皆さん、「文化財」と聞いて、どのようなものを思い浮かべるでしょうか?
博物館や美術館にある芸術品や国宝、重要文化財、あるいは各地に残る工芸技術や演劇などを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
いずれにしても、そこに自分が携わっていないかぎりは「(自分の日常からは)ちょっと遠い」とか「ちょっと敷居が高い」「わざわざ見に行くもの」というようなイメージがなんとなくあるのは、私だけではないのではないでしょうか。
文化財の修復・保存を通じ、幸せな社会の構築に寄与したいと活動するNPO法人「文化財保存支援機構(以下『JCP』)」が今週のチャリティー先。
「国宝や重要文化財などというものでなくても、誰かが大事に思い、残して次に伝えていきたいと思うものであれば、それは立派な『文化財』ではないでしょうか」と話すのは、事務局長の八木三香(やぎ・みか)さん(65)。
JCPは、時代とともに失われる、人々と共に生きてきた「文化財」を救いたいと、有志の修復技術者が集まって2001年に設立されました。
文化財とは?保存する意味とは?
事務局長の八木さんに、お話をお伺いしました。
お話をお伺いした八木さん
NPO法人文化財保存支援機構(NPO JCP)
人類の共通の遺産としての文化財を次の世代に守り伝えていくために、文化財の保存を行っています。文化財の保存・修復に留まらず、その先にある幸福な社会の構築に寄与したいと活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/09/02
JCPの事務所が所在する、台東区谷中地区のお祭り「谷中芸工展」において、修復技術者の仲間と行った「修復のお仕事展」の様子。会場は、日本を代表する彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)が生前使用していたアトリエで、谷中地区の古民家を保存するNPOが管理しています」
──今日はよろしくお願いします。
最初に団体のご活動について教えてください。
八木:
JCPは、日本の美術工芸品を修復する修復技術者が中心となって、2001年に設立された団体です。国宝や重要文化財などに指定されており、国や自治体が手厚く保護して修復される文化財がある一方で、たとえば地方のお寺に安置された仏像、古民家に眠る民具や個人が所蔵する文書といったものが、時代の流れとともに失われたり朽ちていくのを見かねた修復技術者たちが、「営利によらない方法で、これらの文化財を救えないか」と設立しました。
人材育成の事業の一環として受け入れたインターン生は、各分野の修復作業の見学やレスキューボランティア、事務補助などを体験。「写真は、2023年度のインターン生です。装潢(そうこう、掛け軸や屏風、巻子などに代表される、日本の絵画や書跡、古文書などの修復技術)分野の研修の様子です」
八木:
日本の伝統的な美術工芸品のみならず、広く文化財を保護していくために、洋画や考古遺物、また保存科学の分野の方たちにも加わっていただき、さまざま技術・知識を広く横断的に集め、後世へと残していこうと、1)修復事業、2)修復技術者を目指す人材の育成、3)広報活動の3つの柱で活動しています。
NPOとして、「ものを守る」だけでなく「心を守る」こと、文化財を修復し、それが地域や個人の方のもとに戻った時に、その方たちの希望や力、心の豊かさにつながるところまでを視野に入れて活動しなければならないと思っています。
また、修復に必要な道具や伝統工芸の産地などを一般の方に向けて紹介し、なくならないよう後世に残していく役割もしたいと思っています。
インターン生に向けての研修場面。修復する作品の調査を行う
東日本大震災で被災した文化財の修復。(写真上)津波による被害を受け、カビと泥で固着してしまった掛け軸(陸前高田市立博物館蔵)。(写真中央)固着した紙をヘラなどを使って少しずつ開けていき、展開できたところ。上部の紙が失われ、軸棒との接合部分が外れそうになっている。(写真下)修復後。作品の周りに裂(きれ)をつけ、改めて掛軸装(かけじくそう)に仕立てた。失われた部分は、和紙で裏打ち(うらうち)をすることで補強した
