CHARITY FOR

「生死をさまよった経験が、がんばる子どもたちと出会わせてくれた」。闘病中の子どもたちにアートを届け、ワクワクできる体験を〜NPO法人スマイリングホスピタルジャパン

がんなどの重い病気で闘病中の子どもたちに、自由に自分を表現できる「アート」を通して、ワクワクしたり、自分の持っている力を感じられる体験を届けたいと活動するNPO法人「スマイリングホスピタルジャパン」が今週のチャリティー先。

2012年に団体を立ち上げた代表の松本恵里(まつもと・えり)さんは、40歳を前に教員になりたいと勉強していたある日、生死をさまよう大事故に遭いました。
入退院とリハビリを繰り返し、3年かけて社会復帰し、なんとか教員免許を取得。教員として最初に配属されたのは、大学病院の中にある院内学級でした。

「病院で生活するとはどういうことなのか。入院している子どもたちの姿が自分の闘病生活と重なり、ぐっとくるものがあった。一生懸命生きる子どもたちの姿を見て、私はここで生きていくと思った」。そう振り返る松本さん。

教員を辞め、団体を立ち上げて12年。
現在は全国16の都道府県の47施設の子どもたちに、「プロのアーティスト」によるワクワクを届けています。

ご活動について、そしてご活動への思いを伺いました。

お話をお伺いした松本さん

今週のチャリティー

NPO法人スマイリングホスピタルジャパン

闘病中の子どもたちに、プロフェッショナルアートを定期的に届ける活動をしています。
ワクワクできる時間を通じて、子どもたちが達成感や自信を取り戻し、自分らしく表現することで闘病に前向きになることを願って活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/09/30

重い病気と闘う子どもたちに
「参加型アート」を届ける

音楽療法士による音楽遊びの訪問。「こんにちは!と元気よく病棟へ。このベッドには、障がいが重く日頃ほとんど体を動かすことのないお孫さんに、おじいさまが付き添っていました。『この子、わからないと思うので、他の子のところへ行ってあげてください』とおじいさん。アーティストはこう応えました。『いえ、お子さんは、ちゃんとわかっていますよ』。そして楽器を鳴らすと、お孫さんはこちらに顔を傾け、リズムに合わせて足を動かしたのです。『こんなに反応したのは初めてです。何もできないと思っていた…』。おじいさんはそう言いながら、お孫さんの可能性に気づき、涙ぐんで喜んでいらっしゃいました」

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

松本:
私たちは、定期的に小児病棟の個室およびプレイルームを訪問し、重い病気と闘う子どもたちに、「プロのアーティスト」による「参加型アート」を届ける活動しています。
コロナの影響でまだ再開できていないところもありますが、北は北海道から南は沖縄まで、16都道府県・47施設で活動しています。

小児がんなどの重い病気で入院している子どもたちは、毎日痛い検査やつらい処置、手術があたり前の生活を送っています。日常生活の中に、本来の子どもらしい楽しみやワクワクが少なく、お子さんとご家族も「まずは治療に専念しよう」とそれをどこか諦めていて、主体的な活動がしづらい状況があるのです。

──そうなんですね。

アーティスト、保育士さん、お母さんと一緒にパステルアートを楽しむ子どもたち。「カラフルなパステルに瞳を輝かせ、始めて経験する子は興味津々。どんどん手を動かしていきます。夢中になりながらも、お隣の子の様子も気になって他の病室の子どもと仲良しになるという場面もしばしば。『えー、入院しててもこんなことができるの?入院してたからこそできたのかもね!』などというコメントが付き添いの方からも飛び交いコミュニケーションの場作りにもなっています」

松本:
治療はもちろん最優先でありながら、院内学級や教師が病室を訪問して学習を行う訪問学級というシステムがあり子どもたちの学習や活動が保障されています。そこへ、私たちはそこではなかなか創出できない余暇や楽しみや高揚感を得られるようなイベント的な活動を作っています。

