制度では解決できない困り事を、地域の「つながり」で解消しようと活動する団体があります。今週JAMMINがコラボする一般社団法人「えんがお」は、栃木県で近接するいつかの空き家を活用して高齢者や障がい者に向けた事業を展開しながら、その利用者だけでなく、地域の人たちが世代を超えて混ざり合う場づくりを行っています。
「高齢者とか障がい者といったふうに、縦割りで支援の対象を限定するのではなく、大きく『地域の困りごとを解決しよう』という視点で活動しているので、子どもからお年寄りまで、自然にいろんな人の交流が生まれます」と話すのは、えんがお代表理事で作業療法士の濱野将行(はまの・まさゆき)さん(33)。
「社会の構造上では『支援の対象者』とされる人たちが、混ざり合うことで、状況によって支援する・されるを相互に入れ替えながら支え合っていく。これが、いろんな人が混ざり合うことの一番の価値だと感じています」と濱野さん。
活動について、お話を聞きました。
お話をお伺いした濱野さん
一般社団法人えんがお
「人とのつながりを感じられる社会」をビジョンに、地域のさまざまな人の力を活かし、孤独や孤立の予防と解消ができる地域のしくみを作り、実践しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/11/04
えんがおの周辺拠点地図
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
濱野:
私たちは、栃木県大田原市で、徒歩2分圏内にある9軒の空き家と一つの空き地、アパート3部屋を活用し、子どもから高齢者、障がいの有無にかかわらず、関わるさまざまな人が日常的に混ざり合い、つながって助け合えるコミュニティづくりをしています。
障がい者向けグループホームのほか、地域活動をする若者のための二つの宿泊施設、放課後の子どもたちのための学童保育、高齢者向け居住支援など、地域にニーズに応える事業を展開しており、2025年4月からは放課後等デイサービスの事業も始める予定です。
──多岐に及びますね。
濱野:
一つひとつは独立していて、それぞれに居場所はありつつも、混ざりたい時には混ざって、交流できる。「一人でいてもいいし、みんなといても良い」というコミュニティの拠点となるのが、コミュニティハウス「みんなの家」です。
「みんなの家」には、世代を超えてさまざまな人が集まる。多世代でお餅つきをしているところ
濱野:
「みんなの家」は地域サロンとして、誰でも来て良い場所として開放しています。
施設を利用する高齢者や障がい者だけでなく、地域のおじいちゃんおばあちゃん、不登校の子ども…いろんな人が、いつでも来たい時に来られる場所です。
ここでは週に一度、地域食堂もオープンしていて、さらに交流が生まれる場として機能しています。
──楽しそうですね。
濱野:
僕らのミッションは、いろんな人が自然に混ざり合い、つながりを感じられるフィールドを作ること。
孤独と孤立という課題を、地域の現場から変えていきたいと思っています。さまざまな工夫をしながら、その実現を目指しています。
さまざまな人が混ざり合うきっかけの場を提供。写真は地域交流イベントの流しそうめんの様子
一人暮らしの女性の自宅の電球を交換。19歳の若者と一緒に。たわいない会話から、笑顔が生まれる
──活動当初から「いろんな人が混ざり合うフィールドづくり」を目指しておられたのですか。
濱野:
最初から目指していたというよりは、自然発生的にそうなっていったという感じです。
起業前、僕は作業療法士として高齢者と関わっていましたが、毎日寂しい思いをしている方たちがたくさんいることに疑問を抱いていました。
「人生のゴールである高齢者が寂しい社会って、どうなんだろう。そんな未来が待ち受けていると思うと、若者は未来に希望を抱かないのではないか」と思いました。逆に言えば、高齢者が幸せな社会は、若者も幸せな社会だと思ったんです。それで、最初は拠点を持たずに、高齢者の訪問事業を始めました。
訪問を始めて見えてきたのは、日々の生活で困りごとがあっても頼れる相手がいないという、高齢者の寂しい現実でした。
たとえば、電球が切れた時に、高いところに登れなくて自分で取り変えられない。リモコンの電池が切れた時に、指の力がなくて自分で交換できない。
電気が点かずに真っ暗な中を過ごしていたり、寒い日にエアコンを点けられずに過ごしている方も少なくありません。それが原因で転倒したり体調を崩してしまったり、最初は些細な困りごとが、やがて大きな問題に発展してしまうことがあります。
高齢者、若者、障がい者、こども…さまざまな人が混ざり合う。写真は、91歳になるおばあちゃんの誕生日のお祝いにて
──確かに。
濱野:
