CHARITY FOR

「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」。ありのままを抱き止めて、地域の中に、安心できる関わりを〜NPO法人抱樸(ほうぼく)

今週JAMMINがコラボするのは、福岡・北九州で、1988年より生活困窮者への支援を行ってきたNPO「抱樸(ほうぼく)」。

団体名の「抱樸」は、「山から切り出された原木・荒木(樸)を、そのまま抱き止める」という思いに由来します。孤立が広がる現代において、「ひとりにしない」、「断らない」、「つながり続ける」ことを基本の姿勢として、活動を続けてきました。

一人ひとりと「出会った責任」を考え続け、ホームレス支援からスタートした活動は今、障害のある人、高齢者、生活困窮にある家族など、29事業にわたります。

「現在の活動は多岐にわたりますが、すべて『出会った責任』を果たすため、『目の前の人にとって何が必要か、誰が必要か』を考えた結果です。『出会いから看取りまで』、『亡くなるまで関わる』のが抱樸です」と話すのは、20年にわたり活動に携わってきた、スタッフの川内雅代(かわうち・まさよ)さん。

10年前より活動に携わり、抱樸ボランティア部主任を務める勝聡子(かつ・さとこ)さん、当事者として1年3ヶ月の路上生活の末に抱樸と出会い、その後10年に渡り仲間たちと活動を支えている梅田孝(うめだ・たかし)さんのお三方に、お話を聞きました。

お話を聞かせていただいた、左から川内さん、梅田さん、勝さん

今週のチャリティー

NPO法人抱樸(ほうぼく)

個人や家族に任されすぎた役割を、皆で分担していける社会をつくる。
誰もがありのままの状態で受け入れられ、何の心配もせず「助けて」と言える社会のために活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/04/08

「出会いから看取りまで」、
「亡くなるまで関わる」

炊き出しの様子。「炊き出しは北九州市役所付近の勝山公園で、基本通年期(3~11月)は第2・第4金曜日、越冬期(12~2月)は毎週金曜日の20時から行っています。情報紙『越冬かわらばん』を配布、お弁当をボランティアが手渡します。また、必要に応じて薬や衣料品をお分けし、健康相談や法律相談などのよろず相談をお受けしています」

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

川内:
1988年、路上で暮らす方々へおにぎりを持っていくことから始まった団体です。
自立を目指すおいちゃん(おじさん)や自立したおいちゃんたちのサポートから始まり、たくさんの人に出会う中で「ホームレス支援」という枠には収まりきらない、さまざまな課題が見えてきました。

障害のある人が働く作業所や、予防の意味も含めて、生活が困窮している子ども・家族支援、また、路上で出会った身寄りのない方たちがだんだん年をとっていくなかで、日中ご飯を食べたりお風呂に入ったりすることが難しいということで、デイサービスも始めました。

活動は多岐にわたりますが、すべては「目の前の人にとって何が必要か、誰が必要か」を考えた結果生まれ、事業化されてきました。「出会いから看取りまで」というのが、私たちの一つのキーワード。「亡くなるまで関わる」のが抱樸です。

炊き出しの後、市内各所へパトロール(寝場所訪問/安否確認/安全喚起)へ向かう。「何度も訪問して、顔を憶えてもらいます。毎回『心配している』『相談してほしい』という気持ちを伝えます。お声がけしていると、毎回同じ場所で待っていてくれるようにもなります。顔見知りになると、ポツポツと身の上話も聴かせてもらえます。抱樸にできることを頼ってもらえるまで、何年も通い続けることもあります」

勝:
今は専門性の高いスタッフも在籍していますが、最初は専門家でもなんでもない、有志の市民が集まって始めた活動です。路上で出会い、自立したおいちゃんたちが、今度は「俺が手伝っちゃるわ」と一緒に運動してくれる。そうやって皆で支え合ってきたのが、抱樸のユニークなところです。

支援する側・される側はなく、皆がひとつになったかたまり、それが抱樸というか。「次の炊き出しはどうしようね」「あの人が体調悪いようだ」ということを、スタッフやボランティアだけでなく、自立したおいちゃんたちも一緒になって共有し、議論し合える。

