ケガや病気の野生動物を保護し、治療やリハビリを行って野生に帰す活動をしているNPO法人「ジャパンワイルドライフセンター(JWC)」が今週のチャリティー先。
団体を設立した獣医師の故・佐草一優(さくさ・かずまさ)さん(享年54)は、日本神話に登場するスサノオノミコトとイナタヒメがまつられた八重垣神社(島根県松江市)の宮司の家に生まれ、日本人としての感性、豊かな大地や文化に誇りを持ち、野生動物に深い関心を寄せていたといいます。
「自然のサイクルの中、我々人間もまた、その恩恵を受けている。科学技術が発達した今だからこそ、野生動物のためにできる配慮があるのではないかと、彼は生前、話していました」。そう話すのは、佐草先生が亡くなった後、遺志を引き継いで代表となった妻の佐草和泉(さくさ・いずみ)さん(60)。
「『野生動物は、プライドの生き物なんだ。死んでしまっても、一生懸命、生きたんだ。かわいそうなんて言っちゃダメだぞ』。父がそういったことが印象に残っています」と話すのは、佐草先生の娘で、JWCスタッフの佐草優里(さくさ・ゆり)さん(24)。
佐草先生が亡くなって10年。
お二人に活動について、また佐草先生の思いについて、お伺いしました。
お話をお伺いした佐草優里さん(写真左)、佐草和泉さん(写真右)
NPO法人ジャパンワイルドライフセンター(JWC)
傷病野生鳥獣を保護し、自然に戻すまでの飼養・治療・リハビリなどを行う団体。
1988年に前身となる「野生動物調査室」を開設、1990年に任意団体を設立、2007年にNPO法人として認定を受け、保護活動の傍ら、野生動物に関する情報の啓蒙・普及にも力を入れています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2024/01/22
後ろ足が壊死した状態で保護されたホンドタヌキ。「写真は、オペ前の留置を取る様子です。現在もセンターでリハビリ中です」
──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。
優里:
東京都町田市にある『のづた動物病院』と共に、人為的な事故や病気で運ばれてくることも多い野生動物に治療・リハビリを行い、自然に戻す活動をしている団体です。
ケガや病気の野生鳥獣の救護は、獣医師の業務の範疇となるため、NPOとして勝手に治療やリハビリができるわけではありません。私たちはNPOとして、のづた動物病院と提携するかたちで、野生動物たちの日々の世話やリハビリ、資金集めなどを行っています。
和泉:
私たちの団体があることで、二つの点から、他の動物病院さんでも傷病野生鳥獣の保護のハードルが下がるものと思っています。
一つが『スペースの問題』です。野生動物の保護・治療となった際、動物病院としてネックになることのひとつが、収容スペースの確保です。動物病院は普段、ペットを扱っているので公衆衛生上、感染症などに最大限注意しなければなりません。そのため収容を躊躇してしまうことがあるのです。
親が巣からいなくなり、衰弱していたところを保護されたツバメのヒナの兄弟のうちの一羽。飛行しながら餌を捕るトレーニングをしているところ
和泉:
私たちのところも収容可能頭数に限りはありますが、他の動物病院である程度の処置を終えた後、野生に戻るためのリハビリを請け負うこともあります。
もう一つが、「動物病院としてどこまで面倒を見るか」という点です。
飼い主のいない野生動物の保護となると、ペットとは異なり、動物病院に来る時点で重篤な症状を抱えていることが少なくありません。治療の甲斐なく亡くなってしまうことも多く、そうすると動物病院のスタッフの方たちも心情的に耐えられない。スタッフさんを守るために、野生動物の受け入れを断念されているところもあります。でも受け皿として私たちがいれば、保護のために動いてもらえる可能性が広がります。
ネコに襲われたキジバト。「背中やそのうなど、全身に咬傷や爪傷が見られ、治療の甲斐なく、翌日に亡くなりました」
「センターで保護している動物たちはリリースを前提としている為、餌はなるべく自然の中でも採取できるような食材を選び、種や症状に合わせたものを手作りしています」
──野生動物となれば、治療に対してお金を払う飼い主さんもいないわけですが、治療や入院にかかるお金はどのように捻出していらっしゃるのですか。
優里:
提携しているのづた動物病院の獣医師が、東京都獣医師会に所属しています。
東京都獣医師会は、環境省からの協力事業として傷病動物の救護を請け負っており、対象動物に関しては、1回の診療につき約3,000円の助成金が、最大5日分まで委託費として支給されます。
