CHARITY FOR

家庭のような温かな雰囲気で「その人らしい暮らし」を支え、穏やかな最期を紡ぐ「ホームホスピス」〜NPO法人ホームホスピス宮崎

2004年、全国に先駆けて、宮崎市に作られたホームホスピス「かあさんの家」。
民家の温かい雰囲気を残しつつ、24時間、専門のスタッフが一人ひとりの「生活を支える」ケアをしています。

「ここは病院でも自宅でもない、もうひとつの居場所であり、生活を支えるしくみ。がんや認知症などの病気になっても、障がいを持っても、最期まで自分らしく、望むように生をまっとうして、安心して死ぬことができる地域をつくりたいと活動してきました」と話すのは、「かあさんの家」を立ち上げた、理事長の市原美穂(いちはら・みほ)さん(75)。

「かあさんの家」では一人ひとりに合わせた個別ケアにこだわり、日当たりがよく風通しの良い、自宅のような空間で、住人は家族のように暮らしているといいます。

市原さんと、理事であり事務局長の黒岩雄二(くろいわ・ゆうじ)さん(58)に「かあさんの家」について、またホームホスピスについてお話を聞きました。

(お話をお伺いした市原さん(写真右)、黒岩さん(写真左))

今週のチャリティー

NPO法人ホームホスピス宮崎

誰もが望むように生を全うするために。
ホスピスの心が宮崎の地に広く浸透し、市民が安心して最期まで生きていける環境を整えることを目指して活動しています。

INTERVIEW & TEXT BY MEGUMI YAMAMOTO
RELEASE DATE:2022/9/19

「0歳から100歳まで、誰も取りこぼさず、
自分らしく生きることを支えたい」

(仲良くシャボン玉に興じる、「かあさんの家」の住人)

──今日はよろしくお願いします。最初に、団体の活動を教えてください。

市原:
今から18年前、2004年に宮崎で全国初となるホームホスピス「かあさんの家」を始めました。

2004年当時、病院にいてもこれ以上治療ができないよという方に対して、長期入院ではなく自宅へ戻っての在宅医療が推進され始めました。とはいえ、自宅に戻っても、医療的な措置が必要である場合にご家族の負担が大きかったり、あるいはご家族がおらず介護してくれる方がいない、施設に入居したくても重い病気があると受け入れられないといった問題が出てきました。

(「かあさんの家」での団らんの様子。温かく穏やかな空気が流れる)

市原:
医師の先生からの相談もあり、認知症が進んだ方や末期のがん患者の方、難病の方などが自分らしく生き、最期を看取る場所として、民家を活用し、5〜6人を限度に家庭的な雰囲気で24時間介護スタッフがケアする「かあさんの家」を作りました。現在は宮崎市内に3箇所あります。

「かあさんの家」の住人が必要な医療的なケアは、訪問看護と連携しながらやっていましたが、自分たちでやれたらいいねということで、7年前からは、訪問看護事業も始めました。

(最初のホームホスピス「かあさんの家 曽師」外観。「地域に馴染んだ民家を、その家が持つ物語と一緒にそのまま使っています」)

市原:
そこで中核を担ってくれているスタッフが、長く医療的ケア児とそのご家族に関わる中で課題を感じていたこともあり、医療的ケア児や重症心身障害児をはじめとする障がいのある方たちとそのご家族をサポートするために、昨年の10月に「HALEたちばな」という施設をオープンし、日中一時支援やショートステイ、訪問診療もスタートしました。訪問看護も今はここを拠点に活動しています。

0歳から100歳まで、誰も取りこぼさない、今社会的に孤立している方たちが自分らしく生きることを支える団体でありたいと思っています。

(2021年10月にオープンした「HALEたちばな」。この施設を拠点に、訪問診療や日中一時支援などを行っている)

病気や障がい、年齢や介護度に関係なく、
「その人らしい暮らし」を丸ごと支える

(「HALEたちばな」を利用している医療的ケア児とケアスタッフ。「家族に代わり、丁寧なケアを行います」)

──そもそも、ホスピスとは何ですか。

黒岩:
ホスピス自体は、生活を支え、どんな病気や状態であっても、その人がその人らしく暮らせる温かいもてなしの心、その場所やサービスを指しますが、現在日本で「ホスピス」と言った時に、多くの方がイメージされるのは医療的なホスピスだと思います。

