CHARITY FOR

犬や猫、人間同士も、互いを尊重できる、成熟した社会を〜NPO法人もふっこひだ

劣悪な環境下での飼育、虐待や飼育放棄、多頭飼育崩壊…。
犬や猫をはじめとするペットのさまざまな問題が取り沙汰されています。

「その背景には、そこに置かれた人が抱えている問題がある。身近に生きる犬や猫を幸せにするためには、人もまた幸せである必要がある」と話すのは、今週コラボするNPO法人「もふっこひだ」代表の袈裟丸聡美(けさまる・さとみ)さん。

「人間が原因で起こるさまざまな問題が、立場の弱い生き物、また立場の弱い人たちを厳しい状況に追い込んでいる事実がある」と指摘する袈裟丸さんは、メンタルケア心理士の知識を生かし、地域の民生児童委員としても活動しています。

「もふっこひだ」は、岐阜・飛騨高山を拠点に、犬猫の問題を切り口に、支援を必要としている人とつながり、必要があれば福祉などの専門窓口につなぎながら、問題の根本的な解決を支援する活動を続けてきました。

活動の背景にあるのは、袈裟丸さん自身が10年間うつ病を患った経験と、その時に救ってくれた、家族だった犬猫たちの存在だといいます。

活動について、お話を聞きました。

(お話をお伺いした袈裟丸さん)

今週のチャリティー

犬と猫の相談室 NPO法人もふっこひだ

岐阜県飛騨地方を中心に、犬猫や家庭動物の飼育相談、里親探しの手伝いを通じて、温かい「地域」と「家族」が育まれるよう活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/03/13

家庭や地域にまつわる身近な動物の相談を受け付け

(「一人暮らしの高齢女性が刑務所に入ったことで、弁護士さんより依頼がありました。窃盗症でした。彼女にとって、信頼できるのは猫だけ。飼い主のいなくなった大きな家に、4匹の猫が不安げに待っていました。文通を重ね、出所してからはお会いするようになりました。窃盗症は病です。行政に対してはかたくなでも、同じ猫仲間として付き合ううち、彼女の寂しさが痛いほど伝わり、私だけは味方でいようと決意しました。猫たちはいったんお家に帰し、彼女が限界になった時には引き取るつもりでいます」)

──最初に、団体のご活動について教えてください。

袈裟丸:
家庭や地域にまつわる、犬猫をはじめとする身近な動物に関する困りごとの相談を受け付けている団体です。

動物の問題が活動の切り口ではありますが、背景にあるさまざまな問題を包括的にとらえ、「人の福祉」と一直線上にあるものとして捉えています。相談を受けて、必要だと判断した場合は動物を保護しますし、各専門機関や行政とも連携して、相談者さんを福祉サービスなどにおつなぎすることもあります。犬猫の問題に限らず、その背景にある課題の根本的な解決を目指しています。
また、動物はモノではない、という考えのもと動物自身の福祉をも重要な事柄とし「動物愛護」ではなく、「動物福祉」と表現しています。

(高山市役所大会議室にて開催された譲渡会&相談会の様子。「普段は個別で電話相談の上、現場に訪問することがほとんどですがなかなか勇気がいるものです。譲渡会では、もっと気軽に相談できる場を提唱しています」)

──具体的に、どのようなことでしょうか。

袈裟丸:
たとえば「もう飼えない」「不適切飼育がある」などの連絡をもらった時に、飼い主さんによくよく話を聞いていくと、職を失った、病気をした、離婚した、家族の介護、引っ越したなど、飼い主さん本人の環境に変化があり、混乱の中にあることが少なくありません。

相談に乗って解決できることもあれば、やはりどうしても難しいということもあります。「どうしようもないから、犬猫は殺処分対象になるしかない」ということは避けたい。私たちが目指すところは、「一緒に問題を解決すること」。お話を聞きながら問題の根本を探り、公的機関とも連携して福祉の面でも支援します。その方や家族の環境を整えることで、犬猫がより良い環境で生きられるようにお手伝いしています。

