31歳の時にPLS(原発性側索硬化症)を発症した、「おっちー」こと落水洋介(おちみず・ようすけ)さん(40)。
PLSは、大脳から脊髄にいたる運動神経が進行的に障害される、発症は100万人に一人と言われる難病です。同じく運動神経の疾患であるALS(筋萎縮性側索硬化症)よりも進行は緩やかだとされているものの、ALSと同じく治療法は見つかっておらず、やがては寝たきりになると言われています。
9年前、何もないところでつまずく、転ぶといった最初の症状が出始めた時、ALSを疑いつつも診断はつかず、2年で歩くことができなくなった落水さん。まだ幼い二人の娘がいて、仕事を失うわけにはいかないと必死にもがいたといいます。
しかし、もがけばもがくほど、周りと比較し、絶望の淵の立たされた落水さん。そんな中ではじめて、「自分って何が好きだっけ?自分の夢はなんだろう」と、「本当の自分」に向き合ったといいます。
「病気になってしばらくは、周りと比べてばかりで、自分で自分を傷つけることばかりしていた。でも、自分を愛してあげないと。僕は自分を、愛すると決めた」と落水さん。
「はたから見ると幸せそうに見える人でも、何かしんどいことやつらいこと、大変なことを抱えていることがある。こんな僕が発する言葉だからこそ、何か心に触れ、響いて、元気になってくれたらうれしい」。
京都から、北九州にある「おっちーハウス」に弾丸でおじゃまして、お話を聞いてきました!
落水さん(写真中央)を囲んで。7月頭、福岡・北九州に京都から弾丸でお邪魔して、お話を聞いてきました!
TEAM PLS
難病PLSと闘う落水洋介(通称「おっちー」)と、その仲間の集まり。合言葉は「PLS」の頭文字をとった「ピース、ラブ、スマイル」。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/07/31
折尾駅から徒歩5分ほどの場所にある「おっちーハウス」をバックに。今後は生活拠点もここに移して、誰もが集まれる「医療と福祉のかけこみ寺」を作っていきたいと落水さんは話す
──お会いするのは4年ぶりですね!見た目は変わりなくとってもお元気そうですが、お元気でしたか。
落水:
元気です!ただPLSは進行していて、できないことが増えました。
手すりにつかまっても歩くのが難しくなって、一人でシャワーやトイレに行くことができなくなり、去年の秋からヘルパーさんに来てもらっています。
──腕力がきびしくなった、ということですか?
落水:
腕力というより、足が前に出づらくなりました。
講演などで遠方へ行って外泊するにも、ヘルパーさんと二人でとなると、交通費や宿泊費が倍かかってしまう。なので、行く先々でいろんな方に助けてもらっています。
話すことも、あまり変わりがないようには見えるかもしれませんが、正直いうと、2、3年前と比べたらかなりしんどくなりました。相手にはっきり聞こえるように、自分で口や舌の動きを研究して改良して、なんとかやっています。
話す速さも落ちてきていて、たとえば6年前に5分で話せた内容を、今は10分かかっているかなと思います。口が動かしづらくなった分、めちゃくちゃがんばってしゃべっているので、キツイはキツイ。集中力も必要ですが、おかげで日々、かなり訓練できています。
入浴する落水さん。「介護をしてもらうことに、当初は恥ずかしいとかかなり抵抗感がありました。でも少しずつ体は動かなくなり、頼る場面が増えてくる。僕がヘルパーさんに頼ることで、実は目の前のヘルパーさんの生活を支えているんだという考え方を知った時に、頼り合い、支え合って生きていくという覚悟ができました」
──そうなんですね。
落水:
最初に症状が出て9年、PLSと診断がついて7年ですが、僕と同等レベルのPLS患者の方は、引きこもって寝たきりの方が多いと聞きます。
