CHARITY FOR

「人の命を守り、戦争しない、させない世界をつくる」。医療が受けられない人へ「医」を届け、健やかに生きられる未来を〜NPO法人ロシナンテス

日本で暮らす私たちにとっては、当たり前のように身近にある医療。
しかし途上国には、病院がない、医者がいないという地域がまだまだ存在し、適切な医療を受けられない人たちがいます。

今週、JAMMINがコラボするのはNPO法人「ロシナンテス」。
現在はスーダンとザンビアで、必要としている人たちに、「医」を届ける活動をしています。

代表であり、医師の川原尚行(かわはら・なおゆき)さん(58)は、外務省の医務官として初めて訪れたスーダンで、長らく内戦が続いていた現地の厳しい状況を目の当たりにしました。「自分がやらないと、誰がやるんだ」。使命感に駆られ、外務省を退職。何もない中から手探りで、そしてまた無給で、この活動を始めました。

「『自分が医療をやろう』。その思いが先走り、何も考えず、ただがむしゃらに突き進んでいました。その時の自分があるから、今の自分があるかもしれない」と川原さん。なんと今回、日本にご帰国されているタイミングで、お会いしてお話をお伺いすることができました!

お話をお伺いした川原さん

今週のチャリティー

NPO法人ロシナンテス

必要な保健医療が受けられない地域に医療が届くしくみを整備することで、一人でも多くの命を救い、誰もが健やかに生きることができる環境をつくることをミッションに活動しています。これまで主にアフリカのスーダン、ザンビアで活動。人々が「医療」を自分たちのものにするための支援をしています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/10/02

「医」を届けるために活動

スーダンでの巡回診療の様子。必要な医療資材を積み込んだ車で、村々に泊まり込みながら1か月かけて村落部を回る

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

川原:
ロシナンテスは、広く「医」を届けることを目的に、現在はスーダンとザンビアで、医療支援を中心とした活動をしています。医療が身近ではない村の人たちへの巡回診療のほか、診療所の建設、村の人たちが衛生的な水を使えるように、給水所の設置や井戸の改修などを行ってきました。

村落部では特に、「病気を治療する」以前に、なぜ病気になるのかという部分で、手洗いの徹底ができていなかったり、不衛生な水の問題や栄養不良があったりして、課題の中で「医療」だけを切り離すことは難しいです。
私たちが広く「医」と呼んでいる中で、地域の課題ごとに何が必要かを考え、私たちがいなくても現地の人たちが継続していくことができる「しくみ」の部分をサポートしています。

衛生的な水の供給のために、井戸を建設(スーダン)。清潔な水が利用できるようになり、笑顔でいっぱいの子どもたち

川原:
2019年から活動をスタートしたザンビアでは、主に母子支援を行っています。
ザンビアでは自宅ではなく医療施設での出産が推奨されていて、妊婦さんは生まれそうになったら診療所に向かうわけですが、近くに診療所がない村落部の場合、陣痛が始まってから2時間も3時間も歩かなければならないことがあります。間に合わずに道中で出産したり、諦めて自宅で出産したりすることがあって、大きなリスクを伴います。

こうした状況を改善するには、診療所のそばに妊婦さんが宿泊できる場所が必要で、出産待機施設「マザーシェルター」を建設しました。
また、限られた資源の中で胎児の検診ができるように、特別に高度なスキルがなくても扱いやすい小型エコーの導入なども行っています。

──そうなんですね。

川原:
国としてインフラが整っていない、セーフティーネットが機能していないといった理由で、人々が病気になったり、亡くなったりしてしまう。それを救っていくのが、我々の役割です。

ロシナンテスが建設したマザーシェルターにて、小型エコーを使って診察を行う様子

医務官としてスーダンに赴任。
「自分が医療をやる」と決めた

活動を始めて間もない頃、巡回診療で訪れた村にて、村の子どもを診療する川原さん

──2006年にNPOを設立されて17年になりますが、最初は外務省の医務官として、現地に行かれたそうですね。

川原:
はい。2002年、大使館の医務官としてスーダンに赴任したのがきっかけです。
当時、スーダンは内戦中で、医療や教育のための国の予算は削られて、すべて戦費に流れているような状況でした。

