CHARITY FOR

息子の死を乗り越えて。命をつなぐ保護猫カフェ〜保護猫カフェひだまり号

愛知県名古屋市に、2階建てバスを改装した保護猫カフェがあります。
その名も「保護猫カフェひだまり号」。
行き場のない猫を保護し、お世話をしながら人馴れさせて、カフェでデビュー。お客さんと触れ合う中で、新しい里親さんを見つける活動をしています。

ひだまり号がオープンしたのは5年前。祖父江吉修(そぶえ・よしのぶ)さん(57)、昌子(そぶえ・まさこ)さん(57)夫婦が運営しています。
カフェをオープンしたきっかけは10年前、息子の修平さんを、23歳という若さで突然失ったことでした。

現実が受け入れられず、精神的に病んでしまったという昌子さん。生活を送ることもままならず、引きこもり、体重は40キロを切るように。引きこもりの生活が3年ほど続いたある日、生まれて間もない猫を預かります。

「この子は、私がいないと生きていけない」。

子猫のお世話をしながら、必要としてくれる存在があることに、徐々に生きる力を取り戻していった昌子さん。「人の命も動物の命も同じ。救える命を、1匹でも多く救いたい」と、猫のために活動を始めました。

ひだまり号について、 昌子さんにお話を聞きました。

お話をお伺いした祖父江昌子さん(写真左)。隣は夫の吉修さん

今週のチャリティー

保護猫カフェひだまり号

愛知県名古屋市西区にある、2階建の観光バスを改装した保護猫カフェ。
保護した子猫と里親の出会いをつないでいます。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/4/24

行き場のない子猫と触れ合える保護猫カフェ

「保護猫カフェひだまり号」外観。「バスに乗せた思いは家族。生前、息子は『Sunnyspot(サニースポット)』というアーティスト名で音楽活動をしており、そこから『ひだまり』の名前をとりました。クリエイターをしている娘が、家猫の『ましろ』をモチーフにデザインを描いて、妻の昌子は子猫のお世話をし、私が接客をする。家族全員の思いを、このバスに乗せました!」(夫の吉修さん)

──今日はよろしくお願いします。最初に、保護猫カフェひだまり号について教えてください。

祖父江:
ひだまり号は、2階建ての観光バスを改装した保護猫カフェです。
1階は受付とドリンクバー、手洗い場があり、2階に保護猫たちが自由に過ごすスペースがあります。料金は時間制(「通常コース」60分で大人一人税込1320円、「お試しコース」30分で税込880円)で、1階で手を洗って、フリードリンクなので好きな飲み物を持って2階へ上がり、猫と触れ合うことができます。

「ひだまり号」の中。右の写真がバス1階の受付。左の写真がバス2階の猫との触れ合いスペース

──どのような猫ちゃんがいるのですか。

祖父江:
いろんな事情や経緯があってうちに来た子たちです。昨年でいうと、一般の方からのご依頼で引き取った猫がほとんどです。子猫を対象としているので、「赤ちゃん猫が庭に迷い込んできた」とか、餌やりさんから「親猫が子猫を5匹連れてきたけど、うちでは飼えないから里親を探してほしい」などとご連絡があります。猫を引きとりますという発信は大きくはしていませんが、ネットなどで見つけてご連絡をいただきます。昨年春から年末にかけて、90〜100匹を保護しました。毎年このぐらいの数の猫を引き取っています。

別館として、自宅の3階をシェルターとして使っています。
ここにはカフェデビュー前の赤ちゃんや病気で治療中の子たちがいて、猫エイズや猫白血病、猫伝染性腹膜炎など病気ごとに部屋を分けて、ケージではなく部屋で自由に過ごせるようにしています。現在、バスに19匹、シェルターには24匹の猫がいます。

生後3週間の時に愛護センターから譲渡を受けた「ふく」。「生後6ヶ月の時にFIP(猫伝染性腹膜炎)になってしまいましたが、薬を個人輸入してひだまりで3ヶ月治療し、3ヶ月の経過観察を経て寛解しました。今ではバスで1、2を争うほどの人気者です」

猫と里親さんのリアルな出会いの場に

ラグドールの「ミント」(写真左)と「そら」(写真右)。「岐阜のブリーダーさんが亡くなり、今まで育ててきた子猫たちの行き場がなく、ひだまり号で保護してもらえないかと岐阜の保護猫団体さんから依頼がありました。ひだまりに来た時は生後2ヶ月でした。人馴れもしており、誰にでも甘える美人姉妹です」