1997年の「わくわく温泉大作戦」。「夏にお風呂でさっぱりしてもらいたいと、銭湯の入浴券や新品の下着を提供する活動で、現在でも続けています」

勝:
「自立は孤立で終わってはいけない」というのは理事長の奥田の言葉ですが、一度つないだ手を、ずっと家族や友達、知り合いのように握り続けること。スタッフだろうとボランティアだろうと誰だろうと、そこには肩書きも何もなくて、ただの人同士という間柄で「おんなじいのち」だというのが、抱樸の根底にある考えです。

「何か困ってるんじゃないか、助けを必要としてるんじゃないか」と、目の前の人のことを思って声をかけてあげられる人、また、「あの人は、自分のことを気にかけてくれている」と思える人を、活動を通じてどれだけ増やすことができるかというのもまた、私たちの目指しているところです。

──現代の人や社会のあり方への働きかけでもあるんですね。

「炊き出しで出会った『おいちゃんと高校生ボランティア』は、その後もずーっとつき合いを続け『おじいちゃんと抱樸スタッフ』になりました。おじいちゃんを看取る際、彼は孫同然に枕元で、おじいちゃんの名前を呼び続けました」

従来の働き方が崩壊している今、
家族の役割を、いかに社会が分業できるか

刑務所からの出所を迎えに行くところから「家族」になった、理事長の奥田さん夫妻とKさん。「かつて孤独の寂しさの中にあったKさん。ずっと年下の奥田夫妻を親のように慕い、居場所を得て生き直しています」

──「自立は孤立で終わってはいけない」という言葉の意味を、もう少し詳しく教えてください。

勝:
私たちは、「ホームレス」を「ハウスレス」と別で定義しています。
「ハウスレス」は、物理的に家がない、経済的困窮状態。これは、社会的な支援とつなぐことで解決します。一方で「ホームレス」は、社会的に孤立した状態です。「ハウス」はあっても「ホーム」がなかった時に、人は果たして、健やかに生きていけるでしょうか。

「我が家」という意味でのホームだけでなく、心の拠り所になるような関係性があるか。
人間関係が削ぎ落とされていく中で、次第に自己肯定感が落ちて、「自分がいなくなったって誰も気にしない」と思っておられる方は少なくありません。それゆえに、路上でお声がけしても「放っといて」という反応をされる方も少なくないのです。

──そうなんですね。

炊き出しで手渡しているお弁当。コロナでその場で一緒に食べることができなくなってからは、手紙を添えて渡している。「炊き出しのお弁当は、『炊き出し協力団体』の皆さまが持ち回りでこしらえてくださいます。お手紙は、全国から参加できる活動として募集しています。この春から一緒に食べることができるようになりましたが、今でもお手紙は続けています」

勝:
正社員として企業に就職し、家族の福利厚生を企業が担い、家の保証もされていて、退職したら年金が出て…という、従来のモデルがどんどん変わってきています。
高齢で働く方、非正規雇用も増えている中で、何かあった時にそれを本人や家族だけで担うということは、もはや限界を迎えています。
それまでの終身雇用の中で担われてきたものを、自己責任や身内の責任として押し付けることには無理があるということは、客観的に見ても明らかです。

──確かに。

抱樸が自前で建てた「抱樸館北九州」のデイルームの様子。「炊き出しなどで出会った方々とも長いおつき合いになり、皆さんご高齢に。ご苦労された分、その方らしく生き生きと楽しく過ごして欲しいと願っています」

勝:
社会制度を作ってなんとかしようという動きもありますが、本人や家族だけで担うことに無理があり、しんどいのだとしたら、「なんちゃって家族」でもいいから、地域で手を取り合って、家族の役割を担うことができるんじゃないか。

「家族の役割を、いかに社会が担えるか」というのは、抱樸のテーマでもあり、さまざまな取り組みをしてきました。私たちがおいちゃんたちに教わったことや経験を国に伝え、これからの制度に反映してもらうことも、役割のひとつだと思っています。