闘病中の子どもたちが楽しめて、かつ「自分でやれた」「参加できた」という達成感を得てもらえたらと思い、スマイリングホスピタルジャパンでは一緒に何か作る、演奏するなど「参加型であること」にこだわっています。

アートには正解がありません。どう表現したって良いんです。さまざまな制限があり、寂しさや痛み、退屈さを抱えている子どもたちに、アートを通じてのびのびと自由に自分を感じ、表現してほしいと思っています。

版画家によるワークショップの風景。「子どもたちは版の作り方を教えてもらい、夢中になって黙々と作業に没頭しています。顔料というものを使いますが、中には指で顔料を取り、直接画用紙に描画する子どももいます。子どもの感性や独創性に周りの大人たちが驚き、その表現力を引き出すきっかけになっていることを実感します。生きることは表現すること。アートには答えも決まりもありませんから、自由な気持ちで自分のいのちいっぱいに制作活動に没頭し、まるで入院していることを忘れているかのようです」

訪問するのは「プロのアーティスト」

「アーティストたちはいつも全身全霊。それが伝わってくるのは特に一発勝負の大道芸です。失敗しても何度でも挑戦することで、できなかったことがいつかできるようになるよ!というメッセージを込めて、アーティストは子どもたちの目の前で失敗しおどけます。ジャグリングやマジックのワクワクに加え、誰だって失敗するんだ、していいんだという安心感ももたらします」

──病院を訪問するのは、プロのアーティストの方たちだそうですね。

松本:
はい。ピアニスト、ギタリスト、フルート、ピアニカ、アコーディオン奏者、パーカッショニスト、版画家やパステルアート、粘土細工や立体工作、ペーパークラフト、バルーンアート、ジャグリング、パントマイム、コメディアンなどのアーティスト…種類が多すぎてすべてご紹介できませんが、さまざまな分野のプロのアーティストが160名ほど、団体に登録してくださっています。

楽器を一緒に演奏したり歌ったり、声優やナレーター、噺家が臨場感たっぷりに語る中に子どもが参加したり、また英語の歌遊びや似顔絵アート、大道芸を体験したりマジックを覚えたり、そして壁を病棟の皆で装飾するウォールアート‥、内容も本当にバラエティ豊かです。

「安静が必要な子どもへは、ベッドサイドで静かに活動します。こちらでも病状に合わせて、可能な限り見せる、作ってプレゼントするだけではなく一緒に!にこだわります。特にバルーンはラテックスアレルギーの子どももいるため事前に必ず医療スタッフに確認します」

──楽しそうですね。

松本:
プロのアーティストにこだわっているのには、理由があります。
小児病棟はすごく流動性が高く、その日、現場に行ってみないことには、どんな子どもたちが参加するかわかりません。子どもたちの年齢や体の状況などを見て、たくさんある引き出しの中から、その場に合った最善のパフォーマンスを臨機応変に提供できるのは、プロの方ならではです。

「予定していた内容よりも、こっちの方が楽しんでもらえる」ということを瞬時に判断し、やはり楽しく、ワクワクする空間を創出してくださるのです。

声優によるお話会。「病棟のプレイルームに10名ほどが集まっていまきした。まずは少しおしゃべりしてアイスブレイク。子どもたちは医療者でもない初対面の訪問に最初は少し訝しげです。しかしそれを前提で、訪問するアーティストはみんなの気持ちをほぐしながら、年齢や様子で判断し、これ!という引き出しを開けて活動を開始します。クイズの要素が入った紙芝居にみんな食い入るように引き込まれそのうちやりとりも盛んになりました」

──そうなんですね!