──「文化財」という言葉にあまり馴染みがないのですが、一体どのようなものでしょうか。
八木:
文化庁などが規定する「文化財」と、個々人の「文化財」の見解は、多少異なると思います。
国が関わって修復や保存をする際には税金が使われるので、誰もが納得する条件を設けて線引きせざるを得ませんが、個人的に思うのは、国宝や重要文化財などというものでなくても、誰かが大事に思い、残して次に伝えていきたいと思うものであれば、それは立派な「文化財」ではないかということです。
なくしてはならない大事なもの、それは一人ひとり異なると思いますが、誰かにとって、それがなくなると心が折れるとか悲しいというものであるなら、修復できる人が直して、守ってあげるべきだと思っています。
──私にも大事にしたいなと思うものや風景がありますが、そのように考えたことがなかったです。
東日本大震災で被災した被災した陸前高田市立博物館の掛け軸を救出。「山間部で被災を免れた旧生出小学校に運ばれました。画像は音楽室で装潢(そうこう)の修復技術者が調査をしているところです」
八木:
「文化財」という言葉には、確かに少し日常から離れたようなイメージがありますよね。他に言い換えられる良い言葉があれば…と思うのですが。でも、いわゆる国などが指定している「文化財」も、すべて一般の人からかけ離れているかというとそういうわけでもなくて、たとえば行政が指定して景観を守っている地域は、そこで暮らしている方たちの協力というのが必須なわけです。
国や自治体が「この地区の景観を守るんだ」と決めても、そこで暮らす方たちにとっては、不便だとか暑い寒いといった実際に生活する上での話や、また建物の景観を守るための経済的な話なども出てくるわけですよね。
「自分にとっては不便なのに、わざわざ保存する必要があるのか」と思う人も出てくるわけで、補助金がないとなかなか保存を推進していけないという事情もありますが、多少の不便を被ったとしても「築かれてきた歴史や文化こそ大切である」と思う市民の方が多ければ、それなりに景観も守られていくのだと思います。
──確かに。
八木:
最近は、古いものに価値を感じたり、お金だけがすべてではないと感じている若い世代の方が増えています。
文化財保存に対して「自分には関係ない」「国や自治体がやるからいいや」というのはひと昔前の意識になりつつあると感じます。古民家を改装してカフェを開いたり、地域の大切なものを守るためにクラウドファンディングで資金を募ったり…、そういった動きもたくさん出てきていますよね。
「長崎県鷹島湾に沈んだ蒙古襲来時の遺物を、水中考古学の専門家が引き上げて保存処置を施すことに協力しました。教科書に載っている蒙古軍の武器がそのまま目の前にあることに感動しました。写真は蒙古兵の兜と「てつはう」と呼ばれる火薬を詰めて飛ばした弾です。現在九州国立博物館に展示されています」
──そもそもですが、なぜ文化財を保存するのでしょうか。
八木:
絵画や彫刻や伝統的建造物‥、皆さんがそれぞれに心躍るものが全て消え去った世界というのを想像してみてください。寝て、起きて、食べて、ただ生理機能だけ満たす生活を送ることになったとして、果たしてそこで、私たちは幸せでしょうか。
原始時代から、たとえば動物を狩るための道具ひとつをとっても、ただ機能としての役割だけを求めるのではなく、人間はそこに何か彫り物をしたりして、付加価値を加えてきました。
「文化財保存修復専門家養成実践セミナー」にて、古民家の古文書のクリーニング実習の様子
八木:
もし真四角で無機質な部屋に入れられて、毎日これさえ口にしていれば生きられますという何かサプリメントみたいなものを口にして、最低限で事足りる生活を送りましょうとなったとして、それでも、「日々の食事をおいしくしたい」とか「どうせならカーテンを好きな柄にしたい」とか、また何か新しいものを創り出すのが人間で、人間はそうしないと生きられないというか、それが本能なのだと思います。
その時、そこにもし、過去から連綿と続く伝統的なもの、過去の文化の集積があれば、それを拠り所として、より豊かな創造力を進化発展させることができます。だから文化財は無くしてはならないのです。