「緩和ケア病棟」などとも言いますが、がんなどの痛みをコントロールし、安らげるような場所がホスピスとして広く認知されていると思います。しかし緩和ケア病棟を利用できるのはがんとエイズの患者さん、さらに余命も短い方に限られています。

(ホームホスピスの理念は、「生活をまるごと支える」こと。一人ひとりがいきいきできる暮らしを支える。「かあさんの家」の住人とスタッフの皆さん)

──つまり、誰もが利用できるわけではないんですね。

黒岩:
そういうことですね。
一方で、ホームホスピスは、病気や障がい、年齢や介護度も関係なく、一人では生活することが難しい方の生活を、丸ごと支えます。

──なるほど。医療的なホスピスとはまた異なるものなんですね。

黒岩:
ホームホスピスは、「その人らしい暮らし」を支えることを前提としています。なので、ケアする側の作業効率にあわせてご飯を食べる時間や就寝の時間が決められているわけではないし、集団行動をとるわけでもありません。一人ひとりの個別ケアを大切にしていて、やりたいことをやってもらうことがいちばんの特徴です。

自宅ではないけれど、ご自宅のように暮らしてもらうために環境にも配慮しています。日当たりが良いこと、窓から四季や風を感じられること…、いくつかの項目を「ホームホスピスの基準」として設けています。

住人同士が家族のように、居間で皆で集うような時間も大事にしています。コロナになってなかなか集うということは難しくなりましたが、順番に日向ぼっこをしていただいたりして、部屋にこもりきりなることはありません。
入居の際、ご家族のいらっしゃる方はご家族ともよくお話をして、ご本人の生活についてあらかじめ情報共有をして、できるだけご自身のそれまでの生活スタイルを尊重します。

(「かあさんの家 曽師」の表札には、「かあさんの家」の最初の利用者であり家主でもあった、内田澄志さんの表札が当時のまま、今でもかけられている)

現在の日本の制度や施設では、
なかなか「居心地の良さ」に到達できない

(「かあさんの家」の玄関。「住人の方々が大事にしていた写真を、その方の思い出と共に飾っています」)

市原:
「リロケーションダメージ」という言葉がありますが、それまで暮らしてきた空間から病院や施設に入ると、大きなストレスがかかり、例えば認知症の方は症状が進んだりするということがあります。かあさんの家では、そういったことがありません。

食事の介助をする、おむつを替える、排泄を支えるといったことは、ケアのほんのひとつのファクターに過ぎません。そうではなく、「生活を支える」という視点でいえば、その方がどんな空間に身を置いているのか、周りの人がどんな声がけをするのか、家族は時々会いに来てくれるのか…、環境が果たす役割はすごく大きい。その人自身の「居心地の良さ」につながっていくと感じています。

(住人に声をかける市原さん。「朝起きて、ご飯を食べて、安心して眠る。普通の生活を取り戻すとき、ゆっくりと笑顔が戻ります」)

市原:
しかし残念ながら、日本の制度や施設では、なかなか「居心地の良さ」にまで到達することができません。というのは、施設は廊下の幅や部屋の大きさ、洗面所の配置などもすべて法律で定められていて、それにあわせて施設を作らざるを得ないからです。そうすると、どこの病院、どこの施設も同じにならざるを得ない。暮らし慣れた自宅とは全く異なる環境になってしまうわけです。

在宅でのケアのような環境を求めた時に、制度にのっとった施設では、ぴったりとイメージに合うものがありませんでした。だから民家なのです。

特別養護老人ホームは10人、グループホームは制度上9人が上限ですが、一人ひとりにあったケアを丁寧にしようとなると、それは多すぎると考えており、一つのホームホスピスで、最大でも5〜6人を上限としています。

ただ、ホームホスピスは制度上の仕組みではないので、経営面ではかなり苦労を強いられます。収支はギリギリで、他の事業をやりくりしたり助成金やご寄付をいただいたりしてなんとか回している状態ですが、社会に必要な資源として、地域の方たちに育てていただきたいという思いがあります。

(「かあさんの家 霧島」のベランダから見た庭と畑。ホームホスピスとして、風や四季が感じられることも大切にしている。「遠方で暮らす住人のご家族が時々訪れて、手入れをしてくださいます」)

「それぞれの背景がある一人ひとりが、
笑顔を見せてくれた時が嬉しい」

ここで、偶然インタビューに居合わせた「かあさんの家 月見ヶ丘」主任の荒川久美子(あらかわ・くみこ)さんにもお話を聞くことができました。

(「かあさんの家 月見ヶ丘」主任の荒川さん)

──住人の生活を支える上で、大切にしていることは?

