CHARITY FOR

NPO法人カタリバ

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今週3月11日で、東日本大震災の発生から5年が経過します。私たちJAMMINでは、毎月11日を含む週を「日本の災害が私たちに遺したもの」として特集。様々な災害を経験した私たちに「今、何が出来るのか」を一緒に考えたいとの想いから、東日本大震災やその他災害に関わっているNGO/NPO様へのチャリティー・キャンペーンを企画しています。

先月に引き続き今月も「東日本大震災」が遺したものついて。宮城県・女川町と岩手県・大槌町で、子どもへの学習指導や、心のケアを提供する「コラボ・スクール」について、詳しい話を伺ってきました。

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「震災直後の避難所では、夜になると消灯され、携帯電話の明かりの中、勉強する子どももいました。やっと移った仮設住宅でも勉強しているすぐ横で家族がご飯を食べていたり、弟や妹が遊ぶ中、勉強するしかない環境です」

「その後、コラボ・スクールでの学習指導の甲斐もあり、当時通っていた中学3年生85人のうち、ほとんどの子どもたちが、自分たちの希望する高校へ進学することが出来ました。直近の2015年3月の受験期には、中学3年生の100%が進学しています」

2011年当時の東北には、多くの人が現地に駆けつけ、ボランティアを通じて「今、自分たちに出来ること」を実践していました。

そんな中、ある1人の女性が、週末の休暇を利用して、福島でのがれき処理のボランティアに参加していました。当時はまだシステムエンジニアをしていた、NPO法人カタリバの川井 綾(かわい あや)さんです。

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東京は「あまりにもスッと日常に戻っていった」

私、川井は大学を卒業後、金融系のシステムエンジニアとして働いていました。新卒で入社して3年目の生活を過ごしている時に、東日本大震災が発生しました。

震災発生直後は、金融系のシステムに携わっていたこともあり、順番で交代しながら24時間体制で仕事をしていました。その後、仕事が一段落し、週末の休暇を使い、がれき撤去のボランティアへ参加しました。

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(がれき撤去ボランティアへ参加していた頃の写真)

もともと、私は仙台出身。ボランティアへ参加したのは「東京にいる私にも、自分で出来ることをしたい」との想いからでした。

その頃の東京では、震災発生当日に交通機関が麻痺し、計画停電の影響も受けていた頃。やがて街や人が、普段通りの生活に戻っていく様子を見て、「なんでこの人達は、こんなにも日常にスッと戻れるのだろう?」と違和感・疎外感を感じていました。

私自身が仙台出身でなければ、何も思わなかったのかもしれません。

私の実家では水が一ヶ月出なかったり、女川町で教員をしていた友人の安否がわからず情報を探している。しかし、私自身は東京で「普通に」生活出来ている。そのギャップに辛さを感じていました。

そして、福島のがれきは、少しずつ、そして確実に減っていきました。この頃から「いつかこのボランティアの仕事も無くなるのだろうな」と思うようになり、漠然と「平日も仕事として、持続的に復興に関わることが出来ないか」と考えるようになったのを覚えています。

私が今すべきはこれ ─ 女川町(おながわちょう)での3日間

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(女川向学館登校風景)

仕事として復興に関わる方法を探していたある日、ツイッターで、現在所属するカタリバが事務局を務める「ハタチ基金」の求人情報を見かけました。

情報を見て、すぐに連絡。カタリバが展開するコラボ・スクール「女川向学館」の開校日を含む3日間に、まずはボランティアとして参加することになりました。

女川向学館は、2011年7月に宮城県・女川町で開校しました。当時はまだ避難所として利用されていた、女川第一小学校を借り、主に小中学生に学習指導と心のケアを行う、 被災地の放課後学校「コラボ・スクール」の1校目です。

今だから言える話ですが、もともと、私は教育に関わりたい、という強い想いがあった訳ではありません。当時は、生まれ育った宮城県だし、現地へ行けるならという程度でした。

しかし、その開校初日、私は大きな衝撃を受けました。

子どもたちが足を弾ませて教室へ集まって来る姿。

講師の方が「お前たちにまた教えられる日が来ると思わなかった」と感慨深げに話す様子。

真剣な眼差しで勉強に励む子どもたち。

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(女川町での授業風景)

将来の東北を支える子ども達を支えよう、私がすべきはこれだ─、と考えるようになりました。

その後、会社には休職届けを提出。2011年12月に岩手県・大槌町での開校を予定していたコラボ・スクールの2校目「大槌臨学舎」の立ち上げに本格的に参加することになりました。

岩手県・大槌町(おおつちちょう)で見た、子どもたちのリアル

大槌町は、全人口15,994人のうち死者・行方不明者は合わせて1,284人。住居倒壊率は64.6%と東北地方の被災地で3番目に高く、町庁舎も津波で崩壊しました。

私が大槌町へ初めて行ったのは、2011年11月。当時の大槌町は街灯すらなく、どこに道路があるかわからないほど、生活インフラがまだまだ整っていない状態でした。

2011年の年末に中学3年生だった子どもは、年明けの3月には入試を控え、勉強に集中出来ない状況にありました。

まず、震災直後の避難所では、夜になると消灯され、携帯電話の明かりの中、勉強する子どももいました。その後、やっと移った仮設住宅でも、勉強しているすぐ横で家族がご飯を食べていたり、弟や妹が遊んでいる。

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(2011年女川町にて 仮設住宅前で勉強している子ども)

