最近、皆さんが鳥を目にしたり身近に感じたりしたのはいつですか?
私たちの生活にすごく身近にいるのに、その存在を意識するということが、実はなかなかなかったりしますよね。とはいえ私たちは、日々の暮らしの中で、その姿や鳴き声に、たくさんの癒しをもらっているように思います。
自然環境の変化をはじめとするさまざまな理由により、数を減らしている鳥がいることをご存知でしょうか。絶滅危惧種に指定されているタカの仲間「サシバ」もそのひとつです。
春、日本に飛来し、子育てをしてから、秋には暖かい地域へと渡っていくサシバ。カエルや昆虫などを獲って食べるサシバは、昔から人が暮す、里山や谷戸の環境で人と共に生きてきました。しかし今、数を減らしている地域があるといいます。
「鳥は、環境の良し悪しを示すバロメーター。当たり前の鳥が当たり前にいる、そういった風景を守りたい」。
そう話すのは、今週JAMMINがコラボする公益財団法人「日本鳥類保護連盟」調査研究室室長の藤井幹(ふじい・たかし)さん。
活動について、お話を聞きました。
お話をお伺いした藤井さん
公益財団法人日本鳥類保護連盟
鳥類をはじめとする野生生物の保護を広く普及するとともに、その保護を推進し、生物多様性の保全に貢献することを目的に活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/09/09
国内外で鳥の保全のための調査や研究を行っている。写真は、加計呂麻島での鳥類調査の様子
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
藤井:
日本鳥類保護連盟は、野鳥をはじめとする野生の生きものの保護及び自然保護を推進するために、普及啓発と調査研究を柱とし、さらに国際協力事業にも力を入れて活動しています。
日本鳥類保護連盟は、戦後間もない1947年に、文部省(現文部科学省)、農林省(現農林水産省)、鳥学会、研究機関、団体などが一堂に会して結成されました。当時、日本にはまだ野鳥や自然を保護するという考え方や感覚自体が定着していませんでした。
「自然を守っていかないと、人間にもいずれ影響がある。鳥は自然のバロメーターであり、保護しなければならない」。鳥類研究の第一人者として知られる元侯爵の山階芳麿(やましな・よしまろ)氏が1942年に設立した「山階鳥類研究所」の中に、当初は事務所を間借りするかたちで活動をスタートしました。
連盟の機関誌「私たちの自然」は1961年に隔月で発刊が始まった。「隔月の機関誌とは別に、毎月ニューズレターも作っていました。名前は『月報』でしたが、その後機関誌と同じ『私たちの自然』となり、そして機関誌に統合されました。このほかにも指導者向けのニューズレターも作っており、当初、普及啓発のための情報発信にいかに力を入れていたかがうかがえます」
藤井:
設立2年目からは日本鳥類保護連盟の会長を山階先生がつとめ、山階鳥類研究所は調査・研究、日本鳥類保護連盟は教育・普及啓発活動という分担で活動していたんです。
──そうなんですね。
藤井:
次世代の自然保護の担い手を育てていくために、当初より「子どもへの環境教育」には特に力を入れてきたと聞いています。普及啓発の一環として、全国野鳥保護のつどいや功労者への表彰だけでなく、子どもを対象にした愛鳥週間ポスターのための原画コンクール、野生生物や自然保護に取り組む全国の小中高を表彰する「全国野生生物保護活動発表大会」などを開催してきました。
「毎年5月10日~16日の愛鳥週間には、常陸宮殿下及び妃殿下ご臨席のもと、『全国野鳥保護のつどい』を行っています」
藤井:
「全国野生生物保護活動発表大会」の取り組みの対象は、鳥だけに限りません。植物、昆虫、魚…自然保護に関することなら何でもありです。
「鳥の団体なのに、なぜ?」といわれることがありますが、鳥を守ろうと思ったら、鳥だけを見ていてもダメで、取り巻く環境、自然全体を見ないとダメなんです。鳥は、自然なしには存在できません。自然全体に目を向けようということも、こういった活動を通して伝えられたらと思っています。
「全国野生生物保護活動発表大会」の様子。「全国から小・中・高等学校の計9校が選出され、環境省で表彰・発表を行います。コロナ禍の中一時はオンラインとなり、継続も危ぶまれましたが、継続してほしいとの強い要望のもと継続して実施しています」
2024年の愛鳥週間用ポスター。「原画コンクールには全国から35,344点の応募があり、都道府県の審査を経て、406点の原画が当連盟に届き、審査を行いました」
藤井:
設立当時は教育・普及啓発が主な活動だったので、日本鳥類保護連盟として鳥の調査・研究はしていませんでしたが、自然が失われていく中で、学術的な研究に加え、保護・保全に直接役立つ調査・研究の重要性が増してきたことから、当連盟でも調査・研究を行うようになりました。