荒川:
聞く姿勢です。言葉がなかなか理解できなかったり、発するまでに時間がかかることもありますが、それを待って、ご本人の意志を尊重すること。その余裕を持つことです。

かあさんの家の入居の上限は5〜6人ですが、いろんな方がいて、いっぺんに皆さんを同じように見るというのは、どうしても難しいです。たとえばすでに何度か転倒していて、また転倒の危険があったりする方がいると、全体を見つつもどうしてもその方が転ばないか、危なくないか、どうしてもその方の見守りが優先になります。

そんな時、ほかの方には声をかけながら、食事の時には深く関わるとか、ほかの方が昼寝をしている時にお話をしたりなど、タイミングを工夫して関わるようにしています。5〜6人でちょうど良いなと感じています。

──空間づくりとして、意識していることはありますか。

荒川:
月見ヶ丘のかあさんの家は窓が大きくて日当たりも良いので、今は密にならないように気をつけながらにはなりますが、寝たきりの方もなるべく背を起こして、交代で陽に当たってもらうようなことも心がけています。コロナ前の、皆で居間でワイワイと団欒していた風景が懐かしいですが、今は仕方がないですね。

あと、私が気にかけているのは、何かあった時にすぐに逃げられるよう、普段からの防災です。日中は別のスタッフもいますが、夜は基本的に一人なので、安全確保のために、高いところに物をおかないとか、私一人でも住人の皆さんを逃せられるようなベッドの高さなどを意識しています。

──ある意味共に生活している、住人の皆さんに対してはどのように接していらっしゃるのでしょうか。

荒川:
どれだけ生活にかかわったとしても、ご本人にとってはご家族が一番。
家族のように関わりながら、それでも自分たちはあくまで、ご本人とご家族の橋渡し的な存在だと思っています。怪我をしないように、無事なように、ご家族からお預かりしているという意識ですね。

(「どれが好きですか?」。「かあさんの家」の住人の方に、、今回のコラボTシャツのデザインを選んでもらっているところ)

──やっていてよかったと思う時はどんな時ですか?

荒川:病気で寝たきりだったり、認知症が進んでいたり…皆さんいろいろな背景があります。だけど、関わる中で、笑顔を見せてくださった時はとても嬉しいと感じます。いろんな背景がありながら、楽しい瞬間がある。そこにほっとするし、よかったと感じます。

──看取りについては、どんな思いですか。

荒川:
私がかあさんの家に関わるようになって11年になりますが、体制が整っており、最期が近くなるとご家族がこられたり、他のスタッフも手伝いに来てくれたりして、住人を一人で看取るということは滅多にありません。

お誕生日が近かった方は、ご家族の皆さんとバースデーソングを歌いながらお看取りしたこともありました。ご本人やご家族が穏やかで、居心地の良い空間をつくること。それが私たちの役割だと思っています。

初めて一人で看取りした経験は、私にとってターニングポイントになりました。ご家族が遠方だったこと、また危ない状況になってから亡くなるまでがすぐだったこともあって、私だけでお看取りした方がいらっしゃったんです。

安心して、穏やかに息を引き取ってもらいたい。その思いで、「大丈夫だよ」と声をかけ続けました。亡くなるまでずっとそばにいようと思った自分自身に、良い意味で衝撃を受けました。自分の責任感や使命感に、気づかせてもらったんです。

(「かあさんの家 月見ヶ丘」スタッフの皆さんと)

「一人ひとりの、物語に触れていく」

(「食べることは、人が人として生きる希望」。できるだけ最期まで、口から食べる幸せを支える)