祖父江:
小さい時から人が関わっているので、猫も人馴れしています。それぞれの性格もありますが、1ヶ月もするとほとんどの子が人が好きになって、人が触れるともう、ゴロゴロデレデレです(笑)。そんな猫たちなので、カフェでも猫の方からお客さんに寄っていき、膝に乗ってゴロゴロと喉を鳴らしたり、前足をふみふみしたりしています。
お店自体が、毎日譲渡会のようなかたちです。足を運んでもらって、実際に触れ合ってもらって、何かビビビとくるものがあれば、家族に迎え入れてほしい。リアルな触れ合いを大事にしています。

ひだまり号でリラックスする猫。「仰向けになって寝ている姿。警戒心ゼロすぎて笑いました(笑)」

──お客さんがカフェで猫と出会い、迎えられているんですね。

祖父江:
はい。譲渡にあたっての条件がありますが、他の団体さんと比べてそこまで厳しくはありません。
たとえば、大切にしてくださることはもちろん前提で、一人暮らしや高齢であるということだけを理由にお断りはしません。その代わり、事故が起きたり病気になったり、何かあって猫の面倒が見られなくなった時に、代わりに面倒を見ることができる方を保証人として必ずつけていただくようにしています。
トライアルとして1週間ほどを設け、そこで様子を見た上で、正式な譲渡となります。

自宅3階のシェルターの1室。「猫たちは遊んだりのんびりしたりと、自由に過ごしています」

──トライアルで譲渡が成立しないこともあるのですか。

祖父江:
あります。こちらからは、猫に対して愛情が感じられなかったり、軽くとらえているような場合には、お断りをすることがあります。あるいは、先住猫ちゃんとどうしてもうまくいかないということで戻ってくるケースもあります。
トライアルの間は、写真や動画で様子を共有していただいています。トライアルが終わって正式譲渡してからも、里親さんは皆さん、うちの子自慢じゃないですが、猫たちの姿をたくさん送ってくださいます。

日々、猫たちをお世話する。写真は子猫にシリンジを使ってミルクを飲ませているところ。「みんなミルクが欲しくて待てず、『ミルクくれ~』とよじのぼってきます(笑)」

息子の突然の死。
絶望の中で預かった1匹の子猫

昌子さんと息子の修平さん。「息子と2人で、いろんなセミナーに参加していました。修平は、自分のことよりも相手の気持ちを優先する子でした。中学の頃から音楽に興味を持ち、高校の時には校内の合唱コンクールの曲を作曲しました。高校卒業後、1年間ホテルのフロントで働き、大阪の音楽の専門学校の入学金を貯め、家を離れて一人暮らしを始めました。学校とバイトを両立しながら作詞作曲の勉強をし、自作のCDを自費出版し、ニコニコ動画にも投稿していました。何事にも一生懸命で、真面目すぎるくらいでした。家では妹思いの優しいお兄ちゃんでした。私にとってかけがえのない愛息子でした」

──ご活動は、息子さんの死がきっかけだったそうですね。

祖父江:
実は今日(取材日の3月15日)は、息子の修平の、生きていたら33歳の誕生日なんです。

修平は2014年、突然倒れて亡くなりました。あまりに突然で、受け入れることができませんでした。泣くことしかできず、「私が息子を殺したんだ」と自分を責め続け、心の病気なりました。3年半ほど引きこもり、食事も喉を通らず、体重は40キロを切りました。自分は生きる価値がない、生きる意味がないと自分を苦しめることばかり考えていて、何度も自殺を図りました。

──そうだったんですね。

「育児放棄した母猫から保護した生後3日目の子猫です。早産だったこともあり体重は60gしかありませんでした。自分でおっぱいを吸う力も無く、カテーテルを胃に通し直接ミルクをあげています。2時間毎にミルクをあげています」

祖父江:
そんな時に、飼っていたペットのかかりつけの動物病院の先生から、へその緒がついた猫の赤ちゃんの飼育を頼まれたんです。

当時、自分の身の回りのことさえできませんでしたが、生まれたてのこの子はミルクをあげなければ死んでしまう。「死」に対してすごく敏感になっていたのもあって、自分はご飯を食べられなくても、とにかくこの子のためにと2時間おきにミルクをあげて、自分のことや他は何もできなくても、この子のお世話だけできたんです。

生後2ヶ月の子猫が寝ている姿。安心してリラックスしている様子が伝わる

祖父江:
息子が亡くなってから、自分が生きている意味がずっとわかりませんでしたが、この子を育てながら、猫の命への責任感とお世話をすることの意義に、「生きる価値があるのかもしれない」と、生きがいのようなものを感じることができたんです。

幸い里親さんが見つかり、その後は名古屋の動物愛護センターのミルクボランティアをしました。猫と触れ合う中で、自分も元気でいなければならない、動けなければならないと、私自身も少しずつ食事がとれるようにもなり、前を向けるようになっていきました。

ゴロンと横になり「撫でて〜」とアピール

──そうだったんですね。ミルクボランティアからなぜ、ひだまり号のオープンに至られたのですか?