松本:
登録アーティストの方たちには、「子どもたちが主役であること」を大事にしてもらうようお願いしています。

たとえば、演奏にしても大道芸にしても、子どもたちを引っ張ってきて、一方的に「見てください」というのではなく、子どもたちの方から「なんだろう?」「やってみたい!」などと、主体的に参加してもらえる雰囲気づくりを大事にしています。

安静な中でも、大好きなバルーンを作ってもらうとスッと起き上がりベッドに座りました。笑顔が生まれてクラウンさんとツーショットです

松本:
アーティストの方たちは普段、劇場型で一方的に観客から見られることがほとんどです。しかし小児病棟では、目の前の子どもたちの表情や反応を身近に感じながら、彼らの気持ちを上向きにするパフォーマンスをします。

「その場その場でどう振る舞うかが、アーティストとしてすごく勉強になる」と皆さん言ってくださって、私たちもやめずに続けてくることができました。
活動を通して気づきや学びを得た登録アーティストはその喜びがあって活動を続け、口コミでまた新たにアーティストの仲間を呼んできてくださることで、途切れなく活動が続けられるのです。

免疫力の低い子どもたちが入るガラス張りになったケアユニットで、リクエストに応えながらピアノ弾き語りを楽しんでもらう活動。「病状に配慮し少し距離を置いての演奏歌唱ですが、全員がカーテンを全開にして、ある子はベッドに座って、ある子は車椅子に移って、付き添いのお母さんや看護師さんも一緒に音楽を楽しんでいます」

──小児病棟で活動する上で、気をつけておられることなどはありますか。

松本:
小児病棟という非常にデリケートなところに入って活動するわけなので、アーティストの方々には、健康診断結果の提出、また主な感染症4種の抗体検査を受けていただきます。厳しく設定された基準値未満の感染症については、追加接種も必要です。
また健康管理を徹底し、アーティストの体調次第では、当日の訪問をキャンセルすることもあります。楽しみにしていた子どもたちをがっかりさせたくないので、できるだけ早めに申告していただいて、代打を探すようにしています。

毎年、全国のアーティストやスタッフが一堂に会した研修・交流会を実施。「医療、アート、教育関係の講師をお呼びしての勉強会、グループワーク、そしてそれぞれの技を披露しながらの交流会へと盛り上がります。日頃は個々に活動するため、研修・交流会での他のアーティストとの意見交換や工夫の共有などの機会は活動の質の向上はもちろん、一人ひとりにとって大きな学びにつながります。理念の再共有も大切な会の目的です」

“Happiness Helps Healing
(楽しむことは、治癒を助ける)”

「大道芸の活動です。感染に非常に弱い子どもたちが集まっていたので、大道芸人と観覧者の間に距離をとっています。本来なら不思議な球に触れてマジックを経験して欲しかったのですがやはり安全第一です。感染には十分注意しながらパーフォーマンスを楽しんでもらいました。高度な芸に熱心に見入る子どもたち、そんな中に大道芸人のみせる愉快なトークが和気藹々とした雰囲気を作ります」

松本:
私たちは、“Happiness Helps Healing(楽しむことは、治癒を助ける)“というスローガンを掲げています。「芸術は爆発だ」じゃないけど、入院して自信を失っていたり、自由を制限されていたりする子どもたちにとって、アートには自分を大いに発散できるところがあると思うんです。

アートに答えはなくどこまでも自由。だから心が解放され夢中になって何かを作ったり、歌ったり、楽器をかき鳴らしてみたり…、そうやって没頭する時間は、病気であることや入院していることを忘れているかのようです。体の血の巡りがよくなって、治癒力も高まるんじゃないかと思っています。

──魂に直接触れるというか、本来の「自分らしさ」が取り戻されるんですね。

トランプマジック教室の風景。「マジシャンのカードさばきに釘付けになる中高生たち。『練習すればできるようになるよ』と言いながら、マジシャンが簡単なマジックのやり方を伝授すると、みんな熱中して練習を始めました。『続きは病室で練習するね』と手応えを感じている様子の子に、『きっとできるようになるよ。次来たときに見せてね』とマジシャン。『ここにいたらこんなこともできるね、いいかも…』とは、もう一人の参加者の声です」

松本:
そうですね。諦めてしまっていた子も、自分のワクワクに気づいたり、自分らしさを復活して、笑顔になれる。一度「こんなことができるんだ!」と経験したら、次からはもっと積極的に参加してくれるようになります。

