地域にはなるけれど、過疎と農薬による問題は、少人数でもなんとか対応できる。トンボ自然公園では、田んぼを作ったり池をつくったりして、少しでもトンボの環境がよくなるようにと活動しています。
トンボ王国にて、市民ボランティアのスイレン間引き作業。夏の間に繁茂し過ぎたスイレンは水面や日照を遮断して環境を劣化させるため、定期的な間引きが不可欠。通常の整備作業は3~4名のスタッフが交代で対応している
(写真左)幼い頃の杉村さん。トンボに興味を覚えた頃。シオカラトンボのメスを手に。(写真右)調査に明け暮れていた頃。冬期、市内の山麓で越冬イトトンボを調査しているところ
──1985年に団体を発足されたとのことですが、当時はまだまだ生物多様性や環境保全といったことに社会の意識が向いていない時代だったのではないでしょうか。
杉村:
そうですね。「自然保護」というと、皆さん最初に思い浮かべるのは、「手を入れずに残しておく」ということだと思うんです。だから、活動を始めた時に湿地を掘り起こして水を引き、スイレンを植え付けるなどの手入れ作業は、結構な批判を喰らいましたね。
僕は子どもの頃からトンボを見ていて、田んぼがあるとシオカラトンボがいて、耕作を止めると水辺の雑草が茂って別の種類のトンボが入ってくるけれど、数年後には乾燥が進んで水草はススキなどに入れ替わりバッタが出てきて…というふうに、環境が変わればそこに生息する生物種が変わるということを、ずっと間近で見て、体で覚えてきたんです。だから、「自然を放置する」という考えはありませんでした。
40年経った今、周りがついてきたというのかな(笑)。人が手を加えて自然を守っていくということが、一般的な認識になってきましたよね。
2024年7月に開催された「親子とんぼ捕り大会」の様子。「小学生一人を含む家族等3人を1チームとして、採集難度で5ランクに区分されたトンボを1から順に捕っていくゲームです。子どもたちに『自然があれば、こんな楽しい体験ができる』ことを体感してもらうのが狙いで、保護区で年に1度だけの、トンボ捕りを楽しめる日でもあります」
──杉村さんはそもそも、なぜこの活動を始められたんでしょうか。
杉村:
小さい時からとにかくトンボが好きでね。もう、舐めたいぐらいトンボが大好きなんです。
実は子どもの頃、超過保護に育てられた父親の唐突な家庭内暴力に脅える日々を過ごしていました。今で言う虐待ですね。生きてることがおもしろくなかったけど、ひょんなことで興味を持ったトンボを外で追いかけている時だけは、そのことに夢中になって、全てを忘れられました。生きる喜びというか、実感を得られたんです。
今、僕がこうやって元気に生きているのはトンボのおかげで、言わばトンボは命の恩人なんです。
ミヤマカワトンボの交尾。きれいなハートの形になる。ミヤマカワトンボの潜水産卵は水深1メートル、潜水時間1時間40分の記録がある
杉村:
そんな話がもう一つあります。
小学校3年生の時に、大きな交通事故に遭いました。脳内出血で病院に運ばれて入院し、ふと目を覚ました僕が、付き添っていた祖母に「今日は雪降ってるか」と尋ねたそうなんです。それも毎回、起きるたびに「今日は雪降ってるか」「今日は雪降ってるか」って。
事故に遭う1週間ほど前、ある種類のトンボがその辺りにいることに気付き、「多分雪が降るまでは生きている」と思い込んでいたため、それで毎日、雪が降っていないかを確認していたんですね。
頭を強く打っていて、入院当初は寝返りを打つたびに吐き気に襲われ、脳内に溜まった血を脊髄に注射を打って抜き取られるなどつらい日々でしたが、それにも増して、トンボのことが気になっていたんです。
トンボの存在が、僕の生きる希望になってくれてたんですよね。
モートンイトトンボの交尾。高知県内では、トンボ王国の一角が現在唯一の生息地
──そうだったんですね。
杉村:
お世辞にも子ども思いとは言えない親父がいたおかげでトンボに夢中になって、今でもこうやってトンボを追っかけているので‥、結果的にはよかったのかもしれません。
僕はカマキリもクモも触れないんですよ(笑)。トンボだけは別!人間、勝手なもんだなと思います(笑)。
(写真左)ミナミヤンマ濃条翅型メス。(写真右)ミナミヤンマ無条翅型メス。特にメスのハネに現れる多様な地域変異と、上昇気流を捉えてグライダーのように滑空飛翔する姿が魅力のトンボ。写真左の濃条翅タイプは鹿児島県屋久島から九州南端を経て四万十市南部(トンボ王国が現在の北限)まで分布。写真右の無条翅型は高知県中部から徳島県にかけて見られる
かつてのトンボの楽園は、運動公園として整備された。「かつて、中央の河川にはセスジイトトンボやキイロサナエなど、両側に広がっていた湿地帯にはベッコウトンボを始め、オオイトトンボやトラフトンボなど多種類のトンボ類が生息していました」
杉村:
