CHARITY FOR

「限られた時間であっても、幸せを感じてほしい」。高齢や病気の犬を引き取り、最期まで愛情を注ぐ〜一般社団法人ケンの家

「保護犬」という言葉が知られてきた一方で、高齢だったり病気や障がいのある犬については、まだまだ譲渡につながらない現実があります。

今週JAMMINがコラボするのは、神奈川で保護犬活動を行う一般社団法人「ケンの家」。
高齢や病気、障がいのある犬を積極的に引き出し、素敵なご縁が結ばれるよう、できる限りの治療とケアを行っています。たとえご縁が結ばれなかったとしても、穏やかで幸せな最期を迎えてほしいと、迎えた犬たちを献身的にサポートしてきました。

「私には支えてくれる家族や仲間がいるし、どれだけつらくても時間が癒してくれる。でもこの子たちには、逃げ場がありません。この子たちを、見捨てることができない」と話すのは、代表の浅川晶枝(あさかわ・まさえ)さん。

浅川さんが、たくさんの犬の命が闇に葬られていることを知ったのは、野良犬「ケン」との出会いがきっかけでした。

ご活動について、犬への思いについて、お話を伺いました。

お話をお伺いした浅川さん

今週のチャリティー

一般社団法人ケンの家

神奈川県横浜市で活動する「ちっちゃな、保護犬支援団体」。高齢や疾患・障がいのある犬を中心に保護活動を行い、どんな子にも素敵なご縁があるように、出来る限りの治療やケアを行い、ご縁が結ばれなかったとしても、最期まで穏やかで健やかな犬生を送らせてあげたいと活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/05/27

里親の見つかりにくい高齢犬や病気の犬を
積極的に保護

ケンの家の午後のひととき。ボランティアさんと一緒にまったりとくつろぐ時間

──今日はよろしくお願いします。最初に、ケンの家さんの活動について教えてください。

浅川:
横浜市青葉区で保護犬の活動をして21年になる団体です。
ケンの家では、高齢や障がいのある子の生きる権利に目を向けて、行政の施設や繁殖業者から、里親さんが見つかりにくい高齢や障がいのあるわんこを積極的に引き取っています。

私はこの団体を立ち上げる前、別の保護犬の団体でボランティアをしていたのですが、その時に、見るからに病気だったり年老いていたり、障がいがある子は「引き出しても新しい里親さんが見つからないから」と助けられず、そのまま殺処分されるような状況があることを知りました。それで、「助けないと」と思ったのが、この団体を始めたきっかけです。

「ボランティアのトリマーさんがマイクロバブルのお風呂にいれてくれたのち、しっかりと乾かして清潔に保ってくれています。写真に写っているのは『トキ』。ご機嫌です!」

──行政の施設には、どういう子が収容されていたのですか。

浅川:
街中を徘徊しているところを捕獲される子が多いようです。中には、横たわっているところを収容される子もいます。迷い出てきたという感じでもないので…、結局は誰かが放置しているのではないかと思います。
病気になったり障がいを持ったりした子を「医療費がかかるから、もう飼えない」と自ら施設に持ち込む方もおられます。

──そうなんですね…。

浅川:
施設からの引き出し以外にも、繁殖業者のもとから、引退する子や病気の子たちを受け入れてきました。
繁殖業者は、別に犬を引き取ってほしいと思っているわけではないんです。それよりも、私たちのような団体にボロボロの犬を渡すことで、「これが繁殖犬なんだよ」「ひどい」などと発信されることの方を恐れていて、そのリスクをとるぐらいだったら、引き渡さず黙って自分たちで処分する方が良いわけです。
でも、それで被害に遭うのは犬たちです。批判するだけでは、闇に葬られてしまう命があるのです。少しずつ信頼を得て、18年ほど受け入れています。

劣悪なブリーダーから保護したトイプードルの「ポエ」。「パピーミルで子どもをたくさん産まされ、足の骨折も治療してもらえず放置されていました。右後ろ足は動きませんでしたが、昨年、16歳(推定)で虹の橋を渡るまで、元気に生き抜いてくれました」

