4月2日は「世界自閉症啓発デー」。
「実は身近にいるかもしれない、自閉症のある人のことを知ってほしい」という思いを込めて、今年も日本自閉症協会さんとコラボします。
今では幅広く、「自閉スペクトラム症」として捉えられることが多くなってきた自閉症。
一般的な認知も広がってきているものの、どのような特徴があり、生活の中で本人や家族にどんな困難があるのか、どのようなサポートが必要なのかという点は、まだまだ知られていません。
「私たちと何も変わらない、同じ世界を生きる一人の人間。変わっていると感じるところもあるかもしれないけれど、普通の人として受け入れてもらえたら嬉しい」。
今回は、自閉症の息子を持つお父さんである東京都自閉症協会理事長の杉山さん、自閉症の息子を持つお母さんである熊本県自閉スペクトラム症協会事務局長の福岡さんのお二方に、お話を聞きました。
(4月2日の「世界自閉症啓発デー」には、各地でブルーライトアップが開催される。写真は左から、青森県観光物産館アスパム、東名高速富士川SAにある大観覧車フジスカイビュー、東京タワー)
一般社団法人日本自閉症協会
自閉スペクトラム症の人たちに対する福祉の増進および社会参加の促進、広く社会に貢献することを目的に、自閉スペクトラム症のある人たちのより良い未来を目指し活動する団体です。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/03/06
(自閉症のシンボルカラーであるブルーにライトアップされた小倉城(福岡県)。癒しや希望、平穏を表すブルー。毎年200近い施設がブルーライトアップに参加し、各地の人たちの思いをつなぐ)
最初にお話をお伺いしたのは、NPO法人東京都自閉症協会理事長の杉山雅治(すぎやま・まさはる)さん(56)。息子の諒也(りょうや)さん(27)は自閉症で、中度の知的障害があります。
東京都自閉症協会にある部会「おやじの会」でも、精力的に活動してきた杉山さん。「自閉症のある子どもや家族が気楽に集まって楽しめる居場所を作りたい」と、2002年頃からおやじの会の仲間たちとキャンプやバーベキューを積極的に開催してきました。
幼い頃から外に出て、たくさんの人と出会う機会があった諒也さん。今でも長距離を歩いたり自転車に乗ったり、遠くに出かけるのが大好きなのだそう。自転車で、1日で120キロも移動することもあるのだとか。自閉症の子を持つ父親としての思いを伺いました。
(お話をお伺いした杉山さん(写真右)と、息子の諒也さん。「2021年の年末年始に、私の実家のある静岡に行った時に登った浜石岳の山頂にて。静岡に行った際は必ず、地元の低山登山を楽しみます」)
──諒也さんについて教えてください。
杉山:
息子の知的レベルは6〜7歳で、たとえば「お父さん、電車乗ります」とか「お散歩、行く」とか、2〜5、6語の単語をならべて自分の意思を伝えることができます。つたないながらも人と話をするのが大好きで、知らない人にも話しかけたりします。
自閉症という障害が少しずつ知られてきたこともあって、差別的な扱いは減りましたが、時折大きな声を出したり、人との距離感がつかめなかったりしてトラブルになることがあるので、一緒に行動するようにしています。
(諒也さんのコレクション、カービィのぬいぐるみと鍵でいっぱいの自分の部屋にて。「こうやって自分で作った鍵にキーホルダーを付けて、壁に飾っています。飾っているのはほんの一部。机の中にはこの数倍の鍵が大切にしまってあります」)
──こちらから話しかける言葉は理解していらっしゃるのですか。
杉山:
親が話をしている分には、かなり理解していると思います。家族はいつも一緒にいるので、自然に本人がわかるかたちで話したり指示したりすることができますが、そうでない方からすると、自閉症のある人がわかるように伝えるというのは難しいところがあると思います。