「抱樸館北九州の自立支援住宅に入られ、同館へ定住された方の居室です。全室個室で、支援住宅ではすぐ生活できるようベッド、机、いす、テレビ、衣装ケース、棚等を備品として用意しお迎えします。その後、日常の生活や定期的な交流の場を通して入居者、ボランティアとも顔なじみになり、館の一員になっていかれます。居室はそれぞれに思い出の写真を飾ったり、服も増えタンスを買い足したり。抱樸館が『ホーム』になることを目指しています」

「二人が最期まで看取ってくれるんだろうな」。
路上生活を経験した梅田さんと抱樸の出会い

路上生活経験者やボランティア、スタッフでつくる「互助会」の春の恒例イベント「野外交流会」で出し物をする、「なかまの会」のメンバーとボランティア。北九州市内・高炉台公園にて

──梅田さんは路上で抱樸と出会い、自立した今も関わっておられるんですね。

梅田:
はい。私は当事者で、1年3ヶ月の間、野宿しました。2014年11月に抱樸館北九州の「自立支援住宅」に入居し、そこでの半年の生活を経て自立しました。その後、抱樸の炊き出しや互助会など、なんやかんやで10年関わっています。

──なぜ、10年関わりが続いたのでしょうか。

梅田:
路上で暮らしていた人たちは皆、同じ境遇で苦労してきたので、一緒に生きていきたいなって。誘ってもらって、人とのつながりの中で「やろうかな」と思いました。

「抱樸でかけがえのない仲間と出会った」と梅田さん。「しばらく顔をみないと、どうしているかなと電話します。時々ちょっと一杯、酒を酌み交わすのが何よりの楽しみ」

梅田:
私はね、今日一緒にいる川内さんとも勝さんとも、相性がいいんです。
職員さんから声をかけてもらうけど、どうしても相性がある。たまたまこの二人と出会って、一緒にやろうって声をかけてくれて、たまたまだけど相性が合った。それで関係性が続いているんだと思いますね。

勝:
今の梅田さんの思いを聞いて、すごく嬉しい。私が生きる上での一部分を、支える言葉をもらっていると感じます。出会いの先に、このような喜びがあるということをここでの活動を通じて知っているし、自分の励みになっています。

川内:
「あんたのためなら、ひと肌脱いでやろう」というパーソナルな関係性や動機、経験で、私たちは成り立っています。「あの時、自分のことを一生懸命に思ってくれた」という経験が、その人がその後、生きていく力になっていくんだと思います。もし私たちがそんな存在になれているとしたら、すごく嬉しいです。

「炊き出しの夜遅く、パトロールで出会う路上生活のMさんが、ボランティアのためにお菓子を用意してくださっていました。『いつもお世話になっています』と一人ひとりに手渡してくださり、気持ちがありがたたくて、しばらく家に飾っていました」(勝さん)

梅田:
ここで人生をリセットすることができて、それは本当にありがたいです。この先、長くはないだろうけど…、二人が最期まで看取ってくれるんだろうな。

──川内さんは、梅田さんとよく喧嘩もされたそうですが?

川内:
梅田さんはね。何かあると怒って帰っちゃうの(笑)。
自立するおいちゃんたちと連絡を取り合ったりする「世話人」というのがあるのですが、ある時、梅田さんにそれをお願いして、受けていただいたんですね。
やっていると、意見がぶつかる時も、うまくいかない時もあります。それで怒って帰っちゃうんだけど。それでもやっぱり「連れ戻さないと」って。

──なぜ、「連れ戻さないと」って思われたんでしょうか。

川内:
80歳90歳の方もたくさんおられる中、60代の梅田さんは若いんです。若手の梅田さんに「なかまの会」を支えてほしいという気持ちがありました。

そして、梅田さんが大事な人だったから。梅田さんにいてほしい、梅田さんはいないといけないって。だからなんとかつなぎとめたかった。それで、一生懸命説得しました。

川内さんのことを「お嬢」と呼び、誕生日には欠かさず鉢植えの花を贈ってくれたというMさん。「何年も前に贈ってもらった植木鉢は自宅で元気に育ち、眺めるたび、今は亡きMさんを思い出します」

