今週JAMMINがコラボするのは、「公益社団法人家庭養護促進協会 大阪事務所」。
行政と連携しながら、児童養護施設や乳児院などで暮らす子どもを新聞紙面で紹介、出会いの場をつくり、子どもとのマッチング、養子縁組の支援、その後も養親子への支援を続けてきました。
今回、お話を聞いたのは、3歳の時に家庭養護促進協会を通じて現在の親と出会った、たかのりさん(30)と、たかのりさんと養親さんとの出会いから成長をずっと見守り続けた、ケースワーカーで家庭養護促進協会スタッフの山上有紀(やまがみ・ゆき)さん(51)。
「僕の親は、僕を育ててくれた二人。こんな家族もありやなって、養子を迎えることは特別なことではなく、こんな家族のかたちもあるんだと知ってもらえたら」。そう話すたかのりさん。
たかのりさんの歩みをお二人で振り返っていただきながら、養子とは、養親になるとは、そのリアルを伺いました。
(Zoomでお話を聞かせていただきました!左がたかのりさん、右が山上さん)
公益社団法人家庭養護促進協会 大阪事務所
日本に20数団体ある民間の養子縁組あっせん機関のうち、児童福祉法上の「里親」探しを児童相談所と連携して行う唯一の団体。実親に育てられず乳児院や児童養護施設で暮らす子どもたちが、愛情を受け、ごく当たり前の家庭生活の経験ができるように活動しています。
INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2023/1/23
(たかのりさんと養父母さんが初めて対面した日。「養父母さんにとっては、”我が子”とようやく会える、待ちに待った瞬間です」)
──今日はよろしくお願いします。たかのりさんのご両親は、家庭養護促進協会さんを通じてたかのりさんを養子に迎えられたそうですね。
山上:
養子を希望していたたかのりくんのご両親は、紹介で私たちの団体を知り、足を運んでくださったのが最初でした。
私たちの活動拠点である大阪は、養子縁組を必要とする子どもと養親希望者とのマッチングに非常に積極的に取り組んでいる自治体です。限られた地域の中だけではなかなか、子どもと親となる養親さんとの出会い自体がありません。また地方によっては、里親登録をしても、養子となる子どもの紹介がほとんどない所も多いです。
民間団体である私たちが間に入ることで、乳児院や児童養護施設の子どもたちを、毎日新聞の「あなたの愛の手を」欄で紹介するというかたちをとることができます。それによって全国から里親希望者を募り、マッチングができるようになっています。子どもにとっても、養子を迎えたいと希望する大人にとっても、圧倒的に出会いの数が増えます。たかのりくんのご両親も、地元ではなかなかご縁がなく、京都から団体に足を運ばれました。
(「子どもを託す養親さんを検討したり、養親子さんの日々の様子を共有したり。スタッフ同士で、とにかくよく話をします」)
たかのりくんのご両親のように紹介で足を運ばれたり、新聞を見て問い合わせていただくこともあります。オリエンテーション面接が済むと、「この先、意識して新聞をみてくださいね」とお伝えすることもあれば、これまで紙面で紹介した子の中で、まだ養親が決まっていない子から出会いを求めたいという方もおられます。
──これまで、紙面では何人ぐらいご紹介してこられたのですか。
山上:
1964年5月5日に初掲載され、そこから59年、毎週一人ずつ子どもを紹介し、2923回(2023年1月23日時点)になりました。これまでに1200組弱の養子縁組をお手伝いさせていただきました。
(毎日新聞「あなたの愛の手を」コーナー。こちらは実際にたかのりさんが紹介された時の紙面)
(毎年の夏休みには、小学生以上の子どもたちとキャンプへ。たてわりグループで力を合わせ、ジャンボカヌーを漕いで無人島を目指しているところ)
──「親になりたい」というところから、どのように進めていくのでしょうか。
山上:
今、養子を迎えるには二通りの方法があります。
一つは、定められた研修を受け、条件をクリアして児童福祉法上の「里親登録」をして養子を迎える方法。もう一つは、民間の養子縁組あっせん機関を通じて養子を迎え入れる方法です。
今、全国には民間の養子縁組あっせん機関が20数団体あります。それぞれの団体が独自に里親の条件を設けています。ただ、実際に過去に問題になったのが、「子どもをネットでマッチングします」というようなこと。2018年に法律ができ、許可制の事業となったことで、外部の目も入りながら、ずさんな縁組にならないよう枠組みが作られています。
