CHARITY FOR

「コウノトリは、世界を救う」。人とその他の生きものが共に豊かに暮らせる世界を、コウノトリを通じて実現する〜日本コウノトリの会

1971年に、日本の野外で一度は絶滅した「コウノトリ」。
きれいな水源を好み、田んぼをはじめとする湿地帯の豊かな生きものをえさに、いのちを育んできたコウノトリは、日本が経済成長を目指し、効率化を重視してさまざまな開発を進める中ですみかを失い、また農薬の使用などにより、絶滅へと追いやられました。

「経済一辺倒の時代、いちばん弱い立場のもの、ややこしいものから順番に、次々と滅ぼされていきました。しかしそれはつまり、やがて人間自身のいのちや社会に、刃を向けること。
一度は絶滅したコウノトリが再び生きていくためには、現代まで続く過去の罪悪を払拭し、『経済』ではなく『共生』を尊重する社会にしていく必要がある」。

そう話すのは、兵庫県豊岡市を拠点に活動する「日本コウノトリの会」代表の佐竹節夫(さたけ・せつお)さん(75)。

佐竹さんは1972年に豊岡市役所に入職、市の職員としてコウノトリの野生復帰の事業に関わった後、2016年に団体を立ち上げました。

「皆さんが、コウノトリを通して世界を見たら…、『コウノトリは世界を救うかもしれない』、そう思っている」と佐竹さん。活動について、お話を聞きました。

お話をお伺いした佐竹さん

今週のチャリティー

日本コウノトリの会

コウノトリに寄り添い、支えていくために、さまざまな人、機関、団体、企業と広く連携し、可能なかぎりコウノトリが生息できる環境を多様につくっていきたいと活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/07/15

日本で一度は絶滅したコウノトリが、
再び野生で生きていくために

空高く飛ぶ、コウノトリの美しい姿。「渡り鳥であるコウノトリの飛翔力はとても強いです。豊岡から東京まで一気に行くことができるし、海を渡って韓国や中国へも移動します」

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

佐竹:
行政が主体でやっている国内のコウノトリの野生復帰の事業に対して、市民として取り組んでいきましょうと2016年にスタートした団体です。

活動は主に、それぞれの地域で目撃した個体を観察し、情報を共有しましょうということがひとつと、さまざまなパターンの湿地を作ってコウノトリの餌場を確保しつつ、餌場があっても巣が築けなければ意味がないので、人工巣による営巣の取り組みなどを行っています。豊岡市立ハチゴロウの戸島湿地は、豊岡市から委託を受け、湿地を管理・運営しています。

コウノトリの全形写真。「シルエットはツルに似ていますが、生態は異なります」

──なぜ、コウノトリの野生復帰に市民が取り組むのでしょうか。
コウノトリについて、またなぜ絶滅したのかをもう少し詳しく教えてください。

佐竹:
コウノトリは、体長が約1.1メートル、羽を広げると約2メートルになる大型の鳥です。
肉食で、その上大飯喰らいの鳥で、カエルや昆虫、小魚など丸のみできる生きものを、飼育下では1日に500グラムほど食べます。

世界ではシベリアの大湿原や、中国の東北から東南部にかけての湿地帯など、広い湿地帯に生息していますが、一方で日本は国土が狭く、またその7割以上が山で、本来であれば生息地としては適しません。
しかし弥生時代前期にできた「田んぼ」によってロシアの大面積の大湿原と同程度の湿地帯ができ、生息地となったのです。

コウノトリの子育て。「コウノトリの子育ては、過保護と思えるほど甲斐甲斐しいものです。親鳥は、暑い日にはヒナに水をかけてやるし、影をつくって日傘にもなります」

佐竹:
日本で暮らすコウノトリにとっては田んぼが主な餌場となるわけですが、田んぼは、人がつくって管理する場所ですよね。つまりコウノトリの運命は、人間によって左右されます。まさに「まな板の鯉」の状態で、生かすも殺すも人間次第なのがコウノトリなんです。

かつては日本各地に生息していたコウノトリですが、明治以降の近代化、そして戦後に経済成長を追い求めた結果、田んぼには農薬が使われるようになり、1971年に一度絶滅しました。