──今は全国に60を超えるホームホスピスがあるそうですね。

市原:
「かあさんの家」を始めた頃は、全国にこれだけホームホスピスが広がるとは思いもよりませんでした。目の前の課題に対して向き合いながら一つひとつを作っていった結果、「うちの地域でもやりたい」という声を少しずついただくようになりました。
つまり、「がんや認知症などの病気になっても、障がいを持っても、最期まで自分らしく、望むように生をまっとうして、安心して死ぬことができる地域をつくりたい」というのは、宮崎だけの課題ではなかったんですね。

では他の地域でもホームホスピスを作りましょうとなった時、ただ民家を借りてそこに人を集めればいいというものではなくて、「ホームホスピス」を謳うのであれば、一人ひとりと丁寧に向き合う姿勢や環境は担保したいと思っていて、「全国ホームホスピス協会」を立ち上げ、ホームホスピスの理念や基準をお伝えする活動もしています。

(ホームホスピスのケアの理念や環境について記された「ホームホスピスの基準」と、ホームホスピスを分かりやすく伝えるためのパンフレット)

──なぜ、そこまで「ホームホスピス」というかたち、その向き合い方にこだわられるのでしょうか。

市原:
一人ひとりに人生の物語があって、人生の最期で、その人生が出てくると思うんです。
一人ひとりが物語を生きている。その物語を理解した上で、スタッフがケアに当たること。そうすると本当に、穏やかな、「よかったね」といえる最期があるんです。

実は今朝、一人の方をお看取りしました。
Aさんはずっと一人で生きてこられた方でした。想像するに、きっと厳しい人生だったのではないかと思います。人に頼ることをせず、誰かに触れられることも、誰かにありがとうと感謝を伝えることもなかったようです。

しかし「かあさんの家」で過ごすうち、Aさんは少しずつ変わっていきました。亡くなる前、Aさんはいつも周りに「ありがとう、ありがとう」とおっしゃっていました。
スタッフも次第に心動かされ、「家族がいないAさんのために、最期の旅立ちぐらいはちゃんとしたお洋服を買って、着せてあげたい」と、亡くなった時のために新しい服を用意してくれていました。

死亡診断のために医師の先生に来ていただくのですが、「ちょっと悪いと聞いたから」と、先生が朝一で足を運んでくださったんです。
最期の朝、Aさんは先生を含めた皆に見守られる中で、静かに息を引き取りました。

「誰も頼る人がなく、一人で頑張って生きてこられたけど、最期、こうやって皆に囲まれ、声をかけられながら亡くなられてよかったね」と、先生がそっと声をかけてくださいました。穏やかな最期が、確かにそこにありました。

──そうだったんですね。

(10年以上前に亡くなった「かあさんの家」の住人の方が生前使っていたネクタイを、手芸ボランティアさんがコインケースに作り替え。新たないのちが吹き込まれ、誰かの今日に、そっとやさしく寄り添う)

市原:
「かあさんの家」では、これまで130人ちょっとの方をお看取りしてきました。
人生の最後のステージで、お一人お一人が生きてこられた、その一つひとつの物語に触れていくこと。これはホームホスピスでなければできないことだと思っています。

一対一のいのちとして、人としての関わりを持ちながら、そこに必ずある物語を尊重し、丁寧に向き合った先に、その方が必ず遺していってくださる、何かがあると思うんです。

看取ることは、「今をどう生きるか」という問いでもあるのではないでしょうか。
「ケアをしてあげる」「ケアをしてもらう」という意識や関わりでは、ともするとその方が持っている力や尊厳を、奪いかねません。その方の物語を知り、その方が持っている力を信じて引き出しながらケアをしていく時に、死は決して終わりではなく、次につながっていく何かを紡いでくれると思うのです。

(「かあさんの家」の住人の方が生前使っていたネクタイを活用した小物入れ。今でも大切に飾られている)

「穏やかな死」を意識した先にある「豊かな生」

(2015年には「保健文化賞・毎日社会福祉顕彰」を受賞。「受賞記念パーティーでは、スタッフと会場の方たち、皆で『365日の紙飛行機』を歌いました」)

──「死」に対して、市原さんはどのように思いますか。

市原:
コロナが流行している今、日々感染者数や死者数が報道されていますよね。
亡くなった方の数字だけで、「どういうふうに亡くなったか」までは見えせん。人は見えないことに対して、恐怖心や不安を抱きます。