──なるほど。
修復に必要な道具や伝統工芸の産地を広くたくさんの人に紹介することで、後世へと残していく役割も果たしたいと八木さん。写真は、茨城県大子町の那須楮(こうぞ)畑。「楮は和紙の代表的な原材料です。茎を採取して皮を剥ぎ、皮を煮熟して繊維を柔らかくして紙漉きの原料とします。楮栽培は労力が大きい割に市場が小さく、経済的に成り立ちにくいため、楮の生産農家が激減し、和紙作りは原材料の危機に直面しています。和紙がなければ修復は成り立ちません。楮の生産については、修復家が熱心に応援しています」
八木:
文化財は、人々のアイデンティティーと直結しています。
JCPが直接関わったことではないですが、民俗文化財を利用した「回想法」という認知症療法を聞いたことがあります。お年寄りが昔身近にあった民具や生活用具に触れることにより、記憶がよみがえって精神状態が良くなることを利用した心理療法です。
JCPとして被災文化財の修復活動にも携わってきましたが、たとえば災害によって、その土地のすべてのものが失われてまっさらな状態になった時に、自分がその土地に生まれ、どのような文化の影響を受けて今日の自分がつくられたのか、つながりやルーツを感じられるものがなく、どこか不安定になってしまうところがあると感じます。
「文化財の残らない復興は、本当の復興ではない」。東日本大震災で被災し、陸前高田で被災文化財の再生に取り組む学芸員の熊谷賢さんという方がそのように話されており、とても共感しました。
東日本大震災で被災した陸前高田市立博物館
修復途中のカーネルサンダース像。「1985年に阪神タイガースが優勝した際、熱狂したファンに道頓堀川に投げ込まれ、以来阪神タイガースの低迷が続いたことから「カーネルサンダースの呪い」と言われました。24年後の2009年に川底から発見されて、JCPに修復の相談が来ました。文化財としての修理であるならば、という条件で引き受け、彩色も塗り直したりはせず、失われた左手や足先も復元せず、川に沈んだ24年間の歴史を語る姿で納品しました。なお、この像は2024年3月、役割を終え、人形供養の後廃棄されたそうです」
──文化財を保存することは、生きてきた、そしてこれからを生きていく証につながっていくということなんですね。では、文化財は具体的に、どのような技術で修復・保存されるのですか。
八木:
「修復・保存」と一口に言っても、いろんな分野があって一概にこうとはいえませんが、文化財の修復全体として言えることとして、「オリジナル性を改変しない」ことが基本です。
被災した水彩画のカビのクリーニング
──どういうことでしょうか。
八木:
「(オリジナルの作品が)それ以上、劣化が進行しない」ことを基本として、時には科学的な手法にも頼りながら修復をします。
なので、付着したシミやカビをクリーニングしたり、破けていたり穴が空いていたりするのを可能な範囲で補修することはしても、オリジナルが傷むほど漂白したり、なかったものを付け足す、描き足すといったことはありません。
「蘇る文化財」というキャッチフレーズがありますが、修復によって新品のようになるとか、見違えるようにきれいになるといったことはないのです。
──そうなんですね。
東日本大震災で津波による被害を受けた「書」の作品を、盛岡の県立博物館内修理所にて修理しているところ
八木:
巻物や掛け軸のようなものをイメージしていただければわかりやすいですが、たとえばずっと状態の悪い場所で保管されていたり津波に遭ったりした場合、カビが生えます。
文化財にとってカビは最強の敵で、修復でカビがきれいにとれればいいですが、漂白によって紙自体を傷めてしまうことがあります。
その場限りで「とにかく白く綺麗にしてほしい」ということであれば、強い薬品を使ってできるだけ白くするということも可能かもしれません。しかし、その作品を半永久的に伝えていこうと思った時には、なるべく化学薬品は使わず、カビが全て取りきれなかったとしても、オリジナルにダメージがないところで処置をとどめます。人に人生があるのと同じように、ものにも経てきた歴史があり、例えカビが取れなかったとしても、その作品の経歴を表すひとつの立派な価値となるのです。