自閉症の人は、視覚や聴覚の情報をうまく処理して頭に伝えることが苦手なようです。たとえば、今私がこうやって面と向かって話をしている時、他で音がしても特に気になりません。正面で顔を見て話していると、周囲の様子は特に入ってこないし、印象にも残りません。だけどそれが、すべて同じような情報として一緒に入ってきてしまうようです。
(体を動かすことが好きな諒也さん。多摩川サイクリングロードをサイクリング。「自宅のある大師橋付近(東京都大田区)から、立川市にある昭和記念公園(約40キロ)、青梅市にある鉄道公園(約56キロ)に行くのが定番コース。1泊で奥多摩まで行くこともあります」)
杉山:
息子には聴覚過敏があるので、普段からイヤーマフをつけて生活しています。自宅の中はイヤーマフだけでも良いのですが、様々な音が飛び交う屋外ではそれだけではダメで、イヤフォンで好きな音楽を大音量で聴きながら、その上にイヤーマフをつけて外部からの音を遮断しています。
耳からの情報は非常に厳しいようで、特にくしゃみや咳のような突然出る大きな音が大嫌いです。私がくしゃみをしそうになると、あわてて耳を塞ぎます。
諒也は長男で、下に1歳下の妹と8歳下の弟がいます。妹がまだ1歳2歳の頃、彼女がくしゃみや咳をしたら、パニックをおこして彼女の髪を引っ張って暴れることがありました。それ以来、妹は「コンコンしてくるね」と別室で咳やくしゃみをするようになりました。物心がついたばかりの幼い娘に気を使わせるのは心苦しかったです。
(幼い頃の諒也さん。「5歳の時、自閉症協会東京都支部(現東京都自閉症協会)の高尾山ハイキングに参加した際の写真です。この当時は視線が合うことがほとんどなく、カメラ目線で撮れた貴重な一枚です」)
(毎年11月に開催される「おやじの会」のキャンプにて。「久しぶりに会ったボランティアのお兄さんとの2ショット写真です。大好きな人と会うと、必ずこのような2ショット写真を撮ってもらい、自分でコレクションしています」)
杉山:
諒也は外出が大好きで、とても人懐こい性格です。ただ、行動が衝動的で、気になることがあるとスッとすぐに手が出てしまい、何度かトラブルになったことがありました。
気になる人や、気になる女の子(特に気に入った髪型の子)に出会うと、近づいていって話しかけたり、手を握ったりしてしまいます。それで行きづらくなってしまったお店も何軒かあります。本人としてはストレートに思ったことを行動に移しているのですが、距離感が掴めず、相手をこわがらせたり怒らせたりしてしまうことがあるんです。
デジタルカメラやスマホのカメラで写真をとるのが好きなのですが、街中で気になる車を見つけて走っていって写真を撮ったら、運転手さんに「何を撮っているんだ」と怒られたこともありました。一見障害がわからないので、余計かもしれません。
──そうなんですね。
(「土日は自宅の前を流れる多摩川の土手を散歩するのが日常です。羽田付近から二子玉川まで歩いたり、東京駅まであるいたりと本当に歩くのが好きです。自閉症の人たちは散歩が好きな人が多いみたいです」)
杉山:
ただ、「どんな人か」を一度理解してもらえると、かわいがってもらえるところがあるようです。本人は、自分をわかって相手をしてくれる人が大好きです。
近所にあるメガネ屋の女性店員さんが好きで、お手紙を渡したり話しかけたりするのですが、その方は兄弟が自閉症だそうで、この障害のことをよく知っておられるんです。「今はお仕事中です」とか「あとで」と、自閉症の人が理解できるかたちで意思表示をしてくださって、ありがたいです。
怯えたり拒絶反応を示したりすると、本人は気になって気になって、ますますかまいたくなってしまう。そういうところがあって、余計に溝が広がってしまうというか、トラブルになるケースが多々あります。
