CHARITY FOR

臓器移植が日常的な医療になり、「生きたい」という尊い意思が尊重され、かなう日本を目指して〜国際移植者組織 TRIO JAPAN

臓器移植でしか助からない病気になり、臓器の提供を待ちながら、願いがかなわず亡くなる人たちがいることをご存知でしょうか。
日本国内で臓器提供を希望する約1万5000人に対し、2022年に行われた臓器移植はたった537件(生体臓器移植含む。参考:日本臓器移植ネットワーク)。

「”2%の奇跡”などと言われますが、逆に言えば98%の絶望。臓器を提供すべきという話をしたいわけではありません。臓器を提供する・しない、臓器をもらう・もらわない、それぞれが尊く、尊重されるべき意思です。ただ、提供したい人ともらいたい人が、きちんとつながれる社会を築く必要があります」

そう話すのは、「国際移植者組織 TRIO JAPAN」理事長の青山竜馬(あおやま・りょうま)さん(43)。

青山さんの双子の次女・環(たまき)さんは2015年、日本で3億2千万円を募り、アメリカで心臓移植手術を受けました。環さんが生かされた一方で、双子の長女・菫(すみれ)さんは生後わずか230日で、この世を去りました。

「僕たち夫婦は3人の子どもに恵まれました。亡くなった菫、心臓移植を受けた環、そして環に心臓を提供してくれたドナーの子です。
だけど本来であれば、菫も助かる道があったはず。そこに挑戦さえできなかった。次女は幸いアメリカで臓器移植が受けられたけれど、声を上げられないご家族もいます。臓器移植がもっと広まって、生きたいという願いがかなう日本の社会を作っていきたい」

そう話す青山さん。活動について、お話を聞きました。

お話をお伺いした青山さん。次女の環さんと

今週のチャリティー

国際移植者組織 TRIO JAPAN(トリオ・ジャパン)

すべての臓器移植を必要とする病と闘う患者が、自国で臓器移植提供を受け、人生に輝きを取り戻せるように。
日本国内で、臓器移植医療が日常的な医療になることを目指して活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/11/13

「臓器移植が広まり、
生きたいという願いがかなう日本を」

2016年、心臓移植を受ける前の環さん。服の下から出ているのが小児用の補助人工心臓のポンプ。この先に、血液ポンプを駆動する空気圧を作り出す大きなボックス状の機器があり、拍動数や血流の圧力など繊細なコントロールがされている。「2016年7月、すでに目標募金額は達成されていましたが、渡航の直前に環がウイルス感染に陥り延期に。2ヶ月後の9月に渡航となりました。小児用の補助人工心臓を作っているのは、ドイツのメーカー1社のみ。受け入れ先の病院と調整がうまくいかず、大阪大の担当医だった平先生が、間に入って何度もやりとりをしてくださいました。でも本来これは、医師の仕事ではないはずです」

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

青山:
TRIO (Transplant Recipients International Organization)は、臓器移植者の支え合いの場として1983年にアメリカで始まりました。日本では1991年にTRIO JAPANとして活動をスタートしました。

移植がかなっても、就労や就学、家族・周囲の理解など、移植者は日常生活の面でさまざまな壁にぶつかります。その時に当事者同士が支え合える場として立ち上げましたが、実際は、日本国内での移植の難しさから、海外渡航移植手術のための支援が主な活動になっていました。

──そうなんですね。

臓器移植について知ってほしいと、精力的に講演活動も行う。写真は東京医療保健大学にて、講演する青山さん

青山:
私がTRIO JAPANと出会ったのは2015年の秋、長女が亡くなった後に次女・環の拡張型心筋症がわかり、助かるには心臓移植しかないという状況に陥った時でした。

当時巣鴨にあったTRIO JAPANの事務所を訪れると、高齢の皆さんが出迎えてくださって。事情を話して「なんとか助けてほしい」と訴えると、今も忘れもしないのですが、すでに末期のがんだった荒波さんという方が「活動をスタートした時は、30年後の日本がまだこんな状況にあるとは思わなかった。申し訳ない」と言われました。

TRIO JAPANの扉を叩いた青山さんを出迎えた当時の運営委員、荒波嘉男さん(写真中央)と妻の荒波よしさん(写真左)。右に写っている背中は、前会長の野村祐之さん(国際移植者組織トリオ・ジャパン紹介movieより)