お伝えしたように、野生動物が病院に来る時点で重篤なことが多く、治療費として5日分では全然足りないことの方が多いです。あるいは助成の対象外の動物であっても、私たちJWCとのづた動物病院の方針として、同じ命として分け隔てなく救護しています。
ケガや病気の野生動物を連れて来られた場合、助成金の対象の動物に関しては診察費をいただきませんが、対象外の動物については、初回にかかる費用だけはご負担いただいています。その後の治療や世話、薬代などは、団体を応援してくださる皆様からの寄付や会費で賄っています。
ネズミ捕りシートにかかってしまったメジロ。「右半身を中心に粘着剤が付着し、身動きの取れない状態でした。処置の甲斐なく、数日後に死亡。ネズミ捕りシートは残酷な捕獲方法であるとし、既に諸外国では使用が禁止されているところもあります。日本でも使用される頻度が減ることを祈っています」
──ひとくくりに野生動物といっても、行政としては「対象内」と「対象外」があるのですね。
和泉:
明治時代以降に国外から来たとされる特定外来生物や、本来の生息域から脱してしまった外来種、農作物や家屋などに被害をもたらすとされる、いわゆる害鳥・害獣と呼ばれる動物は対象外です。イノシシやシカなど狩猟を認められている動物も、ある意味『増えてきている』という認識で対象外です。
ホンドタヌキは、令和4年から対象外になりました。身近なところでいくと、スズメ、ヒヨドリ、公園でよく目にする灰色のカワラバトも対象外です。
カルガモやメジロ、ツバメ、ニホンアナグマなど人や生態系に害をなすことが少ない種は、対象内になっているようです。
交通事故に遭ったホンドタヌキ。「搬送時、既に虚脱状態で状態は悪く、翌日までは何とか耐えてくれていたものの、残念ながら息を引き取りました」
ヒナの時に衰弱した状態で保護されてきたヒヨドリ。「無事に成長し、リリースに至りました。保護されてきた子を元居た場所へと帰す瞬間は、本当に良かったという安堵感が胸を占めます」
和泉:
少し話はそれますが、ヒナや幼獣も助成金の対象外なのですが、その背景に「誤認保護が多い」という問題があると思います。たとえば、巣から飛び立つ練習しているヒナ鳥が一羽だけ道路で疲れて休んでいるのを一般の方が見つけ、「家族とはぐれてしまったのでは」と保護してしまうケースがあります。
しかし大抵の場合は、近くに親や兄弟がいて様子を見ているので、子を連れ去ってしまうことになります。
──そうなんですね。
優里:
タヌキの赤ちゃんも、誤認保護がすごく多いです。
タヌキは側溝やマンホールなど暗い場所でよく出産するのですが、赤ちゃんは「ミャーミャー」とネコのような声で鳴くので、「ネコが誤って落ちてしまったのでは」と思い、消防隊が出動して保護してみたらタヌキだった、ということもありました。
親が一匹ずつ別の場所に移動させている最中に、人間が誤って保護してしまうこともありますが、半日ほど様子を見ていると、親がちゃんと戻ってくることがほとんどです。なので、まずはそっと見守ること。
子猫が落ちていると勘違いされ、誤認保護されてしまったホンドタヌキの幼獣7頭。「その後、さらに別の兄弟で2頭保護され、その年は計9頭の幼獣を育てました。毎朝5時から深夜2時まで、授乳と排泄の補助を行う日々が続き、最終的に無事に全頭育ちリリースしました。あれから2年、この子たちが今も元気に過ごしてくれていることを切に願っています」
和泉:
たとえ親とはぐれてしまったとして、自然の摂理の中で、それは次の命につながる大切なことです。いたずらに保護することは、自然のバランスを崩すことにもつながりかねないのです。
また、保護した後は結局、人工保育になります。それは多かれ少なかれ人馴れの危険性を生みますし、本当の親と違って、彼らに生きる術を余さずに伝えることは不可能です。保護した子たちが野生に戻った後も自分の力で生きていけるように、JWCでは関わるスタッフをできるだけ限定し、一定の時期以降は関わらず、餌も生餌を朝早くから採取して与えたりと工夫を凝らしますが、実際に自然に戻した後、彼らがどれだけ長生きできているかは分かりません。
かわいそう、助けてあげたいという感情が湧き出てくることは、もちろんよく分かります。しかし「動物愛護」と「動物保護」は異なるということ、そして「彼らは野生動物である」ということを理解する必要があります。
疥癬にかかったホンドタヌキ。「ヒゼンダニというダニによって引き起こされる皮膚病で、免疫力が下がると重篤化するといわれています。近年、疥癬のタヌキの目撃数も増えてきており、明らかな原因は未だ不明ですが、当団体では、タヌキが本来の餌とは異なる体に合わない外猫の餌を食べてしまったことで内臓に負担がかかって免疫力が低下してしまい、その結果、重篤化している可能性があると考えています。写真のこのタヌキも、外猫の餌を食べに来ていました」