政治的な背景から、日本政府はスーダンへの援助を停止しており、そのため、私は医務官として現地の日本人の健康管理にたずさわるだけで、目の前で困っているスーダンの人や状況を見かけても、何もできない状況でした。

ある時、町の病院の前を通ると、ベッドが病室に入り切らず、複数の人が外で寝ている姿が見えました。患者さんたちは、外に置かれたベッドの上で、点滴をつながれていました。
「こんな状況なのに、何も支援しないなんて。こんな日本はよくない」と思い、「私がやらないといけない」という勝手な使命感で、医務官を辞めて活動をスタートしました。

医務官時代に出会った、リーシュマニア症に感染した子ども。寄生原虫の一種・リーシュマニアが小さな昆虫(サシチョウバエ)により媒介されて感染する寄生虫症で、感染すると皮膚や粘膜、内臓などに影響を及ぼし、最悪の場合は死に至ることもあるが、適切な治療によって完治が可能

──そうだったんですね。

川原:
あの時は本当に何も考えていなくて、「自分が医療をやる」という気持ちだけで前に突き進んでいました。名刺もないし、何なら肩書きもありませんから、自分で白い紙に筆ペンで名前を書いて、それだけだと少し寂しいから、「日本スーダン友好」って書いたりしてね(笑)。

とにかく「自分が医療をやる」という思いが強かったので、そのためにできることは何でもやりました。医務官を辞めてはいましたが、現地での医師仲間のネットワークや信頼関係があったのは、一つ大きかったかもしれません。

活動を初めてみると、何をやるにも壁の連続で、いつもそれをどう乗り越えて前に進むかを考えていました。でも、不思議と徒労感はなかったです。今なら、もうちょっと戦略的にやるんですが…(笑)。がむしゃらでしたけど、あの頃があるから、今の活動があるのかもしれません。

ロシナンテスを始めて間もない頃の一枚。砂漠を移動中、車のタイヤが砂にとられ、通りがかった村人と一緒に救出作業。「困難ばかりだったが、助けてくれる人も多かった」と川原さん

村人たちと、信頼関係を築いて

シェリフ・ハサバッラ村で実施した助産師育成研修にて。研修に参加した皆さんと

──これまでのご活動を振り返って、印象に残っている地域を教えてください。

川原:
2006年から6年ほど活動した、スーダンの「シェリフ・ハサバッラ村」という、周辺地域を合わせて3000人ほどが暮らす村でしょうか。不衛生な水を介した感染症が広がっており、私たちが水の事業を始めるきっかけになった村でもあります。

村に古い井戸があったのですが、壊れていて長く使われておらず、私たちスタッフは村に泊まりこみ、古井戸の改修や水質検査、また水の保管方法などの啓発活動を行いました。診療所も開設し、夜中であっても、診てほしいという村人が来れば対応しました。

この村のリーダーだった「ハサン」という男がいます。
最初に村に入った時、表面上こそ良くしてくれましたが、立ち去らずにずっと村にいる私たちのことを、いぶかしく感じていたようです。「あなたたちも、すぐいなくなると思っていた」と、後になって彼から言われましたが、村人たちを夜通し診療する私たちを見て、次第に心を開き、打ち解けていきました。

シェリフ・ハサバッラ村の人たちと。「住み込んで生活をするうちに、すっかり村の一員になりました」

川原:
普段から村で顔を合わせていると、自然とお互いの考えていることなんかもわかるようになっていくんですね。私たちが寝泊まりできるように、敷地内に家を建てようと言ってくれたり、「村から町へ」を合言葉に、電気を通そう、学校を作ろう、診療場を作ろう…、一緒に行政に陳情に行ったり、さまざまな活動をしました。
村の人たちの中に我々が深く入っていくことができた出来事として、印象に残っています。