青山:
仲間と共に「たまきちゃんを救う会」を立ち上げ、渡航移植のための募金活動をしている中で荒波さんは亡くなりました。環は2016年9月にアメリカのシアトル小児病院で移植手術を受け、2017年には無事に帰国することができました。

私にとって、TRIOは命の恩人です。「TRIOをたたもうと思う」と相談を受けた際、二つ返事でやりますと伝えました。跡を継いで6年ほどになります。

2016年3月、青山さんの大学の同窓生を中心に募金活動を展開。写真は仙台市内のて、街頭で募金を呼びかける様子。こういった募金活動をTRIO JAPANが陰で支えてきた

──渡航移植の希望者に対して、具体的にどのような支援をされていたのですか。

青山:
皆さんも「○○ちゃんを救う会」というかたちで募金活動をしているのを目にされたことがあると思いますが、海外での移植手術の実現は、かなりハードな道のりです。
ある種ベンチャー企業を立ち上げるようなもので、短期間で数億の資金調達をしなければいけません。そのための街頭での募金から銀行口座やホームページの開設、明朗会計、渡航手続きやメディアとのやりとり…、すべてをズブの素人軍団が1からやるのです。

しかも、多くの皆さんは仕事や家庭がありながらの活動になります。TRIO JAPANは募金や渡航手術に向けてのアドバイス、ノウハウの伝授、募金箱の設置やのぼり旗の提供など、黒子として本当にありとあらゆる面でサポートをしてきました。

2014年4月、生後5ヶ月の環ちゃん(写真左)、菫ちゃん(写真右)。「菫のミルクの飲みが少ないと感じながらも、心臓に問題があるとは夢にも思いませんでした」。菫ちゃんが亡くなったことがきっかけで検査を受けたところ、環ちゃんの心臓の病気が判明した。「命と引き換えに、菫が教えてくれたのだと思います」

青山:
募金活動の中で、誹謗中傷を浴びせられることは少なくありません。「我が子を救うために」と覚悟を決めて始めたものの、親御さんが途中で耐えられなくなってしまうようなこともあります。

さらに募金が集まったからといって、すぐ渡航して手術を受けられるわけでもありません。ビザの申請や医療用ジェットのチャーター、受け入れ病院との調整など、手続きは多岐にわたります。そういった部分も、海外渡航経験を持つメンバーが中心となって、一つひとつサポートをしてきました。

TRIO JAPANができた30年前は、世情的にも今以上に臓器移植に理解がありませんでした。多くの批判を受けながらも、先輩方は本当によくぞやってこられました。ただ、渡航移植の支援は、TRIO JAPANが本来目指していた活動ではありません。
私たちの活動目的は、日本で当たり前に、臓器を提供したい人ともらいたい人が結ばれる社会を作ること。そのために、一人でも多くの方に臓器移植について知ってもらう必要があり、啓発活動にも力を入れています。

2016年9月、医療用チャーターに乗っていざアメリカへ。「この写真を撮った後、補助人工心臓のポンプが壊れていることがわかり、ポンプ交換のために機内で緊急手術が行われました。後になって平先生から『本来であれば大事をとって、病院へ引き返して手術すべきだった』と言われたのですが、この時の先生の判断があり、環はアメリカに到着してわずか3日後、ドナーと出会うことができました」

日本ではなぜ、臓器移植が広まらないのか

機内で補助人工心臓のポンプ交換手術をし、命がけでシアトル小児病院へ到着した環ちゃん。「シアトルでは補助人工心臓を装着したテディベアが出迎えてくれました」

青山:
人口100万人にあたりのドナー数が、アメリカでは41.6人であるのに対し、日本ではたった0.62人です(IRODaT 「ORGAN DONATIONS 2021 / ACTUAL DECEASED DONORS / PMP」より)。

──ものすごく少ないですね。なぜですか?