もう一つ、子どもたちの笑顔は、周りにいる大人も笑顔にします。
周りの大人たちは、子どもが苦しんでいる姿を見ることがすごくつらいです。お母さんは変わってあげられない苦しさ、医療者は治療のためとはいえ幼い子どもに痛い処置や手術をしなくてはならない。でも、そんな現場だからこそ、子どもの笑顔を創出する活動が、もっともっと必要だと思っています。

楽しいから、笑顔になる。子どもが楽しくて笑顔になると、まわりの大人たちも嬉しいし、笑顔になります。

「子どもの笑顔で、私も救われた」という声を、活動の中でたくさんいただいてきました。実はお母さんの笑顔が子どもをホッとさせるということもあります。自分のために悲しませている、と思って気丈に振る舞う子どもが、お母さんや周りの大人の笑顔を見て笑顔になる、そんな笑顔のサイクルがあります。

医療者の方も交えた演奏。「医療者の中には、セミプロと言っていいほどの方たちがいます。ピアニストが訪問する日、待ってました!とばかりに医師たちがフルートやバイオリンをどこからともなく持ってきてアーティストとセッションが始まることがあります。この日は少しの打ち合わせの後、『リベルタンゴ』が始まり、プレイルームに集まった子どもたちや付き添いのご家族、看護師さんや保育士さんを驚かせていました。医師は医療者としてではなく、素の自分を知ってもらうことで患者さんとの垣根がなくなる、そしてご家族からは話題もできてちょっと話しづらかった担当医師が親しみやすく感じるようになったとの感想がありました」

生死をさまよう交通事故に遭遇。
「命と向き合う経験が、病院の子どもたちと出会わせてくれた」

「スマイリングホスピタルジャパンに最初に登録してくれた、登録第一号のアーティストさん。愉快で芸が素晴らしいだけではなく、自らも子どもに戻って、子どもの気持ちに自然に寄り添う心温かなコメディアンです。治療を頑張っている子どもと対話する時の親しみやすさは、目の前の子どもはもちろん、そこにいるすべての病棟スタッフをも笑顔にします」

──松本さんは、外資系の銀行員をされた後、出産・子育てを経て教員免許を取得され、院内学級の先生になり、そして団体を立ち上げられたと伺いました。どのような経緯だったのでしょうか。

松本:
団体を立ち上げた直接のきっかけは、教員として院内学級の子どもたちと出会ったことです。

英語の教員になりたくて、38歳の時に教員になるための勉強を始めました。40を過ぎて教員になり、最初に配属されたのが院内学級だったんです。24時間ずっと医療機器につながれていたり、寝たきりだったり、つらい治療をがんばっていたり…、さまざまな制限のある子どもたちの日常を目の当たりにしました。

「赴任した院内学級では、これほど壮絶な闘病生活を送る子どもがいること、そしてその健気さに胸を打たれ、知らなかった自分を恥じ、目の前の子どものためにできることはなんだろうと模索する教員生活でした。放課後は病棟に遊びに行き、女子の部屋では手芸などの物づくり、男子の部屋では怖い話をみんなで読んで夢中になり、個室の子とは好きな音楽を一緒に聴き…という毎日でした」

松本:
「この子たちに、どうやったら入院生活を楽しく送ってもらえるか」を考えるようになり、子どもたちの表情を観察するようになり気づいたのが、一番楽しそうにしているのが、音楽や図工、美術といった芸術の授業の時間だったんです。それで「これだ!」と思って。「アートに特化した活動ができたらいいな」と思ったのがきっかけですね。

──最初は教員を目指されて、そこから入院中の子どもたちに気持ちが向いて行かれたのはなぜだったのでしょうか。

松本:
そうですね…。私自身、長期入院の経験があったからだと思います。
教員免許をとるためにハードな日々を送っていた2000年、39歳の時に交通事故に遭いました。車を運転中、大型トラックと出会い頭にぶつかり、車は大破。道路脇の電信柱も倒れ、あたり一体が停電するほどの大事故でした。
意識を失って病院に運ばれ、しかしもう助からないだろうと家族が集められたそうです。私自身は事故の前後の記憶が全くなく、何も覚えていないのですが…。