旧生出小学校にて、東日本大震災で被災した漫画雑誌の応急処置をする洋紙の修復技術者
文化財修復の様子。本紙欠失部分に補紙(ほし)を施しているところ
──なるほど。「オリジナルを残す」を考えた時に、修復する側として、時代を超えてそのものと対峙して、その作品を読み取る能力や、どこにどう手を加えるべきかという技量も問われてきますね。
八木:
どのような状態の、何を修復するかによっても問われる専門性は異なってきます。
JCPには、さまざまなジャンルの修復を専門とする技術者の方たちが約150名登録してくださっており、修復依頼があった場合は、その中からそれぞれの分野で信頼のおける技術者にお願いしています。
修復の仕事については、何か決まった資格や呼び名というのがあるわけではありません。皆さんそれぞれに肩書きを名乗られて、フリーで活動されている方も少なくありません。
──そうなんですね。
八木:
技術者のこだわりは、側から見ていて本当にすごいです。
絹に描かれた絵が、虫に喰われて穴が開きますよね。その穴に当てる絹は、縦糸横糸の本数、織目がオリジナルと全く同じ絹を使います。もしなければ織らせます。
しかも、電子線を当てて人工的に劣化させます。オリジナルの絹より新しくて丈夫な絹を当てると、脆弱になったオリジナルの絹をかえって傷めるからです。
和紙の場合も、かつては似たような風合いの和紙を当て、なるべく目立たないように馴染ませるしか方法はなかったのですが、今では科学的に和紙の繊維を分析し、工房によっては自分たちで修理対象の作品と同じ紙を漉いて補修用紙を作るという方法を取っています。
旧生出小学校にて、東日本大震災で被災した民俗資料の調査を行う立体の修復技術者
──すごいですね。
八木:
やればやるほど、「もっとできるぞ」とどんどんのめり込んでいく。「まあこの程度で良いか」とか「何となくでいいや」という妥協をしない方たちが多いと感じます。
──修復を通して、過去の作り手や作られた背景へ思いを馳せるというか、そこに対しての敬意を示したいという思いもあったりするのでしょうか。
八木:
そうですね。修復とは、そのものの向こう側にいる先人である作り手と出会い、そこにリスペクトを抱くところから始まるということをおっしゃっていた方もおられました。
修復に携わる方たちは、「自分がこうしたい」ではなく、ものの声や作り手の声に耳を傾け、それに合わせて、持っている知識を惜しみなく出しておられるように思います。
東日本大震災による被災資料の一部を避難させた奥州埋蔵文化財センターにおいて、JCPの会員が拓本掛け軸の応急処置を行う
──JCPさんが、あるいは八木さん個人として、「文化財の保護」を通じて、かなえたい社会とはどのようなものでしょうか。
八木:
端的に言えば「戦争のない世界をつくる」ということでしょうか。
私は第二次世界大戦の終戦後15年ぐらい経って生まれました。当時の日本は「もはや戦後ではない」と言われていましたが、今にして思えば、いまだGHQの統制の影響が残っていたのだと思います。一般的に日本の伝統文化が否定されるような風潮がありました。
当時、周りはみんなアメリカやフランス、イギリスの文化に目を向けて、「日本文化が好き」と言うと、ちょっと変っていると見られるような雰囲気がありました。
それでも私は日本の文化が大好きで、日本文学を学び、日本画を描くことをライフワークと考えています。大学卒業後、絵を描くためにたまたま文化財研究所でアルバイトを始めて、そこからのご縁でこの業界に身を置くことになり、今に至ります。
コロナ前は各地の技術者や支援者との交流も積極的に行っていた。写真は2004年、奈良・元興寺文化財研究所を見学
八木:
技術者ではないので、ものに対して技術的に突き詰めようとか学問的に研究したいという気持ちではなかったのですが、ただ理念として、今まで遺ってきたものを通じて、過去の人の想いを今につなげ、人の心を豊かにして、よりよい社会にできればという思いはずっとありました。
文化財の修復というのは直接人の命を救ったり福祉に貢献できるわけではないので、非営利団体として社会の共感を得ることが難しい分野なので、忸怩たる思いをすることもあります。しかし、ここで私の人生の時間を使うのであれば、少しでも世の中を良い方向に持っていくために使いたいと思っています。
