CHARITY FOR

「被災した人たちの心を軽く」。被災地で活動を続ける災害救援ボランティアのスペシャリスト〜NPO法人災害救援レスキューアシスト

今週JAMMINがコラボするのは、奈良を拠点に、災害救援ボランティアのスペシャリストとして、全国で災害支援活動を行うNPO「災害救援レスキューアシスト」。代表の中島武志(なかじま・たけし)さん(46)は、十数年に渡り、ボランティアとして全国各地の被災地に入り、さまざまな支援を行ってきました。

「災害が起きた後、被災した方たちは、お金のことをどうしよう、家の片付けをどうしよう…いろんな悩みや不安でいっぱいです。自分たちではどうしようもできないことを、僕らが手伝わせてもらう。僕らは何でもやりますが、それは手段にすぎなくて。被災した方々の心を軽くしてもらうのが、いちばんの目的です」と中島さん。

「要配慮者」と呼ばれる、高齢者や子ども、障がいのある人や病気を抱えた人、妊婦さんや外国人など声を上げづらい方たちにも寄り添い、心を込めた支援を大切にしてきました。
その背景には、中島さん自身の2度の自殺未遂、生かされた命を人のために使いたいという思いがあるといいます。

お忙しい活動の合間を縫って、お話を伺いました。

お話をお伺いした中島さん

今週のチャリティー

NPO法人災害救援レスキューアシスト

あらゆる方面の困りごとが上がってくる被災地で、災害救援ボランティアのスペシャリストとして長期間拠点を構え、“We are 心跡(しんせき)“をキャッチフレーズに、被災した方たちの心を少しでも軽くすることを目標に活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/10/09

被災地を訪れ、住人の悩みを軽減するために
さまざまな活動を行う

2021年3月、令和3年福島県沖地震での活動。民家の瓦を修復。心配そうに活動を見守る高齢者と

──今日はよろしくお願いします。最初に団体のご活動について教えてください。

中島:
地震や洪水、台風など自然災害が起きて被災した地域に行って、困っている住人の方たちの悩みを軽減するために活動しています。最終的には「被災した方たちの心を軽くする」ことが僕らの役割で、自分たちではどうしようもできないようなことをお手伝いさせてもらっています。

具体的には、たとえば避難所での炊き出しや支援物資の配布、被災したご自宅の片付けや修繕のお手伝いなどです。被災したお宅の中には、水害で家の中が泥だらけになったり、地震で屋根の瓦がずれて雨漏りしたりというお宅もあります。災害後も、住人の方たちには日々の生活があるわけで、僕たちの方でチームを組んで応急処置をしたり、重機やチェーンソーを使っての作業なども行います。

2022年4月、令和4年福島県沖地震での活動。高所作業車を利用し、危険な屋根上作業を安全に行う

──どのようなチームで動いていらっしゃるのですか。

中島:
災害が起きた時、被災地へすぐ飛んでいけるスタッフが3名います。
被災の状況や、他にどのような団体さんが支援に入られるかなどの状況を踏まえ、どのような支援が必要かを把握し、登録してくださっている会員さんたちに「こういう方が必要です」という発信をします。

現在、100人ほどの会員さんが登録してくださっています。職業もいろいろで、皆さん、ボランティアで駆けつけてくださいます。本業が建設関係で重機の扱いに慣れている方、電気屋さんや水道屋さん、大工さんもいます。建設関係でいえば、ガス屋さん以外はほぼいらっしゃいます。

──すごいですね。

2021年7月、熱海市伊豆山土石流災害の被災地にて。「災害は、一瞬にして生活を奪い去ります」

中島:
被災地に来られるボランティアの方たちの受け入れ準備も大切です。
遠方での活動も多く、行政さんと協力しているので、空き家などを借りて、ボランティアさんが寝泊まりできるように準備します。

5年ぐらい前までは、車中泊というかたちをとることも少なくなかったのですが、特にボランティアが長期になると、日中ずっと体を動かして、夜は車中泊では体力が持ちません。なので、宿泊できる場所を借りるようにしました。連携している他団体のボランティアさんも受け入れています。

──ボランティアには100名ほど登録されているということですが、どういうきっかけでつながった方たちなのですか?