でも、外に出て行って人と接することが確実にPLSのリハビリになっているし、安心できるコミュニティがあることで、おだやかな充実感を得られています。発症してからの最初の2年、病状の進行はものすごい速さでしたが、こうして安心を感じられることもまた、PLSの進行を遅らせることにつながっているのではないかと思います。
──外に出て行って、人と会ったり話したりすることが、心身ともに良い効果があるということですね。
落水:
そうですね。ただやっぱり、僕みたいな難病の人を雇ってくれるところもなければ、行く場所もない。僕は自分がいちばんしんどかった時、コミュニティがあったことで「なんとかなるじゃん!」「大丈夫じゃん」と思えた。だから今は、あの時の僕と同じような思いをしている人に、安心できるコミュニティを作りたいと思って動いています。
おっちーハウスでは月に1回、子ども食堂を開催している。「子どもや親や地域の方々のコミニティーとして、安心できる場作りを行っています。キラキラした大人の皆さんと、子どもたちの出会いの場でもあります」
PLSを発症して間もない頃の落水さん。「少しずつ歩くことが難しくなってきて、杖を使わないと歩けなくなってきた頃の写真です」
落水:
こういう病気になると、暗い未来を見てしまう。「暗い未来しか待ち受けていない」と、潜在的に思い込んでしまうんですよね。僕がそうだった。まだ起きてもいないことに悩んで、暗い未来を見よう見ようとして、自分を苦しめていたんです。
その時に検索していたキーワードは、「難病 自殺」「難病 寝たきり」「難病 安楽死」。
でも、病気があっても明るく生きている人に実際に会いに行って、「明るい未来があるのかもしれない」って思えてからは、検索ワードが変わりました。
「難病 仕事」「寝たきり 幸せ」って。
僕がそうやって、「寝たきりでも超幸せそうな人がいるじゃん!」って明るい未来を見せてもらったので、僕も、誰かの明るい未来になれたら嬉しい。
こちらの質問に、一つひとつ真剣に、丁寧に答えてくださった落水さん
落水:
「それ、おっちーだからできるんじゃん」「おっちーだから明るくいられるんだよ」って時々言われるけど、そうじゃないです。僕は歩けないし、寝たきりになるし、才能もない、ただの凡人です。ただ運が良くて、いろんな人に出会い、つながれた。
同じように難病や障害、家庭環境などで不安や悩みを抱えている人が、運頼みではなく、いつでも人や情報とつながれるコミュニティを作りたくて、「福祉や医療の駆け込み寺」を作るべく、「おっちーハウス」を開放しています。今後もっと活動を増やしていきたいです。
──そうなんですね!
落水:
最近は、若い障がいのある子たちのSNSでの発信がすごく増えています。「難病があっても楽しく生きていける」という希望を見せていきたいというのはずっとあるので、僕も発信力をあげていかないと!と思っています。
NPO法人super viewがYouTubeで配信しているラジオ番組『病気障がいラヂオ』の東京のイベントにて。「僕もお話をさせていただきました。僕の安心できる一つのコミュニティになっています」
2020年、JAMMINと初コラボの際のコラボデザインTシャツを着た落水さんのご両親。「家で私は、父と母にどうしても不機嫌な態度をとってしまいます。自分自身の歯がゆい思いをぶつけてしまうこともあります。もう40歳なのに甘えてるんですね。ほんとはいつもめちゃくちゃ感謝してるんですけどね」
──前を見ていくために、人との出会いや情報が大事だということですね。
落水:
そう思います。
僕は、寝たきりになっても働ける技術を何か身につけられないかとあれこれ試行錯誤していた時に、双子の兄が誘ってくれたプログラミング講座で、人生が変わりました。