バルーンのわんちゃん作りに夢中になっている小さな子どもたち。「通常、バルーンは作ってもらうもの。でもスマイリングホスピタルジャパンの活動は主体的に活動することを重視しているので、必要な時は手伝ってもらいながら、自分で作る時間も設けます。バルーンは割れるものですが、そのうち割れる音もへっちゃらになります。そして難しいと思っていたバルーンが自分で作れた!という自信は入院生活にこそ必要なものです」

松本:
いちばんダメージが大きかったのが頭で、ぶつかった衝撃で急性硬膜外血腫を発症し、家族は「もし生きられたとしても、残りの人生は車いす生活だろう」と告げられたそうです。その次が肺で、血気胸といって、肺を覆う胸膜腔に空気と血が大量に溜まっていました。ドレインを注入して血を抜くことに何日かかかり、なんとか一命をとりとめました。

救命センターの先生が「助かったよ」と声をかけてくださったのがぼんやり記憶にあるのですが…、「ここはどこだろう」という感じで、状況を把握していませんでした。

命は助かったということで救命センターからICUに移り、ぐちゃぐちゃになった肩の骨の手術を経て、一般病棟に移って3ヶ月で一旦退院できたのですが、体中に釘やワイヤーが入っている状態で、その後1年は入退院を繰り返し、さらに1年、毎日リハビリに通い、3年ほどかかって、やっと社会復帰することができました。

──そうだったんですね。

「集まるのは子ども、ご家族、現場スタッフ、そしてアーティスト。その中で主役は子どもたち。ピアニストは子どもの様子に合わせて曲目や曲調を変えたり、歌わずに演奏だけにしたりと寄り添います。子どもたちはピアノの旋律に合わせてリズムをとったり打楽器を鳴らしたり、体を動かしたりして音楽を楽しみます。子どもの笑顔が周りに連鎖し、そこにいる誰もが笑顔になります」

松本:
3年目には復学し、2003年、42歳の時に教員免許を取ることができました。右手が動かないし痛いしで、教員の夢を諦めようと思ったこともあります。それでもなんとか踏ん張って勉強を続け、そして院内学級の子どもたちと出会えたことは、何かの導きだったのではないかと思います。

病院で生活するとはどういうことなのか。入院している子どもたちの姿を見て、ぐっとくる共感がありました。それが私を、「この子たちと関わって生きていきたい」という気持ちにさせたんだと思います。

「院内学級にいた頃、音楽のベッドサイド授業でアシストする機会がありました。緩和ケアに入っていた小学1年生のGくん。お父さん、お母さん、きょうだいさんが個室に入ることを許されていました。ベッドの中は大好きな弟と自分のお気に入りのおもちゃでいっぱい。我が子のために、考えつくありったけの愛情を注いでいたご両親。穏やかなその姿は、今思うと、どこか覚悟を決めておられたのだろうかもしれません。大好きなアニメソングをノリよく弾き語りする音楽講師のMさんと一緒に歌うGくんでしたが、いったんだるそうな様子になると、Mさんは瞬時に、ゆっくりしたテンポの音楽に切り替えました。音楽で寄り添うMさんを見て、これだ!と直感しました。 変化を見逃さず、子どもが夢中でいられるための気転をきかせること。たくさんの子どもが今の活動の原動力ですが、中でもGくんの様子とそれに寄り添うご家族とアーティストの風景が、この活動へさらに背中を押してくれ、活動のあり方への決定打となりました」

松本:
自分の死と直面し、生きることと向き合ったことが、今日を一生懸命生きる子どもたちの前に、私を連れてきてくれたというか。「私は、ここで生きていくんだ」と思いました。

事故に遭ったすぐ後にも、「もしかしたら自分にはやり残したことがあって、何かが『まだ逝っちゃだめだ』と引き留めたんじゃないか」と思いましたが、その時はまだ、それが何なのかハッキリとはわかりませんでした。
院内学級で子どもたちに出会った時、「あっ、これだったんだ」と思ったんです。「あの時に助かったのは、これをやりなさいということだったんだ」と。