中島:
災害救援の活動を始めた当初から、他の人がやらないような支援をやっていた気がします。当時は行政に許可をとるということもなく、困っている方を見つけては、勝手に支援させてもらっていました。そういう時から活動を知って、集まってくださった皆さんから、仲間のつながりが広がっているように思います。

2018年、熊本地震の被災地にて。被災者を笑顔にするためのメッセージが描かれたシートを貼る作業

行政と協力し、より効率的な支援を行う

2023年7月、秋田豪雨災害の被災地にて。河川の氾濫による床上浸水のために、家の前には災害ゴミとなってしまった家財道具などが山のように積みだされている

──どのタイミングで、行政と協働されるようになったのですか。

中島:
2016年の熊本地震からです。たまたま防災訓練か何かでご一緒したことがあったご縁で、議員の方と知り合いでした。地震後、すぐに熊本に呼んでいいただいて活動を始めたのですが、行政と連携することで、被災した方により効率的な支援を届けられるというメリットがあるとわかりました。そこからはどこの被災地に入っても、行政の方にお声がけするようになりました。

──たとえば、どんなことでしょうか?

中島:
熊本地震の場合、地域の方たちが避難されていた学校が、国の災害救助法で指定されている避難所ではありませんでした。800〜1000人ほどの方が避難しているにもかかわらず、指定外避難所であるがゆえに、指定避難所であればすぐに届くはずの水や食料をはじめとする支援物資が届いていませんでした。

これだけの方が避難しているのに、生活に必要な物資が届いていない。災害救助法では、指定外だろうが自宅だろうが、被災した方には支援を届ける義務が明記されています。そのことを議員の方にお伝えして、そのまま市長にあげていただき、支援が届くようになりました。この学校に避難されていた方はもちろん、被災された方であればどなたでも、支援物資を届けられるようにしました。

2023年、石川県能登半島地震の被災地にて。崩れた屋根に上がり、応急処置をする

──そうだったんですね。

中島:
もう一つは、震災直後のインフラ整備の点です。

たとえば、道路やゴミ処理場などは行政の管轄ですよね。大規模災害の場合、道がなくなってしまうことがあります。本来なら指定の業者が対応しますが、状況によっては業者が現地に入れなかったり、入れたとしてもかなり遅いタイミングになることがあります。そうすると、被災した方々への支援にも大きな影響が出てきます。行政の判断で、僕らボランティアが大量に出た災害ごみを撤去し、道を通したりといったことも行います。

災害ごみについては、住人の皆さんは本当に困られます。
ぐちゃぐちゃになった家の中のものを一旦外に出したくても、家の外も災害ごみであふれているので、出すことができない。そうすると家の中にスペースがなくて、唯一空間のある玄関で生活されているご高齢の方もおられたりします。一刻も早く災害ごみを回収して、住人の方の生活を確保しなければなりません。

2022年7月豪雨の被災地にて。猛暑の中で狭い床下に潜り、水をたっぷり含んだ断熱材を取り除く作業は、熱中症と隣り合わせの危険な作業でもある

「心を少しでも楽に、軽くしてもらうこと。
それがいちばんの目的」

災害によって屋根がずれることで雨漏りが発生、天井が崩れてカビが発生した住宅。雨漏りによって住居や家財道具が侵食されるだけではなく、カビによる健康被害につながり、住居者の生活に大きな支障が出る

