(TEXT BY KEIGO TAKAHASHI)
あなたは子どもの頃、どんな風に放課後を過ごしていましたか?
僕は母親が専業主婦だったこともあり、小学校低学年まではすぐに帰宅!家でゲームばっかりしている少年でした(笑)。高学年になると野球に打ち込むようになり、部活だけでなくクラブチームの練習へ参加。練習が無い日は近くにある団地に住む同級生とテニスボールで野球をしていました(常に野球!)。
ただ、僕が小学生だったのは、20年ぐらい前のこと。今の小学生たちがどのように放課後を過ごしているのか全く想像もつかないー、というのが正直なところです。
今週のチャリティーは、NPO法人 放課後NPOアフタースクール(以下、アフタースクール)。
アフタースクールは、子どもたちの居場所作りをしています。平日は、地域住民の方やプロの方を、「見守りボランティア」「市民先生」として学校に呼び、多種多様なプログラムを展開しています。
(お料理上手な主婦の方とお菓子づくり)
そして、週末になると、様々な企業・団体等と連携し、子育てプロジェクトを展開しています。
数多くのプロジェクトがあるのですが、中でも一番面白い!と思ったのが「だがしやチャレンジ」。うまい棒でお馴染みの株式会社やおきんがスポンサーとなり、商品提供とプログラムの企画で協働。
子どもたちが実際に駄菓子を仕入れ、売って利益を出す、という経済学の基本のキを学べるようなプログラムになっています。これは、大人が参加しても楽しそう!
こうした平日〜週末まで、小学生の居場所作りを進めるアフタースクール。一番の特徴は「小学校」を舞台に活動を行っていること。子ども達にとって、一番馴染みがあり、そして放課後には使われていない場所でもあります。
アフタースクール代表の平岩国泰(ひらいわ くにやす)さんに、詳しい話をお伺いしてきました。
(アフタースクール代表の平岩さん)
平岩(敬称略) 学校を使うハードルは正直、高かったです。当時、行政からは全く信用されていなかったですからね。言っていることは良いんだけどねぇ、というリアクションでした(笑)。
そのためにも先ほど紹介頂いた、週末に実施している企業との連携プロジェクトを充実させ、少しずつ信頼して頂けるようになり、やっと学校を使わせて頂けるようになってきました。
着実に実績を積みながら、スタートを切った小学校を活用したアフタースクール。小学校を利用することで、子ども達にとって意外な効果があったとも教えてくれました。
平岩 ある子どもは、友達が増えたって言うんですね。(同じ学校なのにですか?と質問すると)アフタースクールの活動には、クラスが違ったり、学年が違ったりする子ども達が集まる。
そうすると、今まで無かったような繋がりが生まれて、クラスの友達とは馴染めなかった子が活き活きと過ごすこともあるんです
アフタースクールの活動に対して、全国から引き合いが増えていると言います。今、子ども達の放課後が変わってきていることが背景にあるとも平岩さんは教えてくれました。
平岩 放課後を取り巻く環境は変化しています。私たちの世代(40代)にとって、親が専業主婦の方も多かったと思いますし、放課後は子ども達同士で遊ぶもので「大人の手がかからない」ことが多かった。
今、どうなっているか。例えば、親御さんが共働きの方が多く、子どもは家に帰っても一人。そして、親御さんは家に一人で居させるのは可哀想だから、と習い事へ行かせる。子どもにとっては、習い事だけでなく友達と遊びたい。自分が主体的に選んだ習い事でないと、子どもがやらされ感を持ち、自己肯定感が育まれないという課題があります。
この問題を「放課後問題」と呼ぶとすると、課題解決をしようとする方はアフタースクールだけではありません。ただ、変えようとする人がいるだけでは何も起きません。本当に変わらなくてはいけないのは、僕たち大人自身です。
平岩 自分が始めたきっかけは、自分に子どもが生まれたこと、アメリカのアフタースクールを教えてもらったことでした。この放課後支援は素晴らしい!自分がやらなくてはいけない!という勝手な使命感に燃え活動をスタートしました。
(活動スタートの頃の一コマ)
活動を始めた頃から最初の頃は大変でした。大手の百貨店でサラリーマンをしながら活動をしていたのですが、毎晩のように悪い夢を見ました。物が落ちてきたり、道に迷ったり、犯罪集団に襲われたり、毎晩異なるバリエーションの悪夢を見ていました(笑)。
上手くいくかわからないような毎日だったのですが、応援してくれる人が出てきて、活動を続けて欲しいという声に後押しされて、今まで続けてこられた感じです。
アフタースクールのコンセプトを全国へと広めるために、この活動一本で生きていこうと決めた平岩さん。ここから猛烈なエネルギーで広めようと進んでいきます。
平岩 この活動一本で進もう!と思ったのは30歳のころ。社会に迷惑をかけながら生きてきたので、社会に恩返しできればという想いでやっています。大学生の頃中学生の野球のコーチをしていたので、人が成長するすぐ側にいることがすごく好きだと感じました。
スタートさせた活動を、一人でも多くの人に知ってもらおうと、多い時には1日で6社〜7社のCSRご担当者様を訪問したり、行政の集まりに顔を出してはプレゼンをさせてもらったり。こうした地道な活動を続け、少しずつ活動が広まっていきました。
(プレゼンをする平岩さん。ぜひ直接聞いてみたい!)
(すごいエネルギーですね!と伝えたところ)私自身はいったて普通の人です(笑)。決して思い切りがいいわけでもないですし、ビジネス書で読むような人を見てても自分には出来ないだろうな、って悔しい想いをしていました。
ただ、BtoCの仕事にいたこともあり、やりながらお客様の反応を見て軌道修正をしていくのが得意ではあります。活動のコンセプトはもちろん、普通の人でもこれだけの活動ができるということを、多くの人に伝えたいことでもありますね。
アフタースクールの活動はいかがだったでしょうか? 素晴らしいと信じる活動のためにサラリーマンとしての安定を投げうってスタートを切った活動。JAMMINの活動も30歳で脱サラしてスタートを切ったのでお話を聞いていてたくさん共感する点がありました!
最後に代表の平岩さんからのメッセージを紹介します。
平岩 今、アフタースクールが行う活動に対して、全国から問い合わせが来ています。現場に行くことができればベストなのですが、資料作成や交通費の費用も含め、正直まだまだご要望にお応えするのが厳しいことがあるのも事実。ぜひ、今週皆さんから頂くチャリティーは、全国展開する際の費用の一部として大切に使わせて頂きます。
もし、あなたの家の近くに公園があれば、15時半過ぎ、学校が終わる頃の様子を気にかけて、覗いてみてください。自分が子どもだった頃とどう違うのかなど、私たちの想いを少しでも感じて頂ければ嬉しいです。
チャリティー・アイテムのデザインでは、子ども達を支える、学校・地域・家族の3本の柱を表現して頂きました。また「物語は始まったばかりだ!」というメッセージは子どもたちの姿でもあり、私たち団体の姿でもあります。ぜひ、チャリティー・アイテムを通じて、私たちの活動の応援のほど、よろしくお願いいたします!