私たちは里親登録のための研修なども大阪府や大阪市からの委託事業として行っていますが、当時、たかのりくんのご両親はすでに里親になるための研修等を済ませ、里親登録をしていらっしゃいましたので、面接からのスタートでした。
面接や調査では、ご夫婦がそれぞれどのような家庭で育ち、養子を迎え入れたらどのような家庭を築きたいかといったこと、夫婦関係や親族関係、経済状況などさまざまなことを伺います。「なぜ養子を迎え入れたいのか」という点は、特に掘り下げて伺うようにしています。
(半世紀以上、「愛の手運動」に関わってきた理事の岩崎さん。養親や支援者を対象に、真実告知や思春期の対応などの研修を行っている)
──そうなんですね。
山上:
この面接を「評価するための面談」と思っていただきたくはなくて。第三者を交えて話をすることで、ご夫婦の間でも「え、あなたはそう思ってたんや」ということが結構あるんです。
40年近くケースワーカーとして働き、今は理事の岩崎が研修の時によく言うのは、「私たちを水先案内人として、自己発見の旅に出てください」という言葉。子どもを迎え入れ、どのような親になるのか、どのような親になりたいのか、ご夫婦でより具体的にイメージする機会にしてもらいたいと思っています。
面談や調査を経て、児童相談所の了解も得て、マッチングが決まると、その子が生活している施設に会いに行き、関係作りをする「実習」が始まります。
(養親希望者対象の研修の様子。先輩養親の体験談を聞いたり養子縁組の手続きについて学んだり、グループワークをしたりする)
(「あなたの愛の手を」欄での掲載にあたり、施設で取材を受けた日のたかのりさん。「初めて会う新聞記者さんにも、かわいらしい笑顔を見せてくれました」)
──たかのりさんは、最初にご両親に会われた時の記憶は残っていますか?
たかのり:
はい。わりと鮮明に覚えています。僕は、普通の民家に子どもたち何人かと先生が暮らす、小さなグループホームで育ちました。ある日突然、知らない大人、つまり今の両親がやってきて、たくさん遊んでくれて。次に来た時にはおもちゃもいっぱい持ってきてくれました。「なんで僕と仲良くしようとするんやろう」とは思いましたけど、「いっぱい遊んでくれるし、まあいっか」という感じでした(笑)。
山上:
1995年の10月中旬に初めて、ご両親とたかのりくんは出会いました。
その後、お母さんを中心に頻繁にたかのりさんの施設に通いました。11月に家庭の事情で実習を一時中断したものの、10日ほどして再開しました。再開後にお母さんが施設を訪れた時には、たかのりさんは飛びついてくるほど懐いていたようです。12月の頭から自宅への外出や外泊をし、同月の半ばには正式に引き取られました。
(養父母に引き取られたばかりの頃のたかのりさん。「良い子でいる時は”たかちゃん”、わがままを言ったり悪いことをする時には”のりくん”が出てきたと、自分で言っていたそうです。これは、”のりくん”かな?」)
──ご自宅に行かれた時はどんな感じでしたか?
たかのり:
二人がとりあえずやさしくしてくれて、「この人たちがお父さんとお母さんになるんや」ということをなんとなく理解しました。家に行って、「ここにずっとおるんやな」と思ったことを覚えています。
施設でも自由ではあったんですが、ごはんにちょっとしかかけてもらえなかったふりかけを、家ではいっぱいかけられるのがめっちゃ嬉しくて、いっぱいかけました。味つけ海苔も、制限がないからめっちゃいっぱい食べました(笑)。
山上:
養子を迎え入れた時、「偏食」や「過食」はよく見られる行動です。好きなものだけを思いっきり食べたいという側面と、「こんなに要求しても受け入れてもらえるのか」という「試し行動」の側面があります。
(ふりかけを山ほど買ってもらい、袋をたくさん開けて、ごはんにかける3歳の女の子。「こんなことしても、怒らへん?」と養親に問いかけているようです)
たかのり:
確かに偏食はすごかったですね。チョコレートばっかり食べてたし、ジュースは、朝はこれ、昼はこれ…と、近所の自販機のジュースを全部押しました。小学校に入ってからもかなり偏食でした。
山上:
それは、子ども心に「親がどこまで受け入れてくれるか試してやろう」みたいな意識はあるん?それとも本能なん?