「印象に残っている活動はたくさんありますが、手術を直後に控え、泣いていた一人の女の子が、みるみる笑顔になっていった様子は脳裏に焼き付いています。この日は、新聞紙でかぶりものなどを作成し好きなものに変身する活動でした。『お姫さまになりたい』と、小さな声で気持ちを伝えてくれたこの女の子は、アーティストにフワッと広がるドレスやティアラ、リボンなどを作ってもらううち、自ら小さなお花を作ってスカートに飾り付け、鏡を見て自分の姿にうっとり。その後、ぐずることなくお姫様の姿のままで手術室へ向かいました」

「この子たちと、一緒にいたい」。
スマイリングホスピタルジャパンを設立

「2012年5月9日、神奈川県立こども医療センターで毎週水曜日の定期活動が、この日に始まりました。駆け出しの任意団体ですから、まずは病棟でボランティア活動をするにあたっての注意するべきことやあるべき姿をじっくりと肌で学び、1箇所で地固めをすることに徹していました。この日はコメディアンのマジックでした。なんとも場違いの私たちで、医療の邪魔にならないようにと緊張しながらでしたが、活動がもたらす子どもたちの夢中になる姿や笑顔を現場スタッフも喜んでくれ、手応えを徐々に感じることができた日々でした」

松本:
院内学級の教員をしている間、つきそう親御さんたちの大変さも目の当たりにしました。
病室につきっきりで、子どものおむつを買いに行く時間もないし、自分たちの着るものや食べるものは後回しです。親御さんの手伝いをささやかながらしていたのですが、ある時、重いがんのお子さんに付き添っておられたお父さんが「子どもが楽しんでいる姿が、僕の一番の力になるんです」と言われて。
「親御さんの笑顔も、子どもの笑顔からなんだ」と改めて感じ、やはり子どもを笑顔にする活動がしたいと思いました。

二つの院内学級に勤務した後、任期が切れるタイミングで教員をやめ、団体を立ち上げて活動を始めました。

──事故を経て、必死の思いで教員になられたわけで、「教員を続けたい」とは思われなかったんでしょうか。

松本:
もともと子どもたちに英語教えたくて教員になったので、その意味では、他で教員をするのも良かったのかもしれません。でも私はとにかくこの子たちと一緒にいたいと思いました。
痛くてつらい思いをしながら、それでも立派に生き、いろんなことを教えてくれる子どもたち。この子たちのそばで、これからも学び、成長したいと思ったんです。

──覚悟を決めておられたんですね。

療養生活に必要なグッズを作り、プレゼントする活動も行っている。「主に小児がんなどの診断がおりてすぐに必要にもかかわらずご家庭による調達や作成に委ねられているCVカテーテル(鎖骨の下の血管に埋め込まれた薬剤投与するカテーテル)保護カバー、PICC(腕から挿入するカテーテル)カバーはじめ、ベッドサイドモニター(心電図や心拍数、SpO2呼吸数、脈拍などのデータを確認するもの)コード結束ベルト、着脱便利な衣類等の開発・制作・提供も行っています。医療スタッフや患者ご家族からのリクエストにより改良を重ね、無償提供しています。
治療に前向きになれるよう、かわいらしい色や柄など種類を複数そろえて、お子さんたちに好きな絵柄のものを選んでもらっています」

松本:
そうですね。ちょうどそんなタイミングで、銀行時代の上司から「入院中の子どもたちにアートを届ける活動を、日本でやる人を探している」という話が舞い込んできました。

チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)に勤めていたのですが、退職者が集まるインターナショナルコミュニティがあって、そこで「スマイリングホスピタル」という活動をハンガリーでスタートした元職員の方が、日本での活動の適任者を探しておられたんです。