──一度支援に入られると、どのぐらい滞在されるのですか。

中島:
被災の状況によって、また他にどのような団体さんが入られているかによっても異なります。うちの団体しかいないということであれば長いこといますし、他にもたくさん団体さんが入られているなら、短いこともあります。
短い場合で1ヶ月ぐらいから、最も長かったのは、記録的な暴風となった台風15号による被害を受けた千葉県鴨川市(2019年)で、1年8ヶ月間滞在しました。

──長いですね。

中島:
屋根被害を受けたお宅が多く、近隣の鋸南市や館山市も回って、瓦が飛んでしまった屋根にブルーシートを張る作業を行いました。ただ、ブルーシートは紫外線で劣化して破けてしまいます。

そうすると、また雨漏りが始まる。業者は予約がいっぱいで、なかなか順番が回ってこない、あるいは業者に修理を依頼する、経済的な余裕がないというご家庭も少なくなく、被災した半年後あたりから、ぽつぽつとご相談が増えてきます。

2019年、令和元年台風15号の被災地・千葉県にて。急こう配の茅葺(かやぶき)屋根にシートを張る作業。茅葺屋根の住民の多くは高齢者。茅葺屋根の応急処置も多く行った

中島:
僕らがいなくなった後にまた困る方がおられたらどうしようもないので、鴨川市では、滞在した1年8ヶ月の間に、地元の有志の方たちに集まっていただき、一緒に勉強会をして、安全に屋根に登り、ブルーシートを張れる人を育てました。
大阪北部地震(2018年)でも、同じように屋根被害が多く、1年2〜3ヶ月の間、ずっと活動させてもらいました。

──立ち去った後のことも考えて、ご活動されているんですね。

中島:
社協(社会福祉協議会)さんや行政の窓口に直接相談があって、そこから依頼を受けて伺うことも多いですが、困っておられるであろうお宅を、僕らが一軒ずつピンポンを鳴らして訪問し、屋根にブルーシートを張らせてもらうこともあります。
その際、ご家族の状況や様子を見て、福祉サービスが必要ではないかと感じた場合は、僕らの方から行政につなぐこともあります。

──すごいですね。

中島:
ブルーシート張りも、ただただ手段の一つ。とにかく、被災した方たちの生活を守って、心を少しでも楽に、少しでも軽くなってもらうことが、僕らの目指すところです。

2023年5月、福島県沖地震の被災地・南相馬市で開催された屋根の講習会の様子。作業に参加する他団体や地元関係者の方たちが、真剣に話を聞いた

「せっかく助かった命。人のために生きよう」

2015年9月、関東・東北豪雨の被災地にて。鬼怒川が決壊した茨木県常総市で、被災者にタコ焼きの炊き出し支援。中島さんのタコ焼きレシピが今ではこの地域の味になっており、現在に至るまで、地域の方たちとの交流が続いているという

──徹底して「被災した方たちの生活」という目線を持って動かれていると感じました。中島さんがそこまで寄り添われるのはなぜですか。

中島:
本音の話をすると、「自分自身が弱いから」です。
僕は2回、自分で命を断とうとしたことがありました。でも今、生きて、3歳になる息子がおるんですが、幸せです。「せっかく助かった命やから、人のために生きよう」というのが本音です。

なんというのか、うまくはいえんのですが‥、壮大に何かをしようとか思っているわけではなくて。目の前に困った人がいたら、何とかしたいと思う。ただそれだけです。

自分が弱いから、災害支援の活動を初めてからも3度、辞めようと思ったことがありました。でも、運命なんでしょうね。辞められなかった。

2011年、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市にて、共に活動した仲間たちと

中島:
一度は、東日本大震災(2011年)でボランティアに行った時でした。4ヶ月半、テント生活をしながらボランティアをしていた時に、「ボランティアがなんでもやって当たり前、被災者はなんでもしてもらって当たり前」という感覚で、「仕事を与えてあげている」といわんばかりに、自分の仕事をボランティアに任せて遊びに行く地元の漁師さんの姿をみて、これはやりすぎだと思いました。