一度は絶滅したコウノトリが再び生きていくためには、現代まで続く過去の罪悪を払拭し、「経済」ではなく「共生」を尊重する社会にしていく必要があります。
そのためには行政や政治家、研究者など一部の限られた人ではなく、市民こそが主役で、総動員で取り組む必要があります。特に、コウノトリの生息地の農家の方々、その周辺で暮らす方々は大きな鍵を握っているのです。

コウノトリが戻ってきた豊岡の風景。「農作業をしている農家さんの横で、安心して餌を食べているコウノトリの姿です」

「コウノトリのための取り組みは、
人のための取り組みでもある」

市民の皆さんと一丸となって、コウノトリも暮らせる地域づくりに取り組む。「この日は、地元の方々、中学生たちと一緒に湿地づくりに汗を流しました」

佐竹:
市民が取り組むとなった時に、「コウノトリのために関わらないとあかん」ってなったら、義務的になりますよね。「なんで?」「たかだかコウノトリのために」という声が、今はまだ圧倒的に多いです。
だけど考えてみると、大量消費・大量廃棄、農薬の大量使用や環境破壊で自然に大きなダメージを与えている今の状況が、人間も蝕んでいるということは、誰しもイメージしやすいのではないでしょうか。

経済一辺倒の時代、いちばん弱い立場のもの、ややこしいものから順番に、次々と滅ぼされていきました。しかしそれはつまり、やがて人間自身のいのちや社会に、刃を向けることです。

「おばあちゃんかと思った」。田んぼに溶け込むコウノトリ

佐竹:
「コウノトリ」という「気づかせてくれる者」を活用し、たとえば農薬を使わず、多様な生きものたちのいのちが循環する農業に取り組み、それをブランドとして全面に押し出して、地域おこしのアイコンとして活用していく。そういったことの価値が見直されてきていますし、より多くの人を巻き込みながら、持続可能な社会を作っていくことができます。

排除ではなく、共に生きていく。そのための社会を一緒に作っていこうということを、ここ豊岡市を中心にやっています。

「全国の方から飛来コウノトリの目撃情報を寄せてもらっています。情報はみんなで共有し、交流して学び合います」

──コウノトリとの共生に取り組んでいる自治体を教えてください。

佐竹:
兵庫県では但馬地域のほか、東播磨地域(明石、加古川、播磨、稲美、高砂)の連合チームもがんばっています。コウノトリの餌場となるため池がたくさんあり、それを活用して毎年多くのコウノトリの姿が見られるようになりました。2021年には、この地域で139羽のコウノトリが飛来しました。豊岡の新温泉町でも今年3月に人工巣塔が完成し、一部で盛り上がりを見せています。

他に福井県小浜市・越前市、島根県雲南市、徳島県鳴門市、関東では栃木県小山市、千葉県野田市、埼玉県鴻巣市などもコウノトリと共生するまちづくりに取り組んでいます。

千葉県いすみ市が学校給食を完全無農薬米にしたのですが、そのきっかけはコウノトリと共生する豊岡市の取り組みでした。広島の世羅町でもこれから協議会が開かれ、取り組みがスタートするところです。

行政が造成した人工湿地「ハチゴロウの戸島湿地」。「ハチゴロウの戸島湿地は、海水と淡水が入り混じる汽水域のため生物の多様性は豊かで、正面の巣塔でコウノトリが子育てしています」

──コウノトリが戻ってくるということは、我々人間にとっても良い環境に立ち戻っているということ。
とても素晴らしい取り組みだと思うのですが、たくさんの自治体が共生に取り組んでいるわけではないんですね。

佐竹:
コウノトリが野生復帰し、共生するには、人間は「変化」を受け入れなければいけません。
今までの社会で一度絶滅させてしまったんだから、それを反省し、もう一度コウノトリが生息できる環境を復活させるという時に、現在と同じ考え方で取り組んでも、同じことが起きるだけです。

変化は小手先のやり方では生まれません。人々の意識、産業に対する価値観が変わっていかないことには、共生は成り立たないのです。

京都府南丹市に人工巣塔を設置、地元の方々と喜び合う。左手前に見えるのが人工巣塔。「鉄製メッシュの巣台をコンクリート柱に被せます。あとは、コウノトリがやりたいように巣材を運んで組み立てます 」