そんな僕が高校生の時、一番お気に入りの場所で、多種のトンボ類調査や採集に訪れていた湿地が、開発工事のために埋め立てられてなくなってしまったんです。ものすごいショックでした。ここは市内で唯一、現在「種の保存法」指定種ベッコウトンボが見つかっていた場所でもありました。その時に、高校生ながら「トンボを守りたい」と思いました。
当時、「ベッコウトンボ」が生息する水辺がもう1ヶ所ありました。高校卒業後にそこに行ってみたら、確かに少数のベッコウトンボが見られましたが、どことなく荒れ果てている感じがしました。事情通の方に聞くと「国の保養施設ができる」と。つまり、そこも埋め立てられて、なくなることが決まっていたんです。
(写真左)ベッコウトンボの卵。産卵直後はクリーム色で、受精卵は数日後に褐色になる。(写真中央)ベッコウトンボの終齢幼虫。10月頃終齢幼虫になって越冬する。(写真右)羽化を終えたベッコウトンボのメス。卵からおよそ11ヶ月後に羽化。ともに環境省の許可を得て卵から飼育した個体
杉村:
同じことを繰り返されたくない。ここにいるベッコウトンボをなんとか守りたい。トンボ仲間のすすめもあって、地元での保護を訴えるのと並行して移殖実験も開始しました。
似たような環境の場所を探してはベッコウトンボの卵やヤゴ(トンボの幼虫)を持っていって棲みつかせるということをしましたが、ことごとく失敗しました。最初にもいったように、人間が努力して移植できる場所なら、最初からトンボが自分たちでできるんです。
タカネトンボの放卵の瞬間。初めに腹端を水面に浸けて蓄えた水に数~10数粒の卵を産み落とす。卵が入った水を腹端に蓄えたまま岸辺や水際の倒木などに向かって移動、そこで体全体を強く振り出し水を接着剤にして卵を張り付ける
杉村:
市内にある廃田(現・トンボ王国)があって、最後の望みをかけて羽化したての若いベッコウトンボを10匹持っていきました。1週間後、そこに成熟したオスのベッコウトンボが2匹、喧嘩をしている姿があったんです。さらに翌年には、明らかにここで生育したメス1頭も見つかりました。
「ここなら、ベッコウトンボたちを守れる」と確証を得たものの、そこは他人が所有する廃田で、放ったらかしでは植物がどんどん生い茂り、トンボたちが水辺と認識する水面が見えなくなってしまいます。トンボを守るためには、草刈りや畔の補修などの管理が自由に行えるようにする必要があると思い知らされました。
水面近くのヒシに絡められたトラフトンボの卵紐。ゼラチン質の紐の中に数100~1,000粒ほどの卵が守られている
杉村:
当時、ベッコウトンボの移殖に成功した土地の価格は1坪1万円とされていて、一区画の多くが約300坪でしたから、単純計算で300万円が必要でした。
それでも、なんとかトンボを守る場所を作りたい。そこで1983年春、私製絵ハガキの収益でトンボを守るために土地を買おうという壮大なプロジェクトを掲げ、個人レベルでの活動を始めました。
これが、ほどなく大手の新聞社の目に留まり、取材の打診をいただきました。
その頃、全国的な出版社からの依頼でトンボの本を3冊書いていて、印税が入ればそれを土地の購入費にあてるつもりでしたから、絵ハガキの売り上げが少なくてもご支援下さった方たちの期待を裏切ることはないと判断して取材をお受けしたのですが、これによってたくさんの反響がありました。「ハガキはいらんから、寄付だけ渡したい」という方も結構いらっしゃいました。
取得前の保護区用地。1983年11月撮影。「農道より左の草地は、3年前までは耕作中の水田でした」
杉村:
1984年12月、ニホンカワウソの調査のためにプライベートで高知を訪れていたWWF Japanの方と知り合い、「助成の制度があって、土地を買うほどの金額は難しいけど、リーフレットを作るくらいなら何回か申請してくれていれば可能性がある。世界的な自然保護団体なので、例え少額でもWWFから活動の支援が得られたら社会的信頼度が高まって、これからの活動に弾みがつくよ」と教えていただきました。
数日後に送ってもらった申請書にはダメ元で「300万円でトンボの保護区用地を購入したい」と書いたんです。
すると翌年の2月、その方から「申請書の審査を行った理事会で、副会長が『たったの300万円できちんとした保護区ができるのなら、助成などというまどろっこしいことをせず、WWFとして土地を買ってしまったらいい』と発言されたが、WWFに土地を売ってくれる人はいるだろうか?」との連絡が入ったのです。
叔父が地元で不動産業を営んでいたことと、一連の動きがスクープになるとの判断で複数の報道機関がWWFと自治体の橋渡しを買って出てくれたことなどもあって、1985年6月25日、WWF Japanが四万十川のほとりでトンボの保護区作りに着手することが公表されました。
トンボ王国発祥の池。全てはここから始まった
