CHARITY FOR

障害は個性。「こんな生き方もあるで」、その人が自分らしく生きられる、楽しく豊かな人生を応援したい〜NPO法人自立生活夢宙センター

今週JAMMINがコラボするのは、誰もが自分らしく生きられる社会を目指して活動するNPO法人「自立生活夢宙センター」。

代表の平下耕三(ひらした・こうぞう)さん(55)は、「先天性骨形成不全症」という障害を持って生まれました。

「たとえば『雨に濡れる』という、人として生きていたら当たり前の経験さえも、障害があるという理由で施設にいたり管理されていると、経験したことがないという人がいる。人生は一度きり。人としての大変なこともあるし差別もあるけど、障害に関係なく、一人ひとりがその人らしく生きられる暮らしを応援したい」。

大阪市住之江区にある夢宙センターにおじゃまして、お話を聞いてきました!

(お話を聞かせてくださった平下さん(写真下段左)。お隣は兄で副理事の泰幸さん、上段左が統括マネージャーの「ジョニー」こと松倉さん、上段右は広報マネージャーの「じん」こと菊池さん)

今週のチャリティー

NPO法人自立生活夢宙センター

「ひとりじゃない。仲間がいるから強くも、優しくも、楽しくもできるんだ!」を理念に、置かれた環境にかかわらず、一人ひとりが自分の人生を自分らしく生き、尊厳と安心をもって互いが支え合う社会を目指して活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/10/24

障害当事者が運営を担いながら
仲間の自立生活を応援する「自立生活センター」

(夢宙ファミリー大集合!「仲間がいるから夢中になれる!」)

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体のご活動について教えてください。

平下:
どんなに障害が重い人でも、地域で自分らしい暮らしを送ることを支える「自立生活センター」を運営しています。今年、団体を立ち上げて20年になります。

──「自立生活センター」とは何ですか。

平下:
1986年ごろから始まった自立生活(Independent Living、IL)運動を端に発するもので、センターを運営する代表や理事の過半数を障害当事者が担いながら、厳しい状況にある仲間を応援する場所です。現在、全国に114の自立生活センターがあります。

(2004年10月20日、台風の中で声を上げる当事者たち。「東京を直撃した台風にもかかわらず…2000人以上の人たちが全国から駆け付け、介護保険との統合に反対しました」)

平下:
障害のある人が地域でいきいきとした生活を送るという社会モデルを浸透させながら、社会の側にあるバリアを取り除いていくのが私たちの役目です。

現在、自立生活夢宙センターには32名のメンバーと、それを支える60名以上のスタッフが在籍しています。メンバーの日中の居場所である、生活介護「すぺ〜すしゃとる」、日々の暮らしをサポートするヘルパー派遣事業「ぴっとin」をあわせて運営しているほか、大阪市から委託を受け、当事者の相談窓口の事業も行っています。

(メンバーのTiktok配信の様子。「おもろない場所には人はあつまらない。おもろい場所にはパワーがあつまる。tiktokでも夢宙のパワーが感じられます。tiktokで【夢宙センター】と検索してください!」)

「ずっと施設におったから、雨に濡れた経験がないねん」

(夢宙センターを通じて自立生活を始めた二人。「僕は、いろんな人からチカラを貸してもらって、社会で生きている」(写真左・坂口さん)。「自立しようって腹くくるのは、勇気がいったけどね」(写真右・岡前さん)。「お互い施設で5年過ごしてから、自立生活へ。毎日のプログラムが決められている施設から、自由な自立生活へ!でも、初めはヘルパーさんに自分がしたいことを伝えるのも難しかったり、うまく伝わらなかったり…、苦労はたくさんあった」)

平下:
家族の都合で施設にずっと入所していたり、自宅で24時間365日天井だけ見て過ごしたり…障害者、特に重度の障害者は、環境による生きづらさを抱えていることが少なくありません。

でも、人間として生まれた以上は、自分で選択して、自分らしく生きるというのは、当たり前のことやと思うんです。

障害があるというだけで、周りの都合で施設に入れられる、管理される、施設から出たいけど出られないっていうのは、それは人間としての生活とは言えへんと思うんです。

障害のある人が、たとえばずっと閉じこもっていた施設とか自宅から出て、社会で自立生活を始めた時に、しんどいこと、困ることもいっぱいあります。差別されることもあります。でも確実に、人生は豊かになる。ずっとずっと、生きてる実感を持てると思うんです。