絶滅前の最後の生息地となった
豊岡市の取り組み

豊岡にて撮影。「コウノトリが里に帰ってきました。それは、コウノトリが暮らせる環境が戻ってきたことを意味します」

──コウノトリが数を減らしていく中、豊岡市は真っ先に保護に取り組んだそうですね。

佐竹:
豊岡がコウノトリ保護の方向に転換できた背景には、豊岡が、絶滅前のコウノトリの最後の生息地だったということが大きくあります。豊岡市民の皆さんは、コウノトリが目の前でどんどん数を減らし、そして絶滅していく姿を、現実として目の当たりにしていました。

「自分たちが絶滅に追いやってしまった」という罪悪感のようなものが、市民の中に、共通の認識としてあったのだと思います。

コウノトリが絶滅した背景には、経済発展によって、田んぼの多くが潰されて道路になったこと、また残された田んぼも、生産性の向上のために圃場整備され、乾いた田んぼとなったことがあります。
乾いた田んぼは水路とのつながりが遮断され、えさとなるはずの生きものはガタンと減りました。さらに追い討ちをかけるように、農薬や家庭用排水が流れ、田んぼはそれまでのように、コウノトリが生きられる場所ではなくなってしまったのです。コウノトリにとって、農薬は特にセンセーショナルだったと思います。

──そうだったんですね。

コウノトリが暮らせる有機農業に変えた田んぼ。「左は従来通りの田んぼ、右がコウノトリ育む農法による有機田んぼ。微生物により土が違います」

佐竹:
豊岡盆地は日本でも特有の地形をしており、豊かな湿地が残されたことで、コウノトリの最後の生息地となりました。そしてまた、豊岡の人々もコウノトリを追い出すことをせず、共生ができていたのです。

コウノトリが豊岡でしか確認されなくなり、さらに数を減らしていた時に、当時の役所が「こんな貴重な生きものを、このまま農薬や化学肥料まみれの世界に置いていたら絶滅してしまう」と判断し、施設で人工飼育するために野外の鳥を収容しました。昭和40(1965)年2月のことです。
野生で残っていた最後の1羽も、けがをして最終的には保護されました。これにより日本のコウノトリは野外で姿を消してしまったのです。1971年のことです。
高度経済成長期を経て、世間がバブルと言われている時も、コウノトリの保護事業は兵庫県・豊岡市で連綿と続けられました。

コウノトリが暮らす豊かで多様性あふれる、美しい自然。写真は、穏やかに流れる円山川

佐竹:
収容した鳥を丁寧に飼育して、繁殖に成功して子を産んでもらい、後世へと残していくことがこの事業の主旨だったわけですが、その後24年間、繁殖に成功しませんでした。
平成元(1989)年に初めてヒナが誕生した時は、ものすごく盛り上がりました。そして「次は野生復帰を目指そう」ということで、コウノトリが生息できる環境づくりにも力を入れ始め、飼育下で100羽を超えた平成17(2005)年から、放鳥をスタートしました。

振り返ってみると、行政だけでも、一部の研究者だけでも、この歩みは成り立たなかったわけです。市民がいてこその歩みだったと思います。

「一緒に活動している、自分たちで紙芝居を企画・制作をされている紙芝居グループさん。親子にコウノトリのことを知っていただきたく、コウノトリが飼育下で25年目にしてようやく繁殖に成功した喜びをストーリーにした紙芝居を、地元のお寺の境内で披露してくださった時の一枚です」

「コウノトリの事業を通して、
一人の考えと顔つきが変わる様子を目の当たりにした」

市役所の職員として、コウノトリの事業に関わっていた頃の佐竹さん(写真中央)。「2007年頃になると野生復帰活動は外部にも知られるようになり、来訪者の応対も仕事になりました」

──佐竹さんは、豊岡市役所で長くコウノトリの事業を担当していらっしゃったと伺いました。

佐竹:
私は普通の役人で、1990年に人事異動で教育委員会社会教育課文化係の係長になったのですが、所管の文化財の中にコウノトリも入っていて、それで関わったのが最初です。

──そこから、ここまでのめり込まれたのはなぜですか。

佐竹:
鳥としてのコウノトリの魅力ももちろんありましたらが、僕はもともと社会運動や組合もやっていて、コウノトリの野生復帰の事業を通して出会った人や世界が、ダイナミックに変わっていく姿に感銘を受けたんです。