「鳥の生態を知り、どう保護に生かしていくか」というところで、今最も力を入れているサシバのほか、希少種であるシマフクロウや希少猛禽類、コアジサシ、最近では南西諸島の固有希少鳥類であるアマミヤマシギやオーストンオオアカゲラ、外来種のインコなど、さまざまな調査・研究を行ってきました。
絶滅危惧種「アマミヤマシギ」の保全のため、渡り生態に関する調査を行う。「越冬地と思われる沖縄県やんばる地域においてGPSタグを装着して放鳥したところ、沖縄島から奄美大島まで海を渡って移動したことが初めて確認されるという、大きな成果もありました」
──そうなんですね。
藤井:
ただ漠然と「守りたい」と思っても、知らないことには何をすればいいのかわからないし、見当違いのことをやって効果が得られず、その間に絶滅してしまったら意味がありません。調査・研究によって、具体的に何をどうやって守っていけばいいのかや、守るべき場所が見えてきます。
絶滅危惧種「コアジサシ」保全のための対策を検討するため、渡りを調べる機器を装着して越冬地や中継地を特定
──確かに。
藤井:
数を減らす鳥がいる一方で、数を増やしている鳥もいて、私たちは外来種の調査も行っています。
たとえば、「ワカケホンセイインコ」という、もともとはインドやスリランカに分布する外来種がいます。国の駆除対象には指定されていませんが、ここ最近、国内でどんどん数を増やしています。これ以上数を増やさないためにはどうしていくかを考えるために、調査・研究を行っています。
絶滅危惧種「シマフクロウ」の保全プロジェクトにて、シマフクロウの巣箱を設置するため、十数キロの巣箱をかついで山に分け入る
藤井:
鳥を絶滅から守るためにと考えていると、「希少種だけを守ればいい」というふうになりがちですが、そうではありません。
スズメやシジュウカラといった、生態系を支える裾野の部分が重要だと考えています。猛禽類などの生態系の頂点に立つ動物を支えている、私たちの身近で普通に見られる鳥たちもまた、守らなければならない対象なのです。「当たり前の鳥」が、この先もずっと当たり前に見られるように、調査研究と啓発活動を行っています。
「私たちの身の周りにいるスズメ。人の生活に依存しているため、人がいなくなるとスズメもいなくなります。これだけ身近なスズメでさえも、減少傾向にあるかもしれないということで警笛が鳴らされています」
開発や田畑の放棄によって生育地が減り、絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)に指定されている「サシバ」。日本にも渡ってきて、繁殖・子育てを行う。「聞き慣れない名前かもしれませんが、タカの仲間です。体長(くちばしの先から尾羽の先まで)は50センチ前後、翼開長(翼を広げた状態で左右の翼の先から先まで)は1メートルを超えます。体の色・模様、特に喉の縦線は特徴の一つですが、デザインのイラストのように真っすぐにすらっと伸びた翼もサシバの特徴です」
──国際協力もされているんですね。
藤井:
はい。日本では「渡り鳥」という表現をしますが、これは、日本が四方を海に囲まれた島国だからこそです。「海を越えて渡ってくる」という発想・表現は日本人特有で、海外では「マイグレーション」と言い、端的に「移動」と表現されます。
季節によって渡っていく先が海外だとしたら、日本の生息地だけ一生懸命守ってもその鳥の保護は成り立ちません。渡った先で生きられる環境がなかったら、または殺されていたら、鳥の数は減っていきます。渡り鳥の保護のためには、国を超えての協力が必須なのです。
越冬地で、カマキリを捕まえたサシバの若鳥
──確かに。
藤井:
日本は北半球に位置し、ハクチョウやカモなどロシアの寒い地方で繁殖した鳥たちが、繁殖地が氷に閉ざされる頃、餌を求めて冬越しにやってきます。また、春には日本より南で冬越ししていた鳥たちが、餌動物が眠りから覚める、または集中的に発生するこの時期に、子育てのためにやってきます。
日本には四季があるので、多様な鳥の移動・交流がある場所なのです。
「日本は四季があるため、季節の変化に合わせて冬鳥や夏鳥が入れ替わりながら海を渡ってやってきます」
藤井:
これまで、リトアニア、中国、フィリピン、オーストラリア…、いろんな国と共同で活動してきましたが、今も力を入れている活動のひとつが、フィリピンの「サシバ」の密猟対策のプロジェクトです。