スーダンは国境沿いで戦闘が続いていた地域もあったものの、この10年弱は穏やかで平和な状態が続いていました。
しかしこの4月、軍と準軍事組織による武力衝突が始まりました。死者は1200人を超え、400万人以上が避難を余儀なくされている中、国連機関やNGO団体への襲撃や強盗、国内医療機関の破壊や籠城も増えており、私たちも避難を余儀なくされました。

避難にあたり、団体所有の車をどうすればいいかと悩んでいたところ、ハサンが預かってくれることになりました。今回の帰国の際にも空港まで来てくれたりと、交流が続いています。

シェリフ・ハサバッラ村のハサンさん。日本への帰国の際、遠くから駆け付け、いつ到着するかもわからない川原さんを空港で待っていてくれたという

過去には活動停止命令を受けたことも

厳しい環境でも、教育を大切にするスーダンの先生たち。「現地の人々の『なんとかしたい』という想いがあって初めて、ロシナンテスの支援が活きてきます」

──活動が不安定にならざるを得ないこともあるのですね。

川原:
先ほど話したハサバッラ村での活動で、活動停止命令を受けたこともあります。
当時、お話したように村の人たちとは深い信頼関係を築けていたのですが、スーダン政府としては、それを見過ごしておけません。
誰かわからない日本人が村にやってきて、住み込んで、一緒に何かやっている。もしかしたら宗教や政治がらみで、反政府組織になるのではないかと目をつけられ、活動停止命令をくらいました。

──そ、そんな?!

川原:
我々だけでなく、スーダンで活動していた7つの団体が、同時に活動停止命令を受けました。その時、私はちょうど活動資金を集めるために、日本に帰国したところでした。現地スタッフから連絡をもらってびっくりして、すぐにスーダンにとんぼ返りしました。
怪しい組織ではないことを伝えるために、政府高官に日本に来てもらって、地元である北九州の支援者の皆さんに会ってもらい、大学などでの講演会にも同行してもらい、何なら一緒に話をしてもらったりしながら身の潔白を証明し、「宗教でも政治活動でもない、ただ医療を届けたいのだ」ということを伝え続けました。

結果として活動停止命令が覆ることはありませんでしたが、すぐではなく「1年後」という条件を付けることができました。この間に、村の人々が自分たちの手で診療所や井戸を管理していけるよう、何とか引きつぎや育成を行うことができました。その後、この村には10年間入ることが許されず、昨年やっと、久々に足を踏み入れました。

川原さんが10年ぶりに訪れたシェリフ・ハサバッラ村。「寄贈した救急車、診療所、井戸…、10年経ち、なんとすべてが、村の人々自身の手で運用されていました」

──そうか、たしかに現地で勝手に活動しても良いわけではなく、政治の部分、行政とのやりとりや交渉も、大事になってくるんですね。

川原:
「医」を届けるためであれば、やれることは何でもやります。なぜなら、自分たちだけで課題を解決するというのは非常に難しいからです。現地の政治家の方への働きかけもそうだし、日本でも、たとえば企業や大学、他のNPOにも声をかけて連携し、チームを作って共に動くことがとても大切だと思っています。

スタッフが皆、頑張ってくれていて、私がいなくても安心してそれぞれの現場をまかすことができています。私は代表として、次のステップを切り開いていきたいと思っています。

現地に駐在する職員。診療所のスタッフとボランティアとのミーティングの様子

「協力し合う現地の人たちの姿は、
日本へのメッセージでもある」

建設した学校の前で、村の子どもたちと

──やっていてよかった、と思う時はどんな時ですか?