細かい勘所をなかなかお伝えするのは難しいのですが…、本人は誰かや何かを傷つけようとか苦しめようという意図はないんです。ただ下手に抑圧すると余計に暴れて周りにも迷惑がかかってしまう時もある。どうにかそこがうまくできたらと思います。「自閉症の人にはそういうところがあるんだ」と知ってもらうことで、対応が変わってくるところもあるのかなと思っています。
(お母さんと2人で、ソラマチにある「カービィカフェ」へ。「小さなマイカービィも持ち込み、ご機嫌です」)
(通所している就労継続支援B型事業所にて、仕事中の諒也さん。屋内での軽作業の他、公園清掃もしているという)
──諒也さんのお仕事や趣味を教えてください。
杉山:
就労支援の事業所で、地元の企業から請け負った軽作業や区から請け負った公園清掃などをしています。楽しんでやっているようですね。音楽が大好きで、ロックから演歌、80年代から最近のアイドルまで、ジャンル問わず本当に何でも聴いています。絶対音感があるのかピアノも得意で、耳で覚えて弾くことができます。転調も自由にできます。
──ええ…!すごいですね。
今も発表会に向けて課題曲を練習していますが、人前で演奏して褒められるのは嬉しいようです。一番は好きな曲を、本人の好きなように弾くのが好きみたいです。
あとは、「星のカービィ」が大好きで、たくさん集めています。それから鍵ですね。昔から鍵が大好き。仲良くなった鍵屋さんから加工に失敗した鍵を譲ってもらったり、ブランクキー(削る前の鍵)を買ってきて、やすりなどの道具を使って自分でギザギザをつけたものを並べてコレクションしたりしています。
(中学1年生、初めてピアノ発表会。「レッスンを始めてから、わずか8か月でリチャードクレーダーマンの『渚のアデリーヌ』を耳で憶え、両手で弾けるようになりました。ピアノは今でも大切な趣味の一つです」)
──杉山さんは、おやじの会としても精力的にご活動されています。どのような思いがあられたのでしょうか。
杉山:
諒也が自閉症とわかってから、療育施設と自宅を往復するばかりで、それ以外で人と接する機会がありませんでした。
公園に行ってもお友達と遊ばず一人で黙々と砂場遊びをしているし、居場所がないんじゃないかと。そんな時に日本自閉協会東京都支部(現東京都自閉症協会)おやじの会に参加し、ある頃から会の代表をすることになって、おやじ仲間たちとキャンプやバーベキューを積極的に開催するようになりました。参加者は、多い時はボランティアの学生さん含めて120人以上になったこともありました。
おやじの会として20年活動してきて、同じような環境で子育てをする父親たちと、損得感情なく、あうんの呼吸で一緒にいられたこと、仕事だけではない仲間できたことは大きな財産です。
子どもの障害を抱えて悩む家族は少なくないと思いますが、私はこの場所があったおかげでため込まずにやってこられたし、息子も閉鎖的にならず、外に出て行く機会を作れました。幼いうちから積極的に外に出てくことは、家族にとっても本人にとってもとても大切だと感じています。
(「おやじの会」にて、おやじと息子たちだけのキャンプでの一枚。「神奈川県南足柄市の『夕日の滝』近くにある『sotosotodays CAMPGROUNDS』というキャンプ場です。発達障害の人達にも理解があり、いつも温かく迎えてくれます」)
──この記事を見てくださっている方へ、メッセージをお願いします。
杉山:
自閉症の人たちを、普通の人として受け入れてもらえたら嬉しいです。独り言を言ったり大きな声を出したりして、変わっていると感じるかもしれません。だけど何も特別な人ではなくて、たまたまちょっと障害を持っているだけ。
