原因不明、未だ治療法が確立していない難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)。
発症すると、体を動かす運動ニューロン(神経系)が変性して徐々に壊れ、意識や五感、知能の働きは低下することがないまま、身体のあらゆる箇所の筋肉が萎縮し、身体の自由が奪われていきます。
症状は徐々に進行し、意識はしっかりあるのに、ありとあらゆる身体の動き、歩くことや食べること、話すこともできなくなり、最終的には、自力で呼吸することさえも困難になる難病です。
「ヒロ」こと藤田正裕(ふじた・まさひろ)さん(44)がALSと診断されたのは、14年前の2010年11月。外資系広告会社「マッキャンエリクソン」のプランニングディレクターとして、仕事もプライベートも充実した日々を送り、31歳を迎えようという時でした。
そこからの進行は早く、2012年には人工呼吸器を装着。
そんな中でも「治療法や治療薬を開発し、ALSを終わらせるために、まずはALSのことを一人でも多くの人に知ってもらいたい」と、一般社団法人「END ALS」を立ち上げ、当事者として積極的に声を発信してきました。
ALSと宣告されて14年。
ヒロさんと、高校時代からヒロさんを間近に見てきた友人のお一人、沖米田有未(おきよねだ・あみ)さんにお話を聞きました。
ヒロさんの近影。2024年5月、お兄さんの愛犬と
一般社団法人END ALS
日本だけでなく世界中にALSの認知・関心を高めるとともに、厚生労働省や医療研究機関などに対し、迅速な治療法の確立と、ALS患者が可能な限り普通の生活、あるいは生活の向上ができるように働きかけることを目的に2012年9月に設立されました。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/06/10
アメリカンスクールからのご友人(写真左から二人め)と、その彼(写真右端)と。写真左端はヘルパーの中野千秋さん、右から二人めはヒロさんのお母様
──前回のコラボから1年経ちますが、ヒロさんの近況を教えてください。
ヒロ:
体調の変化もなく変わらず過ごせています。今年から外出します!
──最近はどのように過ごされていますか。嬉しい時間・楽しい時間を教えてください。
ヒロ:
楽しい時間は家族や友人たちと過ごしている時間。
嬉しい時間は夜リラックスしている時間。
ヒロさんがイギリスに住んでいた時、隣に住んでいた幼馴染親子と
──ヒロさんがALSと診断されて14年になります。今の心境、あるいは気持ちの変化など、率直に教えてください。
ヒロ:
1日も早く治療したい!コミュニケーション機器の開発を急いでほしい!
──日々の心を占めている一番の感情は何ですか。
ヒロ:
イライラ。
──今、最も興味があることや関心があることを教えてください。
ヒロ:
脳波の機器の進捗。
中学校からのご友人と
──ALSに関することでも、そうでないことでも結構です。今、いちばん皆に知ってほしいこと、伝えたいことは何ですか。
ヒロ:
ALSについてなんでも。
──今、いちばんやりたいことは何ですか。
ヒロ:
車椅子に乗って外出したい!
──ALSに対して、今の思いを教えてください。
ヒロ:
ALSを終わらせる!
ヒロさんのお兄さんと、お兄さんの愛犬と
──今回、沖米田有未さんにお話をお伺いしました!有未さんや仲間の皆さまへ、ヒロさんからメッセージがあればお願いします。
ヒロ:
これからもよろしく!