──確かに。

(「夢宙センターを今後引っ張っていく若手メンバーたちです。地域で自分らしい生活を実現するために、自立生活の先輩障害者メンバーのチカラを借りながら、自己選択・自己決定・自己責任を成長の糧に夢宙センターで躍動しています」)

平下:
19年前に自立を応援した馬渡(まわたり、通称「バケン」)という仲間がいます。脳性麻痺の彼は30年間、ずっと施設で暮らしていました。私が自立生活センターを立ち上げたことを聞きつけて、「自立したいと思ってる。応援してほしい」と連絡をくれたんですね。

彼が自立生活を始めたある日、ヘルパーさんと外出してたら、大雨が降ってきたそうなんです。ヘルパーさんが「カッパ着ますか」って尋ねたら、彼は「ちょっと濡れたいねん」って。「ずっと施設の中におったから、雨に濡れた経験がないねん」って言ったというんです。

「雨に濡れる」っていう、人として生きてたら当たり前の経験さえも、施設にずっといたら、経験できへんことがあるんです。重度の障害を持つ人が置かれがちな環境を、まさに象徴している言葉やと思うんです。

──そうなんですね…。

(他の障害者の自立生活実現のサポートにも活躍した、「バケン」こと馬渡さん。「自らも人生をかけてやりたい事をみつけ、活躍の場所を変えて日々自分らしい生活を送っています」)

「皆、自分らしく生きたい」

(「リンリン(写真中央)の自分らしい生活に寄り添い続けたサポーターたち。海外旅行に行きたい!という夢も夢宙みんなで応援しました」)

平下:
夢宙センターを利用してる一人のメンバーさんは、高次脳機能障害があります。うどんが好きで、うどんばっかり食べてるんですね。ヘルパーさんに味付けを指示するんですけど、ヘルパーさんも皆が料理が得意なわけではないから(笑)、薄い薄い味になったりすることがあるんです(笑)。

おいしくないうどんを食べながら、「次はもっとおいしく作ろうな」って(笑)。
そういう、食べたいものがあって作るとか、行きたいところがあって行くとか、そういうごくごく当たり前のことが、管理された生活ではなかなか難しいですよね。

──確かに。

(「『楽しむ時にはトコトン楽しく』が夢宙流!夢宙の障害者スタッフも身体を張って楽しみます!楽しませます!」)

平下:
バケンは、「施設には不自由はないけど、自由もない」と言っていました。

私も施設にいたことがありますけど、朝食は6時で、夕食は16時と決まっていました。献立も決まっていました。すべての施設がそうだということではないでしょうが、そこの施設では、重度の障害のある人は皆、日中はベルトコンベアーのようにテレビの前に運ばれて、ずっとそこにいました。そこには挑戦とか、希望とか、そういうものはありませんでした。人として、いろんな機会も、力も奪われていくような感覚がありました。

そんな生活を、人間は望んでいるでしょうか?望んでないと私は思うんです。
管理された中で、人間らしく生きられるでしょうか?生きられないと私は思うんです。

皆、自分らしく生きたい。それだけやと思うし、私が自立生活を応援したいと思うのは、その気持ちだけです。

(代表の平下さん(写真左)の通称は「社長」。お隣は兄であり副代表の泰幸(通称「ちゃん」)さん。「良く間違われますが、代表は弟です!」)

「うちの子には無理」「施設の方が安心」…。
当事者の家族が、壁となって立ちはだかることも

(夢宙センターのスタッフで構成されているインクルーシブ劇団「夢屋」。自分たちの想いを体験をヒーローショー風の劇にして、小学校などで披露している。「このときばかりはみんな真剣です」)

平下:
障害のある人の自立生活のムーブメントを一人でも多くの人に知ってもらいたくて、2019年に『インディペンデント・リビング』というドキュメンタリー映画を制作しました。

自立生活を送る当事者の日々の生活に密着した映画ですが、観た方からは「障害のある人が自立生活を送れるなんて知らんかった」「こんな選択肢もあるなんて知らんかった」とか、「障害者が障害者を応援するしくみがあるのを初めて知った」という声をもらうこともあります。

「障害のある人も、自分らしく生きることができるねんで」っていうことが、まず情報として知られていないということがあるし、一方で、それを知ったとしても、親御さんがなかなか、その選択肢を選ばないということもあります。

(映画『インディペンデント・リビング』の完成を記念した集まりにて。「この映画によって、外部の方々になかなか伝えづらかった自立生活センターの活動が分かりやすく伝えられるようになり、“自分たちの”映画ができたことで、活動が地域に浸透していく手ごたえを感じました」)