初心者向け講座と聞いていたので、「自分にもできるかも」と淡い期待を抱いて参加したものの、専門用語ばかりでついていけず、会場を出ようとした時に主催者の中村さんが声をかけてくれて、「来週、障がい者のフォーラムがあるから一緒に行こう」って誘ってくれたんです。
翌週、中村さんは出会ったばかりの僕を迎えに来てくれて、片道2時間かけて大分県まで行きました。その道中で、僕は病気になってはじめて、自分の胸中を話すことができたんです。
──そうだったんですね。
「ITで困ることがあれば、その時は僕がいるよ」。どん底にいた落水さんにそう声をかけてくれた、プログラミングスクールSUNABACO代表取締役・中村まことさんと
落水:
そして参加したフォーラムで、「自立している人とは、相互依存関係が高い人のこと。頼り合える仲間がいればいるほど、自立できる」という言葉に出会いました。
僕はずっと、「何でも自分でできなきゃいけない」と思っていた。でもPLSは、やがて自分で何もできなくなる病気です。「何もできなくなる自分なんて、生きている意味がない」ってずっと自分を否定していたけど、この時はじめて、「そんな考えもあるんだ」と思えました。
さらに帰り道、中村さんは僕にこう言ってくれたんです。「落水くんはできないことが今後増えていくけれど、その時はできる人にやってもらえばいいんだよ。ITで困ることがあれば、その時は僕がいるよ」って。
その瞬間、暗い未来しか見えなかった僕の心の扉が開きました。「外に出ていこう。仲間を探しにいこう」と思ったんです。
ALSの中野玄三さんと。「中野さんとの出会いは、寝たきりの未来は暗く最悪と考えていた僕の意識を変えてくれました。寝たきりでも楽しく過ごすことはできるし、バリバリ働くこともできることを教えてくださり、明るい未来を見せてくれました。僕も明るい未来を作るんだって思わせてくれました」
PLS発症前、娘の保育園の発表会にて
落水:
PLSになる前、なった後もいろんなことがありました。でもPLSになったことも含め、それぞれに大きな意味があったし、すべて今の自分の武器になっています。
僕は新卒で化粧品メーカーに就職し、朝から夜中1時2時まで働き詰めの毎日を送っていました。その会社で営業成績ナンバーワンだった先輩が起業する際に誘ってもらって転職。すると今度は、給料の未払いが続いて。会社のために僕も必死でした。
福岡から営業のために夜行バスで東京へ行き、どうにか契約にこぎづけて「これで年内はなんとか会社は潰れずに済む」と思っていたら、そのお金もすべて、先輩がつくってしまっていた借金の返済に消えました。すでに結婚して二人の子どもがいたので、すごくしんどくて。
化粧品会社でバリバリ働いていた営業マン時代の落水さん。「双子の片割れとのツーショットで、私は左側です」
落水:
もう無理と思って先輩の会社を辞め、安定を求めて転職した時に、足に違和感を覚えるようになりました。PLSの症状が出始めたんです。
先輩はその後、亡くなりました。そして転職した会社で、当時はまだPLSと診断はついていませんでしたが、病気のために体が思うように動かない僕は、いじめに遭いました。すごくつらかったけど、それらの経験も今、すべて生きています。人の痛みをそれまで以上に知ることができるようになりました。
──そうだったんですね。
落水::
PLSの症状が出る前、思い返すと予兆だったのだろうということはありました。先輩の会社にいた頃、夜寝ている時に、ふとんがびしょびしょになるぐらい汗をかいていました。
尋常ではなかったし、あの当時のことは、今思い出してもすごくしんどい。確かに健康体ではあったのかもしれない。だけど、今よりもずっとずっとしんどかったです。