──見過ごせなかったんですね。

川内:
こう言うと何ですけど、それまで、喧嘩する人なんていませんでした。皆さん、ついてきてくださることが多いんですね。けど梅田さんは、言うことを聞かないわけ(笑)。

梅田:
もう10年も一緒にいますから、一緒にいる時間が長いと、喧嘩もします(笑)。

──お二人が本当の姉弟のように見えてきました(笑)。
ところで、差し支えなければ、梅田さんが路上に出られた経緯を教えていただけませんか。

梅田:
当時、50過ぎで住み込みの仕事を辞めることになり、住んでいた寮を出ました。次の仕事はすぐ見つかるだろう、翌週から働けるぐらいに甘く考えていたのですが、住所もなく、なかなか見つかりませんでした。

いくらか貯金があったので、ビジネスホテル、ネットカフェなどを渡り歩き、いよいよお金が尽きてきて、路上に出ました。

「日常の何気ない会話を大切にしています。一緒の時間を積み重ねる中で、困った時には、私たちの顔が浮かんでくれればいいなと思いながら関わっています」

──その間に、どこかに支援を求めたりされることはなかったのですか。

梅田:
していません。炊き出しのことも知らず、行っていませんでした。
ひとりで家族もおらんし、「自分ががんばらんといけん」と思っていました。

ある晩、そこが運命だったですよね、今でもお世話になっていますが、抱樸の若いスタッフさんが声をかけてくれて。感じがよくて、この時に初めて、抱樸とつながりました。その時は所持金が残り3万円で、にっちもさっちもいかない状況でした。自分が思っていた展開ではなく、「これはお世話になるしかない」と思った。

勝:
炊き出しの後、夜10時半から皆さんが寝床に戻られるタイミングで、小倉駅周辺をパトロールしています。例えばバスの運行がすでに終了している時間、バスロータリーに座っておられる方はきっと何かあると思うわけです。声をかけるのはこちらも勇気がいるのですが、「ごめんなさいね、今日はどちらにお帰りですか」などと声がけをしています。

梅田さんもそのようにお声がけさせていただいた一人です。
相手の方によっても反応はいろいろで、「自分はそんなんじゃないから大丈夫」と断られる場合もあります。「じゃあ世話になろうかね」って思ってもらうタイミングも人それぞれで、お声がけをしてすぐにということもあれば、関係性を築く中で徐々にということもあります。

抱樸の活動の中で、亡くなった仲間を皆で見送る「互助会葬」を特に大切に思っている梅田さん。2024年3月、かつて近くに住んでいたMさんの葬儀では、足の悪いMさんのために弁当を買いに行ったこと、「電球が切れた」と呼ばれて行ってみたら電気代が払われてなかったこと…、Mさんと過ごした、かけがえのない日々の思い出を語った

──運命の晩に抱樸さんと出会われて、最期も安心して預けられる、家族のような存在になったんですね。

梅田:
自分には家族がいないからですね。持病もあるし、あまりあちこち行けないんです。多分ここで生涯を終えるんじゃないかな。ここが安住の地になるでしょうね。後のことは、この二人に任せています。

勝:
おいちゃんの中に、梅田さんのことを慕っているTさんという方がいます。
Tさんは抱樸館北九州の自立支援住宅で梅田さんと半年を一緒に過ごした同期で、その後も引き続き抱樸館で暮らしておられるのですが、タバコやコーラを買ってくれる梅田さんの言うことだけは聞くんです(笑)。

子ども・家族まるごと支援事業部で毎年12月に行っている「すき焼き会」。「2021年はクラウドファンディングで購入した電器鍋を使って、子どもたちと料理で盛り上がりました」。普段から学習支援を行っているほか、日常の相談、イベントや中高の合格発表の付き添いなど、子どもたちの多感な数年を共に過ごすという

勝:
スタッフはなかなか部屋に入れてもらえませんが、慕っている梅田さんは入れてもらえる。それで梅田さんがしっちゃかめっちゃかになったTさんの部屋をきれいに掃除して、Tさんには「ちゃんとせんと」と小言を言い、スタッフには「なんでここまで放っておくんか」と言って帰っていく(笑)。