祖父江:
ミルクボランティアは、生後2ヶ月ほどで愛護センターに猫をお返しします。
そこで里親探しをするのですが、どんな里親さんに引き取られたのか、その後どう過ごしているのかは、私にはわかりません。それが寂しく感じました。
お世話をした子たちの、元気な成長ぶりが見たい。そう思って、ひだまり号を立ち上げたんです。

左「クルちゃん」右「ぼっくん」。「クルちゃんは右後ろ足が粉砕骨折した状態で保護されました。歩けるようにはなったけど足を少し引きずるような歩き方になってしまいました。ぼっくんはFIP(猫伝染性腹膜炎)になってしまい、毎日注射による投薬治療を行い見事寛解しました。そんな2匹を快く『うちの子にしたい』と言ってくれたのが、ひだまりに週4で来てくれているボランティアさんです。先にクルちゃんを譲渡し、後からぼっくんを譲渡したのですがすぐに打ち解けて仲良く遊んでいるそうです。2匹とも仲良くお散歩している写真です 」

中古バスを買って改装、カフェをスタート

週4で猫のお世話のためにひだまり号にやってくるボランティアさん。「ボランティアさんがこうやって遊んでくれることで、より人懐っこい子たちになります」

──バスを改装してカフェにされたというのもユニークですよね。

祖父江:
最初は建屋を建てるつもりで、見積もりをとりました。するとものすごい金額で、主人に見せると「そんなお金がどこにあるんだ!」って。その頃、主人は長距離も走る運転手の仕事をしていて、2階建バスとすれ違うことがあったんです。
それでふと、「2階建てバスだったら、家の駐車場にも置けるかもしれない」と。サイズを調べてみたら、やはりちょうどぴったりなサイズだったんです。

富士山の麓の中古バスの専門店へ行き、「こういう中古バスが入ってきたら連絡ください」と伝えて、今のバスを購入しました。確かに建屋を建てるよりは安かったのですが、長く走った後の中古車ですし、内装などにもお金がかさみ、最終的には結局、建屋を建てるのと同じくらいかかってしまったのですが‥(笑)

「ひだまり号には、小学生から高校生のキッズボランティアさんが7人います。皆、ひだまりに遊びに来た時にボランティア募集のチラシを見て、帰り際に「ボランティアやりたいです」と申し出てくれました。長い子は、ひだまり号がオープン時ぐらいから参加してくれていてもう4年になります。時間がある時は、バスの接客も手伝ってくれたりしています」

祖父江:
でも、バスでよかったこともあります。
カフェが市バスのバス停のすぐ横にあるので、市バスの運転手さんが来てくださったり、バスおたくの方が来てくださったり。バスならではの交流があります。

──いいですね!

祖父江:
里親が見つからなかった場合、その子が亡くなるまでの面倒を見るとなると、最近は20年ほど生きる子もいるので、自分の年齢を踏まえて引き際も考えなければいけません。後継がいるわけでもないので、どこかの段階では、猫を新しく迎え入れるのはやめて、今いる子たちの里親さんを探すことに専念しようと思っていますが、その時ぐらいまではこのまま、同じバスでやっていけそうかなと思っています。

「不治の病として知られていたFIP(猫伝染性腹膜炎)の治療で、薬を注射にて投薬している様子です。84日間、毎日同じ時間に注射をしなければいけません。しかしこれを乗り越えれば、ほぼ100%死に至る病気といわれているFIPも寛解することができます」

「猫を飼いたい」。
生前の修平さんの言葉に、背中を押されて

「殺処分を限りなくゼロにする運動に役立ててほしい」という川島なお美さんの遺志をもとに設立された「川島なお美動物愛護基金」の「川島なお美動物愛護賞」。「川島さんの夫でありパティシエの鎧塚俊彦さんが、私たちの活動を知って、お客様としてひだまり号に遊びに来てくださり、『エンジン01動物愛護 ワンダフル・パートニャーズ賞』に推薦していただき、受賞いたしました」