それまで「コウノトリは稲を踏み荒らす害鳥だ」と言っていた農家の方が、有機農法に切り替えられて「コウノトリがうちの田んぼに来てくれた!」と喜んでおられる。それまでの価値観がガラッと崩れて、見る世界がどんどん変わっていく姿を、目の当たりにさせてもらいました。一人の人の考えが変わり、顔つきが変わっていく様子は、いちばんの醍醐味に感じました。

──そうだったんですね。

1994年に開催された「第1回コウノトリ未来・国際かいぎ」の報告書。「関わった皆さん、ものすごく頑張りました」

佐竹:
時代的な背景も、事業を後押ししました。
環境問題が注目されはじめ、豊岡の取り組みが全国で、特に東京で注目されるようになりました。平成6(1994)年には、兵庫県と豊岡市が主催し、世界各地からコウノトリの野生復帰に取り組む方々を招いて「第1回コウノトリ未来・国際かいぎ」が開かれました。

環境問題に取り組む時に、たとえば「排気ガスの排出を何ccまでに抑えよう」って言っても、なかなかイメージは湧きませんよね。
でも、当たり前にいたコウノトリが目の前からいなくなること、あるいはふと目の前に飛んできてくれることというのは、体感するリアリティやメッセージが、全然違ってくるんです。

佐竹さんの著書『コウノトリと暮らすまち 豊岡・野生復帰奮闘記』(農山漁村文化協会/2023年)。「コウノトリと野生復帰の歴史を、私自身の思いを込めてまとめたものです」

佐竹:
豊岡市は平成15(2003)年から、農薬・化学肥料を使用しない/低減する、生きものも大事にしていくといった、コウノトリも棲める豊かな環境づくりを目指す「コウノトリ育む農法」に取り組んでおり、農家に対して支援を行っています。

実は、行政がそうやって音頭をとって取り組みを始める前から、有機農業に取り組んでおられた農家さんたちがおられました。
有機農業は今でこそ少しずつ市民権を得ていますが、一昔前は行政やJA(農業協同組合)が指定する農薬を使わず、独自に米や野菜をつくる農家は変わり者と言われ、村八分も同然やったんです。

田んぼで、地元の高校生に有機農業を教える豊岡の農家さん。「コウノトリ育む農法の第一人者で、生きものと共生する農業を牽引されています」

佐竹:
周りからは白い目で見られながら、地域のこと、いのちのこと、未来ことを考えて、信じてやってこられた。でも、きっと孤独に違いなかったと思うんです。

そんな時に、一生懸命育てたいのちが循環する田んぼに、空からコウノトリが舞い降りてくると、コウノトリが「あんたは正しい」「あんたは一人じゃないんだよ」というメッセージをくれているようで、大きな励みになったと。「信じた道は、間違ってなかったんや」っていう、それはすごい喜びだという声を、今、各地で聞くようになりました。

僕はね、この「励まし」こそ、今のコウノトリが担う、最も大きい役割じゃないかと思っているんです。

僕らが農家の方たちに「日本コウノトリの会です」と連絡すると、「そんな団体があったんや」って喜んでくださる。コウノトリは、思いのある方たちを励まし、つないでくれる存在だと感じています。

放棄田の自然再生を、多様な仲間と。コウノトリが暮らせる豊かな大地にあって、そこに携わる人たちもまた笑顔に

「コウノトリは、世界を救うかもしれない」

コウノトリの正面の姿。「この目で見つめられたら、ゾクッとして虜になります」と佐竹さん

佐竹:
アフリカ出身のジェイソン・ヒッケルさんという人が書いた『資本主義の次に来る世界』(東洋経済新聞社/2023年)という書籍があります。それを読むとね、コウノトリの世界と同じことが書いてあるんです。

そもそも「人間がコウノトリを保護する」という発想自体が間違っているんです。この地球で人間がいちばん偉くて、人間が全てをコントロールして、経済成長を理由に自然を破壊し、海や川を汚染し、生きものを傷つけるような世界は、いつか終わりを迎えます。

2023年3月、韓国の市民グループと共同で、長崎県対馬市に人工巣塔を設置。皆さんが掲げた横断幕には「コウノトリが結んだ日韓 自然の愛の実践」とある。コウノトリを通し、国や文化を超えて、温かい交流が生まれてきた