「障害者」と「健常者」の間にしっかりと線があるわけではありませんし、「障害者」だからといって、保護されなければならない、隔離されなければならない存在でもありません。
とっつきにくいかもしれないけど、私たちと地続きの同じ世界を生きる、一人の人間です。そう思ってくれたら嬉しいですし、付き合い方も変わってくるのかなと思います。
(「おやじの会」の冬のバーベキューにて。「私にとっては、かけがえのない仲間たちです」)
もうひと家族、お話を聞きました。
熊本県自閉スペクトラム症協会事務局長の福岡順子(ふくおか・じゅんこ)さん(57)は、三つ子のお母さん。三つ子の長男の知寛(ちひろ)さん(享年21)、三男の勇成(ゆうせい)さん(30)が、重度の知的障害がある自閉症を持って生まれました。
(お話をお伺いした福岡さん(写真左)と、三男の勇成さん。「毎回楽しみにしている、アミューズメントパーク『グリーンランド』へ。この日は強風で観覧車は大揺れ、勇成の表情はこわばっています。鞄につけたくまモンのヘルプカードはお守りで、外出時の必須アイテムです」)
──同時に3人のお子さん、そのうちのお二人に自閉症という子育ては、大変ではなかったのでしょうか。
福岡:
大変といえば大変でしたが、初めての子育てだったので「こういうものか」と言う感じでした。ただ確かに、日々の生活で子どものかわいさを実感したり、ゆっくり子育てを楽しんだりといった余裕はなかったです。
三つ子の真ん中の健常の子と比べて発育が遅いかなとずっと心配して経過観察していましたが、二人が自閉症だと診断されたのは、3歳検診の時でした。当時、自閉症という言葉はまだあまり知られていませんでした。聞いたこともない不可解な診断名がつけられ、身体的には問題がなく、知的障害ともまた少し違うらしい。
自閉症とは何なのか、図書館でいろんな文献を読みあさり、自閉症が脳の機能障害であることも初めて知りました。
(生後8ヶ月頃、ご自宅にて。「狭いリビングで歩行器に乗り、三人でぶつかりあっていました」)
福岡:
同時に、自閉症の原因を「親の育て方にある」とか「しつけがなっていない」と非難された時代もあったと知り、愕然としたことを覚えています。「なぜ、うちの子が」「三つ子のうち、一人ならまだしも、二人も?」「もしかしたら三人とも自閉症なのか」…。暗くて長いトンネルのように出口の見えない日々を過ごしていました。
──そうだったんですね。
福岡:
子どもたちの将来がいちばんの心配事で、どんなふうに育てていったらいいんだろうと思い悩みながら、身近に障害のある人もおらず、日々の生活は育てるだけで精一杯。
いつ朝がきたのか、いつ夜がきたのかもわからないような目まぐるしい生活でした。
(洗濯物たたみは勇成さんの日課。「家族のものは、決まった場所に置くのがこだわりです」)
(小学校入学の記念写真。「自閉症の二人は写真館をうろうろして、なかなか落ち着いてくれませんでした」)
福岡:
長男と三男で、自閉症のタイプが異なりました。
長男は多動で、気になるものがあるとすぐに走っていってしまう。家から脱走して迷子になることなんて、数えきれないほどありました。
三男はこだわりが強く、プラレールのパーツの一つが無くなろうものならパニックになって癇癪(かんしゃく)を起こし、夜通し泣いているような子でした。パーツがないと泣き止まないので、同じものを買いにいくために「早く朝が来てほしい」と思いましたね。
──大変だったんですね。
(アイロンがけをする幼い頃の知寛さん。「アイロンをコードレスにしてから、スムーズにできるようになりました。ちょっとの工夫と発想の転換で、いろんなことにチャレンジできるようなりました」)
福岡:
自閉症と診断を受け、療育施設に通い始めるのですが、そこで「これからの先のことを考えると、集団生活ができた方が良い」という話を聞いて、基本的なこと、椅子に座ることや座ってからもじっとしていること、普通であれば教えなくても当たり前にできるようなことを教えていくということが、すごく難しかったです。