2023年に誤認保護されたホンドタヌキの幼獣。「この子の後、さらに5頭の幼獣が保護され、最終的に6頭の子ダヌキを育てることとなりました。幼獣や雛鳥が保護されてきてお世話をしている時は、夢の中でもお世話をしていたりすることがよくあります。野生動物なので、ペットに対するような愛情を注ぐことは彼らのためにしませんが、過ごす時間の中でどうしたって愛着は湧きます。野生に戻した後も常に不安で心配で、無事に生きていてほしいと心から願っています」
──これまでに保護した野生動物の中で、印象に残っている子はいますか。
優里:
両後ろ足と尻尾がちぎれた状態で、自転車屋さんで見つかったタヌキがいます。自転車屋さんにちなみ、『チャリン』と名付けました。
片方の足は完全に骨が剥き出しで、酷い状態でした。そうなった原因は何なのか。交通事故であれば骨盤や背骨などにも骨折痕があってもいいはずなのですが、それも特になく、台風や嵐に遭ったとしてもここまでの状態になるとは思えません。
狩猟具として、すでに禁止されている「トラバサミ」という罠があります。
申請すれば特例で使用でき、未だ違法で設置されていることもあって、時折、ネコがトラバサミにかかり両足がちぎれた状態で見つかることがあります。タヌキでも事例は多数あり、実際に「トラバサミを足にぶらさげたままの状態のタヌキがいる」とのことでお問合わせいただいたこともありました。可能性のひとつに過ぎませんが、もしかしたらチャリンもトラバサミの被害に遭ったのかもしれません。
両後ろ足と尻尾が欠損している状態で保護されてきたホンドタヌキのチャリン。センターへ移送してすぐの頃の写真。「骨が露出しており感染症も懸念されたため、早急なオペが必要となりました」
優里:
タヌキも個性がいろいろで、臆病な子もいれば、穏やかな性格の子もいます。チャリンは後ろ足こそありませんでしたが、前の2本足でケージに登ったと思ったら、下で掃除している私たちに向けておしっこをかけてきたり、タオルをボロボロに噛みちぎったり、喉を撫でると気持ち良さそうに後ろにのけぞったり…、とにかく愛嬌のある子でした。
保護されてすぐ、『チャリン基金』として足の手術費とオーダーメイドの車椅子の製作費用を募ったのですが、有難いことに翌日には目標額を超えるご支援をいただき、無事手術を乗り越えて、車椅子も製作中でした。
ところが去年の夏、体調を崩したため検査をすると、先天的なものか足の影響かはわかりませんが、心臓に問題が見つかりました。頑張って治療を続けましたが症状は好転せず、残念ながら亡くなりました。
最期の1週間ほどは私も気になって眠れず、夜中もずっとつきっきりでした。亡くなった日の早朝、珍しく起き上がってこちらを見ていたので、「どうした? 今日は調子良いの?」と話しかけたりもしていたのですが、日が昇り切った頃から眼振が始まり、獣医師に状況を報告している最中に呼吸が止まってしまい、人工呼吸やマッサージもしましたが、そのまま静かに息を引き取りました。
うちの団体では、野生動物は治療後、自然に戻すことが前提となっており、終生飼養は許されていません。
ですがチャリンは両後ろ足がない状態で治療を続けており、見守っていただいた皆さんも、きっといろいろと察した上で、頑張れ頑張れと応援してくださっていたと思います。長生きさせてあげられなかったことは残念ですが、最後まで懸命に生きたチャリンの姿を、きっとこれから先、忘れることはないと思います。
愛嬌があり、保護されてきたタヌキの中でも特に穏やかな性格だったチャリン。「食いしん坊で、餌を持って行くとケージの手前まで来てよく催促していました。たくさんの思い出をくれたチャリン。出会うことができて良かったと心から思います」
保護された子ダヌキと先代代表の故・佐草一優さん。「子どものように好奇心旺盛で、やりたいと思ったことに対して、一切ためらいのない人でした。動物と向き合う際は、常に動物と目線を合わせ、全力で向き合っていました」
優里:
父がずっとこの活動をしていたので、私は物心ついた時から、周りをタヌキが走り回り、フクロウが頭の上を飛んでいて、チョウゲンボウに餌をあげて……という生活が当たり前でした。
いつだったか、一生懸命世話していた子が亡くなって大泣きしていた時に、父が目に涙を浮かべながら言ったのは、「野生動物は、プライドの生き物なんだ。一生懸命、生きたんだ。かわいそうなんて言っちゃダメだぞ」という言葉でした。
──野生動物と対等に、リスペクトを持って関わっていらっしゃったんですね。