保健所の犬たちと引き合わせてくれた「ケン」

施設に収容された犬たちと出会うきっかけをくれた「ケン」。「ケンに対しては、未熟な私でごめんねという思いでいっぱいです」

──「ケンの家」という名前の由来を教えてください。

浅川:
35年ほど前、初めて保護した雑種の子を「ケン」と名付けました。
道端をうろうろしていたところをやっとの思いで捕獲したのですが、私の不注意で逃してしまいました。当時横浜市では、保健所に収容された犬は飼い主以外引き出せず、飼い主が現れなければ殺処分されていました。それで毎週、ケンが収容されていないか、自分の目で保健所に確認に行くようになりました。
その時に初めて、殺処分を待つたくさんの犬がいることを知ったのです。

──そうだったんですね。

浅川:
本当にたくさんのわんちゃんを目にしました。しかし当時はまだ若く、子どもも小さかったため、何かすぐに行動を起こすということはありませんでした。

ケンと再び出会えたのは、彼が亡くなってからです。「電車に跳ねられて亡くなった」と連絡をもらい、保健所で、遺体となったケンと対面しました。
それから15年ほど経って保護活動を始めた時、「ケンの家」と名付けました。

──ケンが、保健所の犬たちの存在と、「僕たちはここにいるよ」という、わんこたちの声にならない声を教えてくれたんですね。

「皆、抱っこしてもらうのが大好き。順番待ちです!」

「保護犬」という言葉がメジャーになるにつれ、
誤った認識が広がることへの懸念

自宅の一部をケンの家の保護施設として開放している浅川さん。「ケンの家は小型犬がほとんどですが、数少ない中型〜大型犬の子は別スペースで過ごしています。左端の黒わんこ『ぎんちゃん』、奥にいる元野犬『あさひ』は既に天に召されました」

──ご活動を始めて20年とのことですが、この間、保護犬を取り巻く環境は大きく変わったのではないでしょうか。

浅川:
殺処分の数が減っていることは、すごく良かったと心から思います。
ただ、飼い主が「飼えなくなった」という犬を、保健所ではなくお金さえ出せば受け入れる施設や団体に連れて行っているというケースもあって、放棄される数自体が大きく減っているわけではないということがひとつ。現に、コロナ禍で安易に犬を迎えたのでしょう、今になって若い1、2歳の子が手放されていると聞きます。

──そうなんですね。

浅川:
「保護犬」という言葉がメジャーになるにつれて、これを悪用したビジネスが横行していると感じています。

──たとえば、どのような?

浅川:
保護したわけではない、店頭で売れ残った子を「保護犬/譲渡犬」と言って、「里親募集」と謳って譲渡しているペットショップがあります。

店頭で一度、「なぜ保護犬ということにするのですか」と尋ねたことがあります。話を聞くと、たとえば下痢がずっと続いていたり、病気を持っている可能性があって売れない子を「保護犬」として店頭に置いているとのことでした。このような子を迎え入れる場合、生体代はかからない代わりに、その店でフードを継続購入するといった縛りがついてきます。

──ええ…。そもそも保護犬ではないし、かなりビジネス的ですね。

多頭飼育崩壊からやってきたスピッツの「そら」。「トイレの水を飲むような崩壊現場からやって来ました(写真左上)。虫だらけだった毛はいったん刈り取りました。当初はご飯を食べる力もなく、うつぶせになりながら食べていました(写真右上)。少しずつ笑顔が生まれてはいましたが、体調が万全になることはなく、昨年8月、虹の橋を渡りました」

浅川:
この背景には、「保護犬」という言葉だけが一人歩きして、保護犬を飼うというのが、飼う人にとって、ひとつのステータスになっているようなところがあると思います。あるいは、「ペットショップで買うと高いけど、保護犬だと安く手に入る」という認識で保護犬を迎えようとする方もいます。私たちのところにも時折、「ここは保護犬だからタダでしょう」という問い合わせがくることがあります。

活動を始めた頃は、インターネットによる情報発信や収集がまだまだ進んでいませんでした。だけどだからこそ、調べて私たちにたどり着き、問い合わせてくださった多くの方が、犬のことを今よりもずっと真剣に考えてくださっていたように思います。

看取るのは確かにつらいですが、犬をもののように扱ったり、犬のことを考えられない飼い主さんに譲渡して犬が不幸になるなら、自分が最期まで看取る方が性に合っているのかなと思ってやっています。

埼玉の繁殖業者からやってきた「ラテ」(写真左)と、その1年後に静岡からやってきた「ピース」(写真右)。「ポメラニアンのふたりは、共に心臓と脳に病気を抱えていました。ケンの家にやってきたふたりは、兄弟のように仲睦まじく過ごしていました。ピースはラテ兄ちゃんが大好きでした」