心が折れて鬱のようになって、もう辞めようと。東北を離れて北海道に一人旅に出たタイミングで、東北で一緒にテント泊しながらボランティアをしていた仲間から、「親戚が被災した」と連絡をもらいました。東日本大震災から5ヶ月後、2011年8月に和歌山で起きた、記録的な大雨による紀伊半島水害でした。

仲間のためだったらと駆けつけて、そこでいろんな仲間と出会い、活動を再開するようになるんです。

紀伊半島水害での活動風景。黄色い服を着ているのが中島さん

──運命だったのでしょうか。中島さんはそもそも、どういう経緯で団体を立ち上げられたのですか。

中島:
最初は、別の災害支援の団体で活動していました。
僕は中卒で、頭がよくありません。災害時は何があるかわかりませんが、勉強していないといろいろなケースに対応ができません。だからいろんな勉強会に参加していました。

ある時、障がい者の防災に関する講演会に参加しました。講師の方が言うには「被災障がい者の支援は、そんなに簡単なものじゃない」と。被災地で困っている方がたくさんいても「スタッフの安全が確保できないから」という理由で、現地に入られないんです。
極端な話、被災した障がい者が死のうが生きようが、危ないかもしれないということを理由に、助けに行くことをされないんです。

でも、被災した障がい者への支援をうたっているなら、それは違うんじゃないかと。
「(人命救助のタイムリミットと言われる)72時間以内に行って支援しようと考えるのが普通じゃないですか」って僕は質問したんです。そうしたら「そんなに簡単じゃない」と言われました。「それだったら、自分がやる」と思って立ち上げたのが、レスキューアシストなんです。

2019年に大阪茨木市で開催した重機講習会。多くのボランティアが、技術を得ようと参加した

──そうだったんですね。

中島:
ずっと、「被災地で死んでもいい」という気持ちで活動させてもらっていました。
でもコロナのことがあって、僕たちがすぐにかけつけても、感染拡大を避けるために、行政から活動の許可が降りるまでに10日ほどを要したり、すぐに活動するということが難しくなりました。

そしてまた僕自身も家族ができて、ここで死ねないと。
現場現場で安全を確保できるように、他団体さんとも連携をとりながら、それぞれの得意なところを活かして活動をするようになりました。

2023年9月、台風13号の被害を受けた千葉県茂原市での活動。「若い学生ボランティアのローラー作戦のための打合せ中。何も情報を持たない被災者がいないか、不安を抱えていないか…、戸別訪問をする若い力は、活動する側だけでなく、被災者にも大きなパワーを与えてくれます」

「どんな人にでも、できることがある」

2021年7月、熱海市伊豆山土石流災害の被災地にて。活動中のボランティアへ、地元の方からの応援メッセージ。「ボランティアが活動する姿に、被災者も前を向いていこうとする。少しずつ戻る笑顔に、我々も安堵します」

──最初は「被災地で死んでもいい」と思って活動されていたということですが、中島さんをそこまで、災害支援に駆り立てたものは何だったのでしょうか。

中島:
中学を卒業後、高校に行かず一人暮らしをして、新聞配達、居酒屋の店員、介護職、大工見習いや塗装業、パチンコ店員、テキ屋…いろんな仕事をやりました。言ってしまえば、ただ生きるために働いて、条件の良いところを見つけては職を転々としていました。

全部プロフェショナルと呼ぶには程遠く中途半端でしたが、これらの仕事で得た知識や経験が、被災地では十分にいろんな方の役に立ち、それがとても衝撃でした。「自分はこの活動をするために、いろんな仕事をやってきたんや」って思ったんです。

──天職だと感じられたんですね。

中島:
おそらく、そうですね。
でも、活動を始めた最初の5年ぐらいは「役に立つ自分が大好き」っていう、完全な自己満足でした。
でも今はプロとして、皆の期待を背負っていると言ったら大袈裟かもしれんけど、「被災地にいけない分、支援してあげてね」と僕に期待して支援してくださる方たちがいるので、その期待以上に、被災した方が元気になれる支援を目指しています。