私が二人に「座って」と言うと、おうむ返しにただ言葉を返すだけで、意味は理解していません。逃げ回る二人を追いかけまわして座らせる。かろうじて座っても、すぐに立ち上がってウロウロしたり部屋を出て行ったりしてしまう。とにかく必死でした。
──そのような中で、どのように教えられたのですか。
「ここに座って、10数えるまでは座っておこうね」というのですが、10という数字の概念もわかりません。本人たちの好きなキャラクターのお面を段ボールで隠して、一から順番に10まで数え、10になってキャラクターのお面が全部見えるようになるまで座っておこうね、といった工夫をしていました。そしてそれができたら、大げさに褒めたりお菓子をあげたり。
本人たちは「座っていると、何かいいことがあるようだ」と理解したようで、少しずつ覚えていきました。「継続は力なり」が身に染みたエピソードです。
(新型コロナウイルスの流行を伝える手書きのイラスト。「世の中で起きているコロナが何なのか?本人はわからず、毎日不安定でした。とりあえず、イラストで理解させてみようと家中の壁に貼りました」)
(養鶏の仕事をしていた頃の長男の知寛さん。誰にも邪魔されず、集中して卵を拾う)
──今、お二人はどうされているのですか。
福岡:
長男は21歳の時、急性心筋梗塞で突然亡くなりました。意思表示が難しい子ではありましたが、支援学校高等部を卒業後、理解のある事業所と出会い、養鶏の仕事をしていました。重度の自閉症でしたが愛嬌のある、みんなから愛されるキャラクターでした。
悲しみや寂しさを乗り越え、今では長男が残してくれたたくさんの思い出を、家族と笑顔で語らうことができるようになりましたが、三男は生まれてずっと長男と一緒でしたから、亡くなる意味が理解できず、2年近くは心が不安定で、そわそわした様子でした。本当につらい時期を自分で折り合いをつけながら過ごしていました。
(成人式、袴を着てポーズをとる知寛さんと勇成さん)
──そうだったんですね。知寛さんは養鶏のお仕事をされていたんですね。
福岡:
はい。多動でいつも動き回っているので、事業所の方に相談すると「体を動かすのが得意だから、放し飼いのにわとりの卵を拾うのはどうか」と。卵を拾うだけでなく、それを磨いてパックに詰めて、お客さんに届けるところまで同行させてもらい、「これは自分の仕事だ」と生きがいを感じているのが、彼の背中から伝わりました。
──重度の知的障害があると伺いましたが、どのようにそれを感じとられたのですか。
福岡:
卵を拾う時間になったら、かごや必要な道具をすべて自分で準備して持ってきたり、配達の時間になったら、言われる前に軽トラの助手席に座ったり。配達して代金をいただいたりお客さんの喜ぶ顔を見ることで満足げな表情が伺えました。労働の対価のお給料をもらっていることは理解できなかったと思いますが、そのお金で事業所のスタッフと日帰り旅行をするのが楽しみでした。
三男の勇成は、福祉事業所で食品パッケージのラベル貼りやダイレクトメールのポスティングなどをして10年になります。長男と違って、決められたことを決められた通りに、間違えず数をこなすのが得意。すごく真面目です。ここで社会とつながることができるし、生活リズムも得られています。
(作業所にて、チラシの折り込み作業をする勇成さん)
──勇成さんの職場はお近くですか。
福岡:
バスを乗り換えて1時間40分ほどです。周りからは無理だと言われましたし、心配もされました。実際に何度も何度もトラブルがありましたが、親の自己満足かもしれないけれど、あきらめずに「本人が、一人でバスで通う」ことにこだわりました。
──なぜですか?