(「相談では、できる限り現場を見ながら対策を考えます。保健所から依頼のあった、生活保護世帯のヘルプ。とてもやさしい女性でした。周りに気を使いながら、それでも不憫な猫の親子を放っておけず、悩んでおられました。今の日本では、行政担当者がどんなに同情しても助けられない仕組みになっています。国が整うまでは、何とかしなければ、苦しむ人や生き物がどんどん増えてしまいます」)

身近な動物の問題の背景には必ず、
人間関係や個人の抱える事情がある

(保健所から相談のあった現場にて。「亡き兄の形見の猫と家を引き継ぐため、実家に戻られた優しい一人暮らしの男性です。しかし周りからは行政に『苦情』として持ち込まれ、『指導』の名のもと、責められ続けていました。広い敷地と増えた猫、彼が引き継いだ時にはすでに、個人で何とか出来る範囲を超えていたのに。猫好き仲間として訪問、数年かけて50匹近い猫の不妊手術、ようやく落ち着いたかに見えた時、彼は病に倒れました。行政に責められ続けてきた結果、彼は受けられる福祉を申し込むことさえ怯え、家は荒れてしまいました」)

袈裟丸:
犬猫をはじめとする動物の問題が、それだけで起きているということはまずありません。そこには必ず、人間関係や個人の抱える事情、精神的な不具合などの背景があります。

人は皆、「やさしい関係に身を置きたい」という本能を持っています。それが外の人間関係で作れなかった時に、犬や猫を相手に無意識下に自分の中で作ろうとしてしまうことがあります。でも、それは管理能力とは別物なので、世話できない数の動物を飼ったり、結果的に放棄してしまうことも起きます。周囲に馴染めず、孤立して生きている人が、動物に依存してしまうのも当然で、精神的な問題を抱えていたり、知的障害や発達障害、高齢で認知機能が衰えていたりして、十分な判断ができないこともあります。

──なるほど。

(保健所からの依頼があった現場にて。「当初は多頭飼育の問題と聞いていましたが、説明に気になる部分があり、市役所福祉課や社会福祉協議会などと一緒に訪問。知的障害のある人たちが身を寄せ合って暮らしているうえで不具合が起きていることがわかりました。
4畳半に20匹の猫。糞尿がうずたかく積もり、原型をとどめない室内。割れてガラスのない窓は段ボールでふさがれ、真夏日なのに全く換気もできない状態でした。劣悪な環境の中、猫は生まれては亡くなり、その亡骸の処理もままならない…。20年以上の間、周りは気が付きながらも手を付けられなかったといいます。猫好き視点からお話し、不妊手術を皮切りに、もふっこひだメンバーと有志で清掃を行いました。猫たちはひどい皮膚病や栄養不要、メスはことごとく子宮に重い疾患を持っており、そのまま戻すのは虐待と考えすべて引き取り。猫以上にひどい状態で、地域からも疎まれてしまっていた当事者たち。これぞ福祉の出番です。現在は改善に向け、少しずつ各分野の方が努力を続けてくれています」)

袈裟丸:
生き物をかわいいと思うと、幸せを感じますね。それは私たちの身体の持つ反応です。普段の生活の中ではあまり幸せや心地よさを体験できなかった場合、たとえば「暖かい」「おいしい」といった感覚と同じように、動物に触れて「ふわふわで気持ちいい」「かわいい」となると、またその幸せな反応を得たいと思う。
「きちんと飼う」という責任が果たせればそれで何も問題はないのですが、そこには至らず「幸せな身体の反応がほしい」ためだけに動物を飼ってしまうことが問題です。

ただ、すでに問題だといわれる人に対して批判や指導をした場合に、逆効果になってしまうことがよくあります。犬猫のことだけでなく、背景にある問題を注意深く探り、もし支援が必要なのであれば、手を差し伸べることが大切なのではないでしょうか。