一般の方に向けての講習会の様子。過去の経験談から防災・減災の講演会をする中島さん

──やっていてよかったと感じる時はどんな時ですか。

中島:
「ありがとう」と言ってもらった時はやっぱり嬉しいです。心からの「ありがとう」を受けることがあって、それは心で伝わります。そんな時は、ぐっとくるものがあります。

──日常が失われ、混沌とした現場で、人の力を信じ、思いや心をつなぐという、何か目に見えないような部分もサポートされているのではないかと感じました。

中島:
目に見えない、人の力は感じます。たとえば、若い学生のボランティアさんがたくさん来たら、それだけでパッとその場が明るくなるんですよね。それは支援する側・される側を超えて、共通に感じるパワーだと思います。

「災害支援」というと、何か特別な人がやるものだというふうに捉えられる節もあるんですが、小さな子どもでも、障がいのある方でも、どんな方にも必ず、被災地でできることがあります。

2023年7月、台風2号で被災した中島さんの地元、奈良県明日香村にて。年齢性別問わず、多くのボランティアが参加した

中島:
全国各地からボランティアに来られた方が「せっかくボランティアに来たんだから、少しでも多く作業しよう」と、休憩も惜しんで作業に打ち込んでいる時に、僕らのようなおじさんが冷たいおしぼりを配っても、ほとんど手を止めてもらえません(笑)。
でも、小さいお子さんが手渡すと、皆、作業の手をとめてくださるんです。人は誰も、力を持っている。見えない魔法の力を持っているということは、これまでの活動で感じてきたことです。

──今後の展望を教えてください。

中島:
僕は46歳ですが、それでもこの業界では若手で、2〜30代の若い世代はほぼいません。あと2〜30年すれば引退する人がたくさんいます。

プロフェッショナルが増えれば、もっとたくさんの方が救われるんじゃないかと思っていて、火事の時には消防士がおるように、災害の時に、専門のスキルと知識を持って動ける「救災士」という民間の資格を作れたらと思っています。僕たちが十何年かけて培ってきた実践的な技術を次世代に伝え、人を育てていきたいです。

2019年9月、令和元年台風15号の被災地・千葉県鴨川市にて。集まったボランティアたちと、中島さんを中心に円陣を組む

チャリティーは、被災地での技術的な支援や最低限の生活を守るために必要な材料購入のために活用されます!

2022年4月、福島県沖地震でともに活動した仲間たちと

──読者の方に、メッセージをお願いできませんか。

中島:
自分が被災者にならないという保証はありません。被災地に来られなくても、離れていても、できる支援はたくさんあります。ぜひ関心を持って、何か行動してもらえたら嬉しいです。

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

中島:
チャリティーは、被災地で技術的な支援をする際の、重機や高所作業車などのレンタル費や燃料代、被災した家屋の応急処置に必要な資機材、また被災した方たちが最低限の生活が送れるようにするための応急処置に必要な材料を購入するために活用させていただきます。

ぜひ、アイテムで応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

2019年、台風15号の被害を受けた千葉県鴨川市にて、共に活動したボランティアの皆さんと

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

言葉の端々から、中島さんのまっすぐなお人柄と熱意、姿勢が伝わるインタビューでした。
災害直後の被災地の状況について、「本当に悲惨で、言葉にならないことがある」とおっしゃっていた中島さん。そんな中での活動は、精神的に、また肉体的にかなりのタフさが問われ、緊張感も想像を絶するものがあるのではないかと思います。しかし「眠れないほどに集中し、何ができるかを考える」とおっしゃっていたのが印象的でした。
自然災害が後を絶たない日本ですが、私たち一人ひとりができることを、この機会に考えてみませんか。

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