杉村:
そこから、本格的なサンクチュアリづくりに着手するために、多くの方々からご支援を頂いて1985年12月に団体を立ち上げることができました。プロジェクトを始めてからこの間、1年ちょっとです。いろんなことがとんとん拍子で決まっていきました。
「飛ぶ鳥を落とす勢い」とはまさにこのことだと思いましたね。全国たくさんの方に、がんばれ、がんばれと応援していただきました。
1986年3月、初めての池堀り作業。「郵便局員、銀行員、電信電話公社(現NTT)員、報道関係者など約50名が駆けつけてくれました。今は他界された方も数名おられます。このほかにも県内外からたくさんのボランティアが参加して整備作業を手伝ってくださり、当時流行っていた町おこし的な側面も見られました」
雨上がりの朝、駐車場にできた水たまりで産卵するアキアカネ。かつては、日本中で普通に見られた光景だった
杉村:
僕らが保護区作りをスタートした1980年代後半、自然に人間の手を加えることに批判も多くありましたが、40年近くが経って、多様な生態系を守るために、個人や団体、企業や自治体が取り組んでいくという認識や姿勢が、少しずつ広がってきていることに希望を見出しています。
今、環境省が「ネイチャーポジティブ(自然再興。自然を回復軌道にのせるため、生物多様性の損失を止め、反転させること)」を掲げていますが、2024年、四万十市トンボ自然公園は環境省の「自然共生サイト」として認定を受け、登録されました。
今後、豊かな生態系があるということ、その景観や保全の知識、技能がお金になって、経済的にもこういった活動が回っていくようになればと希望を抱いています。
トンボがいなくなって困るのは、一部のトンボ好きだけではありません。人類存続にとっても、間に合うか間に合わないかの瀬戸際にいると思います。
夕焼け空に群れ飛ぶ(黄昏摂食群飛)、大形ヤンマ類(ネアカヨシヤンマ・ギンヤンマほか)。トンボ王国には昔懐かしい光景が健在している
──良い方に転換していくといいですね。
杉村:
明らかにトンボの個体数が減って、昔のように虫取り網を振り回して好き放題トンボをとることは、残念ながら難しくなりました。
僕が子どもの頃は、魚をとったり昆虫をとったり、おしなべて自然の中で遊ぶことが当たり前でしたが、今の子どもたちは、その経験ができません。虫が嫌い、虫がこわいという子どもも増えました。そうすると「トンボかわいいでしょ」というアプローチでは、なかなか共感は得られません。
2021年から始めた田んぼ復活プロジェクト。地元ボランティアによる田植えの様子。子どもたちも大活躍
杉村:
多様なトンボが住んでいる場所は、豊かな自然環境が守られている場所。そこは人にとっても、安心安全な場所だと言う認識が広がって、「あっ、トンボがいる」と、安心や癒し、喜びを感じられる人が一人でも増えてくれたら嬉しいし、これからそこを目指して活動していきたいです。
希少価値の高いトンボも出てきた今、その採集を目的に、他府県からのマニアが訪れることがあります。だけど一定数採集されたらもう、そのトンボはそこから永遠にいなくなるかもしれない。そう思うと、もしかしたら最後の1匹かもしれないと思うと、卵を産んで弱りきって、もう死んでしまいそうだなという状況でも捕まえられないんです。そうやって躊躇してる間に、他の生きものがそのトンボを食べちゃったりするんだけど…。
だけど、トンボを好きってそういうことです。「いなくなる前に、自分のものにしておこう」というのは1コレクターの発想であって、本当にトンボが好きな人の発想ではありません。
実りの秋を迎えた山村の棚田で、飛びながらメスの飛来を待つミヤマアカネのオス。安全で美味しいコメが育つ田んぼのシンボル
ムカシトンボを撮影する杉村さん。アップで撮影しているトンボの大半は、レンズから10cm以内の至近距離で撮影したもの(写真提供:北山拓さん)
──杉村さんの原動力を教えてください。
杉村:
ずっとトンボを守る活動をしてきて、とりわけ経済的な理由から「もうダメなんじゃないか」っていうことは何度もありました。自分でも今日までよくもっているなと思います。でもね、困ったことがあると「ここから脱却しよう」という発想につながる。一生懸命頑張っていると、いつも正義の味方が現れて、結果的にもっとよりよくなっているんです。だから、今もそうだけど、困ったことがあると、それはよくなる前兆なのかなと思っています。
自然を相手にしている人間の特権かもしれないけど、忍耐強くて、ちょっとしたことに幸せを感じられる。欲求不満を感じながら、それでも我慢して我慢して、滅多に見られない、珍しいトンボと出会えた時は本当に嬉しいんですよね。
去年も今年もあるトンボが見つかっていないから、普通に考えたら来年もダメかなって思うけど、「来年はこう配慮したら見られるんじゃないか」って、目の前に達成されていないことがあると、ファイトが燃えてくるんです。