Tさんのお誕生日にTさんを自宅に呼んで、お泊まり会もしてくださっているんです。最初、Tさんが「誕生日は友だちの家に外泊をする」というので「どなただろう?」と思ったら、梅田さんのところでした。

──慕ったり慕われたり、思ったり思われたり。そういう関係性が、あちこちで循環しているんですね。それが抱樸なんですね。

「野宿経験者が子どもたちに、『生きてたらいつか笑える日が来る』と、自らの経験を伝える一座を組み、全国に出向いてます。時には観光も!演奏もする副理事長、スタッフと一緒に京都・金閣寺の前でパチリ。仲良しチームです」

「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」

炊き出しにて、しゃがんで話をする奥田さん。「お名前のわかる方は、なるべく全員にお声がけします」

勝:
この活動をする時に、「自分は相手のためと思っているかもしれないけれど、相手からは迷惑と思われているかもしれない」っていう自覚は、持っておきたいなと思っています。

そういう意味で勇気もいるけど、「放っておけないじゃない。見過ごせないよ」っていうおせっかいを安心してさせてもらえる、ボランティアの先輩としての理事長の奥田さんや川内さん、おいちゃんたちをはじめ、先輩の姿がここにはたくさんあって。

その結果生まれているのは、さっきの梅田さんとTさんの話もそうですが、「○○さんの家の郵便受けがいっぱいだったよ。何かあったんじゃないかな」とか「電球が切れたら、交換にいくよ」とか、そういう互いを思える関係性というか。

互助会の「新年カラオケ大会」(写真はコロナ前)。「奥田理事長が牧師をつとめる教会をお借りして、ワイワイと盛り上がります。一緒にご飯を食べることを大事にしています」

勝:
抱樸が体現している「ホーム」の輪に、私も加えてもらい、迎え入れられたという心地の良さと、安心しておせっかいをやける環境がここにはあって。もちろん、跳ね返されることもあります。梅田さんからは「2度と口を利かん!」と言われたこともあるぐらいですから(笑)。

梅田:
喧嘩はするんです、誰とでも(笑)。仲がよくてもわるくても、喧嘩はするんです(笑)。
好きな人とも嫌いな人とも、共に生きていく。私はそれを、抱樸に教えてもらいました。

川内:
何がどう解決した、何人どうなったといった数字にはならなくても、たとえどんな相手でも、その人が変わろうが変わるまいが、その方のことが気にかかり、たとえば笑顔を見せてくれた時に、喜びを感じます。

2009年から毎年開催している「ゴーイングホーム・デイ」。「北九州市立大学の体育館をお借りして、運動会的な1日を過ごします。野宿経験者も作業所のご利用者もボランティアも準備から一緒に作業し、当日はおよそ300名の『出会った仲間たち』で楽しみます!」

勝:
もしかしたら問題自体はすぐに解決しないかもしれない。「それでもいいやないか」というのが実はひとつあります。直接解決にはつながらなくても、赤提灯の下で愚痴って飲む相手がいれば、次の日をなんとか迎えられるということがあると思うんです。「困った時はお互いさま。一緒にがんばろう」、そんなつながりが増えていけばと思っています。

今、私たちは「希望のまち」という新しいプロジェクトに取り組んでいます。福岡県北九州市に、さまざまな機能を持った複合型社会福祉施設を建設し、そこを拠点に「だれもひとりにしないまち」を拡げていくプロジェクトです。

このプロジェクトのキャッチフレーズが「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」なんです。
何気ない日常の中で困っている人、助けが必要そうな人がいた時に「どうしたの?」って寄っていける人、寄っていけることそのものを、どれだけ地域の中に起こしていけるか。抱樸として、もっともっと取り組んでいきたいと思っていることです。

「希望のまち」の予定地に建つ交流拠点「希望のSUBACO」。「希望のSUBACOでの地域清掃を終え、一服するおいちゃんたち。おいちゃんたちは、ボランティア活動を一緒に支えてくださっている大切な仲間でもあります。皆さんとのワーワーとたわいもないおしゃべりの時間は、何物にも代えがたいひとときです」