ひと昔前は、家族や地域の人、関わる誰かが助けてくれるコミュニティがあって、こうした日常の些細な困りごとを解消してくれました。しかしいわゆる孤独とか孤立と呼ばれる問題で、人と人とのつながりが希薄になっている昨今、困っても相談する相手がいない、話す相手もいないという方が少なくないのです。
「誰かと会って話したいけど、家を出て行く場所も、会う人もいない」という声を聞いて、高齢者の方たちが気軽に出て来られる居場所を作ろうと、最初に地域サロン「みんなの家」を作りました。
──そうだったんですね。
地域食堂にて、おばあちゃんたちが若者に教えながら一緒に料理をする
濱野:
やがて、地域サロンに来る高齢者から「家で一人で食べるごはんはおいしくない」という話が出て、じゃあ一緒に食べようかと、集まって市販のお弁当などを食べるようになったのですが、そこで今度、「手作りのごはんが食べられたらいね」という話が出て、ちょうど道向かいの元食堂が空き店舗になっていたので、そこを借りて地域食堂が始まって。
そんな中で今度、「日中に行く場所がない」という不登校の子どもたちが地域サロンに来るようになって、子どもたちのための居場所を作ろうとフリースクールを始めて…。というかたちで、徐々に活動が広がっていった感じです。
「『ここは、何をしてる場所なの?』。ある日突然、お洒落なおばあさんが訪ねてきました。聞くと、毎日一人で暇だと言います。誰でも来られるお茶飲み場だと説明し、店番を募集しているとお話しすると、快く引き受けてくださいました。それから週に2回、コンスタントにここに来ては、同世代や若者や犬とのコミュニケーションを楽しんでおられます。『一人が長かったから。ここがあって助かった』。最近、そんな言葉を静かにこぼされました」
おばあちゃんたちがつくったご飯を、皆で「いただきます」。おばあちゃんたちもほっこり
濱野:
「高齢者を支援しなきゃ」とか「障がい者を支援しなきゃ」「不登校生を支援しなきゃ」という支援の対象を限定することはせず、大きく「地域の困りごとを解決しよう」という視点で活動しているので、自然発生的にいろんな人の交流が生まれます。
支援の対象者を絞ること、その専門性や縦割りが必ずしもわるいわけではありませんが、「高齢者だけ支援する」とか「障がい者だけ支援する」ということには、社会として限界があるのではないかと思っています。緩やかにつながり、時に支援し、時に支援される。「お互いがお互いを支援し合う」というしくみは、長い目で見て、非常にメリットがあると思います。
──どういうことでしょうか。
濱野:
一人暮らしで、普段から日常会話や悩みを話せる相手がいない高齢者がいたとして、その時は何のつながりもなく、たとえば「認知症」という症状が出て初めて、専門職とつながります。
あるいは杖をついている方がいて、杖の調子が悪かったとします。普段から話をする相手がいないと、杖のことを話したり相談できる相手もいません。
平日の風景。おじいちゃんにルービックキューブを習う小学生。えんがおを拠点に、さまざまな交流が生まれている
濱野:
そのまま調子の悪い杖を使い続けて、転倒して頭を打ったり骨折したりということが起きて、ことが大きくなってはじめて、専門職とつながります。つまり、誰かとつながった時には、すでに問題が深刻化し、大きな支援が必要な状態であることが少なくないのです。
普段から「ちょっと調子が悪いんだよね」とか「こういうことがあったんだよね」といった日常の些細なことを話せる相手がいれば、たとえば杖の話でいえば、「先っちょが取れてたから、接着剤でくっつけておいたよ」という対応もできるし、「危ないから、新しいものに買い替えた方がいいよ」というアドバイスもできます。人とのつながりがあることが、問題が深刻化を防ぐことができるのです。
──確かに。
世代も障がいもごちゃまぜで、みんなで食事する地域食堂
濱野:
問題が深刻になってから支援するとなると、それだけのコストもかかってきます。
普段から人とのつながりを持つことで、孤独や孤立を防ぎ、日常の小さな困りごとや課題を、小さいうちから解消すること。単身世帯が全体の3割以上と言われている今、一昔前は家族が担っていたこの部分を、地域でどう担っていけるかということが、僕らが取り組んでいることです。
社会の構造として「支援の対象者」とされる人たちが、状況によって「支援する」と「支援される」を相互に入れ替えながら、互いを支え合っていく。これが、いろんな人が混ざり合うことの一番の価値だと感じています。
地域交流飲み会。「撮影者も酔っているので、ぼけぼけです」
「地域につながりがなく、ひとり暮らしで生活に困りごとを抱えていた女性や、居住支援が必要だった女性たちが、得意の料理で地域の食堂を支えるようになりました」
──具体的には、えんがおさんではどのようなつながりが生まれているのでしょうか。
濱野:
あるうつ病のおばあちゃんは、いつも不安があって、スタッフを質問攻めにしていました。ある時、皆でBBQをしたのですが、たまたまこのおばあちゃんの隣に、自閉症の小学生の男の子が座ったんです。