「彼らには逃げ道がない」。
ヘルニアで下半身不随になった「五郎」

「ラテは里親トライアルに出たもののうまくいかず、その後2年近く体調を崩し、2023年9月、天に召されました。弟分のピースは、ラテ兄ちゃんの葬儀を寂しそうに見守っていました」

──ケンの家は、あえて病気や高齢の子を迎え入れておられるとのことでした。
それはすなわち、迎えても長くは一緒にいられないということを意味しますが、なぜそのような子たちを迎えていらっしゃるのでしょうか。

浅川:
今まで看取ってきた子たちに出会えたこと、それは私の宝物です。看取りがあまりにつらくて、やめようと思ったことは何度もあります。だけど、自分は悲しいだけですが、そのような子たちが存在を闇に葬られ、保健所でガスで殺されないといけないんです。自分は悲しくても、支えてくれる仲間や友人がいて、時間が癒してくれる。私には逃げ道が他にあるけれど、この子たちには逃げ道がありません。

本当に微力ですし、100頭も面倒を見てあげられるわけもなく、それでもご縁があって出会った子を見捨てることができません。「守ってあげよう」というよりは、少しでも楽しく、おいしいものを食べて幸せを感じてほしいなと思って、葛藤しながらなんとか続けてきました。

──印象に残っている子はいますか。

浅川:
ミニチュアダックスフンドのワイヤーヘアードの「五郎」は、個人から初めて引き取ったわんちゃんでした。
飼い主が保健所に連れて行こうとしていたところを、「なんとかならないか」と知り合いの方から連絡があり、引き取った子です。

「五郎です。主人が作った車いすで、うれしそうにお散歩してくれました」

浅川:
五郎はヘルニアでしたが、経済的な事情を理由に治療を受けられず、下半身が不随になっていました。身動きがとれないような小さなケージに入って我が家にやってきたので、飼い主さんに「このケージは移動用ですか」と尋ねると、「おしっこを撒き散らすから、家の中でもずっとこの中に入れています」と。体が思うように動かず、おしっこもうんちも垂れ流しの状態だったんですね。

持ってこられたごはんの器も「口が入るの?」というぐらい小さくて。要するに、垂れ流しの状態だから、うんちがたくさん出ては困ると本当に少量のごはんしか与えてもらっていなかったんです。

それでも別れ際、飼い主さんは大泣きで、「この子がきっと寂しがるから」と自分のTシャツを置いて帰られました。しかし五郎がその後、Tシャツに近づくことは一度もありませんでした。

近づくと噛みつくぐらい荒くれでしたが、主人がすぐに五郎のために車いすを作ってくれて、一緒にお散歩に連れ出し、ごはんをきちんとあげるうちに、すごくかわいい笑顔を見せてくれるようになりました。五郎は、自由に動けるのがとにかく嬉しかったみたいです。

五郎は、私が初めて飼い主の方と直接やりとりをして、「こんなひどい飼い方があるんだ」と知った子でもありました。足はずいぶん悪く、それも痛かっただろうし、うんちとおしっこが垂れ流しの状態で皮膚もただれ、ご飯も十分に与えてもらえず…、そんな生活を何年送っていたんだろうと思います。うちに来た時が10歳近くて、その後3年ほどして亡くなりました。飼い主さんに亡くなったと連絡しましたが、何のお返事もありませんでした。

──そうだったんですね…。

「ラテが亡くなった翌月、突然ピースが体調を崩し、あっという間に天に召されました。ラテ兄ちゃんの後を追うように…。ラテ推定6歳、ピース推定5歳。平均的なわんこの3分の1の命でした。最期まで必死に生き抜いてくれました」

人の言葉をよく理解し、いつも一緒だった「ノン」

「写真下がセンターから来たばかりのノン。上は我が家に来て半年後です」

浅川:
東京都の動物愛護相談センターにいた、高齢のゴールデンレトリバーの「ノン」も印象に残っています。ノンは、センターから「この子は噛むから、殺処分が決まっています」と引き取りを断られた子でした。確かに目が三角で、おっかない顔をしていました。

それでも「ちょっとだけ会わせてください」と頼んで、「必ず最後まで責任を持って飼いますから」とお願いして、なんとか引き出した子でした。攻撃的でしたが、そうならざるを得ない背景があったのだと思います。うちに来た時は10歳ぐらい。飼い主から、これ以上面倒を見られないと見放されたのかもしれません。