奥田さんからのメッセージ

「出会いから看取りまで皆で寄り添い、後々までも、その人と生きた時を心に刻む。路上から自立した当事者の皆さんやボランティアでつくる『互助会』が毎年一度、先だった仲間を悼むために開いている『偲ぶ会』は、このことを再確認する時でもあります」

今回のコラボにあたり、理事長の奥田知志さんからも、メッセージをいただきました。

36年前、わずかな食料と衣服などを携え、路上に暮らす人々を訪ねる。「最期は畳の上で」という最低限の望みさえ叶わない人々に寄り添い、「ひとりの路上死も出さない。ひとりでも多く、一日でも早い自立」を目指してきました。

「畳の上」に上がり仕事も決まった。でも「これで安心」とはなりません。「最期は誰が看取ってくれるか」。自立が出来ても孤立が解消されない。ホームと呼べる人との関わりを取り戻すことが重要でした。

以来、「この人には何が必要か(家、仕事など)」と「この人には誰が必要か」という二つの課題に向き合ってきました。

ひとりの人との出会いの中でこの二つの問いに応える活動は、住まい、就労の支援はもちろん、子ども・家族、障害福祉、介護事業、刑務所出所者など29の事業に広がりました。

「ひとりにしない。断らない」。それが私たちの支援の柱です。

今、抱樸はまちづくりに挑戦しています。かつて暴力団の存在に怯えた「怖いまち」を「希望のまち」に変える取り組みです。単身化が進む社会において町全体が大きな家族になれればと願っています。

どうぞ、応援ください。

「ゴーイングホーム・デイ」での集合写真。「赤ちゃんから、人生のエキスパートまで。『なんちゃって家族』の里帰りです!」

チャリティーは、炊き出しのお弁当代などに活用されます!

抱樸館のレストランの食券を寄付して「誰か」に使ってもらうための「ごちそうさまBOX」。「互助会で、互助会のメンバーではない方々のために運用しています」

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

川内:
チャリティーは、家を失った方や生活がお困りの方に、炊き出しで、心のこもったお弁当をお届けするために活用させていただく予定です。

「出会ったからには、最期まで伴走する」というのが、抱樸の理念としてあります。家族や地域社会から見放され、つながりが途絶えてしまった方々に、「そばにいるよ」と伝え続け、そして何か困ったことがあった時には、私たちのことを思い出してもらいたい。その出会いのきっかけとなる場が炊き出しです。

炊き出しでお配りしているお弁当は1食250円の材料費で、炊き出し協力団体の方々がお作り下さっています。今は1回の炊き出しで、120食ほどお届けしています。

アイテム購入ごとの700円のチャリティーで、およそ2.8食分をお届けすることができます。
ぜひ、私たちの活動を応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

抱樸の活動の集大成として準備中の「希望のまち」建築予定地で、シンボルとなる看板を地域の子どもたちと作りました(2022年6月4日/北九州市小倉北区神岳)。お疲れ様!の集合写真。

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

賑やかで、時に泣いたり笑ったり、お三方の信頼関係や抱樸さんの雰囲気が伝わってくる、とても楽しいインタビューでした。私が特に印象的だったのは、梅田さんが「二人が最期まで看取ってくれるんだろうな」とおっしゃった時、穏やかだけど目をキラキラと輝かせた、満面の笑顔をされていたことです。

競争はたくさんあるのに、一方で人のつながりは疎遠になり、その意味で、互いへの関心も干渉も減っている昨今。その行き着く先はどこなのか。私たちはどう生きるのか。いろいろと考えさせられるインタビューでした。皆さんは、どのように感じられたでしょうか。

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さまざまないのちがひしめき合っています。
一人ひとり皆が違う。それぞれが互いを受け入れながらつながり、一つの大きなかたまり(コミュニティ)となって社会を形成する様子を表現しました。

“You are here. I am here(あなたはここにいる。私はここにいる)“というメッセージを添えています。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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