それまでずっとスタッフに質問ばかりしていたおばあちゃんが、彼が隣に座ると、話を聴く側に回っていたんです。これって、ものすごくエコだと思いませんか。スタッフがおばあちゃんにつきっきりにならず、男の子も話を聞いてもらえてうれしいし、おばあちゃんも「聞いてくれてありがとう」って感謝される。誰もが嬉しそうでした。
もう一つ、皆で滝を見にいった時のエピソードがあります。
参加者の中に、耳が聴こえず、歩くのに誰かの補助が必要なおばあちゃんがいました。誰かが手を貸して滝まで行く必要があって、ある不登校の男の子がそれを担ってくれました。
おばあちゃんは、30年ぶりに滝を見たのだそうです。隣でサポートしてくれた不登校の彼に「ありがとう。あなたのおかげで来ることができた。あなたがいてくれてよかった」と声をかけておられました。
そうやって声をかけられた彼も、感謝されることで自己肯定感の低さが和らいだり、何か自信につなげてもらえたりするところがあったと思います。
「さまざまな年代の人が、それぞれ複雑な背景を抱えながらも、互いに助け合ってみんなで旅行した時の写真です。ここにいるすべての人を支援しようと思うと、スタッフは何人いても足りません。しかしお互いに助け合ってくれるので、スタッフは最小人数で済んでいます」
──濱野さんが印象に残っている方はいますか。
濱野:
孤独を抱えた高齢者の方に、「つながり付き住宅」という居住支援をしています。
少し離れた地域から、事情があってこの住宅に移り住んできたおばあちゃんがいます。ある時、彼女に前職を尋ねたら、「給食を作っていた」と。
「大人数のごはんを作るのが楽しい」と言うので、一度ご飯を作ってもらったら、ものすごく手際が良くて驚きました。普段はぼーっとしていた彼女ですが、いざ調理が始まると切ったりむいたり、目分量だけで30人の料理をテキパキと作ってくれて、味もすごくおいしくて、天才的だと思いました。
皆からおいしいおいしいと感謝された彼女は、今は地域食堂の調理スタッフとして、朝早くから三角巾とエプロン巻き、たくさんのごはんを作って、皆を待っているんです。
この世界線の変化は、すごく嬉しい。
事情があって家族と疎遠になり、住む場所も居場所もなく、そうして僕らとつながったわけですが、もしかしたら郊外の古いアパートにたった一人で入居して、他の人との関わらずに孤独に生きていたという道もあったと思うと、今、こうして人とつながり、関わり、自分の役割や居場所を見つけていきいきしている姿を見られるのは、すごく嬉しいです。
生活支援でつながって以降、ときどきサロンに遊びに来たり、一緒にランチをしたりするようになった高齢者たち
若かりし頃の濱野さん。「東日本大震災での無力感が、NPOに関わり始めたきっかけでした。そこから、被災地支援をずっと継続しながらも、海外支援・地域活動などを行っていく中で、地域の孤立の課題をなんとかしたい、という思いを持つようになりました」
──濱野さんはまだ30代とお若いですが、NPOを立ち上げようと思ったきっかけを教えてください。
濱野:
高校卒業で進路を決める際に、「医療職は安定しているし、やりがいを持てるだろう」と思って、地元の医療系大学に入り、作業療法士になりました。
ターニングポイントは大学1年生の時。東日本大震災が起きて、栃木にも、東北にもたくさんの方が避難して来られました。
僕が住んでいた近所にも避難所が10ぐらいできて、ボランティアとしてお手伝いをしていましたが、その時に「自分には何もできない」という無力さを感じました。
避難所で物を運んだり話を聞いたりすることはできても、被災した方たちが「家族がまだ見つからない」「家が津波で流されてしまった」という話をされた時に、自分として何もできることがありませんでした。無力さに打ちひしがれていた時に、被災地に入り、問題解決のために具体的な活動をしているNPOの方たちが、すごくカッコよく見えたんです。
そこからNPOに興味を抱き、ツアーやボランティアに参加するようになりました。
活動を初めて間もない頃の一枚。「初めての訪問生活支援のお客さん。灯油を買って運んだり、必要な箇所に入れたり、庭木を簡単に切ったり。いろいろな困りごとがあることを、改めて現場で習いました」
──そうだったんですね。
濱野:
作業療法士として働き出してからもNPOへの憧れは消えずにあって、社会人を続けながら細々と活動する中で、「高齢者の孤立」という大きな課題が見えてきました。
制度ではないところでこの問題を解決しようという動きは少なく、誰かがやる必要があると思い、最初は仕事をしながら、一念発起して起業しました。
──起業は勇気が要ったのではないですか。
濱野:
実際にニーズがあるかを確認しながら、「もしダメだったらまた就職しよう」という感じで、スモールステップを踏んでいった感じです。