一緒に暮らし始めて1ヶ月もしないうちにがっつり噛まれて、手が、他の子のお世話ができないほどパンパンに腫れ上がってしまいました。

その後、ノンは失明してしまうのですが、とても頭の良い子で、「ぶつかるよ」というと立ち止まるし、「階段よ」というと上り、「階段終わりよ」というとそれもわかって、おやつをあげる時も「そっとね」というと、本当にそっと食べる子でした。

飼育放棄から保護した「ミミ」(写真奥)と、繁殖場から保護した「ポノ」(写真手前)。「性格が真逆な二人は意外にも相性抜群!ポノはミミが大好きでいつも一緒。今ではふたり揃って甘えん坊に。里親さんの元で、穏やかに暮らしています」

浅川:
主人も一度、出かける前に服がボロボロになるぐらい噛まれて、とにかく私がそばにいないといけないと、どこへでも一緒に出かけて行きました。

一緒に高速道路を走っている時に、トイレに行きたいと私の肩をトントンと叩くのですが、「高速だから、パーキングまで止まれないよ」とか「渋滞だから時間かかるよ」と言うと、唸り出すんです。「肩を噛んだら、代わりに運転する人はいないからね!」と言ったりして。

ここへ来て1年半後に血管肉腫で亡くなりましたが、その後半年間、私は外に出られなくなりました。生活しづらい子ではありましたが、いなくなった時の寂しさに参ってしまったんです。亡くなって12年経つ今でも、首輪をとってあります。

今でも浅川さんが大切にしているノンの首輪

まるで人間の相棒のようだった「姫」

「姫です。姫とはどこへ行くのも一緒で、人間同士の相棒のような存在でした」

浅川:
2年前に亡くなった、元繁殖犬のスタンダードプードルの「姫」も印象に残っています。
引き取ったものの、食べたものが食道に留まってしまう「巨大食道症」という病気で亡くなってしまった子がいました。「自分の勉強不足のせいだ」と後悔していたら、その子の母親が出てくるというので、「子どもを助けられなかった分、幸せにしたい」と引き取ったのが姫でした。

元気だったので里親募集をしましたが、応募してくる人が皆、「トリマーの練習用に」という方ばかりで…。正直に言ってくださるのはありがたいのですが、犬は練習台ではありません。そうこうしている間に「姫を看板犬として迎えよう」ということになりました。

7歳でここに来て、13歳で鼻腔がんで亡くなるまで、姫とはどこへ行くのも一緒でした。
不思議な力を持った子で、最期が近い子がわかるみたいでした。弱っていく子がいたら気にかけてずっとそばにいたり、手で体をゆすったり。外をお散歩していても「あの子がんばって歩いているね」という子の前で必ず立ち止まる子でした。

時間があれば一緒に海へ出かけて、私と姫と、まるで人間同士のように楽しんだ、相棒のような子でした。後にも先にも、そのような感覚になったのは彼女だけです。

「これまでの活動で、印象に残っていることはたくさんあります。強く印象に残っているのは、東日本大震災後の福島でのレスキュー。ニュースでしか見ていなかった現実が目の前に広がり、言葉では言い表せない気持ちになりました。人のいない町…動物だけが歩いている。死ぬまであの光景は忘れられません。うれしかったことは、最初の数年は一人で犬の介護などをしていて相談相手もなかったのですが、少しずつ支援してくださる方やお散歩のお手伝いに来てくださる方が増え、一人じゃないんだって思えたことです」

「限られた時間であっても、
幸せな瞬間が、一つでもあれば」

石垣島の山林、野底岳で保護されたチワワの「クゥ」。「クゥは片目がふさがった状態で保護されました。今は東京の里親さんの元で元気に暮らしています」

──別れは本当につらいと思います。それでも高齢や病気の子を迎え続けるのはなぜでしょうか。

浅川:
この子たちを、見捨てることができません。
私ももう若くないので、あと何年できるか‥自分の健康管理もしっかりしながら、毎日をがんばって生きるこの子たちが、路頭に迷わないように、と思っています。

昨日も一頭を看取りました。ペットショップで購入した飼い主が「病気になったから面倒をみられない」と手放した「ロイ」です。ここに来てすぐに低血糖で死にかけて、その後4度、低血糖になりました。動物病院を4つほど回りましたが、はっきりした原因がわからず…。ロイは最期までがんばりました。