(もふっこひだの活動拠点である飛騨高山は北アルプスのふもと、冬は北海道並みの寒さになる。「9月、山奥のダム湖のさらに奥の峠で、一匹の黒猫が発見されました。自力では麓に降りられない場所を選んだ、明らかな捨て猫。発見者の車を鳴きながら追いかけてきた…そんな人恋しい性格。たくさんの人が探しに行ってくれました。でも、手からご飯を食べるほど近くまで来るのに、捕獲器にはどうしても近づかない。苦い記憶があるのでしょう。あらゆる手を尽くして通いつめること2か月、峠は冬季間閉鎖に。それでも反対側からでも何とか上って12月雪が降るまで探し回りました。でも、ついに助けることはできませんでした。
人を信頼していたであろうその彼を、こんな残酷な方法で亡きものにしようとする卑劣さに、心の凍る思いでした。猫は山では捕食対象です。人のいる地域でしか暮らせない。道路で人を待ち続けながら、野生動物から逃げながら、彼はどんな思いだったでしょう。最も残酷な殺し方、それが遺棄です。軽い気持ちで山や川に捨てる人が後を絶ちません。そんな野蛮な国であること、先進国とは名ばかりの情けなさ。『遺棄は犯罪』とは環境省が出しているポスターの標語ですが、周知されていません。できる限り設置を進めていますが、行政の本気もほしいと心から願っています」)

「同じ動物好き」として
対等に関わっていく

(天井裏から保護された子猫。「猫たちの出入り口になっていた隣の建物が取り壊され、母猫が子猫のもとに行けなくなってしまいました。残された子猫が数日間鳴き続け、家主さんが心配されての依頼でした。知恵を絞ってようやく保護した時、栄養不良や脱水症状、目は膿でふさがり、鼻水でぐしゃぐしゃの顔は痛々しい状態でした。寒さの中、命がつながったのが奇跡。心配してくださったおじいさんとおばあさんは泣かんばかりの喜びよう。1匹に心臓病が見つかりましたが、家族に恵まれた子もいて、幸せになっています」)

袈裟丸:
猫の多頭飼育崩壊で介入したあるご家族がいます。
いわゆる機能不全家族で、ご両親は40代、二人ともお仕事はされているのですが、「好きなことだけをしていたい」という、大人になりきれていないタイプでした。二人のお子さんは、小学生の頃から不登校で、成人になった今でも引きこもりがちです。

ご両親は子猫が好きで、とにかく家に連れてきてしまう。でも、好きなのは小さな時だけで、大きくなると興味を失い、猫たちを一つの部屋に閉じ込めて、少量のフードをばらまいておくだけだったようです。不妊去勢もしていないのでどんどん繁殖するのですが、与えられるご飯は少量で、かつ部屋の環境も悪い為、弱い子は亡くなり、その死体を他の猫たちが食べるという恐ろしい状況に陥っていました。

糞尿にまみれ、掃除もしていない部屋はにおいもひどく、猫の死体の片付けをしていたという子どもたちは、においが原因でいじめられて不登校になったようです。行政が何度かアプローチを試みたようですが、ご両親と接触はできませんでした。

このようなケースの場合、本来であれば精神医学的な視点から介入する必要がありますが、子どもの不登校以外に接点がありません。親が拒絶するとなおさらです。

──確かに。

(小雪が舞う12月、3日間鳴き続けているという通報で駆けつけたところにいた3匹の子猫。「深さ2メートル以上の生け簀跡。水浸しの冷たさに耐えきれず、細い木切れにつかまっていました。周りにはタヌキや猫の死骸が多数。出られず亡くなってしまったのでしょう。子猫が通りがかるような場所ではなく、明らかに遺棄です。はしごを使って何とか降り、子猫たちを救出、遺体もできる限り上げました。子猫たちは人馴れしており、飼われていたのは間違いありません。現場の過酷さと行為の卑劣さに、心つぶれる想い。でも、協力できるメンバーがいるからこそ、踏み込めるありがたさをも感じています」)