──すごいタイミングですね!
声をかけてくれた上司の方は、松本さんがそのようなご活動をしたいとご存じだったんですか。

スマイリングホスピタル創始者のアルバート・ロイヤーズさんと。「メールでのやり取りが続いていたアルバートと初めて会ったのは、設立1周年記念のクリスマス活動報告会のために来日くださった時でした。翌日には、当時活動していた病院での見学や病院長さんへのご挨拶などをした後、双方の活動について、情報交換やいろいろなエピソードの共有をしました。最後は、最大の課題であるファンドレイズやスポンサー獲得についての話し合い、そして理念の再確認をしました。帰国後もメールで進捗を伝え、進展があると手放しで喜んでくれたのを覚えています」

松本:
いいえ、不思議ですが、そんなことはないんです。私が英語のやりとりができること、また病院で働いていることから、「病院の様子も知っているし、もしかしたら」くらいの感じで声をかけていただいたようです。
でも、「こういう話なんだけど、どうかな」と詳細を聞いた時には、「それ、私がやりたかったことです」とお返事していました。

銀行で働いていた時は、自分には銀行業務は向いていないと思っていました。でも、不思議ですね。ここもちゃんと、人生がつながったんですよね。

ハンガリー在住の創始者、アルバート・ロイヤーズさんとメールで打ち合わせをしながら、2012年、スマイリングホスピタルジャパンを設立しました。

「病棟の白い壁を明るくポップに!というコンセプトでクラウドファンディングを通して賛同者を募り、現在までに4箇所でウォールアートを行いました。中でも印象的なのは、小児がんなどで移植が必要になる子どもが一人で数週間を過ごさなくてはならないクリーンルームの入り口に配した、病棟のシンボルツリー。移植を終えた子どもが、いろんな果物のシールに次に移植を受ける子どもへのエールを書き、ツリーに貼ります。入室前に見てもらい勇気のバトンをつなぐ場所になっています」

「今を大切に生きることを、子どもたちが教えてくれた」

2017年4月より、重い障がいのある子どもに在宅訪問学習支援を届ける活動もスタート。「その子が持つ力を十分に活用できるように、わずかな動きでも操作できるスイッチや視線入力などの支援機器を使用し、運動機能の制約に合わせた環境設定をします。それにより、通常の環境では難しかった「自分でやってみること」が少しずつ可能に。コミュニケーション方法は50音文字盤、カード選択、パソコン、タブレット、視線入力機器、発声、瞬き、身体の動き、呼吸数などを組み合わせ行なっており、姿勢を安定させるために高さ調整できるオリジナルの机も学習支援員が業者と開発しました。基礎学習では、感覚に制約がある場合に有用なオリジナルの感覚教具を使い、文字や数の基礎となる空間的な位置関係や量などの概念を学びます。音楽ではiPadアプリのスイッチ操作や視線入力装置を活用し、パーカッションやコードを担当してもらいピアニストとセッションしたり作曲にも挑戦。美術では道具を工夫し、素材を実感することを大切にしながら自分のペースでもの作りをします」

松本:
本当にたまたまの経験が、全く想像もしなかった方向に私の人生を導き、たくさんのことを学び、成長させてもらいました。事故に遭ったこと、そして亡くなった子も含め子どもたち一人ひとりとの出会いが、折に触れ「もっとちゃんと生きなさいよ」ということを私に教え、今日まで導いてくれたのです。

私の座右の名は「一日一生」です。
一寸先は、誰にもわかりません。健康であっても闘病していても、どんな人にとってもそれは同じ。だからこそ、今に命を輝かせて大事に生きなければならない。私はそのことを、子どもたちから教えてもらいました。

──松本さんのモチベーションを教えてください。

松本:
「行き場のない怒り」です。幼い子どもや若年の子どもが小児がんをはじめとする難病に罹ってしまうという不条理に怒りが込み上げます。
医療者ではないので、病気は治せません。でも子どもたちの心が躍り、笑顔になれる時間が少しでもたくさんあるように、これからも活動していきたいと思っています。