佐草先生と優里さん。「父(佐草)から直接、野生動物について『教えられる』ということはあまりなく、父と母が世話や治療している様子を見て、私も真似するということが多かったです。ただ、動物のことで疑問に思ったことを聞いたりすると、目を輝かせ、私を膝の上に乗せながらウキウキと教えてくれたことをよく思い出します。今でも、症例の難しい子が来た時などに『父ちゃんならどうするだろう』と思うことが少なくありません」
和泉:
佐草は、命、そして命を持つものに対して、その尊さは皆一緒なんだという思いを持っていました。だから人もペットも虫も野生動物も好きで、頑張っている命が大好きでした。
だからこそ動物病院を始めるとなった時、「この子は診るけど、この子は診ない」と、選別したり区別することができなかったのだと思います。
野生動物と関わることは、佐草本人の好奇心もありました。未知のものを知ることで深まる知識、それによって見えてくる世界のおもしろさ、そしてまた、野生動物に関する事業を確立していきたいという野心もあったと思います。
密猟で孤児となったアフリカゾウの赤ちゃんと佐草先生。「現在は資金不足から国内での活動に留めていますが、佐草が生きていた頃は海外での活動も行っており、アフリカの保護施設にも頻繁に訪れていました。『アフリカは第二の故郷だ』とよく語っていました」
──そうだったんですね。
和泉:
ただ、もっと広い意味で言うと、佐草の実家である八重垣神社は、スサノオノミコトがヤマタノオロチから生贄(いけにえ)にされようとしていたイナタヒメを救い、めでたく結ばれたという神話があり、縁結びの神社として知られています。縁結びの神社で生まれ育っているが故に、「縁」に対して、根っから思い入れがあったのだと思います。
生前、「目の前の小さな命を助けたい」「病院に来た子をできる限り救ってあげたい」ということを常々言っていました。宮司の家系として奉仕の精神を持ち、イナタヒメを救ったスサノオノミコトのようにありたいという思いが、きっとあったのではないかと思います。
優里:
野生動物の「こうしてほしい」を、その表情やしぐさから直観で感じ取る人でした。求められたら応えたい、「どれどれ、診てみよう…」と、考えるより先に体が動いていたのが父でした。
亡くなって10年、今でも父のことを尊敬していますが、もし今、父と会話ができたら「いろいろ好き勝手していなくなって、どうしてくれるん!」と怒ると思いますね(笑)。よく、母が父に「いい加減に休んでよ!」と怒っていました。「困った患者さんを診てあげないと困るだろう」と動物病院も年中無休、周りの心配には聞く耳も持たず、自分の寝る間も惜しんで、とにかく動物と向き合う人でした。
任意団体として活動をスタートした頃に始めた、チーター保全のためのプロジェクト。チーターと触れ合う佐草先生
「草刈りで母鳥を死なせてしまったと、泣きながら傍らにあった11個の卵を持って来られた方がいました。本当は卵も獲ってきてはいけないのですが、佐草は『この子たちがしっかり育ってくれれば、あの人も少しは救われるだろう』と卵を受け取りました。2羽は途中で亡くなったものの、残った9羽は無事成長し、山へリリースすることができました」
和泉:
佐草は学生時代、丹沢の山で野生の一頭の牡鹿に出会い、その神々しい姿に、彼曰く「負けた」と思ったのだそうです。
獣医師として、また命を預かる者として、野生動物のことをもっと知りたいと調べていくうちに、日本の農家と野生動物が抱える問題に辿り着きました。害獣とみなされ、設けられた柵にひっかかり、息絶えた野生の子ザルに、「お前も、ここに来なければこんな目に遭わずに済んだろうに……」と涙を流して撫でている農家さんがおられたそうです。
その光景を見て、「ただ排除するのではなく、共存できる道があるのではないか。日本人として、まだできることがあるのではないか。それをなんとか突き詰めたい」と、最初はジャーナリストを目指し、後に動物病院を開業しました。
窓ガラスに衝突し、足の麻痺が残ってしまったツミ。「晴れた日には窓ガラスに空が反射し、まだ先があると勘違いして野鳥が衝突してしまうケースが非常に多く、脳しんとうで亡くなることも少なくありません。窓ガラスに一枚、明るい色のカーテンを掛けていただくだけでも反射を防ぐことができて、こうした事故防止にもつながります」
和泉:
野生動物と本当の意味で共存し、未来の子どもたちにも美しい環境や自然を残すこと。そのためには遠くではなくて、まずは自分たちの足元に目を向ける必要がある。それが彼の思いで、当時からさまざまな命が豊かに暮らす里山に興味があり、団体としてそのような場所を持てないかと、行政や不動産に相談を持ちかけたりもしていました。