祖父江:
今、保護猫カフェひだまり号の別館として使っている自宅の3階は、修平の部屋があった場所です。
部屋で倒れているところを私が発見したのですが、3階に行こうとするとその時の記憶がフラッシュバックして吐き気やめまいがして、長く3階に行くことができませんでした。
でも、息子の荷物をすべて片付けて、猫たちのキャットタワーやケージを置いてから、3階に上がらないと猫のお世話ができないので、3階にも上がれるようになりました。

命の重さは、それは人間であれ動物であれ、変わりません。
殺処分をなくしたいし、病気などで苦しんでいたら、助けられる命は全力で助けたいと思っています。

──修平さんは今の様子を見て、なんておっしゃるでしょうか。

祖父江:
あの子は、楽しんでいると思います。「かわいい、かわいい」と言っていると思いますね。

実は修平は亡くなる前、「自分の部屋で猫を飼いたい」と言っていました。
修平はボーカロイド(音声合成技術)で曲を作ってCDを出していたので、「猫がパソコンの上に乗って、仕事にならないよ」なんて話したら「それでも飼いたいんだ」って。
亡くなってから、娘が「お兄ちゃん、あんなに猫を飼いたがっていたから飼ってあげてよ」と言われて、今はひだまり号の猫たちのほか、家猫として2匹、犬2匹と暮らしています。

生前の修平さん。家族で岐阜のスキー場を訪れた際の一枚

保護猫のフード代や猫砂、医療費…。
出費が課題

多頭飼育崩壊の現場から保護された「アトム」。「引き取った時のアトムは痩せていて、小さい頃にひもじい思いをしていたからか、骨格が小さくこじんまりした猫でした。子猫たちの面倒を見ているうちに、避妊手術したにも関わらずお乳が出る様になり、子猫たちはアトムのお乳を吸っていました。引き取りから1年半程たった頃、大学生のお姉さんに気に入られ彼女の家族に迎えられました。アトムは『おもち』と名前を新たに、今、幸せに暮らしています。アトムの実話を絵本にして出版しました」

──コロナ禍でのカフェの運営もとても大変だったのではないかと思うのですが、一方で保護した猫たちの毎日のフードや猫砂、病気がある場合は医療費などもかなりかかっていると思うのですが、どのようにやりくりしていらっしゃるのですか。

祖父江:
4年前にカフェをオープンしてすぐは集客もありましたが、それでもカフェの利益と譲渡の時に里親さんからいただくお金で、なんとか猫たちのお世話ができるかなという感じでした。
コロナになってからはカフェの席数を半分にして営業しているので、収入も当然減りました。とはいえお世話している猫たちの数は変わらないので、正直厳しく、毎月赤字の状態で、貯金を切り崩しながらなんとか回しています。

とはいえこれからも、ひだまり号のことを気にかけ、大切に思ってくださる方たちの気持ちに応えられるように、これからも真摯に、愚直に猫と向き合い、心血を注いでいきたいと思っています。

──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。

祖父江:
チャリティーは、保護した猫たちのお世話に必要な資金として活用させていただきます。
ぜひ、応援していただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(「ひだまり4周年の記念に、日頃協力してくださるボランティアスタッフとお祝いをしました!この先のひだまりが猫の幸せを作って行けるようにと願いを込めて、名古屋市にあるパティスリー『パティスリールルット』さんが作ってくれたケーキとドリンクでお祝いです」

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

そっと寄り添い、時に励まし、時に癒し、私たちを笑顔にしてくれる猫。猫にどれだけ助けられたか、 猫にどれだけ救われたか。猫がくれる果てしないパワー、愛情は、私もミヤとタミと出会って日々、感じていることです。

インタビュー日が偶然にも修平さんの誕生日とお伺いし、猫好きだったという修平さんがつないでくださったご縁なのだなととても嬉しく思いました。ぜひ一度、カフェにも訪れてみたいです!名古屋駅から公共交通機関で30分ほどの場所にあります。お近くの方は、ぜひ!

・保護猫カフェひだまり号 ホームページはこちらから

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【2023/4/24~30の1週間限定販売】
愛らしい表情の猫をリアルなタッチで描きました。リラックスしてあくびをする穏やかな猫の表情を繊細なタッチで描くことで、猫が穏やかに、幸せに生きる様子を表現しています。
“Meow it’s me!(ニャー、僕をみて!)”、という言葉を添えています。

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