福岡:
送迎を利用する、もしくは私が送っていくのは、やり方としては簡単です。でも、その時々で車窓から見える風景、季節の移り変わりや町の姿、一緒にバスに乗っている乗客の話し声…、社会と接点を持てるひとつの窓を取り上げ妨げてまで、それをする必要があるのかなと思ったんです。
常に誰かがそばにいる暮らしの中で、自分だけの時間は必要です。一人で過ごす心地良さ、それが大好きなバスであればとても素敵なひとときだろうと思います。慣れるまではもちろん支援が必要でしたし、利用するバス会社さんにも足を運び、「こういう子が乗ります。何かトラブルがあった時には、責任を持って対応します」と事情を話したりもしました。それでも何度もトラブルはあって、「いつ電話がかかってくるか」といつもヒヤヒヤしていました。
(勇成さんが小学校3年生から続けているバドミントン。「余暇の楽しみのひとつです。大阪で開催されたスペシャルオリンピックスの全国大会に参加、その経験が大きな力になりました」)
──たとえばどのようなトラブルがあったのですか。
福岡:
バスは天候や渋滞などで時間通りに来ないことも少なくないですよね。時間通りにバスが来ないと、パニックになって大きな声が出たり、飛び跳ねたり自分の頭を叩いたりします。
「もう少ししたら来るよ」となだめたり、好きな列車の絵本を見せて時間稼ぎをしたりしながら、地雷を踏まないように神経を擦り減らしながら、徐々に本人も「待てば来る」ということを理解していきました。
乗客同士のトラブルもあります。トラブル回避のためになるべく始発から乗せるようにしていますが、いつも自分が座るお気に入りの席に先客がいると「どいて」と言ったり、本人が傘を閉じようとして、前にいた人が「傘で頭を叩いた」とか…。
自閉症の人は、何の理由もなく誰かの頭を叩いたりはしません。「この子は自閉症です」と伝えはしますが、しかし乗客にとって自閉症なんて関係ありません。本人にも謝罪させて、ひたすら平謝りし続けるしかありません。社会での障がい理解の乏しさを幾度も感じます。
やっとなんとか慣れてきて、10年になりました。毎朝、すがすがしい表情で「行ってきまーす」と出勤しています。
(今日も、お弁当を楽しみに出勤!順子さんの用意したお弁当を包む勇成さん)
(家族のために料理の腕を振るう勇成さん。自分で育てた野菜でカレー作り)
──二人の自閉症のお子さんを育てられて、今の思いを聞かせてください。
福岡:
最近になってやっと、「こういう子育ても、まんざらでもないかな」と思えるようになりました。
本人たちにとってどうだったかはわかりませんが、日々の暮らしの中で、少しずつ成長が垣間見えて、それが大きな喜びです。以前は曇りの日でもビニール傘を持って出勤していたのが、曇りの日は折り畳み傘を持っていくようになりました。そういう小さな成長がすごく嬉しくて、「明日もまた、おいしいお弁当をつくって送り出そう」という気持ちにさせてもらいます。
意思疎通のしにくい自閉症の子育ては難儀なものでした。しかし言葉だけではなく、表情や行動を見ながら息子の気持ちを読み取るコミュニケーション方法は、今では私の特技になりました。
コロナ禍で行動が制限される中、近所の畑で菜園をはじめたんです。
三男は最初は目的も何も理解していませんでしたが、土を耕し、苗を植え、肥料や水をやって成長した野菜を収穫して、カレーやシチューなどの簡単な料理を作ってくれるようになりました。自分で育てたもので料理ができることを学びました。本人を見ていると、表情は淡々としていますが、家族が喜んで食べてくれることに喜びを感じているようです。
(農作業に精を出す。「農機具も使えるようになりました」)
福岡:
以前は私がごはんをよそったりカレーをかけたりしていたんですが、ある時から「自分でやりたい」というのを感じるようになって。「ただ作るだけじゃなくて、もてなすところまでやりたいんだな」と頼もしく感じました。
──お子さんたちの「自立」ということに向き合って子育てされてきたことが非常に伝わってきましたが、大変な子育ての中でそれをやってこられた、福岡さんのモチベーションは何だったのでしょうか。
福岡:
三つ子の真ん中、次男は健常児です。「この子に、二人の重度の障害児を背負わせてはいかん」というのがいちばん思っていたことかもしれません。