──どういうことですか。

平下:
時代的な背景も関係していると思いますが、「うちの子は、障害があるから自立なんて無理」とか「施設の方が安心」というふうにおっしゃって、結果として当事者が施設や家に閉じこもってしまうようなこともあります。

最近の若い世代の親御さんは、さまざまなところにアンテナを張っていて、柔軟な考えが広がってきていると感じますが、傾向としては高齢の親御さんほど、「うちの子には絶対できへん」とか「外には迷惑かけられへん」とか、そういう傾向があるように感じています。

──障害のある本人はいかがですか。「自立したい」と思ってる方が多いのでしょうか。

平下:
施設や自宅でずっとお世話してもらっている生活が長いと、それに慣れて当たり前になって、生活を変えたいと思う人は少ないとは感じています。

(「トリス(写真左)の夢は…俳優になること!夢宙センターでは『無理無理』なんて言いません。『じゃあ、やってみようか!』の一択!詳しくは映画をご覧ください(笑)」)

平下:
親と子で共依存の関係になっていたり、あるいはご自宅で一緒に暮らしている場合、子どもがいることで受け取れる手当(年金や扶養手当など)は生活資金に回ってしまうことが多く、本人の権利が薄れてしまうこともあります。

そういう意味では、身寄りがないという当事者の方が、自立の話は早く進みます。親やご家族がいると、本人以上に周りを説得してからになるので、逆に時間がかかったりすることがあるんです。

「うちの子にはそんなん無理」とか「うちの子にできるやろか」と思っている親御さんに対しては、同じような障害を持ちながらも、自立生活を送っている先輩を見てもらいます。
「この人でもできるんやったら、うちの子もできるかもしれん」って思ってもらう、一番の近道かなと思います。

──なるほど。

(夢宙センターは、海外からもたくさんの研修生を受け入れている。「ダスキン愛の輪基金のアジア太平洋障害者リーダー育成事業やJICAの事業などで夢宙で研修した海外の方たちが、学んだことを自国に持ち帰り、還元するサイクルが生まれています。仲間の大切さ、おもしろい場所にパワーが生まれる!夢宙ファミリーは世界にも広がっています」)

平下:
「自立生活センターって何や?」とか「あんたらに支援ができるの?」って、信頼してもらえないこともあります。全力の我々を見せていくほかに、道はないんですよね。

情報や知識は、その人の力やと思っています。「こんな世界もあるで」って知ってもらって、一つの力にしてもらえるきっかけになれたらと思っています。

少なくとも障害のある子が生まれた時に、「どうしよう」とか「人生終わりや」って、悲観したり批判したりする時代は終わってほしい。障害が個性として認められて、障害があっても学べる、働ける、自立生活が送れるっていうことがもっと広がっていったら、社会も、環境も、変わっていくはずです。

(インタビューの様子。スタッフの皆さんの平下さんへの絶大な信頼感や、絆の深さや強さも伝ってきました)

障害を持って生まれ、
自己実現や自分の居場所を考え続けた

(5歳の頃の平下さん。「当時は歩くこともできて、装具をはめて走ったりもしていました」)

──平下さんご自身のことを教えてください。

平下:
私は、3万人に一人の難病といわれている「先天性骨形成不全症」で生まれました。骨が弱くて折れやすく、何度か手術を繰り返しています。今は身長が135センチ、体重が70キロ、顔が50キロです(笑)。

今、副代表として一緒に働いている兄の泰幸(やすゆき)にも同じ障害があります。
この障害は遺伝性で、兄が生まれてから、母のお腹の中に私がいる時に、親父は酒を飲みながら「障害のある子が生まれてくるんやから、子どもはもういらない」と言っていたそうです。

しかし母は「産みたい」と言ってくれて、そのおかげで今、私が存在しています。

──そうだったんですね。

平下:
しかし障害のある二人の子育てに疲れたのか、母は私が小6の時に家を出ていきました。それからは親父に育てられましたが、ことあるごとに存在を否定され、殴られ、生きる力を奪われていきました。

(10代の頃の平下さん。「母親がいない、父も仕事でいないということもあって、家は仲間たちのたまり場に。よく近所から怒られていました」)

──そんな中からどうやって、今の平下さんが生まれていったんですか。

平下:
大変なこともあったけど、人生のタイミングでいつもキーパーソンと呼べる人と出会わせてもらったことが大きいです。

居場所がなかった中学の時、いつも逃げ場にしていたのが、脊髄損傷を持った岩井という先輩の家でした。おんなじ中学校に通っていた先輩で、シュッとして男前でね。スポーツもできて、絵も描けて、生徒会長をしていました。彼が、人の大切さや「人間は、他人と比較するものじゃない」ということを教えてくれたんです。