ある程度の敷地を確保し、野生動物の救護だけでなく、子どもたちが自然や野生動物のことを遊びながら知り、学べる場所をつくりたい。佐草が遺した里山プロジェクトの企画書があるのですが、改めて見返すと、まさに娘たちがこれからやりたいと言っていることと同じでした。
佐草が果たせなかった想いを、娘たちが今後、どこまで構築していけるか。そしてまた次の世代へと、手渡していってもらえたらと思っています。
中学校で、野生動物について話をする優里さん。「最近は幼稚園・小学校・中学校・高校・大学と幅広く講座の依頼も受けています」
優里:
父が亡くなったのは私がまだ中学生の時だったので、この仕事に対して、父が生前にどんな構想や言葉を掲げていたか、私はあまり知りません。
しかし、実際にJWCの活動に関わるようになり、「こういうふうにしていくべきだと思うんだけど」「これを大事にしなきゃじゃない?」と、思うことを母に伝える度に「それ、父ちゃんが言ってたことだよ」と言われることが本当にたくさんあって。
私としてはそんなつもりないのですが、「一緒じゃん!」って少し悔しくて…。「それ、俺が先に言ってたことだぞ!」ってニヤニヤ笑いながら言う、父の顔が浮かぶんですよね(笑)。
小学校で講座を行う佐草先生。「子どもと話すことが好きで、子どもたちの笑顔につられるようにして笑うことの多い人でした。『子どもなくして明るい未来はない』と、そのように考えていました」
島根県松江市佐草町にある八重垣神社。アマテラスオオミカミの弟であるスサノオノミコトとその妻であるイナタヒメが祭られており、二人が日本で初めて結婚を宣言したという伝承にちなんだ『縁結びの神社』として有名。「佐草の家系の神社で、佐草も誇りに思い大事にしていた場所です」
──佐草先生は、確かにバトンを渡していかれたんですね!今後の展望を教えてください。
和泉:
これまで通り野生動物の保護をしつつ、本当の意味での共存に向けて、少しずつやれることをもっと広めていきたいという想いがあります。
野生動物の保護というと壮大なことのように感じますが、日々の暮らしの中で、スズメの愛らしい姿や鳴き声に、意識を傾けられる人がどれだけいるでしょうか。日本人として自然のサイクルを感じながら、住んでいる場所の自然に目を向けて、そこに存在している、確かな命に気づいてもらえるよう、活動していけたらと思っています。
見学に来た子どもたちにタヌキの幼獣を見せる。「父が夢見たように、この子たちが大きくなって大人になった時も、変わらずに野生動物や美しい自然が残されている環境を作っていきたいと心から思っています」
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
優里:
チャリティーは、保護した野生動物の餌代として、また、重篤な症状の子のための酸素濃縮器を購入する資金として活用させていただく予定です。治療やリハビリ中の野生動物の餌代は、1ヶ月で20万円ほどかかります。また、酸素濃縮器の購入にも20万円近い金額が必要になります。
ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
スタッフの皆さん。「昨年挑戦したクラウドファンディングで、成功を祈願して撮った一枚です。普段は動物ばかり撮っていて、自分たちが撮られることに慣れておらず、皆若干、表情が硬いです(笑)」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
和泉さんと優里さんにお話をお伺いしながら、まさにそこに佐草先生もおられるようで、まるで佐草家の団らんにお邪魔したような、とても賑やかで楽しいインタビューでした。
やさしくてお茶目で、ユーモアにあふれた佐草先生。一方で、ご活動に関して、並々ならぬ覚悟と思い入れがあられたと思います。その思いを引き継がれたご家族。たくさんの命を助け、そしてたくさんの命に助けられながら、ご活動されているのだなと感じました。
それは私たちも同じです。命は皆、つながりあって生きている。私たち人間だけが存在することはできません。野生動物をはじめ、この世に生きる豊かな命によって成り立つご縁、豊かな明日のために、できることを考えてみませんか。
【2024/1/22~28の1週間限定販売】
タヌキを中心に、野鳥や植物を描きました。
自然のサイクルの中で、すべての命が連なりあって、豊かで美しい、この惑星をつくりだしていることを表現しています。
“We belong to the earth”、「私たちは、地球に属している」というメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!