袈裟丸:
猫の問題を受けて、私たちが介入することになりました。
批判や否定をすると、そこで拒絶され、関係性は終了してしまいます。そうすると、猫たちを助けることもできません。
自尊心を傷つけないように、「うちも猫を飼ってるよ。猫、かわいいよね」という猫談義から入って、「どんな猫たちなの?」「どんな環境で暮らしているの?」と徐々に関わりを深め、「増え続けても大変だし、私たちが不妊手術のお手伝いをするけどう? これだけの数を個人で頑張り続けるのは大変だよね。今まで頑張ってくれてありがとう」とか「ごはんが足りていないようだったら、ペットフードを渡すよ」といったかたちで徐々に信頼してもらい、状況改善の意欲を高めていきます。

「同じ立場の、猫好きの仲間」という立ち位置で、「猫を好きでいてくれてありがとう」とその人の心のピュアな部分に焦点を当てて尊重します。どんなに不適切に見えてもその人なりの正義があったりするので、そこはしっかり受け止めます。認めてもらえて初めて、認めてくれた相手の話を聞けるものですよね。そうやって少しずつ関わりを持っていきます。ただ、ひとつの問題が解決したら終わりとは限らないので、困ったら気軽に連絡をもらえるような関係を持ち続けています。

(「初めて親子の猫を保護した時、衝撃を受けました。なんと細やかで愛情深いことか。犬も猫も、幼いうちに親兄弟と過ごすのはとても大切な社会勉強です。販売される場合、できるだけかわいい期間が長いように、早くから親と離して流通ルートに乗せます。その弊害の多さ、残酷さ、のちの関わりにくさに直結する大きな問題です。集団生活を基本とする犬は無論、単独と誤解されがちな猫も、安心安全な場所では仲間と寄り添い支えあっている姿が当たり前なのです。一匹で譲渡される場合、分離不安で体調を崩したり、なじめず戻ってきたり、性格が変わってしまったりすることも珍しくありません。彼らは人と同じように、心地よい、安心、怖い、寂しい…さまざまな感情を持った生き物です。『言葉がない=感情が無い』ではありません。感覚を心と呼ぶなら、純粋無垢な心をしっかり持っていることをわかってほしいのです」)

──そうなんですね。

袈裟丸:
このケースの場合、子どもたちが不登校になった時が問題発見のチャンスだったと思います。「子どもの不登校」だけを切り取ると、家庭が抱える全体的な問題は見えません。家庭の問題を包括的に捉えることがないまま、「本人がいきたくないんだから、意思を尊重して、いかなくてもいいよね」で終わってしまう。それでは本当のSOSを見逃してしまう、大変大きな問題だと思います。

犬猫の置かれた立場も同じです。さまざまなことが複雑に重なり合って問題が起きているのに、一つのことだけを切り取っても、根本的な解決にはつながりません。「動物の問題だけが単独で起きていることはない」ということは、そういうことなんです。

(亡くなる直前、散歩に連れていってもらい、笑顔を浮かべる犬。「ネグレクトの犬がいるという通報を受けて足を運んだ現場には、糞尿のうずたかく積もった外に、ほとんど身動きできないほどの短いリードでつなぎっぱなしの犬がいました。雨の日も雪の日も、酷暑の日もずっとそのまま。散歩も一切なし。糞を避け続けた鼻は、溶けてしまっていました。それでも幼いころ、今は亡きおじいさんに可愛がられていた経験から、人が大好き。通りがかる人を懸命に呼んでいました。終生飼育を覚悟で引き取った時には、14歳になっていました。ところが奇跡的に里親さんが見つかり、安心したのもつかの間、悪性リンパ腫が見つかったのです。里親さんはできる限りの治療を施して下さり、これ以上ない幸せを手にしました。でも、もう少しで1年という時、力尽きて天国に行ってしまいました。写真は、歩けなくなった彼を散歩に連れ出した時、最高にうれしそうな表情を見せてくれた、亡くなる2日前です。生き物にとって、愛情がどんなに重要なのか、改めて思い知らされる出来事でした」)