さらには、自宅の被害を免れた子どもたちでさえも、「なぜ自分の家が流されなかったのか」と罪悪感に苦しめられていました。

このような状況を変えるべく、スタートしたのが、コラボ・スクール大槌臨学舎です。

大槌町で動き始めたコラボ・スクール

コラボ・スクールは、子どもたちが希望校へ入るための学習指導、心のケアを行っています。大槌臨学舎は、2011年12月に開校の準備が整いました。

当初は「大槌町はもとから塾が少なかったし、そんなに人数は集まらないだろう」と関係者から言われており、10人でもいいから、来てもらえたら、と考えながらチラシを配り始めました。

しかし、学校でチラシを配ってもらった直後から、昼夜を問わず携帯の着信音が鳴り止みませんでした。結果的に、当初想定の10名を大きく超える、85名が入会説明会に集まりました。当時の大槌町の中学3年生の約8割もの子どもが会場に集ってくれたのです。

実は、説明会を開催したのはのは、開校の3日前。急遽習熟度別にクラスを分け、どうにか開校出来たことを昨日のことのように覚えています。

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(当日校舎にしていた公民館への登校風景)

2012年の初めての受験から、2015年の合格率100%へ

順調に学習指導が進み、また子どもたちの家・学校以外の居場所として機能し始めた大槌臨学舎は、2012年3月に初めての受験シーズンを迎えました。

コラボ・スクールでは、全ての子どもが関わることになる「勉強」を通じて、自分で出来る手応えを掴み、自己肯定感を高めて欲しいと考え、学習指導に力を入れています。

その甲斐もあり、当時通っていた中学3年生85人のうち、ほとんどの子どもたちが、自分たちの希望する高校へ進学することが出来ました。直近の2015年3月の受験期には、中学3年生の100%が進学しています。

親御さんや生徒たちが「コラボ・スクールがあってよかった」と喜んで頂けたことを、今でも鮮明に覚えています。

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(2012年大槌臨学舎での授業の様子)

成果が順調に出ている中、資金的には余裕がある訳ではありません。

当初の2年間は無料で授業を提供していたのですが、親御さんや町の方々からの声も受け、現在では1人あたり中学生5,000円、小学生3,000円のお月謝をいただいて運営しています。

しかし、現地で働くスタッフの人件費や運営にかかる費用はそれだけでは賄えないため、国や行政からの助成金、企業や個人の皆さまからお預かりする寄付金を集めながら、活動しているのが現状です。

未来を支える東北の子どもたちへ。チャリティーを通じて出来ること

私は現在、東京で勤務しているのですが、大槌町には2015年11月末まで約4年間勤務していました。

離れる直前では震災当初とは異なり、壊れた建物や、曲がったガードレールも少なくなり、ほとんどが更地になっています。土盛り工事が進み、着実に復興は進んでいます。

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(2015年2月の大槌町の様子)

そして、東北の子どもたちは未来に向けて、着実に歩き始めています。

最後に、この春2013年4月に高校へ入学した大槌臨学舎の2期生の子どもたちが、大学へ進学します。その2期生の子どもからの手紙を紹介させてください。

大槌臨学舎に通い始めた当初の私は、人前が大嫌いで、少しの発表だけで赤面してしまうし、チャレンジできる人をいつも見上げているような人でした。

今まで、「自分にはできない」そう自分にかけ続けたストッパーもコラボ・スクールの存在が外してくれたように思います。

「いいじゃん!できるよ!」と問題を解けた時も、将来の夢をふと話した時も、自分の思いを受け止めてくれる場の存在が、自分に「何か挑戦したい」「自分を変えたい」という思いを育ててくれました。

今、思うことはコラボ・スクールに出会えたことは私にとって「人生を変えるきっかけであり、何より自分を信じる力を与えてくれた場」だったのだと強く思います。

コラボ・スクールに関わった子どもたちには、自分の育った町、大槌や東北のことに関わっていて欲しいですし、自分の暮らす町の課題や、他の人のために動き続ける子どもになっていってくれたら、と私たちは願っています。

私たちの活動をモチーフとしたデザインには「その場所から始めよう」という言葉と、子どもたちの成長を木に重ね合わせ、表現して頂きました。まさに、私たちが子どもたちに伝えたいメッセージそのものです。

今週、皆さんからお預かりするチャリティーを通じて、より多くの子どもたちが継続してコラボ・スクールへ通うことが出来るようになります。

東北で活動していた様々なNGO/NPOの活動も、2013年をピークに少しづつ減っていますが、このコラボ・スクールは、仮設住宅が無くなると言われている2018年までは継続することを目指しています。

是非、チャリティー・アイテムを通じて、コラボ・スクールの応援を、よろしくお願いします。

TEXT BY KEIGO TAKAHASHI

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NGO/NPO担当者からのメッセージ(チャリティーの入金報告)

【 THANKS MESSAGE 】NPO法人カタリバ から御礼とメッセージ | JAMMIN(ジャミン)

基本情報

法人名:特定非営利法人カタリバ
活 動:東京に事務所を構え、子どもたちが生まれ育った環境に左右されずに“自分の無限の可能性を信じて”生きていける社会を目指して、高校生の心に火を灯すためのキャリア学習プログラム「カタリ場」を提供する非営利法人。
住 所:東京都杉並区高円寺南3-66-3 高円寺コモンズ2F
H P:http://www.katariba.net

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