三人は何をするのもどこに行くのも一緒で、小学校6年間も同じ小学校に通いました。次男は兄と弟の障害のことで、周りからいろんなことを言われもしました。あの時は私も悔しくて歯がゆくて、気持も穏やかでいられなく、わんわん泣いていました。
その時に次男に言ったのは、「いつか二人のことを、自信を持って『僕の兄弟』と言えるようにするけん。もうちょっと待っとって」って。歯を食いしばり、二人の子育てにもう一段、ギアを上げて必死で頑張っていた頃です。
(コロナが落ち着き、やっと行きたかったディズニーランドへ。「目的は、この『リゾートライナー』。エンドレスで乗り続けます」)
──今、ご兄弟の関係はいかがですか。
福岡:
三男は次男のことを頼っています。たまに二人でランチに出かけたり兄弟で楽しむ時間もあります。
子育てを振り返ると、失敗もたくさんありました。挑戦してみて、「やっぱり無理だったね」ということもたくさんありました。むしろそっちの方が多いです。でもそれを数えるより、数は少ないかもしれないけれど、「できてよかったね」ということに目を向けられるようになると、みんなが幸せになります。
何を教えるにも時間がかかりました。
健常な子どもなら自然と身につくことも、ひとつひとつ手取り足取り、親子で戦いながら、自分を振るい立たせることも数知れずでした。支えてくれる方たちを見つけて、どんどん味方になってもらいました。
今、振り返って思うのは、自閉症の子どもを育てたからこそ見えた、いろんな景色があったなと。そう思わせてくれた子どもたち、支えてくれた主治医の先生、両親や兄姉へは感謝しかありません。子育てがひと段落した今、次は私が若いお母さんたちに「こういう人生も捨てたものではないよ」という気持ちを伝え、応援していきたいと思っています。
(熊本県自閉スペクトラム症協会のスタッフの皆さんと。「付き合いはかれこれ20年になります。気心知れた仲間は家族同然、なんでも語り合える大切な存在となりました。これからもどうぞよろしく!」)
(日本自閉症協会会長の市川さん(写真右)、事務局長の樋口さん(写真左)。「自閉スペクトラム症の人とその家族、そして周りの人たち、皆でしあわせに暮らせる未来を目指して日々活動しています」)
今回のコラボアイテムをご購入いただくと、1アイテムにつき700円が日本自閉症協会さんへとチャリティーされ、自閉症(自閉スペクトラム症)に対する周囲の理解を広げるため、保育士や学校の先生などに向けて、自閉症の理解を助ける動画や、子どもが自閉症の診断を受けたばかりの親に向けて、不安を軽減したり気持ちをケアする動画を制作するための資金として活用されます。
ぜひ、チャリティーアイテムで応援してください!
(日本自閉症協会副会長の石井さん(写真右から二人目)と、スタッフの皆さん。今回のコラボデザインアイテムを早速身につけてくださいました!「私たちの活動がすべての人々が笑顔で過ごせる生きやすい社会につながることを願い、今日も笑顔で!」)
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
日本自閉症協会さんとの3度目のコラボ。前回のコラボに続き、今回も二家族にお話をお伺いしましたが、自閉症について、知らなかったこと、初めて知ることがたくさんあります。当事者である本人とご家族の日々の生活の中で、大変なこともたくさんありながら、それでも笑顔で前を向き、一日一日をいきいきと楽しんでいらっしゃる様子が伝わってきて、改めて「障害ってなんだろう?」と考えさせられるインタビューでした。杉山さん、福岡さん、そしてお二方とつないでいただき、今回のコラボにあたりいろいろとご尽力いただきました日本自閉症協会の樋口さんはじめ皆さま、ありがとうございました!
【2023/3/6~12の1週間限定販売】
デザインのコンセプトは「世界がひろがる、社会とつながる」。つながった線で、手や顔、花…さまざまなものが見えてくる絵を描きました。一人ひとりの中にある世界と、誰もが社会とつながり、いきいきと暮らす様子を表現しています。
“Happy with autism”「自閉症とともに、幸せに」というメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
今週コラボ中のアイテムはこちらから、過去のコラボ団体一覧はこちらからご覧いただけます!