「気にしてくれる人だけに任せるのではなく、
社会全体で解決していくことが大切」

(地域猫活動にも力を入れている。「地域猫活動は、もともと地に着いた生き物である猫と今後もうまく共生していくために考えられた方法です。不妊手術をして一代で終わる命を大切に共に過ごす。何よりも地域の理解を得ることが必要ですが、現実はなかなか難しいことがたくさんあります。でも、活動を始めた10年前と比べると格段に理解が進み、門前払いだった行政も重い腰を上げ始めました」)

袈裟丸:
起きている出来事の表面だけを切り取って「誰が悪い」「何が悪い」と批判するのは簡単です。でもそのような風潮が、一方でうまく生きられない人たちをより窮地に追いやり、動物たちが犠牲になるような社会の歪んだ構図を助長していると感じています。

動物たちの命をその時は救えても、人の抱えている問題が解決しなければ、また同じことが繰り返されてしまいます。動物にかかわる人の根本的問題を包括的に見ないことには解決しないにも関わらず、相談事業をメインで行う動物愛護団体はまだ、ほとんどないのが現状です。

──そうなんですね。

(公民館での譲渡会。「室内では猫が、外のテント下では犬が、新しい家族との出会いを待っていました。最初の頃は、室内に動物を入れるのはなかなか許可が下りないことが多かったのですが、市役所会議室を使わせていただけるようになってから、徐々に変わっていきました」)

袈裟丸:
私たちは地域猫活動(地域の飼い主のない猫の不妊手術を行い、一代で終わる命を大切に、地域で暮らせるように管理していく活動)にも力を入れています。猫というのは元来ずっと人の近くで、人の生活と密接にかかわりながら進化してきた生き物です。。

開発や住環境(建物や住まいのあり方)の変化によって、猫たちの食料や居場所を奪ったのは人間ですが、それでも猫たちは、地域で生きていかなければなりません。
地域の猫のことを気にかけ、手を差し伸べてくださる方が、「あそこの家が餌をやるせいだ」とか「あそこの猫がうちの庭を横切った」「庭に糞をされた」と犯人扱いされたり、下手すると被害届を出されるような、おかしな事態が起きています。

(もふっこひだオリジナルキャラクター・猫の「花ちゃん」。花ちゃんは、もふっこひだのメンバーさん自作の着ぐるみ。譲渡会などのイベントで活躍中)

袈裟丸:
以前、これ以上猫たちが増えて嫌われないようにと、費用を個人で負担して、近所一帯の猫に不妊手術をしてくださった方がいました。でも、すべての猫が手術できたわけではありません。新しく生まれた子猫が見つかった時、その方はどうしたか…その子猫たちを川に捨てに行ってしまったんです。

──ど、どういうことですか?!

袈裟丸:
優しい方がなんとかしようと精いっぱい頑張ったのに、その後も管理を続けていたことで、周囲から責任を追求され、批判を受けて限界を超えると、そうなってしまうんです。

別の地域でも、「あの家が猫の面倒を見ているから、あの家の猫に違いない」と猫の死体を家の前に置かれたり、「あの家が面倒を見ているであろう猫がうちの庭に糞をした」と、わざわざ家からごみを持ってきて、家の前に置かれたり…。聞いていると、やりたい放題です。もはや大人のいじめの世界です。

(数年に1度の大掛かりな町おこしイベント「こだまーれ」。「堅い啓発活動だけでなく、縁日や着ぐるみたちとの触れ合い、ステージイベントもあります。同時開催の犬猫譲渡会やしつけ相談にはお客様があふれていました。写真は市内の公共施設にて、もふっこひだの単独イベントとして行った感謝祭です。保育園や小学校でもチラシを配布していただき、大成功でした」)

袈裟丸:
猫に不妊手術をする、それだけでは不完全です。しっかり餌をやる(ゴミあさりをしないため)トイレを管理する(糞尿被害回避)居場所の確保(入り込み回避)が、セットとなって初めて地域に受け入れられやすくなります。
でも、それを実行しようとすると、批判の的になり疲弊してしまう事案が後を絶ちません。