青山:
よく宗教や文化、国民性と言われることがあるのですが、隣国の韓国の100万人あたりのドナー数は、日本の10倍以上の8.56人。宗教や国民性というのは、理由にならないと思います。

臓器移植の歴史はまだ浅く、1967年に南アフリカで世界初の心臓移植が行われました。日本ではその翌年の1968年に、札幌医科大学の心臓外科医だった和田寿郎医師が心臓移植手術を行ったのが最初です。

2017年3月、心臓移植手術を終え、リハビリも兼ねて毎日のように近所の公園に行っていた頃。「募金で渡航させていただいているので、とにかく節制。体幹を鍛え、歩行を獲得することがこの頃の目標でした」

青山:
しかし移植から2ヶ月後、移植を受けた18歳の高校生が亡くなりました。「これがまっとうな医療なのか」「生きているドナーから無理やり臓器を取ったのではないか」…、さまざまな疑念が湧き起こり、大論争となりました(和田心臓移植事件)。和田医師は、ドナーとレシピエント両方を殺害したとして刑事告発されました(その後、嫌疑不十分で不起訴)。

日本の医療界ではその時から、「移植に携わると面倒なことになる」という雰囲気からずっと抜け出せずにいるように思います。事実その後、日本で再び心臓移植が行われたのは、30年以上経ってからの1999年でした。

──1997年には「臓器移植法」ができましたね。

青山:
和田心臓移植事件の後遺症で日本だけがどんどん世界の移植医療の発展から取り残される中、1997年に「臓器移植法」が施行されました。しかしこれがまた、大論争の末、誰も責任をとらないような妥協の産物として、さまざまな問題を抱えたままスタートを切りました。

「臓器提供の待機期間が長期化すると、患者のみならず家族への負担も大きなものとなります。その結果、家族は医療や福祉からこぼれ落ちる存在になりがちです。TRIO JAPANは吹田にあるお弁当屋さん『おうちごはんgrin』さんと連携し、大阪大学病院で移植待機されている付き添いのご家族へ、お弁当の無償提供はじめました。2023年6月、映画監督の河瀬直美さん、大阪女学院高等学校の皆さんがサプライズゲストで登場すると、ママたちは大喜び!短い時間ではありましたが、かけがえのない時間となりました」

──どのような問題ですか。

青山:
一番おかしいのは、改正臓器移植法六条の二項に記載されている「臓器を提供する場合にのみ、脳死は人の死とする」ということです。

「脳死」というのは、科学的に大脳・小脳・脳幹が機能せず、不可逆的に戻ってこない状態を指します。奇跡が起きるかもしれない、突然目覚めてくれるかもしれないと願っても、事実として戻ってくることはありません。
しかしこのことがまず認識されておらず、今でも植物状態と脳死が混同していたり、「長期的脳死」というような言い方をする医師もいます。一旦「脳死」になったら、その状態は覆りません。なので「長期的脳死」という表現自体がおかしいのです。

さらに、科学的に「脳死」であっても、日本の法律では、医師がそれを「脳死」と言うことができません。なぜか。法律で「臓器を提供する場合にのみ、脳死は人の死とする」と定められているからです。
つまり、「臓器提供を希望します」と家族が言わない限り、医師は「脳死=人の死」と言えないのです。

──ええ?!

青山:
最愛の人にもしものことが起きた時、家族は奇跡が起こると信じる、信じたいのが普通の感情です。だけど家族が「この人の臓器を提供します」と判断するということは、すなわち愛する大切な人の命日を、家族が決めることになってしまうんです。

世界のどこを見渡しても「人の死」を決定するのは医師の専権事項です。
通常であれば医師から「残念ですが脳死です。臓器を提供しますか、しませんか」という流れなのですが、日本の場合、家族がその人の脳死を確定することになる。遺された家族が乗り越えなければならないハードルが、あまりにも高いのです。

医療側は「限りなく脳死に近い」や「脳死になりうる状態です」という表現で、家族が臓器提供を希望した場合、そこから耳に水を入れたり針を刺したりして反射がないことを確認して脳死判定を行います。日本の脳死判定は、世界一厳格だと言われています。

臓器移植を待つ側から、ドナーとなった白木優希ちゃん(享年4)と父親の大輔さん。「2015年当時、小児用の補助人工心臓は日本国内ではまだ治験の段階で承認されておらず、拡張型心筋症と診断された優希ちゃんは、大人用の補助人工心臓を装着せざるを得ませんでした。残念なことに優希ちゃんは、海外渡航移植を目指している途中で脳死に至りました。父親である大輔さんは最大の悲しみの中で、優希ちゃんの臓器提供という尊い決断をされました。『自分たちはすごく臓器を求めていました。それが逆に提供側の立場になったときに、何もせずに終わると言うことは、ちょっと考えられませんでした。心臓をずっと求め続けてきたからこそ、反対にスッと、提供側に回る選択ができたのだと思います』(大輔さん)」