──読者の皆さまへ、メッセージをお願いします。
ヒロ:
いつも応援ありがとうございます。
引き続き応援よろしくお願いします。
ヘルパー・千秋さん:
1人でも多くの方々にヒロの想いが伝わり、そして受け取っていただけたら嬉しいです。
そして、1日でも早くヒロの願いが叶うように日々チャレンジしていきたいと思っています。
Team END ALSの大木美代子さん(写真右)、尾崎千春さん(写真左)と
ここからは、ヒロさんのアメリカンスクールからのご友人の沖米田有未(おきよねだ・あみ)さん(42)にお話をお伺いしました。
有未さん(写真左端)とヒロさん。「この4月、高校時代の友達とヒロのところへ遊びに行った時の一枚です。友達がハワイで経営しているタコス屋さんのTシャツを、ヒロにプレゼントしました」
──ヒロさんとは、高校からのご友人なのだそうですね。
有未:
はい、アメリカンスクールの高校が一緒で、もう14、5歳の時からの友人です。
ヒロは私の2つ上ですが、年齢関係なく皆が仲良くて、学校の外でも一緒に遊んだり、ご飯に行ったりしていました。それは卒業してからも同じで、しょっちゅう連絡をとっていたし会っていて、ヒロは「いつもいる存在」。
常に、どこでも一緒にいた人だったから、ALSとという病気になって、それがかなわなくなったことは‥ショックでした。
──ヒロさんのことで、何か印象に残っている出来事はありますか。
有未:
高校を卒業してから、ヒロがハワイにしばらく住んでいた時期がありました。他の仲の良い友達もハワイにいたので、夏休みに2ヶ月間ハワイを訪れて、一緒に遊んだのは良い思い出です。
「2002年、ハワイでの夏休み。昼間はビーチで過ごし、夜は友達やヒロのアパートでのんびりと過ごす、その繰り返しでした」
有未:
その後、私もヒロも帰国して日本で就職したのですが、働いていた会社も住んでいた場所も近かったのもあって、仲の良い友人で週3のペースで会っていました。当時は皆若かったので(笑)、仕事が終わってから、お店を何軒かはしごして2時3時まで飲んだり、バーやクラブに行って踊ったり。くだらない話ばかりしていたけど、すごく楽しかったですね。
──ヒロさんは、どんな方ですか。
有未:
自分が大事にしている人や大好きな人がいやな思いをすると、すぐに守りにいくのがヒロでした。
たとえば道を歩いていて、友達が前から来た人とぶつかって何かを言われた時に、いちばんに「どうしたの」と駆け寄ってくるのがヒロ。すごく仲間思いの人です。
いつもの仲間と、友人の実家でバーベキュー。右端がヒロさん
マッキャンエリクソンのプランニングディレクターとして、仕事にも全力投球だったヒロさん。「ヒロが企画したZippoのイベントの打ち上げに、友達と参加した時の一枚です」。写真左から二人めがヒロさん、右端が有未さん
──ヒロさんがALSだとわかった時のことを覚えていらっしゃいますか。
有未:
実はその少し前から、ヒロが「ちょっと体の調子がわるいんだよね」と言っていて。
まさかこんな病気になるとは思いもしないから、当時はほぼ毎晩飲みに行っていたし、「ジムに入って運動して、お酒をちょっと控えて健康的に食べたら、元気になるんじゃない」と、私が通っていたジムの入会を薦めて、ヒロも入ったんです。
一緒に通うというわけではなく、それぞれ別の日に運動していたんですが、半年ほど経ったある時、ヒロから「いちばん軽いはずの2キロのダンベルが、なんか重いんだよね。うまく腕が上がらない」と言われました。
その後に「携帯を無駄に落とすんだよね」と相談されました。
2008年頃、友人の家にて
有未:
ヒロは運動神経が良くて、高校の時はアメリカンフットボールやサッカーをやっていました。スポーツマンで力もあったので、ものを落とすとか、ものが重いということを言う人ではなかったんです。
そうこうしている間に、「歩いていると、何もないところでこけるんだよね」という話があって、少しずつ「体がおかしい。何か違うんだよね」という回数が増えていきました。
──そうだったんですね。
有未:
見た目には元気なヒロにしか見えませんでしたが、「変化を感じているんだったら、一度病院で診てもらった方がいいんじゃない」と、私だけでなく周りの皆がアドバイスして、ヒロもすごく不安だったと思うけど、はっきりとした診断が出ない中、いくつかの病院を回り、最終的にALSと診断されました。
「幼馴染の両親が運営していた居酒屋で集まることも多かったです。ここでは思い出話をしたり、幼馴染の両親から仕事や恋愛に対するアドバイスを受けたり…楽しい時間をたくさん過ごしました」
──ヒロさんは、ALSだということをどんなふうに伝えられたんですか。
有未:
2010年11月末のことでした。幡ヶ谷に皆でよく行っていた豚しゃぶ屋さんがあったのですが、その店で友人たちとご飯を食べていた時に、ヒロが遅れて来て…そこで初めて聞きました。「実は検査の結果が出て、こういう病気なんだ」って。