松本さんが活動を始めた経緯や、活動による子どもたちや家族、現場の変化をさまざまなエピソードを交えて綴った著書『夢中になれる小児病棟――子どもとアーティストが出会ったら』(松本惠里著/英治出版/2021年)。「小児の療養環境の更なる向上を願って作った本です。関わってくださる医師や保育士、アーティストの活動への思いや、子どもへの病気の告知についてはコラムという形で掲載しています。入院生活を送る子どもや重い障害のある子どもについて、院内学級について、そして医療の場にアートがあるということの意義、さらに命の全体性について、読み取ってくださったら嬉しいです。ぜひ手に取ってみてください」

松本:
そしてもう一つ、あらゆるジャンルのプロのアーティストが、小児病棟を定期的に訪問し参加型の活動をするという活動は、他を探してもここ以外にありません。アーティストの皆さんと一緒に、唯一無二のこの活動を続けられていることを、心から誇りに思います。

あとはやっぱり、子どもが大好きなんですよね。子どもの笑顔が見られることが本当に嬉しくて、何よりの原動力ですね。

「キミだけのオリジナルステッカーを作ろう!」プロジェクト。「病棟を訪問できなくなったコロナ禍に始めた参加型アートの一環です。子どもはシールが大好き。自分のオリジナルの絵やデザインがステッカーになって戻ってきたらどんなに嬉しいだろうとこのプロジェクトをスタートしました。まるかしかくか、シールのフォーマットを病棟に送り、子どもたちはどちらか好きな形を選んだ上で、絵を描いたり写真をコラージュしたりして自分だけのオリジナルのデザインを作成、保育士さんが集めて私たちのところに送り返します。その後20枚セットにしてプレゼントしています。届いた瞬間、病棟に笑顔があふれると大好評です」

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

松本:
チャリティーは、小児病棟の子どもたちに参加型アートを、在宅医療を受ける子どもたちに学習支援を届けるために、また「君だけのオリジナルステッカーを作ろう!」のプロジェクトのために、さらに療養生活に必要なグッズ制作・プレゼントのために必要な資金として活用させていただく予定です。
ぜひ、応援いただけたら嬉しいです!

──貴重なお話をありがとうございました!

コロナ前、日赤医療センター講堂で開催した「SHJ全国研修・交流会」にて、参加した皆さんの集合写真。「年に1度、全国のアーティスト、コーディネーター、アシスタント、そしてスタッフが一堂に会して、医療、教育、アートなどの専門家による講義とグループワークを行い、地区を超えた意見・情報交換しながら親交を深めます。この後は場所を変えて、各々持参した楽器演奏やパーフォーマンスを披露しながらの交流会で盛り上がります。昨年はコロナを経て、4年ぶりに対面での実施がかないました!」

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

九死に一生を得るご経験をされた松本さん。人生のさまざまなピースが合わさって、まさに導かれるべくして導かれ、このご活動をしておられるのだと思いました。
私たち一人ひとりに、生まれてきた意味や役割があります。最初からそれが何かわかれば良いですが、生きる過程で忘れてしまうこともあるし、向き合って向き合って、やっと見えてくるかこないかみたいなこともあります。ただ、それはいつも自分の「ワクワク」に紐づいていると思います。今日、ワクワクする方を知って、選べたら、命はもっと輝きます。それはきっと、病院にいても、どこにいても。
「君の命は、本当はもっと輝いているし、もっと輝いていいんだよ」を教えてくれる、とてもすばらしいご活動だと思いました。

・スマイリングホスピタルジャパン ホームページはこちらから

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【2024/9/30~10/6の1週間限定販売】
病院の窓から、心踊る楽しいものが飛び込んできました!
入院していても心がワクワクする体験を諦めず、楽しいことにたくさん触れてほしい。
そんな思いを表現すると同時に、ワクワクする経験を経て、子どもたちが自分の殻を打ち破り、外の世界に飛び出していく様子を表現しました。

“Find your happiness(君だけのしあわせを見つけよう)“というメッセージを添えました。

チャリティーアイテム一覧はこちら!

JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!

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