──遺された家族は「私たちがこの人を殺したことになってしまう」と考えて、臓器提供に積極的になりづらいですね。

青山:
誰も責任を取りたくないから、家族にすべて押し付けているように思えます。変わっていかなければならない部分だと思います。

1997年当時の法律では、15歳以上の本人の書面による意思表示と家族の承諾が臓器提供の条件でした。15歳未満に関しては臓器提供の意思表示ができなかったため、(民法上の遺言可能年齢等を参考にされていたため)実質15歳未満の臓器移植は不可能でした。
2010年に「改正臓器移植法」が施行され、本人の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供ができるようになりました。しかし述べたような理由から、なかなか前に進まない現実があります。

TRIO JAPANが主催する「THANKS FOR LIFE」は移植待機者・家族のためのお祭り。「臓器移植は本人だけの戦いだけではありません。両親、きょうだい、家族、友だち、医療者、みんなの戦いです。待つ方も、支える方も日々ゴールの見えない道を走っています。日々懸命に病と戦い、大変な我慢を強いられている臓器移植待機患者とその家族が笑顔になれる一日を届けたいと開催しています」

「臓器を提供したい」という意思が結ばれない現実

2023年7月、衆議院議員、日本維新の会の池下卓議員と会談し政策提言を行った際の一枚

青山:
免許証や保険証の裏に、臓器提供の意思を書く欄がありますよね。日本の場合、国民の1割ほどが意思表示をしています。ただ私はここも、非常にハードルが高いと感じています。
「はい/いいえ」、どちらかに1回マルをつけたら最後、消すことができない。向き合うからこそ、今日と明日で、考えは変わるかもしれません。そうなっていいものだと思うんです。

──確かに。

青山:
令和3年の世論調査によると、国民の4割近くほどが臓器提供に対して「提供したい」というポジティブな考えを持っていることがわかりました。残りの4割近くが「どちらともいえない」、2割ほどが「提供したくない」という考えです。
それぞれの意思が尊重されるべきだと思いますが、ただ、日本の医療の現場で、「提供したい」という4割の尊い意思が、反映されず結ばれない状況にあるんです。

──どういうことでしょうか。

青山:
臓器提供をするに耐えうる設備が整っていません。全国に約900ある高度医療が受けられる5類型施設のうち、「臓器提供の体制が整っているか」という問いに対して、「整っている」と回答したのは、半分の450施設ほどでした。
「自分の臓器を活かしてほしい」と思っていたとしても、施設が対応していなければ、尊い意思はそこで途切れてしまうのです。つまりそれは、臓器を提供したいドナーと臓器を受け取るレシピエント、その両方を見殺しにしているということになります。

2022年10月、青森県八戸市医師会主催「いのちのリレー」市民講座にて、話をする青山さん。一般市民だけでなく、多くの医療関係者が集まった

──日本は医療先進国ですが、なぜ体制が整っていないのですか?技術がないのですか。

青山:
技術はあります。意思が汲み取られる社会的なインフラが整っていません。
先ほどお話しした、世界一厳しいという脳死判定のために、脳神経や麻酔科、さまざまな分野の先生が立ち合います。時間も人も必要です。

最後の最後まで必死に目の前の命を救おうとしている救命現場の医師が臓器提供のオプション提示をする負担感も大きいですし、診療報酬の点でも十分とは思えません。つまり、病院経営に置いても積極的に取り組みにくい状況だと推察します。本来であれば国の手厚いバックアップが注入されるべきところですが、そこまで前向きな対応があるとは思えません。

──そうなんですね。

2018年9月、関西大学にて、移植医療を考えるシンポジウム「あなたの家族、あなたの子どもの未来をどう描く?」を開催

青山:
日本で臓器の移植を待っている1万6000人ぐらいの方のうち、1万4000万人が「腎臓」の希望者です。
腎臓病になると週の多くを何時間もかけて人工透析を受けなければなりません。患者の生活にも大きな影響が出るし、医療経済的にも莫大なお金がかかります。

しかし長い目で見た時に、腎臓移植ができれば、患者の生活の質は格段に上がり、国としても割り当てるコストは断然低くなるはずです。

現状、移植を希望しながら、日本では10年も15年も待たなければならない、それでも提供を受けられるかわからないような状況で、闇ブローカーを介してでも臓器提供を受けたい、生きたいという気持ちを、そう単純に責められるでしょうか?