その時、ALSのことを知っていた人もいたけど、知らなかった人もいて。私は初めて聞く病気で、「何、その病気?」というところから始まって。ヒロもあまり詳しくなかったから、皆で携帯で検索して。
──その時のヒロさんは、どんな様子だったのでしょうか。
有未:
いつもは「飲むぜ!」ってノリノリのヒロが、この時は珍しく真剣で、不安気な、少し暗い表情でした。
かける言葉が見つからず、かといってすぐ流すこともできず、しばらくその話をしていましたが、ヒロが「今ここで長くこの話をしても、今すぐ治すことはできないし、とりあえず、ごはんを食べよう」って言って、ごはんを食べたんだったと思います。でも内心は、ショックでした。
ヒロさんがALSと診断された後の一枚。右端がヒロさん。「この日も、友達の実家のお庭で昼間からバーベキュー。ALSの初期症状として筋肉が少し落ちることがありますが、当時はまだ自由に動くことができていました」
「ALSの症状が進行して外で会うのが難しくなってからは、事前に友達と晩ごはんのメニューを決めて、ヒロの家で作ったりしていました」
有未:
ヒロは普段から、周りに一目置かれ、自然と皆がついていくような存在でした。
ヒロが働いているマッキャンでも、きっと同じだったと思います。「治療法を見つけるため、ALSの認知を上げたい」と会社のサポートを受けて「END ALS」を立ち上げ表に出ていく姿は、すごくヒロらしいと思いました。
今でこそ、たとえばがんや糖尿病などの当事者が公の場で話したり、病気のことをオープンに語ったりすることが当たり前の社会になりましたが、当時はもっとクローズだったし、さらにALSとなるとなおさらだったと思います。ALSと闘っている人はいるけど、表に出て発信したりせず、家の中に引きこもっていることが多かったんです。
2014年4月、NHK Eテレ ハートネットTVブレイクスルー「広告プランナー“ヒロ”難病ALSとの闘い」収録現場にて
有未:
そんな中で、ヒロは「こんな病気に負けねーぞ」って、発信することを決めたんですよね。たくさんのサポートがあったけど、そもそもヒロじゃなかったら、ALSの認知度をここまであげることはできなかったと思います。
今、ヒロは体が動かないだけでなく、目を開けることも難しく、コミュニケーションをとることが以前に増して難しくなっているけれど、まだ口が動いて話ができた時や目が動いた時は「こうじゃないとダメ」って、ちゃんと理由があって、だからこうなんだっていう自分の考えを、はっきり伝える人でした。
ALSと診断されてから、そして今日まで、伝えきれていないことも含めて、彼の中でいろんな気持ちがあると思います。
身体の動かないヒロさんをデッサンのモデルにして、過酷なALSを世の中に知らしめようというプロジェクト「STILL LIFE」。2017年、デッサン会にてモデルをするヒロさん
「2002年、ヒロが住んでいたハワイのアパートのラナイ(バルコニー)で撮った写真です。ふざけて大げさに笑ったり、ポーズをしながら撮りましたが、元気な頃のヒロを知っている人にとって、馴染みのある笑顔です。彼が大好きなハワイも『シャカ』のハンドサインで伝わってきます」(「シャカ」=ハワイでは挨拶によく使われる、『気楽に行こう』『やったね』『ありがとう』『いいね』『じゃあね』などの意味が込められた表現)
有未:
私の父が昨年、がんで闘病したのちに亡くなりました。
ヒロも私の父のことをよく知っていたので、ヒロのところに遊びに行った時に、一度父の状況を伝えたことがあったのかな。亡くなってから少しバタバタしていたのですが、落ち着いてから、ヒロに父の死を伝えに行ったんです。
そしたらそれを聞いたヒロが、目から涙を流して。体は動かないし目も閉じているんだけど、中身は何も変わらない、気持ちも感情もそのままのヒロなんだっていうことを、その時に改めて、すごく感じました。
──そうだったんですね。
有未さんと、闘病の末2023年に亡くなった父の武田充功さん
有未:
思ったことを白黒ハッキリ口にして、意見を必ず相手に伝えていた人だったから、今、言いたいことや言い切れてないことが、きっとあると思う。そういうことを読み取れる機械があったらいいのに、って思います。
元気な時、ヒロは皆のために、人一倍動く人でした。それができないのがかわいそうだと思うけど、今は、ヒロの代わりに皆が動けます。すぐに体を動かせるようにならなくても、せめて話ができるようになればと願っています。
──本当ですね。
久しぶりに海を見たいというヒロさんと、仲間で海へ
有未:
がんと闘い、次第に弱っていく父の姿を見て感じたことでもあるのですが、大きな病気だからといって、相手に気を遣ったりこわがったりする必要はないんだと思うんです。