川原:
彼らと一緒に喜んだり悲しんだり、感情を一つにできることでしょうか。現場にいると、それがより感じられる。
今回、スーダンの武力衝突があり、今こうして日本にいますが、今も「いちはやく現地に行きたい」と思います。会いたい人がたくさんいるし、我々がやれることが、まだまだたくさんあるんです。
どんな状況であっても、どん底に落ちてしまったとしても、だからこそ、やれることがあるんです。

ザンビア村落部の診療所で働くスタッフの皆さん。「医師はおらず、モノも人も足りていなくても、毎日明るく頑張っています」

──先生をそこまで、ご活動に惹きつけているものは何ですか。

川原:
アフリカだけでなく、日本も含めて「社会をより良くしていこう」という思いが根底にあります。

スーダンもザンビアも、地域の方たちは貧しい分、協力し合って生きています。日本では失われてしまった、人々が協力する姿があって、活動を通して常にその姿を届けていくことは、日本へのメッセージでもあります。
現地の方たちにリスペクトをもって、今後もしくみとして、医療や水、教育を届けていきたいと思っています。

──今後の展望について教えてください。

川原:
ロシナンテスとして、今後も地域医療に取り組んでいきます。地域の方たちと連携して、基本的な部分のレールを作ってきたいと思っています。
加えて近年、ITやデジタルなどの最先端のテクノロジーが、アフリカの地域社会が抱える課題解決に大きく活用できるのではないかと思っていて、そこにも挑戦していきたいです。

さまざまな連携を進めていきたいと川原さん。写真は、沖縄の「美ら海水族館」と連携し、ザンビアの子どもたちに、海を学ぶ授業を届けているところ

究極の医療とは、「戦争をしない、させないこと」

見渡す限り砂漠の厳しい土地にも、力強く生きる人々がいる

──団体名の「ロシナンテス」は、小説『ドン・キホーテ』に出てくる痩せ馬の「ロシナンテ」が由来だそうですね。

川原:
はい。私たち一人ひとりは、痩せ馬のロシナンテのように無力かもしれない。だけどロシナンテが集まって「ロシナンテス」になれば、きっと何かできるはずだ!という思いを込めて、「ロシナンテス」と名付けました。

──話は変わりますが、先生はなぜ医師を志されたのですか。

川原:
高校生の時、ラグビーをやっていました。自分が1年生の時に3年生たちが全国大会に出て、結果としては敗退したのですが、先輩たちがひたすらラグビーに打ち込む姿を見て、かっこいいと思ったし、「自分も、こういう生き方をしよう」と思いました。

大学受験を控えつつも11月までラグビー漬けだった先輩たちは、案の定、ことごとく大学受験に失敗していくわけですが…、「ストレートに、まっすぐに生きよう」という感覚は、この頃に抱いたものだと思います。「俺も、高校はラグビーしかせん!」と決めて、勉強は留年しない程度にほどほどに、高3の冬までみっちりラグビーをやって、最後に負けて引退して、その後初めて、将来を考えました。

高校時代の川原さん。チームメイトの皆さんと。「ラグビー一色だった高校時代。ロシナンテスを設立してからも、この仲間たちにたくさん助けられました」

──そうだったんですね。

川原:
ラグビー一本で、当然成績は良くなかったので、できることには制限がありました。だけど「制限をかけずに考えよう」と思って。自分が何に打ち込めるのか、何がしたいのかを考えていた時に、幼い頃に、祖父と友人の和尚さんが、私に「人のためになる人間になれよ」と言っていたことを、ふと思い出したんです。

人に役に立つ人間とは、医者かなあと。それで高校の先生に「医者になる」と宣言して、二浪して医学部に入り、医者になりました。
今はもう私は臨床医としては使い物になりませんが、医師として「医療」という概念をまた違うように捉えていて、医療が「人の命を守り、救う仕事」だとしたら、水や教育の問題に取り組むこともまた、そのために避けては通れない、解決すべきことだと感じています。

そして今、世界でさまざまなことが起きている中で、またスーダンの内戦が激化するのを見る中で、究極の医療とは「戦争をしない、させないこと」なのではないのかと感じています。

軍事衝突勃発前のスーダンの美しい風景。「村落部へ向かう途中にすれ違うラクダや車には、大抵たくさんの人が乗っていました」

「平和とは、簡単なものではない」

ザンビアでは、妊婦検診での小型エコーの導入によって、これまでほとんど見られなかった「旦那さんの付き添い」が増えたのだそう。皆さんのはじける笑顔が印象的!