だけど死は、決して見えないもの、遠くにある怖いものではないと思います。
今さっき、目の前で「おはよう」と声をかけて、振り返ると亡くなっていた。そんなこともあります。死は決して日常から切り離されたものではなく、日常の中にあるものです。

──確かに。

(市内の花の公園で、「かあさんの家」の住人の皆さんやその家族、スタッフとお花見を開催した際の一枚。「スタッフが演奏する音楽に合わせて、ボランティアのフラダンサーが踊りを披露してくださいました」)

市原:
相談に来られる方の話を聞いていると、「穏やかに、静かに、自然に亡くなっていくことができれば、それがいい」と多くの方が思っていらっしゃるということを感じます。死はこわいこと、触れたくないタブーではなく、「穏やかな死」を意識した時、生が色濃く、豊かに感じられるのではないでしょうか。

人は生きてきたように死んでいきます。
生と死は常に隣り合わせに存在し、いのちの豊かさ、豊かに生き、豊かに死ぬことの大切さを教えてくれているように思います。

死をタブーとして排除するのではなく、「よかったね」と言える穏やかな最期に触れ、「私もあんな風に逝きたい」「あんなふうに看取ってもらいたい」というふうに思う方が、地域に一人でも二人でも増えていった時に、何か変わっていくことがあるのではないでしょうか。

(2021年11月に開催された、第10回「ホームホスピス全国合同研修会」。「10周年の記念大会として、ホームホスピス発祥の地・宮崎で開催しました」)

──市原さんにとって、「地域」とは?

市原:
「地域」というと漠然としますが、基本にあるのは「私とあなた」だと思います。まずは家庭の中での「私とあなた」の関係があって、そこに周りの関わりがあり、外に出るとオフィシャルな部分があって、さらにその上に地域がかかってくる。
それぞれのコミュニティがバラバラに存在するのではなく、基本は「私とあなた」の関係性が、隣近所から始まって、どうつながっていくか、それが地域ということでもあるのではないかと思います。

孤独死が社会問題にもなっていますが、「私とあなた」のつながりが一つでも二つでもあれば、これは防ぐことができます。市民活動、NPO活動はそもそも町づくり。自分たちのできる範囲で、出会ってくださった方たちと丁寧に向き合いながら、知恵を出し合って、豊かな地域を作っていけたらいいなと思います。

(事務所がある建物の中にある「暮らしの保健室」で定期的に開催されている「ゆるりサロン」。地域の方たちと手芸や音楽を楽しむ)

チャリティー、ホームホスピスを地域に根付かせるための活動資金となります!

(2014年に開催した、「かあさんの家」10周年を記念した式典。スタッフや地域の方など、多くの人が集まった)

──最後に、チャリティーの使途を教えてください。

黒岩:
チャリティーは、ホームホスピスを地域に根付かせていくために、「かあさんの家」の住人の皆さんとそのご家族、スタッフで行くお花見会の資金、そしてまた、医療的ケア児とそのご家族のための秋祭りを開催するための資金として活用させていただく予定です。

病気になっても、障がいがあっても、大切なご家族や仲間たちと、その人らしく楽しく暮らせる地域を、これからもつくっていきたい。ぜひ、チャリティーアイテムで応援いただけたら嬉しいです。

──貴重なお話をありがとうございました!

(事務局スタッフの皆さんの集合写真!)

“JAMMIN”

インタビューを終えて〜山本の編集後記〜

どういう空間で最期を迎えたいか。あるいは家族や大切な人が、どういう空間で最期を迎えられたら幸せだろうか。そう考えた時に、「かあさんの家」のような場所があることはすごく心強いと感じました。

寝たきりであっても、病気であっても、その人らしさが丸ごと受け止められて尊重されること。まさにゆりかごから墓場まで、そんな場所があることが、社会や地域の豊かさにもつながっていくのではないでしょうか。

・ホームホスピス宮崎 ホームページはこちらから

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家の周りに集まる、さまざまな動物を描きました。
自分らしくあれる場所で、一人ひとりがその人らしく、楽しく生きていく様子を表現しています。

“Your life is your story”、「あなたの人生は、あなたの物語」というメッセージを添えました。自分自身の人生とその物語を紡いでいくために、自分の周りの人たちの人生とその物語も尊重していこうよ、という思いが込められています。

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