シアトル小児病院・環ちゃんの心臓移植を支えたチーム。「環は移植後にも脳出血を2度経験するなど、さまざまなトラブルを経験しました。気持ちに余裕がなく、チームの皆に対して強い口調で迫ってしまうこともありました。ある日、意を決して主治医のYuk Ming Law先生(写真右から二人目)に『アメリカでも臓器が足りないことを承知の上で我々はここに来ている。それでいて私たちを受け入れてくれているのに、ここ最近はつらくあたってしまって申し訳ない』と謝罪したところ、『なぜ君はそんなことを言うんだ。私たちはたくさんの患者をフォローしていて、その誰も犠牲にせずともタマキを助ける自信があるからこそ、君たちを受け入れたんだ。何も問題ないよ』と返され、号泣しました。この言葉にどれだけ救われたことか。生涯忘れない言葉です。どうしてもアメリカに助けてもらわなければならない構図があるのは事実ですが、アメリカで臓器移植を希望する人たちと同じように審査を受けた上で、列の最後尾に並びます」

「移植を待ちながら亡くなった人たちのことを
なかったことにしてはいけない」

生後間もなく、拡張型心筋症と診断された藤原晴己くん(享年2)。「心臓移植以外に助かる道はないと告げられ、ご家族は海外ではなく日本国内で移植待機をすると決断されました。家族と離れ、お母さんと二人で国立循環器病研究センター(大阪)に入院して移植を待っていましたが、2歳半の時に敗血症を起こし、その後亡くなりました。必ず良くなると信じ、諦めずにがんばっていたご両親。もし移植が受けられていたら…と思わずにいられません」

青山:
次女の環は、アメリカで心臓の提供を受けることができました。
でも中には、声を上げられない人たちもいます。募金活動をしながら、僕らも罵詈雑言を浴びせられたし、中には地域のいじめに遭う人もいます。きょうだいがいる場合は、きょうだいが学校でいじめに遭うとか、そんなことも出てきます。

僕は娘たちのことがあって、「死ぬこと以外はかすり傷」と思えた。でも、声を上げられない人は、強くいられない人は、我慢するしかないのか。
「生きたい」という言葉を憚られ、ひっそりと亡くなっていくしかないのか。それはおかしいと思います。そもそも、海外ではなく、日本で助かる命がもっともっとたくさんあるんです。

──確かに…。

青山:
心機能が低下する難病・肥大型心筋症と拘束型心筋症のため、「心臓移植しか完治はない」と医師から告げられ、移植を待ちながら亡くなった、りんちゃんという女の子がいます。

3年間を病院で過ごしたりんちゃんの毎年の七夕の願いは、「しんぞうがなおってたいそうできますように」「おとうとのしんぞうがわるくなりませんように」というものでした。

「スーパーにいきたい」「りょう(大好きだった弟)とおふろに入りたい」「走りたい」…、りんさんの生前の願いと、「おねいちゃんのしんぞうがなおりますように」という弟のりょうさんの七夕の願い(写真左端)。りんさんは、10歳の誕生日を迎えたばかりの2022年7月5日、2年と3カ月心臓移植を待ち続けた末に息を引き取った

青山:
りんちゃんは昨年の7月、願いも虚しく10歳で亡くなりました。

りんちゃんだけではありません。生きたいという尊い願いを抱きながら、亡くなる人が大勢いるんです。長女の菫も含めて、あまりにもこうして悲しいことが多すぎて、この憤りや怒りの感情をどこにぶつけていいのかわかりません。
臓器移植によって助かる術があるのに、日本で生まれたがゆえに、助からずに亡くなっていく。遺されたご家族も、ずっとそれを背負っていきていくわけです。それが本当に無念だし、悲しい。