佐竹:
だって、そうでしょう。石油も掘り尽くしたら終わりです。限りある自然を食い潰すだけの世界の未来は、確実に悪くなっていくだけです。「儲けなあかん」「人間だけが儲けたらいい」という世界は、そもそも持続可能ではないんです。

──確かに。

佐竹:
人間もコウノトリも、動物や昆虫や魚も、すべていのちあるものは等しく同じであって、限られた中で、一緒に生きていける世界を作っていこうという段階に来ています。
そのために我々人間が、自然や生きものを「自分の外にあるもの」ではなく「自分の中にあるもの」として、内面から捉えなおすタイミングに来ているのです。

豊岡にて、水稲作と但馬牛を飼育されているMさん。「自分で自宅近くの田んぼに人工巣塔を建て、コウノトリを見守っておられます。この方の生きものに向けられるまなざしは、とても深いです。この人の生活、生業はアニミズムだと実感します」

佐竹:
皆さん、どこかでわかっているはずなんです。人間だけが特別で、自然や生きものを「利用するか保護するか」という発想自体、それはベクトルがどちらに向かうかだけで、「殺す」も同じなんです。皆が滅亡に向かうだけなんです。

「うーん、難しい。じゃあどうしたらいいんやろう…」って思った時に、コウノトリがいます。
コウノトリを通して世界を見て、コウノトリを通していろんなものを考えるというのが、僕はとてもやりやすいと思ってるんです。皆さんが、コウノトリを通して世界を見たら…、「コウノトリは世界を救うかもしれない」、そう思っています。

──コウノトリの視点になって見てみると、確かに、全く違うものが見えてきそうですね。

佐竹:
コウノトリが存在していること自体が希望であり、コウノトリがいる限り、未来にも必ず希望があります。僕は、そう信じています。

田んぼを悠然と飛ぶコウノトリ。その目に私たち人間は、今の地球は、どう映っているのだろうか

チャリティーの使い道

「湿地では、子どもたちも粘り強く草刈りをしてくれます。達成感で、笑顔が一杯。安心して未来を託しましょう」

──最後に、チャリティーの使い道を教えてください。

佐竹:
チャリティーは、人工巣塔の設置費用(1基につき約50万円)として活用させていただく予定です。

コウノトリは渡り鳥です。豊岡だけ、あるいは日本だけで野生復帰をがんばっていても、渡った先の環境が整っていなければ育っていくことはできません。コウノトリを通して見た時に、次は「東アジア」という大きな視点で考える必要があると思いました。

2023年3月、対馬で開催された日韓コウノトリ・湿地交流会にて。「共に協働してコウノトリ野生復帰に取り組もうと、協定書も取り交わしました。翌年の韓国での巣塔設置に向けた話題で盛り上がりました」

佐竹:
その一つとして、韓国のコウノトリの野生復帰に取り組む方たちとは、長く交流してきました。

政治的に反日感情が強かった時代にも、「豊岡に学べ」ということで、韓国からこんな田舎町まで視察に来られて、熱心に学んで、すごく真面目に活動してこられたんです。なかなか大きなことはできませんが、今、韓国の「コウノトリ愛の会」という市民グループと共同で韓国内に人工巣塔を建てようという計画があります。
今回のチャリティーは、その一部として活用させていただく予定です。ぜひ応援よろしくお願いします。

──貴重なお話をありがとうございました!

2024年7月、スタッフの皆さんと

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

お話をお伺いしながら、コウノトリへの熱い思いだけでなく、豊岡という地への、佐竹さんの深い深い愛情を感じました。現代は失われつつあるかもしれませんが、地域にはアイデンティティがあるのだということ、人といのちは深く、その土地とつながっているのだということを、改めて感じるインタビューでした。

「コウノトリは、世界を救う」。いのち・大地に根を張って、耳を澄ますと聞こえてくる声に、心を傾けてみませんか。

・日本コウノトリの会 ホームページはこちらから

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【2024/7/15~21の1週間限定販売】
美しい自然を運んでくるコウノトリの姿を描きました。
コウノトリの存在、また人々がコウノトリの視点を持つことが、この惑星の豊かな未来を運んでくる様子を表現しています。

“In nature we find peace(自然の中で、私たちは平和を見出す)“というメッセージを添えました。

チャリティーアイテム一覧はこちら!

JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!

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