一人暮らしを目指し、現在実家で両親と暮らしている落水さん。写真は子どもたちが遊びに来た際、帰る時の玄関での一コマ
会社を退職後、藁をもすがる思いで、宮崎にある病院にリハビリのために入院。その時の一枚
落水:
症状が出始めて2年、ついに歩けなくなり、会社を辞めました。長女は小学1年生、次女は保育園。最悪な未来しか描けなかった。症状のあまりにも速い進行からして「あと3年で寝たきりになるな」と思いました。「それまでに、子どもたちのために何かを残さないとマジでやばい」と焦りました。
ちょうどそんな時、宮崎にある病院に1ヶ月、リハビリ入院したんです。
この時はじめて、自分の時間ができました。いろんな本を読み漁り、いろんな映画を貪るように観ました。インターネットで検索もしまくりました。
病院を出たら、娘たちのために働かなければいけない。寝たきりになる自分に何ができるのか、病気や就労に関することだけでなく、それこそ宇宙やスピリチュアルといった世界にも、映画や本を通してたくさん触れました。
「宮崎の病院にいる時、遠路はるばる、福岡の友人が家族でお見舞いに来てくれました。その時の写真です」
落水:
あれだけ本を読んだり映画を観て情報に触れた時間は、僕の人生で後にも先にもこの時だけです。「こんな生き方もあるんだ」「こんな考え方もあるんだ」…さまざまな知見や価値観に触れながら、自分自身を見つめ直していました。
「こんな生き方ができるんだったら、僕もやってみたい」と思って、でも「この人、お金持ちだからこれができるんじゃん!」「自分にできるわけないじゃん!」とかってマイナス思考からスタートするんだけど、探せば何か道はあって。映画を観て、本を読んで、SNSで検索して…。それをずっと繰り返しながら、自分の心を整えていったんだと思います。
あの入院の時間がなければ、今の僕はありません。
本当の自分と向き合うことができた、とても大切な時間だったと今になって思います。病院からの景色が良くて、ご飯もすごくおいしかった。今でもとても懐かしく温かく、あの時の光景を思い出します。
客席にいる一人ひとりに向けて、心から語りかける落水さん。写真は現役医師のミュージシャン「インスハート」とのコラボイベントにて。北九州市の大きな会場を借り、チームPLSとして講演を行った
──「本当のおっちー」を取り戻す時間だったんですね。
落水:
入院している時に、ノートを買ったんです。
自分は何にワクワクするのか、何が好きで、どんなことに癒されるのか。夢は何で、どんなことをしたら心は喜ぶのか。
…書こうとしたけど、全然わかんない(笑)。考えても何も出てこなかった。それもそのはずで、それまでの僕はずっと、ただ毎日に翻弄されて、「自分の幸せは何なのか」と向き合うことをしてこなかった。「自分の幸せ」は、ずっと置き去りにされていたんです。
一番大事なことが、ずっと手つかずだったんですよね。だけどPLSになって、そのことに気づけたんです。
毎日ワクワクできたら、超楽しいに決まってる。それは僕だけじゃなくて、誰だってそうなはずです。でも、「自分の幸せを見つけよう」という言葉はありきたりで、その大切さに気づくことは容易ではありません。僕がそうだったから。
でも、やがて寝たきりになる僕が言えば、もしかしたら耳を傾けてくれて、心に響くことがあるかもしれない。「おっちーが幸せというなら、私もやってみようかな」って思ってもらえたら、すごく嬉しいです。
仙台へ講演に訪れた際の一枚。「仙台に住んでいた時に行きつけで、お世話になった居酒屋さんの前で撮影した写真です。居酒屋の常連で顔馴染みだった方が、僕の講演会を仙台で主催してくださり、たくさんの方にお世話になりました」
──おっちーがそうやって、自分だけではなく他人にも自分の幸せを見つけて欲しいと思うのはなぜ?