(居場所を感じられなかった10代の時、岩井先輩からもらった40年前のメモを、「今も持ち歩いている」と取材中に財布から取り出して見せてくださった平下さん。メモには「『他者と共に営む生活と孤立無援の思惟との交差の仕方、定め方、それが思想というものの原点である。さて歩まねばならぬ』という高橋和巳さんの言葉を大切にしております」とある)

平下:
高校を出る前に、最初は斡旋された福祉工場に就職が決まり。機械みたいに働くところでね…、こんなところで働けるかと思って断った。
「このままじゃあかん」と職業訓練を受けたりもしながら、20社に応募して、面接へ行きました。その時は差別を実感しましたね。

──どのような差別ですか。

平下:
「車椅子の人が働ける設備がない」とか「どうやって通勤するんか」とかですね。
その後いろいろあって、やっぱり自分で直談判して、車椅子販売の営業の仕事を始めました。

(20代の頃の平下さん。「免許を取ったばかりの頃に、友だちとのじゃれ合いで撮った写真です」)

平下:
そうしたら、お客さんは障害者ばっかりなんです。それぞれの障害者が置かれているリアルな環境というか、生活をたくさん垣間見せてもらいました。

「外出は2週間に1回のデイサービス利用の時だけ」とか「歩けたら、もっと外に出たいのに」とか。そういうのを見た中で、「自分ができることは何か」を考えていたのかもしれないです。あの頃は昼も夜も、「自分の居場所ってどこやろう」「自己実現って何やろう」っていうことを考えていたかもしれません。

(活動への思い、若い頃に抱えていた葛藤…、力強く、そして何より楽しく、いろんなお話をしてくださった平下さん)

アメリカでの出会いに、背中を押されて

(初めて訪れたアメリカにて)

──平下さん自身が障害をプラスに捉えられるようになった、その原体験は何だったのですか。

平下:
20代後半で、自立生活運動の視察にアメリカへ行きました。そこで同じような障害を持つアメリカの障害者リーダー・マイケルに出会いました。オフの日にたまたま街中でその人に会ったんです。それで、通訳さん交えて「お茶しましょう」って喫茶店に入ったんです。

その時にマイケルが言うには「今の自分があるのは、お母さんのおかげなんや」って。お父さんは小さい時からいなかったそうで、自分と少し境遇が似ているなと思ったんですが「お母さんが、いつもどんな時も背中を押してくれた」と。

(アメリカ・ノースバークレーの街中で、偶然に会った障害者リーダーのマイケル・ウインターさんと。マイケルさんの言葉もまた、平下さんの人生に大きな影響を与えた。「同じ障害を持つ方で、影響力が大きかったです」)

平下:
私が自分の境遇も話したら、「日本とアメリカの違いは、一人の子どもが生まれた時、アメリカはその人を『一人の人間』として見るけど、日本は『障害をもった子ども』として見ることなんや。その違いなんや」って。

生まれてずっと、自分の存在が否定されていると感じてきたし、自分自身でも障害者であることが受け入れられずにいた時もありました。でも、マイケルのその言葉を聞いて、「ああ、親父や母親のせいやなかったんや。日本がそういう環境やったからや」って思えたというか。そう思った時に、スッと腑に落ちたというか、楽になったんです。

親父や母親や、まして障害を持って生まれてきた自分のせいじゃなかったんや、って。そこから、自信を持てるようになりました。

(2016年4月、差別解消法パレードに参加。「障害者差別解消法が施行されたことを祝い、差別のない社会を願い、プラカードを掲げて街をパレードしました」)

──そうだったんですね。

平下:
自立生活運動に関わるようになって出会った廉田さん(現在は、自立生活センター「メインストリーム協会」(兵庫県西宮市)代表)という仲間に、「人生は一回や。人を小手先で笑わすな。人生かけて笑わした方がおもろいで」と言われたことが心に残っていたのもあって。

「よし、自分が思い描いた居場所を作ろう」と思って、34歳で自立生活夢宙センターを立ち上げました。

自立生活夢宙センターには、私が追求してきた思いのすべてが詰まっています。

居場所とは?仲間とは?
…廉田さんに言われた「おもろいこと」をやっていった時に、全てつながっていきました。いろんな人が出会い、人生が交錯しながら、自己実現をかなえていく、確かな居場所がここにあるんです。