暇さえあれば顔色を見て、毎日何十回、何百回と名前を呼んでいたロイが亡くなって…。それでもほかの子たちの手前、涙を流すわけにいきません。昨晩は、夢の中で大泣きしました。

──そうだったんですね。

「最期までがんばって生きたロイです。右の写真は、ロイと行った最初で最後のお散歩での一枚です」

浅川:
またご縁があれば、ロイのような子と出会いたい。そして、寄り添ってあげたいです。

高齢や病気の子たちを迎えると、だいたい1年ほど、がんなどの重い病気を患っている子は、たった1、2ヶ月で亡くなってしまうこともあります。犬の一生涯を共にしても短いと感じるのに、こんなにも早くお別れが来てしまうんだという思いがあって、だから、ここにいる子たちには「楽しいな。幸せだな」と感じる瞬間が、一つでもあってほしい。

1頭1頭をよく見て、その子にとって嫌なことは極力避けて、ストレスなく生きてほしいと思っています。まだまだ未熟だけど、できるだけそうしてあげたいというのが私の願いです。

ケンの家でボランティアスタッフをする中で、犬を迎え入れ、里親になった皆さん。「日頃お世話をしていると、その子たちの性格や特徴、疾患などがよくわかります。浅川代表からいろいろと教えてもらいながら、それぞれのお家で楽しく過ごしています」

「抱きしめられなくても、皆がそばにいてくれる」

日々の食事の風景。「食事は、厳選した食材を毎食その子の体調に合わせて、量や配分などきめ細かに調整します」

──今日お話を聞かせてくださったケンやロイをはじめ、姿は見えなくなってしまったけれど、看取った子たちの存在を、近くに感じられることがあるのではないですか。

浅川:
あります。いつも何か、出かけた場所でも、ふとこの子を、あの子を、「一緒にここに来たな」とか「あんなことをしていたな」などと思い出します。そして名前を口にすると、ぱっと背中が温かくなるんです。

…生きていた頃のように抱きしめることはできないけれど、出会ってきた本当に良い子たち、皆がそばにいてくれているのを感じます。私は、幸せ者です。

天気がいい日のお散歩、公園でひと休み。「障がいがあって歩けない子は、カートでお散歩します」

──読者の方に、メッセージをお願いします。

浅川:
犬は、言葉は話せなくても、心はあります。最期まで、一緒にいてあげてほしい。そうお伝えしたいです。

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

浅川:
チャリティーは、高齢の子、病気や障がいのある子が少しでも長く、穏やかに健やかに暮らせるよう、日々の医療費や食費に充てさせていただく予定です。

病気や障がいの治療費や光熱費、食費などもあわせて、毎月70万円以上かかっており、個人の持ち出しやマンスリーサポーター様のご支援、クラウドファンディングの開催で、なんとかその資金を捻出してきました。
チャリティーで、一生懸命生きる犬たちを、ぜひ応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

2023年11月12日、神奈川県サザンビーチちがさきにて開催された里親のオフ会にて。「コロナ禍で開催できない時期が続きましたが、久しぶりにケンの家の卒業犬と里親さまが一堂に会しました。里子に出る子は多くないものの、20年以上の活動を物語る一枚です」

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

体調がすぐれない子がいる、その後その子(ロイくん)が亡くなったということで、直前までギリギリのご調整をいただきながらのインタビューでした。つらい状況の中ご活動への思いを語っていただき、浅川さんの犬に対する愛情が、強く伝わってきました。

温かい飼い主さんのもとで、最期まで自分らしく、愛されて過ごすことができる犬たちは、どれだけ幸せでしょう。ペットブームの裏で、見捨てられ、かき消されてしまう命があります。そのことと私たちは今一度、向き合う必要があるのではないでしょうか。

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【2024/5/27~6/2の1週間限定販売】
愛らしい表情の犬たちを描きました。
人からたくさんの愛情を受けた犬たち。真ん中の子は、浅川さんに送っていただいたお写真を参考に、ケンをイメージして描いています。

“Thank you for always being there for me(私のために、いつもそばにいてくれてありがとう)“というメッセージは、人から犬へのメッセージであると同時に、愛情を注いでくれた飼い主さんへ、犬たちからのメッセージでもあります。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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