なぜ、猫のことを気にかけ、手を差し伸べてくださった方が、全責任を負わされて、槍玉に挙げられるのでしょうか。
この問題は個人で完遂するには限界があり、犯人探しをして個人を批判している限り、問題解決はおろか、地域の分断や孤立をさらに深めることにしかなりません。これは、世の中を急激に変えた副産物であり社会の問題として、まずは行政がしっかりと認識していく必要があります。そして社会システムが抱えた歪みを、「やさしい誰か」に押し付けるのでなく、皆で解決していかなければなりません。

(もふっこひだの猫たちとは、山市の古い町並みの中、桜山八幡宮表参道にほど近い場所にある譲渡型保護猫カフェ「猫の月さくらやま」でも会うことができる。「古民家を改装して作られた、とても風情のある落ち着いた雰囲気のカフェは、オーナーさんの猫の魅力を伝えたいという思いから作られたお店です。猫たちは昼間は高低差のある広いお店で自由に遊んで、夜はバックヤードでゆっくり休むことができるようになっています」)

「命は皆、同じく等しい。同じように尊重されるべき」

(高齢や持病などで里親を見つけることが難しい30匹ほどの猫たちを自宅でお世話している袈裟丸さん。「猫は、縄張りや関係性が難しいとされています。確かに食料が少なく、居場所も限られている環境ではそうなりますが、安心して暮らせる場所では、穏やかにルールを守って暮らす知的な生き物です」)

──袈裟丸さんは、犬猫の保護の一方で、なぜ「人の相談」に力を入れているのですか。

袈裟丸:
人間同士、犬や猫、野生の生き物でも、その命や存在が虐げられたり軽んじられたりすることに幼いころからとても違和感をもっていました。

皆、それぞれに持って生まれた性質や、環境などの影響があって、「がんばる」なんて単純なことではクリアできない現実的な能力の違いがあります。命は平等でも、能力は違います。能力に恵まれたものが、全体を考えて行動しなければ、平和や安らぎが得られる社会にはなりません。

袈裟丸:
社会にあるさまざまな問題は、それぞれ異なっているようで、人間の中で生まれる、ひとつながりの大きな原因が背景にあるのではないかと思っています。

その解決のために、私はこの活動では「動物福祉」という視点で、民生児童委員としては「地域の安心」という視点で関わっています。どちらが優先とか重い軽いの差は無く、複雑に絡み合い、分かちがたい関わりのあるものだと考えています。そしていずれも、人の心のありようや置かれた環境から、問題に発展することがある。そのために「人の相談」を大切にしているのです。

(2匹の猫と1匹の犬が、袈裟丸さんがしんどかった時を支えてくれたという。「とても大切な家族でした。そして彼らにとってもまた、同じなんだと改めて思いました。私が悩んでいる時、悲しんでいる時、彼らもまたとても悲しそうなのです。心配そうに、それでいて決して邪魔にならない距離でずっと見守ってくれている…それを実感しました」)

──なぜ、「平等、尊重」にこだわられるのでしょうか?

袈裟丸:
小さい頃から動物が好きで、「大きくなったら裏山を買い取って、行き場のない動物たちを集めてお世話したい」という夢を持つ、変わった子でした。社会人になって、動物保護団体の会員になったりはしていましたが、この活動の根幹を成す「人が幸せでなければ動物は幸せになれない」という意識は、かつて10年間、うつ病を患った経験からです。

きっかけは高齢の両親の介護と、病弱だった幼い子ども2人の子育てが重なったこと。単身赴任の夫は、数か月に1度しか帰れませんでした。要領よくこなせるタイプだったはずなのに、頑張っても頑張っても行き詰まり、ついに動けなくなりました。そして、母思いの長女は不登校に、次女は泣き言を言わない子になっていきました。

焦燥感と身動きできない身体、何より、大切な子どもたちの悲しそうな様子。希死念慮に襲われる中、黙って寄り添い続けてくれる2匹の猫と、不安な夜中に付き合ってくれる1匹の犬の暖かさ。彼らの命の重みがその体温を通じて、私に安心を伝えてきました。その重さは、人のそれと何ら変わることはなく、むしろ無垢な故にさらに尊いものと感じたのです。