必要以上に気を遣われると、病気と闘っている本人がきっといちばん寂しいし、不安になると思います。どんなに体が弱って小さくなって、話すことができなくなっても、こちらはできるだけ、今まで通りに一緒に時間を過ごすことが大事なんじゃないかな。
病院にいる父に会いに行くたびに、父の体を拭いたり顔を洗ったりマッサージしたり、わからないことは看護師さんに教えてもらいながら、父に触れ、近い距離でいることを心がけました。父もきっと喜んでくれていたと思う。その時に看護師さんに言われたのが、「触らないと、患者さんの皮膚も弱ってくる。有未さんのお父さんは、体は確かに弱っているけれど、顔色も、皮膚も、そうやって触ってもらっているから状態が良いよ」って。
「ヒロが実家に移ってからは、友人と友人の子どもたちと、昼間から遊びに行っています。まだコミュニケーションをとれる時はよく『最近撮った楽しい写真を見せて』とか『ゴシップはないの?』と聞かれました」
有未:
大切な人が病気になるのはこわいし、どう接していいかわからなくもなります。だけど一番不安でこわいのは、その病気と闘っている本人です。
うまく言えないんですが‥、健康で元気な人がこわがったり不安になったりしても仕方がなくて、元気な時は当たり前にとっていた、たとえばハグしたり触れ合ったりするようなスキンシップが、もちろん状況に応じてではありますが、たとえどんな状態でも、きっとあったほうが安心するし、嬉しいと思うんです。
──確かに。
有未:
コロナのことがあって、「もし自分がウイルスを持っていて、病気の人にうつしたらどうしよう」って、闘病している人と、物理的にさらに疎遠になってしまうところもあったと思います。
だけどコロナも少しずつ落ち着いてきましたし、私たちは元気で動けるので、また友人たちとヒロに会いにいきたいと思っています。
2015年、友人とヒロさんを訪問した際の一枚
──最後に、ヒロさんにメッセージをお願いします。
有未:
「がんばれ」って言いたいけど、今まですごい頑張ってるし、「応援してるよ」というのも何か違う。もちろんどちらも間違っていないんだけど、私としては、ちょっと言いづらいというか…。
いつもヒロに会いに行く時に、「何て声をかけよう」ってなるので、帰り際には「また来るね」とか「またすぐね!」って言います。時間が少し空いても、必ず行ける仲間とまた遊びに行きます。
ヒロが元気になって、昔みたいにまた、楽しい時間を一緒に過ごしたい。
「いつかまた、一緒に外に出かけよう」って伝えたいです。
プロジェクト「STILL LIFE」は、国内外の多数の賞を受賞。「会社にて、お祝いをした際の一枚です」(Team END ALS 大木さん)
6月21日の「世界ALSデー」に向けて。
6月10日から16日までの1週間、JAMMINのホームページからアイテムをご購入いただくと、1アイテム購入につき700円がチャリティーされ、ALSの治療に関する研究を支援するための資金として活用されます。
チャリティーアイテムで、ぜひ応援お願いします!
「Team END ALSの女子会というわけではないのですが、JAMMINさんで販売していただくTシャツをどうしたらたくさんの方に買っていただけるかを、集まって相談しました!」(Team END ALS 大木さん)。コラボデザインのバッグを手にしてくださっているのは、2023年コラボの際にお話を聞かせていただいた、シンガーのHanaさん
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
END ALSさんとコラボさせていただく度、言葉で表現するのが難しいのですが、ヒロさんの周りにおられる皆さんの、ものすごく温かいハート、温かいコミュニティに触れます。もしかしたらそれは、元気だった頃のヒロさんをそのまま体現しているものなのかもしれないと、今回、有未さんにお話をお伺いして感じました。
仲間に慕われ、思われるヒロさんは、それ以上に仲間を思い、笑顔にしてこられたのだと思います。だから、1日も早く治療法が見つかって、またそんな日が来ることを、何気ないちょっとした会話、さりげない感謝や気持ちの共有で、互いに笑顔になれる日がくることを、心から願います。1日でも早く治療法を見つけるため、ぜひ応援いただけたら嬉しいです。
【2024/6/10~16の1週間限定販売】
ヒロさんの希望で、「夢がかなう」「奇跡」という花言葉を持つ「青いバラ」を参考に、大きく花開くバラを描きました。ALSが終わる未来の成就への願いを込めたデザインです。
“END ALS. I’m still alive”、団体設立当初からのヒロさんのメッセージを添えています。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!