同席しているジョニーや仁くんはじめ、信頼できる仲間に出会い、時に話し合ったり反省したりしながら、皆で一つひとつ作り上げてきました。私も最初はもっと短気やったんですけど、皆にいっぱいアドバイスをもらって、少しずつ変わっていったかな(笑)。

(「アメリカに留学に行きたい」という仲間の夢を皆で応援。「クラウドファンディングに挑戦し、たくさんの方々の支援があり…見事達成しました!たくさんの仲間の義理人情を感じた出来事でした。いつもつながってくれている日本全国、海外の仲間たちは夢宙のかけがえのない宝です」)

居場所があることは、仲間がいること。
その人らしい暮らしを応援したい

(「夢宙センターが居場所づくりで大事にしているのが、砦と広場をつくることです。夢宙の仲間、海外からのゲスト、地域の人たち…夢宙の広場に集まる人は、多種多様でおもしろい。自ずとパワーが溢れる居場所に!」)

──平下さんにとって、居場所とは?

平下:
「安心できて、力が奪われない場所。そして自分が楽しくなる場所」でしょうか。
そのためには、一人じゃないっていうこと。仲間がいるっていうことなんです。

自立生活夢宙センターは「ひとりじゃない。仲間がいるから強くも、優しくも、楽しくもできるんだ」という理念を掲げていますが、同じ方向を目指しながら、それぞれの人生を、互いに豊かにしていく相手がいること。その時に「おもろいこと」があったら、そこからぐーっと熱量を上げていけるというか。それぞれのパワーが合わさっていくと思います。

(映画『インディペンデント・リビング』が完成した際に、自立生活センターの仲間たちと。「横のつながりが濃くて深い自立生活センター仲間と、喜びを分かち合いました」)

──障害についてはいかがですか。

平下:
個性だと思っています。でも、誰かがどこかで「これが障害」というラインを決めないといけない。ただそれだけのことですが、そこに差別がまだまだ残っているのかなと思います。

障害手帳を持っているかいないかにかかわらず、生きづらさを抱えている人を応援したい。「こういう方法もあるで」とか「こんな人もおるで」って。
障害ではなく、一人の人として、その人らしく生きられる人生を、私もたくさんの人に出会ってそうしてもらったように、応援したいと思っています。

(仲間がアメリカから帰ってきた際に開催したおかえりイベント。「ひとりのために、皆がパワーを注ぐことが自然とできる。それが夢宙の魅力です」)

街中の段差を埋める!チャリティーは、いろんなお店にスロープを設置するために活用されます!

(「夢宙センターの原点…。渕上さんの自立支援していくうちに、“血がたぎる”経験をしたことが現在の夢宙センターの基礎をつくりました。詳しくは映画『インディペンデント・リビング』をみてください」)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

平下:
障害のある人が社会に出ていく時に、街中の段差は障害になります。
車椅子などでは入れない・入りにくい段差のあるお店に、どんどんスロープを設置していただきたい!誰でも入ることができるお店になったら、そこで新しい交流もどんどん生まれます。

今回のチャリティーは、誰もが住みやすい街を作っていくために、簡易のスロープを購入する資金として活用させていただく予定です。ぜひ応援していただけたら嬉しいです!

──貴重なお話をありがとうございました!

(インタビュー後、夢宙センターの皆さんと!夢宙センターのモニュメントのくじらも一緒に記念撮影。くじらはコラボデザインにも登場しています。貴重なお時間とお話をありがとうございました!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

平下さんはじめ皆さんの熱い熱いエネルギーを感じる空間でした。改めて、障害って何だろう、生きるって何だろう、ということを考えさせられます。

最後に、後日、平下さんが送ってくださったメッセージをご紹介します。

何故、自分の環境に悲観せずにやってこれたか?
時間が停まると、自分を卑下したり、マイナス思考になる。しかし、オレは時間が停まらず、ずっと動いているから進んで来れた。

それは、大切な仲間たちとの出会いにより、いろんな考え方を柔軟に吸収し、障害を武器に変えることで人生豊かになると信じて進んでいくプラス思考がパワーになっている。

人間素直が一番/マイナスからプラスに!

・自立生活夢宙センター ホームページはこちらから
・映画『インディペンデント・リビング』特設ページはこちらから

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【2022/10/24~30の一週間限定販売!】
無限に広がる宇宙空間で、思い思いに、好きなように、縦横無尽に行き交う人たち。
人は元来自由であり、その可能性は無限であるという思いを表現しています。

“Lead on, ride on!”、「先導していけ!乗っかっていけ!」というメッセージを添えました

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