たかのり:
いや、本能ですね。試してやろう、っていうのは無い。「僕をほんまに認めてくれるんか。これでもいいんか」というのは、考えてそうしてるんやなくて、本能だったと思います。
(乗り物が大好きだったたかのりさん。ご両親とよく車を見に行ったり、電車に乗りに行ったりしたそう)
(お気に入りのお寺に、家族でお出かけ。「他の場所はすぐに飽きたけど、ここが好きで、長い時間いました」(たかのりさん))
山上:
たかのりくんが養子になったのは3歳でした。年齢としては3歳ですが、養親さんの家庭に入るのは初めて。何歳で迎え入れたとしても、家に来た時が0歳です。養子を迎える方には、「0歳からの育て直し」の大切さを伝えています。
試し行動でどんなことをしても、「命に関わること以外は全面受容しましょう」と。生まれたての赤ちゃんには、しつけをしませんよね。赤ちゃんが泣いたら、「ミルクかな?おむつかな?暑いのかな?寒いのかな?」と気にかけて、赤ちゃんの要求を受け止め、不快を快にするために動きますよね。それとまったく同じです。
「3歳なんだから」ではなく、家に来た時が0歳からのスタート。何をやってもオッケーだよ、それでいいよとまず受け入れてあげること。施設では、複数の大人で子どもを見ます。それではなかなか育てることが難しい愛着関係を、家庭の中で「この人は、自分に応えてくれるんだ。自分を気持ち良くしてくれる人なんだ」と感じることで、関係を作っていくことが大切なんです。
──なるほど。
(たかのりさんが小学2年生の時に作った「こんなに大きくなったよ」の冊子。「お父さんお母さんにもたくさん話を聞いて、一生懸命作りました」)
山上:
子どもからすると、養親に嫌われるかもしれないリスクを負ってまで、「こんなことしても、自分を捨てへんのやな」と全力で試し行動をしている。子どもなりに、大人の本気度を確かめようとしているんですよね。
養子になった後、赤ちゃん返りして、おむつが取れていたのにまたおむつになったり、自分でごはんが食べられていたのに、食べさせてもらったりする子もたくさんいます。そんな時も、「赤ちゃんに戻ったと思って対応してやってほしい」という話をします。
たかのりくんも、お母さんのおっぱいをずっと触っている時期があったそうです。お母さんはブラウスのボタンが留められないくらい胸が腫れて大変で、おしゃぶりを与えると満たされたのか、おっぱいを触ることが減ったという話も聞きました。
(毎月、団体が開催している親子サロン。写真は12月のクリスマス会の様子。「サンタさんは、毎日新聞の『あなたの愛の手を』のコーナーを15年前に担当していた記者さんです」)
(たかのりさん、小学校の卒業式にて。「まわりは皆、女の子!モテモテだったのかな」)
──子ども時代を振り返って、印象に残っている出来事や思い出はありますか?
たかのり:
思い出は本当にたくさんあって、一つというと難しいですが…、両親の地元の青森に車で帰るのが、毎年の家族の一大行事でした。ある時、道中で海岸に立ち寄った時に、浜辺に腰掛けていると突然大波が押し寄せ、さらわれてしまったことがあったんです。父がとっさに足をつかんでくれて、一命をとりとめました。「お父さん、すごいな。ありがとう」と思ったことを覚えています。
母とは、別の思い出があります。ある時、近所のお寺が、壁をきれいに白く塗り替えたんです。もう、それは真っ白で。それを見てたら無性に何か書きたくなって、でかでかと自分の名前を書いたんです(笑)。
1週間ほどして、母が「あんた、壁に名前書かれてるで」って言うんです。だから「僕が書いてんで」と言ったら、「なんでそういうことをしたの!」って(笑)。「壁が真っ白やったから、書きたくなってん」と言ったら、「書きたくなるんはええけど、そこはちがうやろ」って。一緒にお寺に謝りに行き、一家総出で名前を消しました。
(やんちゃだった子ども時代のたかのりさん。「しもやけになるまで外で遊びまくっていた頃の写真です」)
──素敵なご両親ですね(笑)。出生に関することでは、何か思い出はありますか。
たかのり:
家に来る前に育った施設のことも鮮明に覚えていて、懐かしいから行ってみたいと思い、小学6年生の時、山上さんにも一緒に来てもらって、施設に行ったことがありました。そこで、僕のことを覚えてくれていた先生たちが、知らない名字で僕を呼んだんですね。それが衝撃だったことを覚えています。
山上:
帰りの電車で、「今日はどうやった?」と聞いたら、ボソッと「俺って『みやざき』やってんな」って。
たかのり:
今の名字に変わったということは知ってたけど、前の名字を具体的には知らなかったから、急にリアルになったというか。改めて「養子として家に来たんやな」と感じた出来事ではありました。
(たかのりさんから家庭養護促進協会のスタッフさんへと送られた、幼稚園の生活発表会の招待状。「職員たちで見に行ったら、とても喜んでくれました」)
(小学校に入学した時、お父さんが手作りしてくれた学習机とベッドのコーナーで、嬉しそうな笑顔を浮かべるたかのりさん)
──思春期に入ってからはいかがでしたか。
たかのり:
「生きていく上での基礎にもなるし、部活はしといたほうがいいで」という父のアドバイスもあり、中高は部活をがんばりました。親に嫌なことを言われたりした時に、「うるさいな。ほんまの親でもないくせに」と言い返すことはありました。
──親御さんの反応は?