──そうだったんですね。

私はたまたまラッキーで、今、こうやって話したり考えたり、行動することもできます。でも環境がひとつ違えば、あるいは能力にひとつでこぼこがあれば、助けてもわらないと生きていけなかったかもしれません。あるいは、いつ病気や怪我をして、そのようになるかもわかりません。人は誰しも老いていくという点では、皆、やがて弱者になります。

(袈裟丸さんがしんどかった時を支えてくれた2匹の猫。「猫はそっと寄り添いその体温と気配で、犬はその表情で、有り余る”情”を伝えてくる。彼らと人である私との差など、全くない。人との関係、社会に疲れ果てていた私にとって、純粋な”情”は、悲観的な考えに支配される心を整えてくれる”よりどころ”であったと思います」)

袈裟丸:
うつ病は、通院の車窓から事故死した猫を見たことで転機が訪れました。

必死につらい冬を生き延び、やっと春が来たとたん、何の落ち度もないのに亡くなってしまった…。世の中には、努力や理屈とは無関係に、理不尽なことや不幸なことが起きる。原因追求できることばかりではなく、ましては本人の責任などではありません。この経験が、「誰でも弱者になるし、弱者であるからこそ、その視点に立って考えない限り、解決の糸口は見つからない」という考え方になった気がします。

言葉の通じない生き物たちはなおさらです。身近な生き物や人の立場に思い至れる社会を作っておかないと、やがて自分に跳ね返ってくるでしょう。

(人に身を寄せ、甘えた表情の2匹。「彼らのいた環境は、2度の手術を必要としたその姿から想像できるようにひどいものでした。ようやく”信頼”を知り、幸せがあふれています。先入観を持たず、柔軟に、真摯に、無理と決めつけずにやってみる。すべての生き物が穏やかで優しい世界で生きることを望んでいることを、心に留めていたいものです」)

犬や猫、人同士も
互いを思いやり、尊重できる社会を

(「すさまじい多頭飼育崩壊現場から保護された猫たちの中で、一番最初に家族ができた節子さん。人馴れしていなくて、里親を希望される方に本当にいいんですか?と何度も伺ったくらいでした。そして数か月後、いただいた写真は、なんとも素敵な信頼と愛情にあふれるものでした。里親さん自身も猫と暮らしたいという長年の夢がかない、今まで人から見向きもされなかった節子さんにとっても、この上もない幸せがやってきました。保護した子たちが幸せになった姿、そして、最期の時まで共に暮らし旅立ったご連絡をいただいた時、心から良かったと思います」)

袈裟丸:
コロナ禍、夜中に一本の電話相談を受けました。
相手の方は泣いていて、「コロナで職を失った。実家に帰らなければならなくなったけど、自分が飼っている高齢の5匹の猫たちを、実家が受け入れてくれない。今、車の中で猫たちと一緒にいるけれど、1匹の具合が悪く、どうしていいかわからない」と。

聞くと、ご自身が大変な時に精神的に支えてくれた大切な猫たちとのことでした。「仕事がなくてお金もない。早く落ち着かせたいけれど、高速料金もない。手放すなんてとてもできない。もう死んだ方が良いんだろうか」と。すでに5日も車で過ごしておられ、電話からは大雨が車を打つ音が聞こえていました。

「とにかく、預けられるところを探しましょう」。一人にしてはいけないと、朝まで連絡を取り続けました。結局、下道で10時間ほどかけて実家に戻られ、「無事着きました」と連絡がありました。猫の居場所は不十分ですが何とか確保できたようでした。
何とか猫たちと一緒に、安心して新生活を始めてほしいと願うばかりでした。