落水:
誰かの人生を変えようとか変えたいなんて大それたことは全然思っていないけど、「話を聞いて、考えが変わった」とか「人生が変わった」と声をかけてもらったら超嬉しいし、心の中でも「話を聞いて心が楽になった」とか「楽しかった」と思ってくれたら、そんなに嬉しいことはないんです。
「知らない障がい者のおじさんの話を聞こう」だなんて、僕の話を聞きに来てくれる人は、だいぶ変わっているか、だいぶ変わっている人に連れてこられた人かのどちらか(笑)。でも、「知らないおじさんの話を聞けたな」で終わりたくない。その人の心の何かに触れて、そこからの人生をワクワク生きるきっかけや種にしてもらえたら、僕はすごく嬉しいんです。
「小さな子どもから大人まで、さまざまな人が参加したカオスな講演会にて、寝そべっている子どもたちを指差しながら、楽しんで話している僕です」
2棟から成るおっちーハウス。現在は子ども食堂やイベントなどを開催。「今後、もっと活用して、いろんな人が集まれる場所にしたい」と落水さん
落水:
「PLSになる前に戻れるとしたら?」という質問をよくもらうのですが、僕はPLSになったから、本当に大切なことに気づくことができた。PLSは僕の武器。もしPLSになっていなかったら、今でもやりたくないことをやって生きているとしたら…。考えただけで恐ろしいです。
人は皆、今を選択して生きています。
皆、本当は自分の心が100パーセント満たされる選択を選べるはずなんです。なのに「からかわれたらどうしよう」とか「変に見られるかも」とか、理由をいっぱい並べて、わざわざ心が満たされない方を選択して、さらにそれを繰り返している。
僕がずっとそうだった。自分の心が満たされない選択を、あえてずっと選んでいたんです。「そんな自分を、自分で好きになれるわけないじゃん!」と思って。小さなことから、自分の心を満たせる選択をするように意識を変えました。
おっちーハウスで開催された「フェイスペインティング飲み会」での集合写真。「この後このまま、ゴミ拾いをしながら駅へ向かいました(笑)」
──意識が変わると、環境も変わっていったんですね。
落水:
最初は難しいけど、「この道を選びたい」と思ったら、それに従うこと。失敗してもいいんです。失敗したら、それでも逃げずにその道を選んだ自分を褒めてあげる!僕は、それができるようになってはじめて、自分を認め、愛せるようになったし、どんなに小さくても良い、日々の生活の中で前向きな選択を繰り返すことで、目の前の景色が、ゴゴゴ…と劇的に変わっていきました。
この日、落水さんと一緒にインタビューに参加してくださったヘルパーの稲井泰康さん。落水さんの活動に共感し、現在は訪問介護ステーションを運営しながら、落水さんをサポートしている
落水:
子どもたちに向けて話をする機会を多くいただくのですが、本当は大人にこそ、僕の話を聞いてもらいたいんです。子どもに対して「自己肯定感」ってすごく言うのに、じゃあ先生、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、自分のこと認めていますか?自分のことを愛していますか?夢はありますか?と尋ねると、いつもシーンとするんです。
大人が自分を認めて愛せていないのに、子どもにどうやって教えられますか?
大人がもっとチャレンジしようよ、失敗しながら成長する姿を見せようよ、夢をかなえる姿を見せようよ、どんな自分も認めて愛する姿を見せようよって僕は思っています。これからまた各地を回って、そんなことも伝えていけたらいいなと思っているし、僕も、これからも挑戦を続けていきます。
「おっちーハウスへ向かう階段をワクワクしながら登ってもらうために、アーティストのカラリズムリサさんに監修していただき、子どもたちも一緒に、楽しく素敵に絵を描きました」
NHKの番組『阿佐ヶ谷アパートメント』にて、「“元ヤンキー”と難病PLSの車いすユーザー はじめましてのふたり旅」と題して、同い年のALS患者・吉田久人さんを訪問した際の一枚
──今、おっちーに見えている未来とは?
落水:
漠然とだけど、周りに笑顔の人がたくさんいて、皆が楽しんでいる場面、それしか浮かばない(笑)。それしか見えていません。
だけど、それを強く思い描くがゆえに、時間がないと焦ったり前に進めていないと自己嫌悪に陥ったりする時期が、正直コロナのこの2〜3年、ありました。楽しそうなことをやっている人を見れば見るほど、「俺、全然動いてねえじゃん」って落ち込んだりして。
でも、すぐにかたちにならないこともある!まずは今を楽しむこと。そして、楽しみながら、目の前のことを一つずつかたちにしていく。それ以外は、考えるのはやーめた!(笑)
筋ジストロフィーの芦刈昌信さんと、別府のバリアフリーマンションにて。「芦刈さんは去年亡くなられましたが、病院での生活から一人暮らしという夢をかなえ、自由に楽しそうに暮らされていました」
──今こうやって対話ができて、これから各地で講演もしていきたいという思いもある中で、「話せなくなったら…」という不安はないですか。
落水:
しゃべれなくなったら、会場に行ってあとはスイッチを押すだけで音声がしゃべってくれるから、超良いじゃん(笑)!