たかのり:
「産んではないけどあなたの親やから、こういうことも言うねんで」と言われましたね。
山上:
関係性ができているからこそ、言える言葉かもしれないですよね。養親から「じゃあ出ていき」と言われると思ったら、「ほんまの親でもないくせに」なんて言えないですよ。
養子に関係なく、思春期はいろんなことがあります。思春期の悩みは、養親さんからもよく聞かれます。養親さんはここで、もう一度試されるんです。思春期の時期に、輝ける麗しい養親子関係なんていうことは全然なくて、「ほんまの親でもないくせに」みたいなことを言われた時に、養親はひるまず、揺るがずに、「産んでないけど、お前の親やぞ。なんか悪いか」ぐらいに構えて、全力でぶつかっていいんです。
──それが親子、家族ということですね。
山上:
実は一度、高校卒業を間近に控えたたかのりくんが、「実の親を探したい」と事務所に押しかけてきたことがあるんです。トゲトゲして、イライラしているように見えました。
たかのり:
自分ではそんな記憶はないんですけど、そうやったんでしょうね。
山上:
団体の考え方としては、未成年の実親探しは認めていません。成人して、親の承諾がなくても動けるようになってからというのがひとつと、実の親の状況を私たちも把握していないので、もし見つけた時、向こうにも事情があり、望むような現実ではないかもしれないことも含め、どういう状況であっても本人が受け入れられる成熟度がほしいという理由からです。その話をたかのりくんにしたら「は?なんでやねん」って。
「実際、何が知りたいん?何が気になってるん?今答えられることや話せることは、全部話すよ」という話をしました。たかのりくんが最も知りたがったのは、「なんで、今の親になったんや」ということでした。出会ったいきさつや、たかのりくんを迎え入れるためのご両親の経緯を話すと、「親も大変やったんやな」とちょっと納得して帰っていきました。
(小学2年生の時に書いた「お父さんお母さんに聞きたいこと」。「ぼくのいえにきたときはどんなに大きくなっていたのですか」、2年生の時には、すでに自分が「養子」であることを理解していた)
たかのり:
僕と出会うまでに、両親はものすごく時間を費やしていました。それを知って、誰でもよかったんとちゃうんや、って。里親になる研修、面接、調査…すべてのプロセスを、僕と出会い、家族になるという一心でやってきてくれたんやというのがわかったんです。
山上:
その時は、「二十歳になったら(実親を探そう)」ということを伝えたので、二十歳になったら、もう一回乗り込んでくるやろうと思っていました。
ある時、二十歳になったたかのりくんと一緒に食事する機会があって。食事中ずっと「いつ聞いてくるかな」と身構えてたんですけど、恋愛の話ばっかりで(笑)、いつまで経っても聞いてこないんです。帰りに二人になる機会があって、こちらから「実親のこと‥」と話を振ってみると、「学業が忙しいし、今はまだ」という返事でした。
──その後、実親探しはされたんですか。
たかのり:
そのまま探さずにきて30歳になります。何かきっかけがあればしてもいいんでしょうけど、僕は今、満足してるし、特に知りたいとも思ってないんです。
振り返ったらいろんな波があったけど、僕を育ててくれた親は、父と母の二人だけなので。
(たかのりさんのご両親より。「見た目は女の子と間違われるくらいかわいかったですが、やっぱり男の子なので何をするか分からなかったです。ケガも多く、いつもばんそうこうや薬が必要でした。でも私たち夫婦は、そんなところもかわいいと思いました。寝顔をいつまでも見ていました」)
(小さなころから、地元の養親子や里親子の集まりにも積極的に参加していたたかのりさん家族。「同じ立場の仲間が、たくさんいました」)
──たかのりさんにとって、養子であることとは?