──日本とは比べものにはならないような、さまざまな困難のある地域で活動してこられた中で、読者の方に、メッセージをお願いできますか。

川原:
日本は今、平和なので、もしかしたらピンとこないかもしれません。だけど平和とは、簡単なものではありませんし、タダで転がり込んでくるようなものでもありません。

今が平和だからといって、5年後も10年後も平和だとは限りません。「平和を、いかに維持していくか」を考えてみてもらえたらと思います。

世界で起きているさまざまなことが、遠い出来事のようで、実は関係しています。ウクライナのこと、スーダンのこともまた、関係のないようで、日本と関係しています。何がどんなふうにつながっているのか、どんな小さなことでも、ぜひ関心を持ってもらえたらと思います。

軍事衝突が起こる数か月前、新しく事業を始めるはずだったスーダン・ガダーレフ州にて、打ち合わせの様子

──今日、先生が本当に楽しそうにいきいきとお話をしてくださるのが印象的でした。そんなふうに日々、明るく命や生き方に向き合う人が増えていくこともまた、平和への一歩につながるのではないかと感じています。ここへも何かメッセージをいただけませんか。

川原:
誤解を招く言い方かもしれませんが、私は自分の人生を遊んでいると思っています。
遊ぶと言っても、「本格的に、真剣に遊ぶ」んです。きっと必ず、夢中になれるものがあると思うんです。自分が夢中になれるものを見つけて、誰にとやかく言われようと、それを突き進んで、自分が楽しいと感じる気持ちを大事にできたらいいのかな。

そうやって、大人が子どもたちへ、楽しい姿を見せていけたらいいですよね。

スーダンにラグビーボールを持ち込み、村の子どもたちと遊ぶ川原さん

チャリティーは、マザーシェルターでの備品購入に活用されます!

2023年8月に大阪で開催された「ザンビア写真展 医とこころと人」。旅する写真家・上山敦司さんが、ロシナンテスのザンビアでの活動におよそ40日間同行して撮影した写真が展示され、川原さんの講演会も開催された。写真は、講演会に集まった皆さんと

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

川原:
チャリティーは、ザンビアに新しく建設予定のマザーシェルターで、ブランケットやバケツなど、必要な備品を購入するために活用させていただきます。ぜひ、応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

インタビュー後、川原先生と広報の立花さんを囲んで。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

厳しい局面はきっとたくさんあられたはず。でも本当に明るくはつらつと、楽しそうに活動のことを話してくださる川原先生の姿が印象的でした。悲壮感ではなく、このポジティブさとリーダーシップでぐんぐん、どんどん周りを巻き込んで活動してこられたのだなと思いました。
その姿とお話に刺激をもらうと同時に、同じようにきっと誰にも、世界を明るく照らす「得意なこと」や「夢中になれること」があるのだと思いました。私も、あなたも「ロシナンテ」。自分を信じ、希望や夢、光に向かって突き進むその道が、平和への第一歩かもしれません。

・ロシナンテス ホームページはこちらから

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【2023/10/2~8の1週間限定販売】
馬(ロシナンテ)を中心に、光や雫、花を描き、希望や可能性が広がる様子を表現しました。
ただ与えるのではなく、共に学び、分かち合うことを大事にされているロシナンテスさんの活動、そしてまた、そのように触れ合うことで広がっていく命の喜び、大地の豊かさを表しています。

小説『ドン・キホーテ』より、”Hope is always born at the same time as love”、「希望は、いつも愛と共に生まれる」というメッセージを添えました。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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