サシバは春から夏にかけて日本にも渡ってくるタカの仲間で、バッタやトカゲ、カエルといった、猛禽類にしては小さな生きものを食べる鳥です。これらの生きものが多い環境、つまり水田や谷戸(谷間、湿地)、里山の環境があるような場所に生息し、「ピックイー、ピックイー」と甲高い声で鳴きます。タカの中でもよく鳴くタカなので、ひと昔前までは、こういった環境のある農家の方にとっては身近な鳥だったと思います。
しかし、開発や田畑の放棄によって生育地がどんどん減り、現在は絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)に指定されています。
各国のサシバ保全に関わる人や行政が一堂に会し、サシバ保全に関わる活動報告や、保全のために協力していくことへの宣誓、調印式などを行う「国際サシバサミット」。「日本からは、アジア猛禽類ネットワーク、日本自然保護協会、日本野鳥の会、奄美野鳥の会、宮古野鳥の会、そして日本鳥類保護連盟など自然保護に関わるいろいろな団体が参画し、サミットを運営しています」
フィリピン・サンチェスミラにて、密猟によって傷ついたサシバ。「我々が滞在している間に保護されて運び込まれたので、獣医でもある日本のメンバーが治療を施しました」
藤井:
春から夏にかけて日本で子育てをした後、越冬のために南国のフィリピンにも行っているというのは記録としてありましたが、近年になってそこで密猟が行われていることがわかりました。
実は日本でも、中継地の一つである宮古島では古くから、伝統的にサシバを食べる習慣があり、食用として獲られていた時代がありました。地元の方たちの献身的な活動で、密猟が完全に無くなったのは1990年代に入ってからです。
──そうなんですね。
藤井:
密猟が行われていた地域のひとつ、フィリピンのルソン島最北端に近いサンチェスミラ市では、3月になると多くのサシバが渡りのために集結する場所です。それを狙って、食べるために獲る人もいたようですが、近年では娯楽としてサシバを獲る習慣があり、空気銃でサシバを撃ってそのまま放置する人も少なくなかったようです。これによって年間数千羽が捕獲されていました。
フィリピン・サンチェスミラに隣接する地区で開催されたMIGRATION BIRDING FASTIVAL(渡り鳥フェスティバル)で、双眼鏡を寄贈した際の一枚。「他団体とともに、多くの双眼鏡を寄贈しました」
藤井:
部外者である私たちからすると「サシバを撃つことは悪いこと」と思いますが、現地の人たちにとっては古くからの習慣で、特に悪いことをしているという感覚はありません。この問題をなんとか解決しようと、日本の団体「アジア猛禽類ネットワーク」が、現地のNGO団体と協力して、取り組みをはじめました。
──どのような取り組みをされたのですか。
藤井:
現地の子どもたちを巻き込んで、渡っていくサシバを数え、学校で子供たちが「ストップハンティング」というスローガンを掲げ、啓発活動を始めました。
現地の子どもたちがサシバを数える時に、目で見て調査しているというので、日本鳥類保護連盟でも、日本全国から集めた中古の双眼鏡をこれまで100個以上を届けてきました。
取り組みを続ける中で、次第に子どもたちにサシバへの愛着が芽生え、子から親へ「サシバはかわいい鳥だから、撃つのをやめてよ」というかたちで、下から上へと動きが広がっていって、本当に短期間、確か4、5年で密猟がなくなったんです。
寄贈した双眼鏡で、空を飛ぶサシバを観察をするサンチェスミラの子どもたち
──すごいですね。
藤井:
もともと隠れて密猟が行われていたわけではないので、それもよかったのかもしれませんし、市長も理解を示して行政の協力が得られたことや、現地にエコツアーを定着させ、ツアーガイドとして猟をしていた人を雇ったりといったことも功を奏したと思いますが、いちばん大きな流れを作ったのは現地の子どもたちであり、「サシバを守ろうね」という子どもたちへの教育だったと思います。環境教育がいかに大事であるかを再度認識する出来事でした。
これによって、年間数千羽のサシバが殺されることなく、繁殖地に渡ることができるようになったのです。
現在、サンチェスミラをモデルケースに、他の地域でも密猟対策の取り組みを行っています。
「密猟が確認されているヌエバビスカヤ州でも、サンチェスミラでの活動をモデルにして密猟対策が行われています。州知事と活動の協力を約束した覚書への調印を交わしました。写真は、環境教育用に作られたサシバの塗り絵です。環境教育教材として、冊子と動画(こちらからご覧いただけます)も作成しました」
「越冬地である奄美大島では、電柱や電線にとまっているサシバがあちらこちらで普通に見られます。越冬地と同様に、繁殖地でもサシバは身近な鳥です。サシバは電柱や電線にとまってカエルなどの餌を探したり、『ピックイー』と鳴きながら飛びまわって暮らしています」
藤井:
先ほども話したように、日本ではサシバは、環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。
フィリピンをはじめとする温暖な地域には十分な獲物があって、そこで子育てする猛禽類もいますが、四季のある日本では、春から夏にかけて餌動物が集中的に増加するため、わざわざ何千キロも飛んで日本にやって来て子育てするサシバがいるのです。
──そうなんですね。
サシバの一年。「秋には、たくさんのサシバが渡っていくために集結します」
藤井:
4月にはやってきて、田んぼの周りに山や林があるような谷戸の環境で、木の枝を集めたお椀状の巣を木につくり、3~4個の卵を産んで、オスもメスも一緒に子育てをします。
田んぼでカエルを獲ったり、林で蛾の幼虫をとったりして、遅くとも7月上旬ぐらいまで子育てをしているようなイメージでしょうか。その後、寒くなる前、9月には一斉に、南へと飛んでいきます。
しかしそんな姿が、地域によっては極端に見られなくなりました。
たとえば、愛知県の三河湾の伊良湖岬(いらこみさき)は、サシバの渡りの観察地として有名な場所です。しかし万を超えていた数は数千羽にまで減少しました。
──ええ、それは激減ですね。
藤井:
一方で、変わらずに観測できている地域もあったりして、全体的に数がすごく減っているかどうかはわかりません。ただ、伊良湖岬のように極端に数が減っている地域があるのです。環境の変化により、千葉県などで子育てをする個体が減っているのではないかと思います。
──そうなんですね…。
私たちにできることはありますか。
藤井:
繁殖地だけとか越冬地だけとかでなくて、中継地も含め全ての地域が健全な環境でないと、彼らの生活は維持できません。そのためにまず、サシバのこと、サシバが置かれている状況を知ってもらえたらと思います。
伊良湖岬を渡っていくサシバ。「雨が続くと、岬周辺にたくさんのサシバが溜まっていき、晴れた日には一斉に飛び立ち渡っていきます」
暗色型のサシバ(写真左)と白いサシバ(写真右)。「サシバには、暗色型と呼ばれる黒いサシバが時々見られます。そして2021年には奄美大島で白いサシバが確認されました。白変個体です。次の年には戻ってきませんでしたが、今は普通の羽色のサシバになって元気に暮らしていると信じています」
──藤井さんから見た、サシバの魅力を教えてください。
藤井:
個人的には、渡りの季節に、ものすごい数で渡っていくサシバの姿を見るのがライフワークになっていました。
「鷹柱(たかばしら)」といって、何十、何百のサシバが一斉に集まって、ぐるぐる周りながら柱のような渦を作ります。鷹柱のサシバは上へ上へと上がり、上がったものから鷹柱を離れて風に乗り飛んでいきます。そして後から別のサシバが途切れず合流して柱を作る。その光景は、とにかく感動の一言です。目の当たりにすると、本当に感激します。
伊良湖岬でも、以前はそのような風景が当たり前にありました。しかし今はぱらぱら飛んでいる程度で、一昔前のような迫力はありません。サシバの数が減ったことで、見物に訪れる愛鳥家やカメラマンも減りました。
春、山々にまだ雪が残る頃、繁殖地に向かって飛んでいくサシバ
藤井:
農家の高齢化、後継者不足などで田畑が放棄され、また開発によって豊かな自然が残る環境がどんどん減っていく中、谷戸の環境が増えることは現状ではあまり期待できません。サシバが繁殖できる場所がこの先、もっと減っていく可能性は否めないのです。
かつて、松尾芭蕉は伊良湖岬を訪れ、「鷹一つ 見付けてうれし いらご崎」と詠みました。その風景がこの先消えてなくなってしまうのは、すごく寂しい話です。
そしてこれは、サシバに限らず、他の鳥たちにも言えることです。
“Today Birds,Tomorrow humans”、「今日の鳥に起こっていることは、明日、私たち人間に起こるかもしれない」という言葉があります。鳥の暮らす環境が悪くなっているということは、人間の暮らす環境も悪くなっているということで、「鳥が当たり前にいる風景」がいかに大切で、尊いことであるかを示す言葉です。
トラクターによって掻き出される虫などを狙って、集まるサギの姿。「農家の方も気にせず作業を行っていますが、人と鳥がこうして眼を合わせながら共に暮らす風景は、いつまでも残っていてほしいものです」
ツバメのヒナたち。「ツバメは家の軒先などに巣を作り、田畑では虫を食べてくれる益鳥ですが、住宅の建築構造が変わり巣を作りにくくなってきました。また、以前は益鳥として大切にされてきましたが、鳥の糞を嫌がる人も増え、鳥インフルエンザが流行し始めたときには、鳥が来ること自体を嫌って巣を落としてしまう人も多くいたようです。鳥のことをもっと知り、理解を深めていけば、そんなことも無くなると期待しています」
──藤井さんにとって、鳥とは?