ミナミヤンマの産卵。「数日間の天候を見て撮影ポイントに赴き、到着すると水量や地形を確認の上で産卵に適した環境に整え、2時間ほど待ち伏せします。ただし、空振りの日も少なくありません」
──素敵ですね。確かに杉村さんはものすごくお若いですね。
杉村:
自分が70近くになって、「生きるとは?」ということを振り返ったり、子どもたちに話をしたりすることもあります。今、自信を持って言えるのは、僕はトンボがいることで、自分の存在を感じることができたということ。お金にはならなかったけど(笑)、それは何より幸せなことだったと振り返って思います。
人生は、己の可能性を確認するために与えられた時間。人は何か好きなことを持つことで、対等になれるし、仲良くなることができます。
トンボ王国内にある、トンボと魚の博物館「あきついお」の一角に展示している世界のビーズ製トンボ・フィギュア。「保護区作りが始まってほどなく、やがてはお母さんになる若い女性たちの生きもの離れ・トンボ離れを手芸から改善できるのでは?との、当時神戸在住の女性会員の勧めで製作を始めたものです。基本モデルに改良を加え、一部の種類は商品化もしています」
杉村:
「すべての道は、トンボに通じる」。僕はそれがトンボでしたが、皆さんそれぞれに、夢中になれることがあると思います。道はたくさんあって、でも頂はひとつ。好きなことに対して常に学び続けることで、人生は豊かに広がっていくと思います。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
杉村:
団体を立ち上げてからの40年間、トンボを守るために、トンボ王国を整備しながらさまざまな試みをしてきました。トライ&エラーを繰り返しながら、一つひとつの状況に対して、人間がどのような手を加えれば、トンボをはじめとする生きものの豊かさを守れるかということが少しずつ見えてきました。
ジャゴケの中に卵を産むムカシトンボ
杉村:
来年、40年という節目を迎えるにあたり、僕らの体験とノウハウを後世へと伝えていくためにも、これらをまとめたガイドブックを自費出版で制作する予定で、とある大学図書館さんとも連携しながら動いています。
今、やっておかないと…、この先いなくなってしまうトンボもいるでしょう。「ネイチャーポジティブ」が社会で当たり前になった時のためにも、少しでもたくさん、トンボのこと、トンボを守るためのことを残しておきたい。そして、トンボをはじめとする多様性のある環境を守りたいという人のバイブルにしてもらえたらと思っています。
チャリティーは、このガイドブックの印刷費として活用させていただきます。
トンボのいる環境を後世へと伝えていくために、ぜひ応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
スタッフの皆さん、「あきついお」館長見習いねこのクロちゃん。「トンボ王国にも、ぜひ遊びにきてくださいね!」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
杉村さんがいなかったら、今、高知のトンボ王国で見られる、トンボをはじめとする希少な生きものたちは、もしかしたらもうとっくに滅びて、見られなかったかもしれません。杉村さんがトンボに夢中になり、トンボを愛し、情熱を注ぎ続けたことが、結果、今はまだトンボ王国内だけかもしれないけれど、トンボをはじめとする多様な生きものたちのすみかやいのちを守り、循環につながっているということ。いのち、またその循環は、愛に追随するものであるということを強く感じるインタビューでした。
好きなもの、興味を持てること、情熱を傾けられることに正直に、分断ではなくつながりの中で、我々もまた大きな循環の中、愛の一つとして生きられたらいいなと思います。
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トンボ(ミヤマアカネ)を中心に、豊かな生態系(カキツバタ、ツリフネソウ、カワセミ、チョウチョ、稲穂や水の雫)を描きました。全ての生きもの、自然界の全てが精密機器のようにつながり、作用し合って生きているということを表現したデザインです。
“Whispers of the past, echoes of the future(過去のささやき、未来の響き)”というメッセージを添えました。
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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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