今は自分の音声をデータで残して、キーボードに話したいことを打ち込むと、自分の声で読み上げてくれる機材もあります。講演の時にいただく質問も、同じようなものもいくつかあるので、まとめて回答を残していけば、答えられます。
目でパソコンが操作できれば(アイトラッキング)、アマゾンプライムもネットフリックスも見放題だし、ゲームもできる!‥こういった情報を知っているかいないかで、描ける未来が全然変わってきます。
──さすが!予期しない答えでした(笑)
北九州市の子どもたちを対象に、心を耕し、希望の種を蒔く「夢授業」を行うボランティア団体「キャリア教育研究会」会長の木原大助さんと。「全ての出会いが僕の人生を彩ってくれたのですが、木原大助さんと出会い、夢授業と出会えたことで、はじめて役割をいただき、生きる力をいただきました」
落水:
僕は今、元気だった時には感じたことがなかった幸福感に包まれて、毎日を過ごしています。大変なことはたくさんあるし、ハッピーだけではいられないこともたくさんあります。だけど、とらえかた一つで物事は変わります。「とにかく全部がハッピーなんだ」って、自分の人生を受け止めて生きていきたい。そのためには、笑顔でいること。
笑顔でさえいられたら、脳は幸せホルモンをいっぱい出して「幸せなんだ」って、ある意味錯覚じゃないですが、感じるんです。つまり常に笑顔でいることは、幸せを感じるために、ひとつ訓練でもあるというか。
いろんな経験を経て、今は自分の脳が幸せだと感じられる状態を知っているので、それを意識して作り出している、という感じなのかなと思います。僕は、明るい未来を見ると決めたので…!
「全国の福祉を楽しく発信している仲間とつながって、ワイワイ楽しく過ごしている時は本当に楽しいです」。イベント後、メンバーの皆さんと記念撮影
おっちーハウスの最寄駅・JR折尾駅にて、お別れのシーン。おっちー、長い時間ありがとうございました!また会える日を、心から楽しみにしています!
──読者の皆さんへ、メッセージをお願いします。
落水:
「誰かと比べるのはもうやめて、自分の幸せを考えよう」って伝えたいです。「誰かのせいでも、誰かのためでもない、自分の人生は自分で決めて生きていこうよ!」って。TEAM PLSのキャッチコピーでもあるのですが、「ワクワクしよう、ただそれだけ」ですね。
そしてもし、何か感じたこと、感じることがあったら、行動に移すことは超大事だから、勇気を出して、あなたの人生を一歩踏み出してもらえたら、めちゃくちゃ嬉しいです。
──最後に、チャリティーの使途を教えてください。
落水:
体がまだ動くうちに、できるだけたくさんの人に会いに行って、思いを届けたいと思っています。
チャリティーは、各地で講演させていただく資金として、また、おっちーハウスを今後「医療と福祉のかけこみ寺」として開放していくにあたっての運営費として活用させていただきたいと思っています。ぜひ、チャリティーアイテムで応援してください!
──おっちー、今日はとても貴重なお話をありがとうございました!
「2017年、チームPLSのはじまりの写真です。有志の皆さんが集まり、師匠の黒岩禅先生とコラボして、セミナーを開催しました!」
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
オンラインでは2年ぶり、リアルでは4年ぶりのおっちーとの再会!変わらない笑顔で出迎えてくださり、とても嬉しかったです。
「生かされている意味」とか「出会った意味」をわかり尽くすとか知り尽くすということは、難しいことです。何が正解と感じるかということも、それは状況によって変わってくるものだと思います。ただ一つわかることは、有限な今生において、こうしておっちーと出会ったこと、さらには再会できてすごく嬉しいという力!喜び!生きるとはすなわちきっと、そういうことなのかなと思いました。
おっちーからもらったパワーも力に、私も今日を全力で、ワクワクを体現していきたいと思いました!
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PLSは「Peace(平和)、Love(愛)、Smile(笑顔)」。
おっちーのメッセージをそのまま、文字同士が寄り添うようなフォントで描きました。
“You can be happy”、「キミだって、幸せになれるんだ」というメッセージを添えています。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!