たかのり:
「生まれ持った才能」でしょうか。今は、よかったと思っていることです。
わざわざ掲げることでもないけど、隠すことでもない。知ってもらって、「そんな人もおるんや」「こんな家族のかたちもあるんや」って興味を持ってもらえたら嬉しいですね。
あとは、養子を迎えて育てている親御さんに、子どもたちの気持ちを知ってもらいたいです。僕は当事者として、同じように養子に迎えられた子どもの気持ちがわかるところがあるので、親御さんには「安心してください」って、「堂々と『あんたの親やで』って言ってもらって何も悪くないです」って伝えたいと思っています。
今日もね、ここにくる時に、母親が「中にちゃんと服は着込んでるんか」「鍵は持ってるか」「財布は持ったか」って、すごい過保護なんです(笑)。一緒に住んでる時はうるさいなと思ってたけど、一度一人暮らしをした時に、家族のありがたさを身に染みて感じました。
実は今月、「ずっと一緒にいたい」と思った、尊敬できる相手と結婚したんです。両親はとても喜んでくれました。
(団体とたかのりさんの関係は、ずっと続いてきた。高校3年生の時、親子サロンのクリスマス会で、サンタの役をするたかのりさん)
──隣にいらっしゃる山上さんはどんな存在ですか。
たかのり:
僕のほとんどを知っている人で、何を言っても受け止めてくれるんやろうな、という人です。
山上:
ほとんどを知ってるかどうかは分からんけど…。ずっと成長を見守ってきた、「遠い親戚のおばちゃん」って感じかなあ。
──本当に近い、親戚のような関係を築いてこられたんですね。
(2018年3月に開催した養親向けの研修「成長した養子からのメッセージ」で、山上さんと共に、自身の体験を語るたかのりさん)
(阪急百貨店で開催された「H2Oサンタ チャリティートークイベント」にて、活動を紹介。「家庭を必要とする子どもたちがたくさんいること、いろんな形の家族があることを、多くの人に知ってもらいたいです」)
──最後に、今回のチャリティーの使途を教えてください。
山上:
団体では、養親子のために、毎月の親子サロンや秋の運動会などを定期的に開催しています。まだまだ日本の社会では養子がマイノリティーである中で、こういった場所があることで、子どもたちが「自分だけが養子じゃないんだ」と感じてもらえたらという思いからです。
養親さんは大人なので自分で情報収集ができますが、幼い子どもはなかなかそれが難しくて、「他の家族とは違う」と感じることがあった時に、「毎年行ってる運動会に来てる子どもは、みんな養子やで」って知ることで、珍しいことでも、特別なことでもないんや、仲間はいるんや、って感じてもらえたらと思っていますし、私たちも、子どもや家族の成長に触れる機会になります。
今回のチャリティーは、こういった行事を開催するための資金として活用させていただく予定です。ぜひアイテムで応援いただけたら嬉しいです。
──貴重なお話をありがとうございました!
(スタッフの皆さん。2020年8月のコラボ時のお揃いのTシャツを着て(こちらのデザインのアイテムも再販しています!))
インタビューを終えて〜山本の編集後記〜
まるで漫才コンビのように息ぴったりなたかのりさんと山上さん。養子は「生まれもった才能」とたかのりさんは話してくださいましたが、家族以外に、自分のことを変わらずにずっと見守ってくれる人がいるという関係は、家庭養護促進協会さんの長きにわたるご活動ならではだと感じました。
「養子を迎え入れる」とか「血のつながりのない子」といった話ではなく、たかのりさんのお話から、ただただ家族の素晴らしさ、温かさを改めて感じました。家庭とは、温かくて安心できる、いつでも戻って来られる場所。必要とする一人でも多くの子どもに、素敵なご縁と居場所がありますように。
【2023/1/23~29の1週間限定販売】
太陽と月、小さな星を描きました。
星を照らし包み込む太陽と月は、どんな時も子どもを見守る温かい目。何があっても絶えることなく輝き続ける、家族の絆を表現しました。
“Together is where our story begins”、「一緒にいる、それが私たちの物語のはじまり」というメッセージを添えました。
JAMMINは毎週週替わりで様々な団体とコラボしたオリジナルデザインアイテムを販売、1点売り上げるごとに700円をその団体へとチャリティーしています。
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