──そうなんですね。
2009年、中国・敦煌莫高窟スタディツアー。鳴沙山で駱駝に乗る
八木:
争いのない世界をつくるために、何ができるのか。
それは、自分とはまた異なる考えや慣習を持つ国や地域に対して、ネガティブな部分ではなくポジティブな部分に目を向け、リスペクトを持つことだと思います。
文化財はまさにポジティブな部分が形を取ったもので、かつ政治的宗教的に中立で客観的な存在です。政治的にどんな関係であれ、その国の国民が創ったものにリスペクトを抱くことができれば、敵意を持ったり差別したりという感情は起こらないと思うのです。
──確かに。
八木:
人間は皆、生活を悪くするためでなくより良くするために、文化を育みます。それぞれの暮らしの中でその土地の自然や風土を基盤として文化を育むわけですから、自然の多様性と同じだけ多様な文化が存在するわけです。
それぞれの文化には、学ぶべきことが詰まっています。文化は各々の土地で生き抜いていくための知恵の宝庫ですから、それを蓄積した人たちに対しての尊敬の念、教えてほしいという謙虚さがあれば、国を攻めて、その国の文化を潰そうとは思わないと思います。
「2012年、東日本大震災で被災した陸前高田市立博物館の支援も含めた現場研修を企画しました。1週間のカリキュラムだったのですが、周辺には営業している宿泊施設がなく、食事を摂る場所もまだろくにない頃です。たまたま高校時代の友人が一関でペンションを経営しており、10数人の参加者を受け入れてくれました。8月の研修期間の中で、磐井川の花火大会があり、友人が研修生を連れて行ってくれました。研修の中で随分悲惨な現場も見ましたが、その時打ちあがった花火は、東北の人たちの諦めない強さを表しているようで、きっとこの地は復興すると力強く思ったものです」
八木:
文化財は、国と国の橋渡しの役割をしてくれます。文化財を滅ぼしてしまったら、途絶えさせてしまったら、相手と分かり合い平和を築く、その礎を失ってしまいます。だから、文化財を無くしてはならないのです。
文化財は、武器と違って人を傷つけません。「このようなものを作るのは、一体どんな民族なんだろう?」「どんな自然環境なんだろう?」…、触れることで、豊かな興味や感性が広がります。そうやって相手を知ることが、平和への道だと思います。
「文化財保存を通じて、戦争のない世界をつくる」などと言うと、「理想論」と一蹴されるでしょう。けれど、理想は追い求めるものです。誰しも、何か目指すものがあって、そちらへ向かって歩くでしょう?諦めたら、永遠に到達はしません。歩みを止めず、その道を追求していければと思います。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
八木:
チャリティーは、被災地で活動するための活動費、被災文化財を修理するための資材費として活用させていただく予定です。
修理・保全を通じて希望が生まれ、平和への一歩が生まれていくと思っています。ぜひ、アイテムで応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
スタッフの皆さん。修復工房にしている部屋にて
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
「文化財」という言葉にあまり馴染みがなく、まるで自分の生活からかけ離れたものであるかのように感じていました。しかし八木さんにお話を伺って、今日を生きる私たちの暮らしを構築するさまざまなものたち、そこで生まれる小さな喜びや願い、それらこそまた文化であり、文化財なのだと思いました。そう思うと、自分が生まれ育った小さな村の当たり前の何気ない風景に、何かとても誇らしいものを感じました。
時代を超え、喜びや苦しみを超え、その瞬間、そこに生きる人がつくりだす「祈り」こそ文化であり、文化財なのかもしれないと思ったりしました。
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