「高齢者が幸せではない社会は、若者が希望を抱けない。高齢者はもっと笑顔でいていいし、そのためにできることがあるのではないか」という思いは当初からあって、誰もやっていないからこそ、挑戦する価値があるとも思いました。
「皆でディズニーランドに行った時の写真です。施設の利用者さん、地域高齢者、学生…皆の『行きたい』『やってみたい』は多岐に渡ります。難易度は高いですが、可能な限りそれに向き合える組織でありたいと思っています」
スタッフの皆さん。「立ち上げて8年。スタッフは7人に増えました。皆、自分の幸せを大切にしつつ、社会を変えていく仲間です」
──濱野さんのモチベーションを教えてください。
濱野:
僕たちは、「自分たちの幸せのために人助けをしている」と言い切っています。
自分たちの活動で目の前の人が幸せになったと感じられたら、自分たちももっと幸せになれる。誰かを幸せにすることで、人として満足感を得られて、美味しいビールが飲めると思うんです。
まずは自分が幸せであること、自分が満たされていること。そうして初めて、他者に目を向けることができる。それがぐるぐると循環して、自分と自分の周りの人たちがどんどん幸せになっていくような社会が作れたらと思っています。
その意味では、「幸せとは、一体何なのか」ということについては、普段からよく考えているかもしれません。周りがどうだからとか、皆がこうしているからとか、周りからどう思われるとか、そういったことは取っ払って、「どうなれば自分たちは幸せなのか」ということと向き合う時間を、かなり多く作っています。
その結果、たとえば周りとは逆をいくようなことでも、「自分たちとして、ここだけは確保しよう」というゾーニングができてきます。
スタッフ研修の様子。「スタッフ研修は合宿型で、年に数回、キャンプをしながら行います。がっつり内省する時間、運動時間、飲み会、ただのキャンプ…濃密です(笑)」
──確かに。
濱野:
僕自身、「自分の幸せ」とか「自分の軸」というものを、普段からよく考えている方だと思います。周囲のためにも、まずは自分が幸せでいられる環境と、その循環を作っていくということが大事だと思っています。
日本は、社会全体のあり方として、自分の優先順位が低いと感じます。でも、自分の優先順位を下げることは、正直、あまり良い効果を発揮していないと思うんです。
一人ひとりが自分のこと、自分の幸せに目を向けて、それを大事にしていくこと、まずは自分主体で生きるとうまくいくということもわりとたくさんあって、えんがおとして、そこを大事にしていきたいなと思っています。
「家族のための時間は、有給とは別に無制限で休みが取れます。えんがおを立ち上げから応援してくれていた副代表の祖母が危篤の時は、片道4時間の県外まで皆で会いに行きました。会議もいくつかキャンセルしましたが、こうした時間は、えんがおとして何よりも大切にしている時間です」
──なるほど。関わる方たち、また社会全体に向けて、「自分の幸せをもっと大事にしてもいいよ」というメッセージでもあるのですね。最後に、チャリティーの使途を教えてください。
濱野:
チャリティーは、子どもの事業のために活用させていただく予定です。
子どもが一人いるだけで、平和になるというんですかね、皆がその子を気にかけて、その場の空気がやさしくなったり、その子を中心に話題が生まれたりということがあるなと思っています。来年からは放課後等デイの事業も始める予定ですが、子どもを中心に、誰しもにやさしい循環を作っていけたらと思っています。ぜひ、アイテムで応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
スタッフの皆さん。「7周年の時に、スタッフみんなで撮った写真です。ただの集合写真ではなく、えんがおらしい写真にこだわりました」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
暮らしている地域の中に見知った顔があるというのは、すごく心強いし、安心しますよね。
えんがおさんが展開されているようなコミュニティがあることで、出会いのきっかけが生まれ、孤独の予防や、孤立の解消につながっていく。互いを知ることで、気にかけ合う関係性が生まれていく。このような場所が、各地に広がっていくといいなと思いました!
【2024/11/4~10の1週間限定販売】
お絵描き、編み物、パソコン、読書…。ひとつのテーブルの上で、いろんな人が、それぞれの時間を過ごしています。世代や環境を超えてさまざまな人が混ざり合い、そこで豊かなストーリーが繰り広げられる様子を表現しました。
“Share your life with somebody(人生を、誰かとシェアしよう)”というメッセージを添えています。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!