彼らの「生きたい」という尊い意思を、なかったことにしてはいけない。彼らが生きたいと願った今日を、無駄にしてはいけないと感じています。

入院中、抗がん剤治療で髪の毛が抜けたお友達ができたりんさん。心臓移植を待ちながら「私も、誰かのためにできることがしたい」とヘアドネーションのために髪を伸ばしていた。「私は入院しているから、日光を浴びることもない。きっときれいな髪の毛があげられると思うの」と話していたという

「胸の傷の向こうにはドナーがいて、
今日も心臓を鳴らしてくれている」

現在の環さん。「長女・菫の死をきっかけに心臓の病気が明らかになり、アメリカのドナーに助けていただいて、2023年11月で10歳になります。胸の傷の向こうではドナーの心臓が力強く拍動し、共に人生を歩んでいます」

青山:
りんちゃんのように生きる希望を最後まで諦めずに持ちながら、移植がかなわずに亡くなっていった人たちに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

生きたいと願う気持ち、それは尊くて絶対的に正しいことであって、僕らはまず何よりもそこを、もっともっと丁寧に伝えていかないといけないと思っています。

──読者の方に伝えたいことはありますか。

青山:
あなたの愛する大切な人と、自分はどんなふうに生きたいか、どんなふうに死んでいきたいか、ぜひ話し合ってみてくださいとお伝えしたいです。

自分の臓器を提供したいかしたくないか、心臓はいいけど目は嫌だとか、そういうことをもっとフランクに、語り合ってほしい。臓器移植に対して、反対意見があるのも承知です。その考えももちろん尊重されるべきです。

2010年、5歳の時にニューヨーク・コロンビア大学病院で心臓移植を受けた横山由宇人さん(写真右)。TRIO JAPANの副理事長として活動を支える父親の慎也さんと。「由宇人さんは今年大学生になり、臨床心理士を目指して頑張っています」

青山:
再生医療に希望を託さずにはいられないが、現実的な医療となるにははるか先。現実的に臓器移植でしか救われない人たちがたくさんいます。
確実に言えるのは、次女の環を見ていても、医療科学として移植医療はすばらしく、それまで死の淵にいた人が移植を受けて、みるみる元気になります。尊い医療であるということを丁寧に伝えていきたいと思っています。

環は、移植を受けなければ終わっていたはずの命でした。でも日本中、世界中の方が応援して支援してくださって、ドナーに助けてもらって、なんて尊い命だろうと思います。
環の胸の傷の向こうにはドナーがいて、今日も鼓動を鳴らしてくれています。僕は、命とは「時間」なのではないかと思っていて、せっかくつないでもらった時間を、楽しんで生きたいと思っています。

青山さんと環さん。2023年8月、旅行で訪れた北海道美瑛町にて。私たちが生きている今日は、誰かが生きたいと願った今日であり、私たちが見ている景色は、誰か見たいと願い、それでも見られなかった景色なのかもしれない

チャリティーは、日本での移植を充実させるために活用されます!

2019年6月、Thanks for Life 2019に向けての打合せ

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

青山:
チャリティーは、国内移植の充実のための活動、具体的には、移植待機中の患者とその家族へのサポートや、法改正を目指して、国への働きかけをしていくために必要な資金として活用させていただく予定です。ぜひ、アイテムで応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました。

2022年9月 トリオ・ジャパンの役員たち(東京にて)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

青山さんが「臓器を提供したくないというのも、尊重されて然るべき、大切な意見」とはっきりおっしゃっていたのが印象的でした。というのは、臓器提供というテーマが語られる際に、「提供しなければならないもの」「するべきもの」「したくないというのは残念な意見」という、無意識にどこかで、無言の圧力を感じていたからかもしれません。

どう生きて、どう死んでいくか。まずはしっかりと向き合うこと、そして感じたことを、家族や大切な人たちに表明しておくこと。もしも何かあった時、「あの人はこれを望んでいたよね」と遺された家族を守り、安心させることにもつながるのではないでしょうか。

・TRIO JAPANホームページはこちらから

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【2023/11/13~19の1週間限定販売】
力強く交わる2本の木が、その周りにも豊かな生命をつないでいます。
臓器を提供する側・臓器を受け取る側、その交わりが、たくさんの可能性となって豊かさをもたらす様子を表現しました。

“Plant hope for the future”、「未来のために、希望を植えよう」というメッセージを添えました。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!

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