(「最初は、パソコン作業のお手伝いのつもりで参加した保護猫活動。でも、現場はそんな状況ではありませんでした。乳飲み子育ては手探りで、夜中もずっと付き添いました。周囲の理解もなく、保健所も門前払い、保護依頼が来ても説明を聞いてくれるどころか、『引き取らないなら捨てる』『すぐ何とかしろ』と恫喝されるとこもありました。写真は、最初に手がけた乳飲み子です。兄弟で譲渡後、完全室内飼育を守ってもらえず、2年も経たず2匹とも事故死してしまいました。今でも、その道を通ることができません。たくさんのつらいことや後悔、それらの蓄積で今があります。絶対に譲れないライン、それは単なる理屈ではありません」)

袈裟丸:
「最後まで面倒をみられないんだったら、最初から手を出すな」という、まことしやかにささやかれる言葉があります。でも私は、そうやって相手を責めるのはおかしいと思います。目の前に消えそうな命があった、思わず手を差し伸べてしまった、素敵なことですよね。

関わりもしない第三者が、表面だけを切り取って批判することこそ無責任です。その場その場で、その人がとった精一杯の行動を「ありがとう」「よくがんばったね」と言えて、その次の一歩を一緒に考え、力になれる社会であってほしい。
人同士、あるいは犬や猫も同じですが、互いを思いやり、否定ではなく尊重できる社会であってほしいと願っています。

(犬の保護団体「サンタの家」の皆さんと。「サンタの家さんとは、長年協力して活動しています。私たちの保護は猫が圧倒的に多いので、犬専門の団体さん、特にベテラン訓練士さんがいるサンタの家さんは、とても心強いパートナー。いつも明るく頼りになり、いろんな相談をしています。イベントや、飛騨地域に向いた犬の紹介、咬みつきなど問題行動の指導など、信頼できる関係はありがたいですね」)

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

(訪問ペットシッターも行っている。「訪問ペットシッターは、猫や犬のお世話やお散歩などの代行をするものです。元々、病気や高齢、認知症などにより、飼い犬や猫のお世話がままならず、不適切飼育になってしまっているご家庭の援助を目的として考えました。環境を整えないと、介護ヘルパーさんをお願いすることもできない、というご親族からの相談が相次いだのです。同時に留守の際、ペットホテルへ預けられないシャイなタイプや、高齢犬猫、投薬が必要などの依頼も増えています。一人で抱え込まず、支えてもらうことで犬猫を負担に思わないでほしいと願っています」)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

袈裟丸:
さまざまな状況から保護し、命をつなげることができた犬猫たちが、次こそは幸せなご縁を結べるように、あるいは高齢だったり持病があったりして里親さんが見つからなくても、生涯安心して過ごすことができるように、適切な医療や飼育環境を提供したいと考えています。また猫の繁殖問題については、不妊手術とアフターフォローを提供しています。
今回のチャリティーは、こういったことに活用させていただく予定です。ぜひチャリティーアイテムで応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(2020年11月に開催した「犬猫譲渡会&感謝祭」にて、メンバーの皆さんと。「コロナウイルス感染症が猛威を振るっている最中、規模を縮小して実施しました」)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

飼育放棄や多頭飼育崩壊…、問題の背景に何があるのか、そこを包括的に捉え、人の福祉の面からも支援するというご活動。袈裟丸さんのお話は「なるほど」と思うことがたくさんありました。安易に動物を飼わないように免許制にすべきという声、とはいえ誰もが簡単に命を購入できてしまう生体販売が依然としてあります。ただ、「なくなるまでお世話する」と思っていたとしても、何かをきっかけに突然それができない状況に陥ることは、誰も起こらないとは言い切れないのではないでしょうか。その時に支え合える社会が、人はもちろん、犬猫の豊かな暮らしにもつながるのだと感じました。

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【2023/3/13~19の1週間限定販売】
窓の外の星を眺める犬と猫。
温かな家庭で、人も動物も穏やかに、健やかに暮らす様子は、同じ惑星に生まれた命が、同じように尊ばれ、安心して生きられる社会への願いを込めました。

“WHEN YOU ARE HAPPY, I AM HAPPY”、「あなたが幸せな時、私も幸せ」というメッセージを添えました。

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JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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