藤井:
生きもの全般が好きですが、その中でも鳥は、私たちの生活で最も身近に見られる生きものであって、自分の中でもすごく大事な存在です。
鳥の魅力をどう表現したらいいのか…、大きな鳥はかっこいいし、小さな鳥もきれいで美しく、動作がかわいくて惹かれます。「ここがこうだから鳥が好き」というよりは、鳥たちが私たちの生活の中に当たり前にいてくれて、いつも姿を見せてくれることが、すごく魅力だと感じます。
一方で、「当たり前にいるから」と人々が意識して見ないことによって、数が減っていることやいなくなったこと、実は悪い状況に置かれていることに気がつけずにいることがたくさんあると思うんです。
子どもたちと一緒に巣箱をかける。「鳥たちが住宅難で困っていることなど、未来を担う子どもたちに、鳥や自然の大切さを伝えています」
藤井:
皆さんの身近にいる鳥に、意識して目や心を向けてもらえるきっかけを作っていくことが、私たちの大切な仕事の一つだと思っています。観察会や巣箱かけなどをずっと行っているのはそのためです。
今も皆さんのすぐそばに、ふと顔を上げると鳥がいるんだよということを、今一度、感じてもらえたらと思います。そうやって身近にいる鳥に意識を向けてもらった時、その美しさやかわいらしさが倍増します。そうすると、きっと皆さん自分ごととして、鳥のことや状況を、いち早く感じられるようになると思うんです。
2024年3月、フィリピンのサンチェスミラで行われた「国際サシバサミット」に、日本から参加したメンバーの皆さん。「『国内外の鳥や自然を守っていく』という同じ目的を持った団体が、こうして力を合わせて活動しています。サシバだけにとどまらず、自然保護の明るい未来に向けて、大きな期待を抱かずにはいられません」
藤井:
変化があっても変化がなくても、その状況に眼差しを向け続け、感じ続けてもらうことがすごく大事で、それがいずれ、必ず自然保護にもつながっていくと思っています。
自然からのメッセージは、こちらから目を向けないと伝わってきません。
だから、鳥をはじめとする自然からのメッセージ、今は当たり前にある情景に目を向けてもらえたらと思います。
「戦後、開発によって都市部から緑が無くなりましたが、都市公園や住宅地の緑が育ち、ビル建設時に緑地空間の確保が義務付けられるなど、都市部に豊かな緑地空間が増えてきました。加えて街路樹の木も育ったことで山地と都市部をつなぐ緑道となり、都市部から消えた鳥が戻ってきています。写真のエナガもその一つです。今後エナガも、私たちの当たり前にいる鳥になるでしょう」
テグス(釣り糸)拾いの様子。「鳥が絡まって傷つかないよう、海辺に放置されているテグスを回収するイベントを、毎年行っています」
──今回のチャリティーの使途を教えてください。
藤井:
チャリティーは、数を減らしているサシバを守っていくために、渡りや繁殖行動の解明のため、サシバに装着するGPSの購入などに活用させていただく予定です。
ぜひ、アイテムで応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
スタッフの皆さん。事務所にて撮影。「左奥に写っているのは、シマフクロウ用の巣箱です」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
朝早く起きると、鳥たちの賑やかな鳴き声が聞こえてきて、それがとても楽しそうで、こちらまで笑顔になります。しかし通勤の時間になると、その声は目の前の道を走る車の音にかき消され、そしてそのまま、私は鳥の存在を忘れてしまいます。
藤井さんのお話を聞いて、本当はそこにいてくれているのに、その存在を感じられないようなことが、生活の中で少なからずあると感じました。日々の生活に何気ない、しかし大きな癒しやいろどり、豊かさを与えてくれる鳥たちの存在を「当たり前」と思わず、今の状況に目を向けていく必要があると思いました。
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サシバが力強く空を飛んで海を渡っていく姿を描きました。
“Spread your wings and fly(翼を広げ、飛ぼう)”というメッセージには、この風景を後世へと残していくために、一人ひとりが自分の身近なところからできることに取り組んでいこうという思いが込められています。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!